リミットオーバー(数字は振り切りました)
最後に派手な事件があったせいか、その夜は一旦帰宅した絵里香ちゃんが、なんとトランク持参でまた戻って来てくれた。
もう今から一緒に行動するという。
「ケージ君が心配だからね」
真剣に言う彼女を、俺は思わず拝みたくなったくらいだ。
「いやホント、苦労かけるなあ」
しみじみと口にすると、絵里香ちゃんは苦笑した。
「やだな、あたしとケージ君の仲じゃない」
その時、たまたま俺の部屋に二人でいて、他に誰もいなかったせいか、声を低めはしたが、絵里香ちゃんは意味深なことを囁いた。
「それって、やっぱりコレのこと?」
右手を上げて小指をピコピコ動かすと、彼女は当然のように頷いたね。
「それだけで判断しないけど、大きな判断要素よね。……ねえ、もう一度、赤い糸を目線で追ってくれない?」
「い、いいけど?」
絵里香ちゃんの要請理由は謎だが、今更隠すものでもないので、俺はまたしてもふんがーと気合いを入れて、小指を見る。
この……いちいち集中しないと見えないのが、なんともアレだが。
まあとにかく、絵里香ちゃんが熱心に見ているので、目でゆっくりと赤い糸を辿っていく。なんつーか……最初の頃より輝きが増して、太くなってるぜ、この糸。
最後に絵里香ちゃんの右手の小指に視線が至ると、彼女は感極まったように震えるため息をついた。
「ああっ。あたしも見たいっ。とても見たいのにっ」
「わっ」
そこでなぜ、俺に抱きつくですかっ。
身長があまり変わらないので、全身で絵里香ちゃんを感じる気が。
あと、俺の胸に押しつけられた豊かな膨らみに焦る。思わず手が出そうになるやん。
「ほら、あたしってこの世界に本当の意味での身内がいないじゃない?」
「ま、まあね。でも、俺は身内のつもりだけど? 多分、里親さん達も」
「そこよ」
絵里香ちゃんが耳元で囁く。
「養父も養母もあたしは好き。でもやっぱり、一緒にいると故郷の母のようなわけにはいかないわ。でも、でもねっ、あたしとケージ君は、赤い糸で結ばれている。この世界の赤い糸伝説を聞いた時は、失笑したものだったけど、今は笑ったりしない」
いつもきりっとした絵里香ちゃんが、今晩はやたらと優しい声音だった。
「あたしにとって、ケージ君は他人じゃない……糸のお陰で、心からそう信じられるの……本当に、ぜひ自分の目でも見たいのにいぃ」
「い、いやぁ」
もし見えたら、複数の糸が絡まっている俺の指を見て、いきなり殴られるかも。
……いつかは話すべきだろうけど、今はちょっと言えないよな。
「ケージ君?」
「聞いてるって! き、気持ちはわかるけど、こういう方法もあるじゃないさ」
俺は前にやったように、気合いを入れて糸を現実のものとして手に握り、軽く引っ張ってやる。もちろん、俺にとっては本当に存在する糸なので、絵里香ちゃんは「わあっ」と歓声を上げ、わざとらしくよろっとよろけた。
よろけたにしては、嬉しそうだったけど。
「嬉しい……嬉しいわ……なにがあろうと、あたしがケージ君を守るからね」
「いや、お互いがお互いを守るんだって」
潤んだ瞳の絵里香ちゃんに言われ、俺は慌ててそう言ってやった。
それにしても、気が引けるっ。
ちなみに、その後は空美ちゃんが「空美もおにいちゃんとお風呂入るのっ」と主張した以外は、特に事件らしい事件も起きなかった。
幸い、年上の余裕を発揮した絵里香ちゃんが、「空美ちゃんが抜け駆けしたら、あたしも可憐ちゃんも一緒に入るって言い出して、ケージ君が出血多量で倒れるんじゃない?」などと言ってくれた。
……誰がそのくらいで鼻血噴くかと思うが……いや……よく考えたらわからんな。
美女と美少女と美幼女の三人と一緒に、狭い浴槽に全裸で浸かったら……そりゃ自信ない。
いずれにせよ、なぜか空美ちゃんは納得して、「じゃあ……二人の時までがまんする」と残念そうに頷いた。
二人の時っていつ? と思うが、細かいことは聞かずにおく。
なにより有り難いのは、みんなと一緒にいると、UFOやらインプラントやらのことを、忘れられることだ。
しかし、本日最大の衝撃は、実はUFO騒ぎでもなければ、全裸風呂祭り(ポシャったが)でもなかった。
食事を終えて、そろそろ寝ようかという話になりかけた時のこと――。
俺はほんの気まぐれで、珍しくソファーセットの正面に座る可憐を見た。ただ見たのではなく、もちろん例の数字を見るためだ。
どうせいつもの100のまま、不動だろう……がああっ!?
100じゃない、いつもの100じゃないぞ!
いや、数字が減ったのなら話はわかる。しかし、減ったのでもない。
増えていたのだ……103に! それもなぜか、頬ではなく額に数字が見える。
え、この数字って、100がリミットじゃないのかっ。それに、どうして見える場所が移動するんだよ!? トドメに、数字の色が赤は赤でも、随分と濃い色なんだが。
俺が息を呑んでまじまじと見つめていると……可憐がゆっくりと首を巡らせ、俺を正面から見つめた。
「……どうしました、にいさん?」
「うっ」
いや、笑顔で言ってくれたのはいいが……なんかこの笑顔、ちょっと怖いぞ。心の内では全然笑顔じゃないような……そんな表面だけ笑顔の気が。
でもその時の俺は、ただひたすら戸惑い、曖昧に首を振ったに留めた。
数字や糸のことなんか、話せないしな。
この俺が……リミットを振り切ることの意味を思い知るのは、もう少し後のことになる。




