幽体離脱と明晰夢(めいせきむ)
正常に戻ったのはめでたいが、今の出来事に対する驚きは、継続中である。
俺は落ち着くために、ひとまず日記をしっかりと元の場所へ戻し、ハシゴも戻し、そして玄関のチェーンロックも解除した。
これやったままだと、帰宅した妹が入れなくて、怪しまれるからな。
その後、自室へ戻ってPCを点け、考え込む。
まず、さっきの幽体離脱が真実か幻かだが――俺は、あれが気のせいや幻だとは、到底、思えなかった。
別に起きた直後でもなし、頭はボケてなかった。はっきりしていたはずだ。
だいたい、すっかり「俺の想像上の友達だったんだ」と思い込んでいた幼馴染みだって、まさに今日、実在が証明されちまったしな。
異世界から迷い込んだ幼馴染みに比べりゃ、幽体離脱ごとき、ナンボのもんだって話だ。
そこで俺は、「困った時のグーグル先生」とばかりに、インターネットの海にダイブし、情報を探った。
多分、望む答えが見つかるだろう。
……半時間後、俺はリビングのソファーに横になって、必死で特訓を重ねていた。
ネット検索によると、どうやら幽体離脱には二つの解釈があるようだ。
一つは「あんたそれ、明晰夢を見ただけだよ?」というのと、二つ目は「ガチでマジの魂が抜けた幽体離脱でした」という、二種類。
前者は、ほぼ「夢を見ていることを自覚している夢」に過ぎず、後者こそがガチである。
まあ、専門的な区別は実は違うかもしれないが、魂なんてもんが絡む時点で、半分はフォースと同義な気がする。
俺が知りたいことはだいたいわかったし、文句ない。
話は戻るが、俺は非常に気の多い男かつ、好奇心旺盛な人間である。
そこで、さっきの体験はほぼ「本物の幽体離脱だった」と仮定して、今こうして先程の再現を試みているわけ。
さっきはびびったけど、もう一度できるものなら、やってみたいと思ったのだな。なにしろ、魂だけふらふら出歩けるというのは、割と面白そうだしな……まあ、いろんな意味で。
言うまでもなく、覗きをするためじゃなくて、あくまでも好奇心が原動力……のはずだ。
ネット情報によると、「身体の力を十分に抜き、もう少しで眠ってしまう寸前になったところで、軽く身を捻る感じをイメージ(意訳)」的なことが書いてあったので、それを練習している。
そういや風呂場の時も、俺は慌てて身を起こそうとして、見事に(多分)魂が抜けたしな。やってみる価値はあるだろう……考えるな、感じるんだ俺。
「力を抜く……抜く……意識が曖昧になって来た……それ、ふんっ」
声に出してやって何度もやってみたが、イマイチ上手くいかない。
そもそも、声に出すと意識が逆にはっきりして駄目だ。よし、無言でがんばろう。
(力を抜く……抜く……抜く……意識がだんだんとろけてきた……今だ、ふんっ)
身体を捻るイメージをしたが、全然駄目。
「なんだ、ガセネタかよ、くそっ」
早くも飽きが来て跳ね起きると、「きゃっ」と小さな悲鳴がした。そして、鈍い音も。
「なんだ?」
ソファーの背もたれの向こうを見ると、セーラー服姿の可憐が尻餅をついていた。ソファーを覗き込んだところへ、急に俺が起きたせいで、バランス崩したのだろう。
「だ、だめっ」
両足を立てていたが、俺と目が合った途端、慌てたような声で両足を伸ばし、スカートをばっと押さえた。
「み、見ましたかっ、見ましたか!?」
「なにも連呼せんでも。安心しろって」
――ばっちり見たから!
とは言わず、首を振ってやる。今日は純白レース付きか……ふむ。
「な、ならいいんですけど……一体、なにをやっていたんです? 虫歯が痛むような顔をして、鼻息荒かったですっ。驚くじゃないですか!」
「えー? 俺、眠そうな顔じゃなかったか?」
「あれが眠そうな顔なら、フルマラソンを走る選手だって、眠そうな顔ですっ。……本当ににいさんはもうっ……けほっ」
説教に繋げる途中で小さく咳き込み、口元に手をやった。
どうも……少し顔も赤いような。
「おまえ、風邪引いてない? 今インフルエンザが流行ってんだぞ?」
「大丈夫ですから、ご心配なく」
やんわりと否定した後、「にいさんこそ、検査はどうでした? 今日は検査日だったんでしょう?」と尋ねた。いやなことを訊きやがる。
「いや、俺はサボった」
「ええっ!?」
途端に、眦を吊り上げる妹である。
自分だってサボるくせに、俺がサボると説教と嫌みが始まるという……今回もそのパターンで、俺はその後、こってり説教されちまった。
――まさに、その夜のことだ。
もはや風呂場の出来事も可憐の長い説教も忘れた俺が、安らかに眠りに就いていたはずの時間である。
俺はふと目を見開き、立ち上がった。
振り向けば、幸せそうな顔で口を半開きにし、爆睡している「俺」が見えた。
……え、あれ?
しばらく考え、腑に落ちた。
ああ、これが明晰夢だな、と。夢の中で「これは夢だ」と自覚している状態である。
明晰夢の中では好きなことができるが、ただし世界には反映されない。
あくまで夢だし。
「だがまあ……ちょっと試すか」