醜い感情の塊こそ、人間らしく綺麗に見える
「私の声は聞こえていますか」
呟いた声は、音になる前に風にさらわれる。
どうしていつも届かないのだろう。
どうしていつも言葉にできないのだろう。
きっと自分でも、何を言いたいかわからないからなのだろう。
「私の声は届いていますか」
届けたい人がいる。
そう思っている。
そう思っていた。
でも届ける意味なんてあるのだろうか。
「誰か私を見ていますか」
声が届かないのは私の所為?
それとも、耳を傾けない誰かの所為?
「お願いだから、誰か」
言葉に出しながら、矛盾を感じる。
嗚呼きっと誰にも届かないのは、私が意味を履き違えているから。
「誰か私の声を聞いてください」
届けたいんじゃない。
届けようとしているんじゃない。
拾い上げてほしいんだ。
なんて身勝手な想いだろう。
届けたいだなんて都合のいい言葉で塗り固めて。
まるで誰かに語り掛けていると思わせて。
自分を偽って声を吐き出す。
届くわけがない。
誰にも向けていないのだから。
本当はただ見てほしいだけで。
だから、誰にも届くわけはなくて。
嗚呼、私は何を言っているのだろう。
「ごめんなさい。独りにしないでください。許してください。苦しみたくない」
声に出せない。
誰か私を見つけてください。
誰か私を探してください。
あぁそんな願いは届くはずもなく。
「殺してください」
なぜなのだろう。
この言葉だけは、素直に音となって抜けていった。