1.ろんぐろんぐあごー
はじめまして。他の連載も終わってないのにやってしまいました、転生もの。
気が向いた時にダラダラ書いていこうと思ってます。よろしくお願いします。
この世に生を受けて18年。思えばその道のりは楽なものではなかった。
だがこんな衝撃はいつ以来だろう。
山羊は羊の毛を刈った末の生き物ではないと知った時か、ポチが四足歩行のくせに見事に転んでスライディング土下座をかました時だろうか。それとも、小学生の時に都市伝説として噂になっていた、緑のおっさん(グリーンマン)と呼ばれるホームレスを目撃した時だろうか。……あたしの驚きって結構くだらないところから発生してるな。
いや、まあ今までなら他人のことと笑っていられた。
だけど神様、あたしはどうしたらいいのでしょう?
膝にちょこんと乗って絵本を見つめているのは、生まれて1歳とちょっとの愛娘、楪。
どこまでも愛らしい愛娘を見下ろして、あたしは溜息を吐いた。
あたしの旦那様である蓮と父は、非常に仲が悪かった。
あたしが生まれる前までは、父もお隣さんの子である蓮をそれなりに可愛がっていたらしい。仲が悪くなったのは、生まれたばかりのあたしのファーストキスを蓮が奪ったことが原因らしい。
5歳児と0歳児のキスシーンに大人気なくぶち切れた父は、事あるごとに蓮に無理難題を押しつけるようになった。
ある時強い男でなければ認めないと父に言われた蓮は、夜露死苦とかいう言葉がよくお似合いな集団に身を投じた。そして、みるみる内に頂点に上り詰めた。
当時あたしが小学生だったにも関わらず、蓮はあたしをどこにでも連れていった。おかげで、案外気のいい赤い髪や金の髪やスキンヘッドやタトゥーの入ったお兄さん達と仲良くなった。
蓮に寄ってくる綺麗なお姉さん達がたくさんいたにも関わらず、蓮はあたし以外に見向きもしなかった為に、ロリコン説がまことしやかに広まっていったらしい。
まあそんな小学生離れした生活を送っていたあたしが同級生の中に馴染めるはずもなく、それはそれは見事に群れから孤立していた。
ある日クラスメイトから「ヤンキーと付き合ってる不良女!」と罵られた時、「ヤンキーじゃなくて暴走族よ!」と堂々と言い返したのが悪かったのか、さらに敬遠されるようになった。
それでも中学生にもなれば、ちょっとはみ出して目立ったような子や、悪いことに憧れる子は出てくる。なぜかそういった子からまとわりつかれ、中学時代はそれなりに波瀾万丈に過ごした。……あたし自身はわりと優等生だったのに。
高校はどこに行こうかと悩んでいたら、定時制に行けと蓮に言われ、選択肢が一つになった。地元で定時制のある公立高校が一つしかなかったからだ。私立に行く気は元より無い。
蓮の提案だとは父に言わなかったので、この要求は案外すんなり通った。チャラチャラした男子高生と同じ空間に通わせなくて済む、と父が喜んだ為である。
そして蓮が定時制を指定した理由はあたしが16になってから判明する。
子供ができました。
絶対に計画的だったと確信している。定時制に通わせたのは、面倒なことを避ける為だろう。普通に制服を着て女子高生やってれば結婚を認める高校なんて少ないだろうし、ましてや子供ができたら退学しなければならないかもしれない。定時制ならば様々な歳の人がいるので、その点は緩いだろう。定時制は4年なので、あたしは子供を生んだ現在も高校生続行中である。
子供ができたと判明したあとは言わずもがな、蓮と父の熱いバトルが勃発した。
ちなみに母は背後で流血沙汰のバトルが起こっていようと、呑気に煎餅を貪り食いながら昼ドラを観る猛者である。
そしてまあ、なんやかんやありまして。できてしまったものはしょうがない(でかされてしまったような気がするけど)。堕ろすという思考は家族全員まったく持ち合わせていなかったので、潔く出産することになった。
産んだ直後にもう3人はほしいななんて呟きが聞こえたけど、あたしの股が崩壊する前にぜひとも諦めてほしい。
すっかりジジ馬鹿に成り下がった父は予想通りとして置いといて、まあ初孫の誕生にうちと蓮の両親は連日連夜飲めや歌えの大宴会。いい歳こいてオールして仕事に行くってどうなんだろう。
そんなこんなで産まれた娘は、とっても可愛かった。ぷにぷにのほっぺたも、ちょっと垂れた大きな目も、ちょこんとついた鼻と唇も。
幸せだなぁ、なんて思いながら楪を膝に乗せて絵本を読んでいた。
英語なんてできないくせに、英語の絵本とかなんか英才っぽい!なんてくだらない理由で簡単な英語が綴ってある絵本をセレクトしたあたしは、あからさまなジャパニーズイングリッシュで読み聞かせを始めた。
「ロングロングアゴー」
よくある物語の始まり。これくらいならあたしにも意味が分かる。
しかし、読み始めてすぐに楪がぱしぱしと小さな手で絵本を叩き、何かを主張するような仕草を見せた。
首を傾げながらも様子を見守っていると、うーとかあーとか不明瞭な言葉を発していた楪が突然言った。
「ろんぐろんぐ顎ー」
「……………………えっ?」
いやいやいや、今なんと?
「ろんぐろんぐ顎ー」
楪の視線の先には、絵本ではなく先月買い替えたばかりのプラズマテレビ。画面には顎が綺麗に突き出た某プロレスラーの姿が。
そんな。そんなはずはない。今まで単語にもならないような言葉しか発しなかった娘が、いきなりそんな文章をしゃべり出すなんて。しかも「ろんぐ」は舌足らずにも関わらず、なぜか「顎」だけは綺麗に発音していた。心なしか言葉が漫画のように文字となって浮かぶのならば、表記がばっちり漢字であった予感すらする。
確かに、確かにテレビの向こうの彼は立派な長い顎をしている。だが、意味が分かって言っているのか、娘よ。英語と日本語が混じっているとはいえ、微妙に意味が理解できるのが嫌だ。
「ろんぐろんぐ顎〜」
追いうちをかけるかのように無邪気に同じ言葉を繰り返し、テレビに視線が釘付けになっている。
第一関門であるパパもママもすっ飛ばして出てきた娘の言葉に、あたしは楪を抱いたまま暫く固まっていた。
娘よ、その顎への妙な執着は一体。