エピソード1 旅立ち
「オビード、これエドラに持っていってやって。今朝とれたばかりだから。新鮮なうちに」
母が俺に卵が入った籠をぐいっと手渡した。
半ば強引に受け取らざるおえないこの状況に、俺はむかっときて、もう背を向けて立ち去ろうとしている母に口を開いた。
「またかよ、母さん!エドラももう子どもじゃないんだ。そんなに世話を焼いてやる必要ないだろ!あいつだって今まで世話してやっただけありがたく思うべきだ」
「あのねえ、オビード。前にも言っただろう。困った時はお互い様。親切心はいずれ巡り巡って私たちのところに帰ってくるもんさ」
母は俺の方を横目でチラッと見てから呆れたようにそう言った。
「だから!俺も何度も言っただろう!あいつは、俺たちに恩返しなんてできやしないんだ!むしろ、不幸をもたらす存在なん…」
「オビード!!」
ダン!と地面を蹴る音と共に、母の低く大きな声が狭い家の中に響いた。
「…なん、なんだよ。俺は間違ってない。母さんだって知らないわけないだろ。この国セインドレッドじゃ…なんだから!」
「ちょっと、オビード!」
俺は母の呼び止める声を無視して勢いよく部屋を飛び出した。
ここセインドレッドは、同種族の人たちだけで繁栄してきた国だ。いかなる理由があろうとも他種族はこの地に足を踏み入れることはできない。そう王命で定められている。
王命が定められたのははるか昔、この国がまだ貧しかった頃に遡る。この国は、獣人に襲撃され、壊滅の危機に陥った。そこで立ち上がったのがこの国の王族「エドラ」だった。商業を営んでいたエドラの先祖は、強靭な力にも屈しず、言葉巧みに相手を誘導し、相手の種族がモモットの種に関心があることを見抜いた。そこで、この国に二度と足を踏み入れないことを条件にモモットの種の主権を渡したのだ。
モモットとは、この国では珍しくない甘い実を宿す至って普通の木のことだが、相手の種族は知能を高める力があるというでたらめな噂を信じきっており、条約に至るまではあっけなくすすんだ。
国の危機に立ち向かった勇敢なエドラの一族は、その後、民の支持を受け、王族にまで上り詰めたのだ。 そこから、この国は徐々に大きくなり、土地も人も増えて今では「世界の中心、セインドレッド」と呼ばれ、各地からの観光客も後を絶たない。
「お願いします。どうか子どもだけでも」
「だめだ。人でない種族はこの国に足を踏み入れることはできない」
「そこをどうか…子どもが熱を出していて、祖国に帰るにはまだ時間がかかるのです」
「うるさい!これ以上食い下がるようだったら、お前たちを強制的に排除する!これは王命だ!」
俺は持っていた籠をぎゅっと握りしめた。この国では王命が絶対だ。誰も逆らわないし、その王命が変だとも思わない。他種族を受け入れなかったことがこの国の最大の成功とまで謳われているからだ。
だから、他種族が門前払いされるのも当たり前の光景だ。他種族を庇えば王命で追放されるか、殺されてしまう。
「…くそっ」
武力行使されそうなうさぎ獣人の親子が近い将来になりうる自分と母の姿に思えた。
「なんで俺たちがこんな危険なことしなきゃならないんだ」
俺は門に背を向けて罪人であるかのようにそこから急いで立ち去った。
路地裏を抜けた先に人など住んでいないような古びた小さな家がぽつんと建っている。
力任せにその家の、立て付けの悪い扉を開けた。
「エドラ!」
部屋の中を見渡してハッとする。
「あいつ…昼間は家にこもってろと言ったのに、また町に行ったな…くそっ」
俺は持っていた籠を思い切り部屋の中に投げ捨てた。中に入っていた卵は割れて中身が壁に飛び散っている。こんなことをしても気分はもちろん晴れない。すぐさま町の方に駆け出す。
「貴様ら、次の入国者が列になっているだろう!早くそこを退け!」
「う、うわああん、うう」
「ごめんね、もう少しの辛抱だから、」
「即刻立ち去れ!!」
門番が長棒をうさぎ獣人の親子に振り下ろした。
その時、
「おじさん」
門番は背後から聞こえた声に、ピタッと振り下ろそうとしていた手を止めた。
振り向くとそこには少女が一人。深く被った帽子のつばからくっきりとした大きな瞳をのぞかせている。
「向こうの六番池の方で、王族の人が大事にしているものを池に落としちゃったんだって。」
少女が門番に向かってニコッと笑う。
「…なんだ貴様は。今ここを離れることはできない。見てわからぬのか。」
「でも、一番に駆けつけた者には褒美があるんだって。なんでも、地位がもらえるとか」
「…なに?」
少女のやたら大きな言葉に他にも警備にあたっていた門番たちが集まってくる。
「ええい!お前たち、持ち場に戻らぬか!王族の御命令には私が応じる。」
長棒を地面に叩きつけた。
キーンと高い音が響き渡り、集まってきた門番たちは恐る恐る持ち場に戻っていく。先ほどからうさぎ獣人に罵声を浴びせていたのがどうやらこの中で一番位の高い者のようだ。
「こやつらはお前たちが追い払っておけ」
その門番は、鼻息を荒くさせながらそう言い残してそそくさといってしまった。
冷たい視線がうさぎ獣人の親子に注がれる。
「おい!いつまで待たせる気なんだ」
うさぎ獣人の後ろで順番を待っていた人たちがその声を筆頭に門番に押し寄せる。門番が少し怯んだすきに、少女はうさぎ獣人の親子にスッと近づき、こっちだと手招きした。
「ここなら門番たちも来やしないさ。…大丈夫?」
少女が門から少し離れた洞穴まで案内すると、うさぎ獣人の母親は、疲れ切っているのか膝から倒れ込んでしまった。
「…ありがとう。私は少し休めば大丈夫。でもこの子は、、」
少女が子どもの額に手をやる。
「すごい熱だ。」
「…どうか、お願い。助けてもらった見ず知らずの人に申し訳ないけど、この子に少しだけ、薬を分けてくれないかしら。」
「いいよ!丁度、熱冷ましの薬が手元にあるんだ。これを飲ませるといい。…それと、これ水。あ、二人で飲んで!」
「…本当にいいのかい。…こんな親切な人間がいるなんて、ありがとう、、、。」
うさぎ獣人の母親は、まさか承諾してくれるとは思ってもいなかったというように、少し戸惑って、それから慌てて少女にお礼を言った。
「…私は君たちと変わらないよ!同じ生きる者じゃないか!少し待っててね、もう少し薬をもらってくるよ!」
少女はそう言って笑うと、うさぎ獣人の親子を背に勢いよくかけていった。
辺りの草花がまるで彼女に道を譲るように、、風と共にゆれる。
少女の大きな目にひどく澄んだ草原が映し出される。
一体彼女を走らせているのは何なのか。その理由を忘れてしまいそうなほど、ここには、彼女しかいなかったのである。
どこを探してもエドラの姿が見えない。いつもならこの市場で、ガキたちと走り回っているのに。
そのうち、血眼になってあんなやつを探しているのも馬鹿馬鹿しくなってきた。
走る足を止めて息を整える。ふっと顔を上げると、人混みの足元の中にあいつが毎日のように履いている赤い靴が目に入った。
「っ、エドラ!!待て!」
「なんだ?」
しかし、俺の声に振り向いたのは、腰の曲がった老人だった。
「…いや、何でもありません。」
老人に気を取られていると、今度は横目にあいつの長い後ろ髪が目に入る。
「エドラ!!待てって言ってるだろ!」
俺はまた大きな声で叫んだ。
「なに?」
「呼んだ?」
今度は、青年と魚屋のおばさんが返事をする。
「…いや、そうじゃなくて、、!た、ただのエドラです!ただのエドラを呼んでるんです!」
俺はイライラしながらその場を走り去った。
「じゃあ最初からそう言ってくれないと。この国に何人エドラがいると思っているのさ」
魚屋のおばさんが走り去る少年の背を眺めながら呆れたようにそう呟いた。
この国が栄える要因と言われているのは、他種族の受け入れ拒否ともう一つ。
王族「エドラ」の名前は神から与えられた幸福をもたらす名とされ、その名を自分の子どもにつけると、生涯安泰になるというものがあった。
そのため、この国にはエドラという名のものが多く、区別のため、家紋の名とエドラの名を一緒に呼ぶことが多くあった。
しかし、オビードの呼ぶエドラには家紋の名などなかったため、そのまま呼ぶしかなかった。
「…母さんは何であいつにエドラなんて名前をつけたんだ。幸運をもたらすなんて。あいつほど名前負けなやつ、そういやしない。似合わないんだよ。」
エドラの姿を完全に見失って苛立ちが抑えられない。そもそも、こんな人混みじゃ、真っ直ぐも歩けない。
「何でも、今日はここ数年の中でも幸運な日になるらしくて、王様がパレードを行うらしいわ。」
「あら、幸運な日なんて、いいわねぇ」
買い物籠を肩にぶら下げたまま話し込んでいる女性たちの声がオビードの耳に入ってくる。
「…パレード、だからこんなに人が多いのか。くそっ王族がここを通るなら急いであいつを家にひきもどさねぇと」
オビードはまた足を早めた。
少女が扉を開くと、カランコロンと金平糖をかじったときのような軽やかな音がした。
「ジェナおばさん!熱を下げる薬が欲しいのだけど、ないかな?」
「エドラ、いらっしゃい。何だか急いでいるみたいだけど、どうしたんだい」
「いつもの洞穴に熱が下がらなくて苦しんでる子どもがいるんだ。その子のお母さんも疲れてる感じ」
エドラは手慣れたようにドアの開閉と共に室内に入ってきてしまった葉を箒ではきながら言った。
「そうかい。それは大変だ。少し待っておくれ。今薬の用意をするよ」
「ありがとう!」
箒で集めた葉を外に出してそっとドアを閉める。今度は葉は入ってこない。エデルはそれに満足げな顔をした。
「エドラ。ちょうど配合済みの熱冷ましの薬があったから、これも持っていってあげな。それと、これは、お母さんに、少し酸っぱいけど栄養価の高いミカオオの実だよ」
「どうもありがとうおばさん!」
「いいんだよ。むしろ私が動けないからエドラが困っている人を助けてくれて助かるよ。そうだ。オビードとは会ったかい?今朝卵を届けるよう、頼んだんだけど」
「え?!そうだったの?私、朝から町に出てたから、、オビードにまた怒られちゃう」
「はっはっ!なに、気にしなくていいさ。あの子は少し頭でっかちだからね。…エドラもここにきてもう十年経つんだ。そろそろ、あの子の心配性も治るといいのだけどね」
言葉ではそういうものの、彼女の目からは息子オビードへ愛の情が感じ取れる。
エドラはふふっと微笑んだ。
「オビードは幸せものだ。それじゃ、オビードが帰ってきたらごめんなさいって謝っておいて!」
「…エドラ」
「…なに?ジェナおばさん」
エドラはドアを開けようとしていた手を止めて振り返った。
「…いってらっしゃい。気をつけるのよ。」
「うん!心配しないで!いってきます!」
ジェナはエドラと初めて出会った頃のことを思い出していた。
エドラはまだわからないでいる。自分も実の娘のように慈しみのある眼差しで見られているということに。
「うわあ、すごい人だ」
エドラが町に着いた時には、もう王族のパレードが始まっていた。洞穴に一番早く着くには、ここを横断しなくてはいけない。
「王様と王子様は、この列のずっと後ろにいるんですって」
「楽しみね。王族をこの目で見られるなんて、こんな機会滅多にないわ」
「…王族、の、パレード」
エドラは、人々によってできた綺麗な一本道を歩く洗礼された煌びやかな一行を見て、驚いた。
「このずっと後に王族がいるんだったら、この人たちよりもっとキラキラ綺麗なんだろうな」
町の人同様、エドラも王族の姿を見たことがなかった。
「おいみんな!!王族のお出ましだ!」
一人の町人が大きな声で言った。
「え、もう王族がいらっしゃるの?!」
「心の準備がまだできてないわ!」
町人の王族への期待が高まる中、エドラは洞穴にどうすれば早く着くか考えていた。安全に行くには、遠回りするべきだが、
「よし、王族がここを通る前に急いで向こう側へ行こう!」
エドラは一つのことを考え始めると、他のことはあまり気にしないところがあった。
「よし、次、この列の少し空いた途切れめを抜けるんだ、行くぞ!えい!」
「エドラ!!!」
エドラが人混みを飛び越えようと思い切り飛び跳ねたその時、何者かに後ろから首元の服を引っ張られた。体制を崩して後ろに倒れこんだエドラは、そのまま誰かに抱え込まれ、裏路地に連れて行かれる。
「…いてて、ちょっと引っ張る力が強いよ」
「黙ってろ。人がまだいる」
「…」
その人物に手首を掴まれたまま、路地裏を少し進むと、空き家が見えてきた。周りを警戒しながら二人は中に入っていく。
力強く握られていた手首を解放される。
「はあ。…もう人はいないよ。わかるんだ。そのフードとりなよ。不審者みたいだよ。オビード」
「…うるせえ。お前に言われたくねえよ。」
フードを被ったままのオビードの目は、薄暗い空き家に不気味に浮かんでいた。
「ごめん。家にいろって言われても、やっぱり私は町に出たい。この町が好きなんだ」
「はっ。笑わせるな。この町が好きでいられるのも今のうちだけだ。お前の正体がバレれば、みんなお前を非難するだろ。そこに俺と母さんを巻き込むなよ!!」
「…そうだね。もし私が捕まるようなことがあっても、君たち家族を危険に晒しはしないよ。」
「そんなの当たり前だ!お前のせいで母さんに何かあってみろ!俺がお前を殺してやる!…!!」
「…」
オビードは、これまでもエドラに罵声を浴びせてきたが、「殺してやる」とまで言ったことはなかった。勢いに任せて言ってしまった言葉にオビード自身も戸惑いを隠せずにいた。
「…俺は、臆病、なんだ。お前の存在が怖いんだ。」
沈黙の中口を開いたのはオビードだった。
エドラは、俯いたままのオビードをただ見つめていた。
「オビード」
エドラのりんとした声が静かな部屋に響いた。
オビードが顔を上げる。
「私に真剣に向き合ってくれて、どうもありがとう」
エドラのオビードを見つめる視線の中には、
どこにもオビードを貶す類の感情はなかった。
「…」
「実は今日、この国を出ることにしたんだ。自分の目で見てみたい場所や種族がたくさんいるんだ!」
エドラは、ただの可愛いらしい少女のように目を輝かせた。
「…」
「オビードとジェナおばさんは、私の命の恩人さ。そのことは、これから先忘れることはない。感謝してる。」
「…いい子ぶるなよ」
「…これが私の本心だから。私がオビードの立場だったら、きっとオビードとと同じことをしていたんじゃないかな。」
「…何だよそれ。」
「ははっ。あ、そうだ。私急いでいるんだった!パレードを抜けないと。」
「おい。あの人混みの中そんなことしてみろ!悪目立ちもいいとこだ!」
「でも、本当に急いでいるんだ。」
「…パレードは途中で右折するんだ。そこを通ればいい。」
「そうなのか!いいことを聞いた!それじゃあ、私は行くよ!じゃあね!」
「…」
エドラは、オビードに手を振ってから、そのまま急いで駆け出した。
オビードは、そんなエドラの姿が見えなくなるまで、ただ見つめていた。
「あ!あれがオビードの言ってたところだ!列が曲がっていく!」
エドラはとても足が速い。それに軽やかに人混みを避けて通るのもお手のものだ。
「よし!門が見えてきた」
エドラの目は、すぐに見えてきた門に釘付けになる。もうそれしか見えない。いつもならそのはずなのに、なぜか自分の横目に映った人影に、エドラはなんとなく目をやった。
そこには、虎の背に乗った王の姿があった。
「…何だろう」
エドラは、王族を見たことがない。それなのになぜか、
「見覚えがある」
エドラは、そっと呟いた。誰にも聞こえない小さな声だった。不思議なことに王の顔を以前どこかで見たことがある気がするのだ。
「…どこで見かけたんだろう。思い出せないや。」
それに、王がまたがっている虎にも違和感がある。
「あの虎、ただの虎じゃない。…でもみんな気づいてない」
ここにいるエドラにだけはわかった。きっと、他の人には獣か獣人かなど、見分けがつかないのだろう。ここ、人の国セインドレッドでは、獣人の入国は認められていない。王命があるからだ。にもかかわらず、王族が獣人にまたがっているなんて。
「王様も気づいていないのか?」
虎と一瞬、目が合った気がした。
しかし、その姿も人混みに隠れ、すぐに消えてしまった。
エドラもまた急ぐ身。
足はそのまま門に向かった。
そうしてエドラは、十年ほど過ごした国を旅立ったのである。




