ご近所異世界冒険記 〜魔王は九階に住んでいる〜
はぁ……なんで私は、こんな話の天の声なんてやらされているんでしょうか。
本当は、もっと壮大なファンタジーとか、王道恋愛ものとかを担当したかったんですが。
それはさておき。
ここは、都会のどこかにある、ごく普通すぎて説明することもあまりない街です。
そしてそこに、ごく普通の青年――田中修平、三十代、無職が住んでいました。
彼の特技は、外に出ないことなのですが……。
「シューヘイ! あんたもたまには外にでも出なさい!」
「へいへい、親戚が来るってことな。わーってるよ」
修平は長年のニート生活から、親戚に出したら恥ずかしい人間だということを、知っていました。
そして五千円をもらい、部屋着のまま、お散歩に向かいました。
「昼飯と、喫茶店代……うーん、レトロゲーを買うものありか?」
ズボンのポケットにグシャリと入れられたお札が、可哀想です。
そのお金は両親が働いて稼いで捻出した大切なお金なのですから。
駅前の商店街は、平日の昼間というのに、賑わっています。
八百屋の前では主婦が店主と今夜のメニューの相談。惣菜屋の前では、スーツ姿の男がコロッケを頬張っていました。食欲をそそるにおいに、シューヘイはゴクリとつばを飲み込みました。
ふと、前を見ると、緋色の汚れたロングコートにおもちゃの王冠をかぶった老人がいます。
老人は姿勢だけは無駄にシャンとしていて、ビール腹を突き出していました。
……やべぇやつだ。
そう直感したシューヘイは踵を返し、反対方向に足を進めようとしました。
「――そこの青年」
声をかけられたのはシューヘイだろうが、彼は歩みを止めません。それどころか、スピードを上げ立ち去ろうとします。
「かの勇者よ。お前に話しかけておるのじゃ」
残念、肩を掴まれてしまいました。
「うむ。いい面構えをしている。やはり、ワシが見込んだだけはあるな。この街をどうか救ってくれたまえ」
薄灰色のスエットの見るからにニートに、何を見たというのか。
ヒゲは整えず、無職でおまけに運動不足。さえない眼鏡のヒキニートは何らかの支援は受けられそうだが、世界は救えないだろう。
「ワシは大原正道。またの名を、グラディオス一世」
そう名乗って、老人は胸と腹を張った。
こいつはエライことになった。
シューヘイはそう思い、周りに助けを求めるが、周囲の目は冷たい。
「あ、王様だ」
「見ちゃいけません!」
親子がそそくさと逃げてゆく。
惣菜屋の店主も「店の前ではやめてくんねぇか」と呟く。
「あー、ええと。大原さん」
「グラディオス一世じゃ」
「あ、はい。ここじゃなんなんで、移動しませんか?」
商店街を王様と一緒に歩くことになってしまった。
道すがら、王様はとにかく胸を張って偉そうに、そう、王様のように振る舞っていた。
「いいか、勇者よ」
「田中修平です」
「シューヘイか。良い名じゃな。勇者シューヘイ。あれを見るのだ」
スッと筋張った手を上げ、人差し指を指す。
「魔王が現れたのだ。ワシの向かいのマンション、そう、魔塔に」
見ると最近できた分譲マンションだった。
そしてこちらを見据え、真剣な声色で勇者シューヘイに告げた。
「貴様に、魔王討伐の命を授ける」
「え、無理です」
「臆するな、ここから歩いて十五分じゃ」
違う、そうじゃない。
だがシューヘイは、なぜかそのまま商店街を一緒に歩いていた。
老人の歩みに合わせてゆっくりと、着実に。
分譲マンションの向かい、王様の住まいは経年劣化が激しい五階建てのマンションにあった。
「はぁ、はぁ……。なん、でっ階段、ないんですかねっ?」
運動不足にはきつい、エレベーターなしの五階分の階段は、身に堪えた。
「ひゅー、ひゅー……。っく、これも、王のさだめじゃっ。はぁはぁ……」
住民のグラディオス一世もいつもこんな調子なんだろうか。
「築城五十年の古い城でな。ワシも二十年住んでおるが、未だに慣れぬ」
コートのポケットからジャラジャラと鍵を取り出し、解錠する。
――ガチャリ。
「アンロック!」
(……うるせぇ)
さすがに口に出すのは憚られた。
「あら、早かったわね。おかえ……お客さん?」
おお、なんと。こんな爺さんにも伴侶がいるのか。
「うむ。商店街で見かけた、見込みのある若者じゃ。かの者を勇者に任命し、魔王討伐に向かわせるところじゃ」
「……おじゃまします」
おばあさんは優しそうな物腰で、シューヘイにお茶を出した。
「ふふ。この人、最近見たアニメにハマっちゃってね。ごめんなさいね、付き合わせちゃって」
至極、まともな人だ。
「ああ、どうりで……」
だいぶ若い感性の持ち主なのだな、とシューヘイは思いつつ、王様の顔を見やる。
シューヘイと違い、身なりだけは無駄に整っている。
お茶を置き、王様はベランダに行ってしまう。
シューヘイは出されたお茶をすすりながら、見守っているとすぐに戻ってきた。
「勇者シューヘイよ。我が国の至宝、魔剣ノクスを授ける!」
座っている彼の肩に布団たたきを乗せる。
「え、魔剣? えっ?」
「さよう。常闇剣ノクスは魔王との戦いに有効になろう。なにせ、我が家の家宝なのだからな」
「あらあら、また布団たたきをあげるんですか? また百均に買いに行かないとねぇ」
女王様は穏やかな顔で笑っている。というか〝また〟なんですね。
「僕はまだ勇者とは――」
「うむ。不安も多かろう。ワシも直々に旅についていくから、安心するがよい」
不安がひとつ増えただけだった。
道路を挟んだ分譲マンションは、王様の城と比べても綺麗だった。
ダークトーンのマンションは家賃が高そうな雰囲気はある。ただ、それだけだった。
「あれが魔王城じゃ」
「ただのマンションですね」
「人間界に馴染めるよう、偽装しておるのだ」
後ろのボロマンションの城も偽装なのだろうか。
オートロックの前で、ちょうど中から出てきた男と鉢合わせた。
四十代後半くらいの、スポーツウェア姿で、イヤホンをしている。
「……あの、大原さ――」
言いかけたところで、スポーツウェアの男が眉をひそめる。
「ちょっと。住人以外は入らないでくれます?」
警戒心の強いトーンで、当たり前のことを言った。
「こやつがディアボロスじゃ!」
王様が指を突きつけた。
「……は?」
男は一瞬きょとんとしてから、イヤホンを外した。
「大原さん! 完全に人違いですよ!」
シューヘイは老人が手当たり次第に、魔王呼ばわりするものだと思っていた。
「黒田剛。ここの住民だよ。あんたらは誰なんだ」
「魔王め、名を騙るとは卑怯な!」
黒田がスマホに手をかける。
「意味が分からない。警察呼ぶぞ」
またここでもトラブルか……。シューヘイと王様の旅はここで終わってしまうだろうか。
「ちょっと、待ってください! 僕は関係ないですよね? ここで失礼したいんですが……」
「あ? このジジイの息子だろ?」
「違いますよ! 僕は田中修平。このおじいさんは大原正道さん。ね? 僕らは他人で、このおじいさんに無理やり連れてこられただけなんですよ」
黒田は顎を上げ、シューヘイを睨みつけた。
「なら、老いぼれくらいほっとけばいいだけじゃねえか。お前も同罪だ」
この時点でシューヘイは悟った。
(……これは、どっちもヤバい)
「ねぇ、あれ、九階の黒田さん……」
魔王、最上階でなく、九階に住んでいるのか。
「なにあのおじいちゃん……」
周りに主婦たちの視線とヒソヒソ声が集まる。
「……ちっ。場所を移すぞ」
「魔王城の中にか」
グラディオス一世を中に入れまいと、制止する黒田。
「ちげーわ。たしかジジイは町内会長だろ。町内会館の鍵くらい、あんだろ」
シューヘイと王様と魔王は、商店街を歩いた。
バザール。ここは冒険に溢れた活気ある通りだ。
八百屋と銘打つ回復アイテム屋には、こだわりの漬物が置いてある。
若い冒険者は古着屋と呼ばれる装備屋に集い、酒場――居酒屋にはリーマンというジョブの者が、一日の英気を養うのだ。
「勇者よ、『境界の平原』が見えてきたぞ」
ただの住宅街だ。シューヘイは終始無言でついていく。
「まもなく『評議の館』につく」
「なにいってんだ、このジジイは」
黒田の意見には頷くが、声に出すのは悪手だと思った。
見ると「町内会館」の文字がデカデカと表示している建物に着いた。
「勇者よ、魔剣ノクスは持っておるか?」
シューヘイの手にはピンクの布団たたき。
柄の部分に『常闇剣ノクス』とちょっと歪に、マジックペンで書かれてあった。
「……あんたも苦労してんだな」
魔王こと黒田は勇者に同情する。
「知ってますか? 認知症の患者には否定せず、受け入れることも大事なんですって」
シューヘイと黒田が王様に聞こえないように、話す。
グラディオス一世はパイプ椅子に腰かけ、机に両肘をつき、両手を口元に持ってくる。
誰が呼んだか分からない、いわゆる「ゲンドウポーズ」だ。
(このじいさん、九十年代のアニメも履修済みなのか……?)
布団たたきを持つ勇者は、自分のことを棚に上げて思った。
「ワシは勇者立ち会いのもと、ディアボロスを糾弾する!」
ガタリと立ち上がり、黒田に人差し指を向ける。
座ったり、立ったり忙しい王様だ。
「おいおい、急になんなんだ。俺は普通に善良な市民だぜ?」
頭を掻き、ため息をつく。
「貴様、自分の罪状を分かっておらぬな? いいじゃろう、詳らかにして貴様をこの町内から追い出してやる!」
今度は〝逆転する裁判ゲーム〟の展開だとシューヘイは思った。
「毎朝、きっかり六時。ベランダでストレッチとラジオ体操、しかも大音量でやっておる!」
その頃から黒田に目をつけていたらしく、双眼鏡で観察していたそうな。
「宅配ボックスを『一時起き』として長時間占領し、住民に迷惑をかけておる!」
自分の荷物を宅配ボックスに置き、配達業者を困らせていると業者さんの証言があるそうだ。
「共用廊下で筋トレもしておるな」
「それは、マットを敷いているから迷惑ではないはずだ!」
黒田は反論する。
(いや、普通に部屋でしろよ……。それじゃ、筋トレしてるアピールの痛い人じゃないか)
シューヘイは口をつぐんだ。
「ゴミ出しの曜日を間違え、管理人を困らせておる!」
「そ、それは、ここに越してきたのが一ヶ月前だから、まだ慣れてないだけだ。分別は間違ってないし、すぐに慣れる」
反論も自己弁護になっている。
「最後に! 管理人に『改善案』を頻繁に出し、近所から煙たがられておる」
「はあぁ? みんなが過ごしやすいようにするのも管理人の仕事だろーが! 自転車置き場がぐちゃぐちゃになって、取り出しにくいんだよ」
……黒田は決して清廉潔白な善良な市民とは、言いがたかった。
机を乱暴に叩き、黒田が反論パートに入る。
「聞いたぜ、大原のジジイ。今の俺のマンションができる前、そうとうやらかしたんだってな!」
王様からは汗が滲む。
「な、なんじゃ……いきなり」
「景観保護と秩序維持を名目に、隣のベランダに侵入し、植木鉢を動かしたってな!」
「それはベランダ王国戦争のことじゃな!」
焦りが安堵に変わるが、やっていることは住居侵入だ。
「しかも、夜に懐中電灯で他人の部屋を照らして、怖がせたそうじゃないか」
「あれは昔、頻発しておった強盗犯を探しておったのじゃよ」
(やべぇじいさんじゃねーか)
見た目だけでなく、普通にヤバい人でもあったのか。
「それに、洗濯物の干し方が王国基準に違反しているとか、意味不明な文書をポストに投函していただろ? うわさになってるぜ」
たしか王様は二十年前から今のマンションに住んでいると言っていたが、随分年季の入ったキャラなのだなと、シューヘイは呑気に思った。
「あと、管理組合の掲示板に長文ポエム調の糾弾文を貼ったり、勝手に防犯兼見回り隊と称し徘徊していそうじゃねーか」
「何をいう、国王自ら自警団を立ち上げたのだぞ。感謝こそすれ、迷惑には思うまいよ」
「自警団、カッコジジイひとり、な!」
ふたりのボルテージが高まっていく。
(これ、僕は逃げられないのか……)
シューヘイを仁王像が見上げている。
「非常階段を『非常時の戦略通路』と称して、勝手に封鎖し、住人から通報されてる、ただの犯罪者だよ」
「何をいう、あれは城を守るための戦略じゃ」
「その件で、退去勧告を受け、代わりの住まいとして今のボロマンションに移ったんだろ。大原さんは厄介だから関わるなって、この辺じゃ有名だぜ」
シューヘイの住む住宅街とは違う世界があったようだ。
「ワシは追放されたのではない。新たな地に王国を築くため、転進したのだ」
いつまでも余裕綽々《よゆうしゃくしゃく》な態度にしびれを切らした黒田が大声をあげる。
「俺じゃなく、ジジイが出ていくべきだろーが!」
「ふむ、話し合いでは解決せぬか。勇者よ、やはり――」
そこにいたはずのシューヘイはおらず、走り書きのメモだけが置いてあった。
『僕は世界を救う用事を思い出したので、帰ります』
『そろそろ帰ってきなさい』
スマホの通知にホッとするシューヘイ。
商店街は夕暮れに染まり、世界が橙色になっていた。
「今日は……疲れた」
ひとり呟く薄灰色のスエットには誰も答えてくれない。
だけど、それでいい。それがいい。
帰宅し、母親の顔を見るとシューヘイはどっと疲れが出てきた。
「ただいま」
「おかえり。散歩もたまにはいいでしょ? この調子で働きに出なさいよね」
この軽口だって癒しだ。
「いや、魔王は倒さない方がいい時もあるって、分かったとこ」
「ええ? どーしたのよ。ま、今日は鶏照りステーキだから、早く食べちゃいなさい」
……結局、こういうオチなんですよ。私は分かっていました。
こうして、つまらなくもバカバカしいご近所勇者シューヘイの旅がここに終幕したのだった。




