『勝つぞ』
「クックックッ……」
グレイの不気味な笑い声が戦場に響く。凄まじく不快な音だ。
「クッソ……テメェ」
「ユーって本当にイラつくわねぇ……」
ヒナとドラミンゴが低く唸る。
その異様な雰囲気に、ミーナの胸の奥で警鐘が鳴る。
(もしかして、グレイ……噓をついているだけかも……)
一瞬でも疑念が過ぎる。
……だが、もしこれがただの戯言ではなく、真実だったら?
フォルトナがこの状況を狙う可能性。十二分にある。
本部に残しているウズメ、トキ、アース。三人とも優秀で信頼できる戦力だ。
任せておいても、おそらくは問題ない。
……だが、もし、仮にその三人で抑えきれなかったら?
フォルトナの実力は計り知れない。
どこかで“念には念を”を怠れば、すぐにでも崩壊してしまうのが戦線の現実だ。
ミーナはふと、今の時間を確認した。
……今、クリフサイド本部に爆速で向かえば、おそらく日が沈んでから2~3時間後には、クリフサイド本部に到着する。
アイスは完全に回復している。
一方のグレイは……誰が見ても、もうボロボロだった。
ミーナは今の状況を見て、咄嗟に判断した。
「アイス、グレイの相手、お願いするにゃ。ミャアと、ヒナ、ドラミンゴはすぐに本部へ――」
「もちろんだよ。」
アイスが即答する。
その表情には、自信と覚悟がにじんでいた。
「アイツはここで必ず仕留める。安心して。……あとは私に任せていい。」
ミーナが小さく手を振ると、ふっと白と黒の猫の使い魔が現れ、少し離れた場所で座り込んでいたみかどの両脇に控える。みかどを護衛する守護者として。
「みんな、急ぐにゃ。本部の三人が落ちたら、クリフサイドは終わるにゃ。」
――深い霧が覆う空の下、ミーナたちは三人がけでバイクにまたがり、エンジンの音が唸る。
真ん中に座るヒナの長い触手が風を切り、ドラミンゴの身軽な身体が後ろにしがみつき、ミーナは前傾姿勢でバイクを操る。砂塵が舞い、三人の影が霧の中へ遠ざかっていく。
その場に残されたのは、アイス、グレイ、そして――みかど。
アイスは一度だけ振り返り、ミーナたちの背を見送った。
「任された。回復したし……ここで決着をつける。」
自分に言い聞かせるようにそう呟く。
だが、その横でグレイは、にやりと薄く笑った。
「……なるほど、これは随分と都合のいい状況ですねえ」
グレイの口調は変わらず丁寧な敬語だったが、その声音は地の底から滲み出るように冷たかった。
アイスはぎょっとした。
グレイはとっくに満身創痍だ。
胸にはぽっかりと穴が空き、片腕もない。全身にひどい裂傷が走り見るにも痛そうだ。
(……そうよ、こっちは万全。あんなボロボロの相手に、負けるはずなんかない)
自分を落ち着かせるように、アイスは心の中で呟く。
……だが。
ふとした疑問が、脳裏をよぎる。
そういえば、グレイってなんで胸にこんな穴が開いているのに、ずっと余裕な感じでいられるんだろう……。
すると、グレイの体から、黒煙がふつふつと湧き上がってきた。
その黒煙はみるみると膨れ上がる。
「え……?」
アイスがその様子を見て目を丸くする。
黒煙はまるで意思を持つかのように彼の身体を包み込み、傷口を焼き塞ぎ、肉を繋ぎ、腕さえも再生していく。
「っ、な、何よ、それ……!」
「おや、驚かれましたか? お恥ずかしい限り。演技とはいえ、少しやりすぎたかもしれませんね。……ですが、おかげで皆さん、安心してお出かけになられました。」
グレイは完治した体をゆっくりと伸ばし、首をコキリと鳴らした。
その音が、アイスの背に、冷たい何かを這わせる。
「ククッ……私の本質は『影』です。肉体など、幾度砕けようと、戻ってしまうのです。」
アイスの喉が、からからに乾く。
(……嘘、でしょ……!?)
驚愕し硬直してしまったアイスの肩に何かの手が置かれ、一瞬びくりと痙攣する。だが、安心して欲しい、それをしたのは彼女なのだから。
「忘れないで欲しいんだけど、ボクもいるからね。相手は一人、こちらは二人。ーー有利にも程があるだろ?」
「……そうだね!!」
敵は万全。ただ、満身創痍を装って味方を欺いていただけだった。しかしこちらには強力な味方が一人いる、そう考えればいいハンデだろう。
「さあ、行くわよッ!」
アイスは叫ぶように、《デ・ストロイ・ベリー》をぎゅっと握りしめる。
手のひらが汗でじっとりと濡れていた。
(逃げられない……でも絶対負けない…!)
「さて……アイスさん。ここにいらっしゃるのは、あなたと私。そして、一人の可愛い子猫ちゃん」
グレイが片手を広げて言う。
「――これは、なんと呼びましょうか? ええ、“絶好の狩り場”、でしょうか?」
アイスの背に、ぞっとするほど冷たい汗が流れた。
ここはもう、“孤島”だ。周囲に漂う霧がますます濃くなり、周囲の視界を灰色に塗りつぶしていく。
助けは来ない。味方はいない。敵は完全に本性を現した。
「……いいよ。やろうじゃん……!」
声が震えた。
けれど、決して逃げはしない。
「チャンスは一度きり…ーーさあ、勝つぞ」
こちらには強力で親愛で頼れる仲間がいる、だから負けるわけがないのだ。
黒い煙が地を這い、空気を呑み込みながら渦を巻く。
今――地獄の幕が、音を立てて、開こうとしていた。




