瓦解
大阪府警は捜査の方針を福井県警と連携して野坂陽子の殺害事件に絞って捜査することになった。福井県警の林田刑事は引き続き大阪に滞在して捜査にあたることになった。合同捜査本部は大阪府警の3階、大会議室に置かれた。
捜査会議が開かれ、本部長には刑事部長の寺田があった。全捜査員50名が集まる中、寺田本部長の挨拶から始まった。
「5年前の北新地公園殺人事件で佐久間美佳が殺されているが、その時にけがをした山中美樹は実際は佐久間美樹で成りかわりが行われた節がある。そして今年7月20日に福井県永平寺町の鳴鹿堰堤で死体となって発見された野坂陽子の殺人については山中美樹に成りすました佐久間美樹により犯行ではないかという疑念が上がってきている。捜査は山中美樹こと佐久間美佳の周辺を洗い、7月19日の行動について検証し、佐久間の犯行であれば成りすましもその理由がはっきりすると思われる。手分けして投資顧問会社社長の佐久間美樹の行動を洗い出してくれ。」と訓示した。続いてここまで捜査してきた杉下刑事から割り振りが発表された。
「それでは割り振りを発表します。1班は佐久間美佳の過去について、2班は7月19日の佐久間の行動について 3班は5年前のなりすまし以降の山中美樹としての人生について調べてください。ではこれより各班ごとの打ち合わせをお願いします。」と言って捜査会議は各々の班の話し合いに続いて終了し、さっそく捜査に入った。
杉下と福井県警の林田は投資顧問会社へ出向き、本人に面会しに行った。会社の玄関でインターフォンで警察であることを告げると、応答してきたのは山中美樹本人だった。中に入ると奥の応接セットに案内された。
林田が福井県警から来たことを告げると、山中美樹の表情がやや曇った感じがした。杉下が
「今日は山中さんの過去についてお話をお聞きしたいと思ってきました。5年前に北新地公園で事件に巻き込まれるまでの山中さんは、どんなお仕事をされていたんですか。」と聞くと山中は困った様子で
「正直に申し上げると、私は風俗嬢をしていました。小学生の時の父を亡くし、中学生で母を亡くし、児童養護施設で育てられました。高校を卒業してお金がなかったので風俗の世界に入るしかなかったんです。あの事故後はもう、風俗は嫌だったので、風俗嬢時代の貯金の残りのわずかなお金から投資を始めました。時期が良かったのかもしれませんが、順調に利益を上げ、今では会社の社長になりました。」と答えると
杉下は間髪を入れずに
「あなたが勤めていたソープ『インペリアル』の支配人の玉木さんにあなたの写真を見てもらいました。貴方は山中美樹ではないと証言してくれました。貴方が子供の頃から住んでいた西淀川の大和田地区の住んでいたというアパートの住人からも、別人だという証言を得ています。貴方は本当は佐久間美佳さんではないんですか。どうしてなりすましをしているんですか。」と問い詰めた。すると山中美樹は表情も変えずに
「私は山中美樹です。何の証拠があってなりすましなんて言うんですか。」と意気込んできた。その勢いに負けそうになった時、林田刑事が言葉を挟んだ。
「わかりました。あなかは山中美樹さんでしょう。でも7月19日あなたはどちらにいらっしゃいましたか。」と冷静にゆっくりとした言葉で聞いた。山中は少し慌てた様子を見せたが、思いなおしたように冷静な表情を作って、
「それはあなた方が調べる事じゃないですか。私自身は覚えがありません。」ときっぱりと言い切った。
杉下と林田はとりあえず山中に宣戦布告をして、証拠を集めてまた来ることを誓いながら山中の事務所を後にした。
杉下たちはその足で大阪府警本部の捜査本部に戻った。すると本部長の寺田刑事部長が手招きをして杉下を呼んだ。
「山中美樹の写真を福井に送ったんだけど、福井の刑事が福井駅の居酒屋「越前」の
店主に見せたら野坂陽子と会ってた女は山中に間違いないという事だった。やっぱり山中美樹は福井へ行っていたんだ。まだ野坂を殺したことが分かったわけではないけれど、限りなく黒に近づいたというところだ。」と話してくれた。
本部長の話を聞いて杉田と林田は、安堵の気持ちが浮かんだが、一つの疑問が浮かんできた。杉下は
「林田さん、山中美樹に成りすました佐久間美樹は、野坂陽子にそのなりすましを指摘され、脅迫されてお金を要求されたとしても、殺す必要がありますかね。金なら100億以上持ってるんだから、少し渡せばいいじゃないですか。金で済まない何かがあるという事でしょうね。」と言うと林田は
「その点に僕も疑問があったんです。野坂陽子殺害には動機が希薄です。もしかしたら山中美樹に成りすます前に佐久間美樹は何かやってるんじゃないでしょうか。」と新たな予想を提起した。杉下は頷きながら
「そうですよね。事件のカギは佐久間美佳の時代にあるとしたら、佐久間美佳を調べないと分からない。5年前、被害者として死んだとされる佐久間美佳について、一応の捜査はされたけど、その前に犯罪を犯しているかもしれないという疑いは持ってなかったはずです。横田君と一緒に少し調べてみましょう。」と言って3人は府警本部を飛び出して佐久間美佳が勤めていた大阪市立中央病院に行って見た。
大阪市立中央病院は大阪府警本部近くの中央区大手にそびえたつ、大病院だった。ここで人事を扱う総務部を尋ねた。病院だが総務部の中には医師や看護師たちはいない。すべて市役所の職員がここで働いているので、雰囲気は市役所など役所と変わらなかった。受付で上司に会いたい旨を話すと総務課長が出てきた。奥の部屋に案内されてソファーに座ると杉下が
「5年前までここに勤めていた佐久間美佳の人事記録を見せてほしい。」と話した。個人情報の流出に厳しい時代になっているので、殺人事件の捜査のためだという事を話し、警察手帳をきちんと提示した。すると総務部のキャビネットを開けて、彼女の人事記録を出してくれた。そのカードに張られていた写真は今の山中美樹そのものだった。少し若いが、この病院に就職した時に作られたものだろう。実家の住所も書かれていたので杉下はメモを取った。
5年前の段階で、突然退職となっていた。それまでは内科に所属となっていた。横田はその当時の同僚に話が聞きたいと言うと
「5年前の内科ですか。もしかしたらコロナ専門の外来か入院患者の病棟かもしれませんね。ちょっと調べてみます。」と言ってデスクでパソコンで調べ始めた。するとすぐに結論が出たのか、
「わかりました。彼女はコロナ外来で働いていたようです。しかし心労で突然退職になっています。今、心療内科の主任看護師になっている内田康子が当時一緒に働いています。呼びましょうか。」と言ってくれたのでお願いした。
10分ほど待っていると、内田康子が看護服を着て総務部の部屋に入ってきた。彼女は30代後半と言うところだろうか。主任看護師としての経歴を持つベテランなのだろう。大病院で看護師長と言うのでもっと年配化と考えていたが、意外と若くてきれいな人だった。杉下が
「主任看護師さんと聞いたので、もっとベテランと思ってました。まだお若いですね。」というと内田は
「主任と言っても5年も経つとみんな主任です。それで何でしょうか。」と忙しいから早くしろとばかりに急かしてきた。杉下が続けて
「それでは本題に入ります。5年前、この病院に佐久間美佳という看護師が勤めていて、コロナ外来で内田さんと一緒に働いていたとお聞きしました。佐久間さんはどんな方でしたか。」と聞いてみた。すると内田は
「この病院を辞めて半年くらいで死んだんじゃないですか。新聞で見た気がします。」と言うので、横田が
「はい、事件に巻き込まれて死んだことになってます。」と答えると
「死んだことになっているというのは何か秘密があるんですか。」と内田が聞いたが杉下は
「捜査中ですので、お話しできないことが多いのでご勘弁ください。彼女はどんな人でしたか。退職する前はどんな様子だったでしょうか。」と話を勧めた。内田は深い息を吐きながら昔を思い出した。
「あの頃はひどい状況でした。コロナ外来を開くことになり、患者は山のようにやって来ました。一般患者と接触させるわけにいかず、車で来た患者は車の中で待ってもらいました。防護服を着て検査キットを持って外に出たり、陽性が出た患者を病棟に入れて入院させたりしました。しかし途中からは重症患者だけを受け入れ。その他の軽症患者は検査終了後は自宅で療養となっていったんです。私たち、医療スタッフは家に帰ると家族と接触を避けました。自分がウイルスを持っているかもしれないし、感染しているかもしれないからです。そのうち、家に帰るのも大変になり、病院に泊まり込むようになりました。世間からは差別され、家族も差別の対象になっていきました。そんな中、佐久間美佳は私の後輩として頑張って働いてくれました。独身で一人暮らしだったので、ほとんど家に帰らなかったんです。でも疲労が蓄積し、精神的におかしくなっていったと思います。疲れからミスも多くなってきたので、私がとにかく家に帰って休みなさいと言ったことを覚えています。ただほとんどお金を使う機会もなく、時間外の手当てもたくさんついたので、金銭的には豊かになったんです。だから心斎橋付近のホストクラブへ行ってたみたいです。私も誘われましたから。」と話してくれた。杉下は内田に
「当時の医療関係者は精神的に追い詰められていったんですか。」と聞くと
「忙しくて_精神的に追い詰められて、鬱を発生して退職した人も多かったんです。彼女もその中の一人と数えられてます。」と答えてくれた。
「心斎橋近くのホストクラブは何という店かわかりませんか。」と質問すると
「当時の新聞に載ってましたヨ。」と言われ、府警本部でわかることを思い出した。
病院を後にして、携帯で府警本部に問い合わせると問題のホストクラブは「ラビリンス」貢いだホストは桜町隼人だった。
その情報をもとに3人の刑事は心斎橋に向かった。目的のホストクラブ『ラビリンス』はすぐに見つかった。まだ3時過ぎなので店は開いていないが、開店準備のため多くのホストが作業していた。薄暗いと予想していたが開店前なので明るくして清掃作業などをしていた。マネージャーが出て来て話が聞けた。
「5年前、この店の客だった佐久間美佳さんが殺される事件がありました。彼女の売掛金はいくらぐらいだったんですか。」と聞くと
「あの時は、店が疑われました。殺し屋を雇ったんじゃないかってね。でも戦前のやくざがいっぱいいた時代じゃないですから。われわれも法を守って商売している市民ですから。それであの子の売掛でしたね。たしか100万円程度だったと思います。我々からすれば一晩で稼げる程度です。そんな大した額ではありません。それに売掛金というのはうちの従業員が店に借金をすることで、客はホストに金を借りて店でボトルを開けるんです。だから彼女を追い詰めることはしません。しかも彼女が貢いでいたホスト、桜町隼人は確か事件の1月前くらいに死んでるんです。お腹が痛いとか言ってたんですが、あっけなく死んじゃって原因はなんだか知りませんけど。だから取りっぱくれてしまったんです。だから店は関係ありません。わかってもらえましたか?」と言ってタバコをふかしている。
マネージャーの話を聞いて杉下も林田も横田も納得がいった。自分をホスト付けにした桜町隼人を看護師の佐久間美佳は病院から持ち出した薬物で少しづつ体調を悪化させて殺し、その罪を逃れるために北新地公園での事件を利用して、なりすましに成功した。北新地公園の事件まで計画的に仕組んだかどうかは分からない。偶然病院のベットで目覚めて、千載一遇のチャンスであることを知ったのかもしれない。幸いに山中美樹には身寄りがなく天涯孤独で会うことは、立ちんぼ仲間として話し合っているときに聞いていたのだろう。なりすましに成功したことで殺人の罪におびえることは無くなったのだろう。そんなシナリオが3人の頭に共通して浮かんだ。




