北新地公園
寺田刑事部長から部屋に呼ばれたのは杉下刑事と横山刑事だった。杉下は59歳、定年間際のベテラン刑事、横山は交番勤務から府警刑事になって3か月の信心刑事だった。横山が4月に刑事一課に配属になってすぐに指導係になったのが杉下だった。2人は寺田刑事部長の部屋に入ると寺田は杉下の肩をたたいて
「待ってましたヨ。杉下刑事。定年までもうしばらくですね。定年前にもう一仕事お願いします。実は関西中央テレビからの情報で、最近有名になった山中美樹っていう29歳の若いアナリスト、なりすましじゃないかって言うんだ。まだ視聴者からの指摘に過ぎないから、堂々と操作できる状況ではないんだ。横山君を連れて目立たないように調べてみてくれないかな。」と言われて杉下は直立不動の姿勢で聞いていたが、突然敬礼して
「当然頑張って捜査させていただきます。定年までもうわずかですが、まだ現役ですから全力を挙げるのは当然です。まして横山君と一緒なら、恥ずかしい姿は見せられません。頑張ります。」と意気込みをしました。寺田部長は杉下が頑張りすぎることを心配したが、杉下の経験を信じて送り出した。
杉下と横山は西淀川区に出向いた。西淀川は大阪湾の開拓地が多く、海の近くで四角い工場用地がいくつも碁盤の目のように並んでいる。埋立地らしく、海抜はほぼどこへ行っても0mである。黒いセダンの公用車は大和田地区の大和田小学校を訪れた。車で校門前の校地外の駐車場に車を止めた。校門のところにインターフォンがあり、大阪府警であることを述べると玄関から男性が出て来てくれた。名刺を出すとその男性は教頭先生だった。案内されて校長室に入ると女性の校長先生が向かえてkぅれ、ようやく本題に入った。
「実はまだ詳しいことは述べられませんが、この学校出身のある人物について調べています。学籍簿や卒業アルバムなどを見せていただけませんか。」というとその女性校長は杉田と横山に警察手帳の提示を求めた。2人が警察手帳を提示するとじっくりと眺め、本人であることを確認し、その場で大阪市教育委員会に電話して学籍簿を見せることに問題がないか確かめた。しばらく時間を置いて、教育委員会から捜査に協力するようにとの回答を得た校長は
「確認できましたのでご案内します。対象の人物は何年卒業の児童ですか?」と聞かれると横山刑事が手帳を開いて
「1996年生まれですから平成8年生まれ、12歳で卒業ですから平成20年卒業でしょうか?」と答えた。校長先生は
「その方は早生まれではないですか?」と聞き返してきた。杉下は
「8月生まれと聞いています。」と言うとテキパキと金庫のカギを開けて対象の学籍簿と指導要録を出してくれた。
「卒業して17年ですから指導要録は学籍関係しかのこっていません。」と言って資料を開けてくれた。
2人は資料をゆっくりと見た。そしてすぐに山中美樹を発見した。
『山中美樹 平成8年8月12日生まれ 大阪市西淀川区大和田2丁目4-6』とあった。彼女は確かにこの学校に在籍していた。
「前後の学年も確認してみていいですか。同姓同名の人がいないかを見たいんです。」というと校長先生は
「どうぞ。」と言って資料を冊子ごと渡してくれた。2人で目を皿のようにして前後2学年分を一人一人確認した。やはり同姓同名はいない。
「では卒業アルバムなどで本人を確認できませんか。」というとキャビネットの中にある卒業アルバムの中から平成20年度のアルバムを出してくれた。
そのアルバムをめくると6年2組に山中美樹はその明るい笑顔を残していた。個別の写真がないと確認できないが、幸運なことに個人写真が全員分掲載されていた。横山はその写真を携帯のカメラで撮影した。子供の頃の写真なのでその後変わっていて、判断はつきにくいかもしれないが、テレビで見た山中みきとはやや違う感じはした。ただ12歳の小学校6年生で幼い感じだが
「杉下さん、この少女、どう思いますか。」と言って写真を見せると杉下は
「小学生でも高学年になると色気もあるからな。わからないよ。」と言って個人的な感想は述べなかった。
次に2人が言ったのは山中美樹の住所として記されていた大和田2丁目4-6に行って見た。そこは大きなマンションになっていた。周囲の人に聞くと
「このマンションは5年前に建てられたんだ。それまでは古ぼけたアパートが3棟立っていたけど、貧乏人だらけの安アパートだったよ。」という事だった。5年前までは住民票ではその古アパートに山中美樹はいたことになっている。そのころ住んでいた人はいないのだろうか。しかたなくマンションの住民を順番にあたってみることにした。すると5軒目で古い安アパート時代から住んでいる人に出くわした。
「昔のアパートに山中さんというお宅はありませんでしたか。」と聞くと
「あったよ。山中さんは若い女の子が一人暮らしだった。中校生の頃に親が死んで可哀そうに、養護施設で育ったんだ。大人になってここに戻ってきて、一人で住んでたんだ。でもアパートを建て替えるころにはいなくなってた。マンションに建て替えるときに大問題だったから、覚えているよ。」と教えてくれた。
次にその住民に卒業アルバムの写真を見せてみた。すると
「ああ、この子だよ。覚えているよ。小さいころはこんな子だった。かわいかったよ。大人になって戻って来た時にはきれいになってたけど、少し化粧が濃くてけばけばしてたな。」と感想を言ってくれた。そこで杉下は大阪府警本部で受け取っていた経済番組に出演している山中美樹の写真を見せてみた。すると
「この人は誰だい。知らないよ。きれいな人だけど山中美樹じゃないよ。」と証言してくれた。杉下は山中がなりすましに間違いないと確信した。しかもそこには犯罪の存在の確率が高いと直感した。
大阪府警本部に戻った2人はその内容をすぐに寺田刑事部長に報告した。寺田は
「なりすましは間違いなさそうですが、山中美樹を演じている彼女はなぜ山中美樹に成りすましたのか。本物の山中美樹はどこにいるのか、まだはっきりしません。今、山中美樹を捕まえても罪状が不確かである。よってもう少しおよがせて、何をしたのか探ってくれ。」ということだった。
杉下達は大和田小学校を卒業した山中美樹が勤めていたというソープランドに行って見ることにした。関西中央テレビに情報を提供したマネージャーを尋ねるため、関西中央テレビの太田プロデューサーに訪ねたところ、ソープランドは十三にある『インぺリア』源氏名はさゆり、支配人は玉木というらしい。十三は大阪地区の風俗街で数多くのソープが立地している場所だ。
十三に着いた杉下と横田は『インぺリア』を探した。昼間だというのに客はうろうろしている。予約の時間は風俗嬢の出勤時間に合わせるので、24時間受け付けているらしい。店を探す客をかき分けて看板を見つけ、客ではないという雰囲気を出しながら暖簾をくぐった。
「大阪府警です。支配人の玉木さんいらっしゃいますか。」というと奥から玉木支配人が出てきた。仕事の邪魔にならないように奥の部屋で話を聞くことになった。奥の部屋は小さなテーブルが一つだけ。多くの従業員を抱える店にしては寂しい部屋だった。おそらくソープ嬢たちの休憩室もこんなものなのだろう。杉下は
「山中美樹さんが行方不明になった日を覚えていますか。捜索願は出しましたか。」と矢継早に質問すると支配人は
「捜索願はこの世界ではあまり出さないですね。突然いなくなるのは、よくある事ですから。みんな何か人には言えないことを抱えているんです。いなくなった日ですね、ちょっと待ってください。彼女の出勤記録と予約サイトのデータがありますから。」と言ってパソコンを開けて調べ始めた。すると
「ありました。彼女は5年前の7月21日には出勤して客を受け付けてます。しかし翌日は受付したけど休んだので、キャンセルしています。7月21日に何かあったんですかね。」とモニターを見ながら答えてくれた。
杉下は横山の顔を見ながら
「7月21日に何かあったんだ。帰って調べよう。」と言って急いで外に出た。
大阪府警本部に戻った2人は、警務部で事件事故の発生履歴を調べた。5年前の『2020年、7月21日』という検索ワードで検索するとさすがに大都会大阪府では様々な事件事故が発生していた。2人でゆっくりと丁寧に確認していくと、2人の目が同じ場所で停まった。
『北新地公園風俗嬢殺人事件』という文字を見た瞬間、杉下は5年前のこの事件を思い出した。コロナ禍で経済が冷え込み、飲食店が閉店に追い込まれていく中、風俗店も経営危機に陥っていた。多くの風俗嬢たちが客が来ないので街角に立って、個人売春を始めていた。そんな彼女たちのことを“たちんぼ”と呼んでいたが、彼女たちが集まっていたのが、大阪では北新地公園だった。ただしそこに来ていた立ちんぼたちの中にはホストに貢ぎすぎて、売掛金がたまりすぎて返済できなくなり、ホストから売春することを迫られたような一般人の子たちもいた。
5年前の事件は北新地公園に集まっていた立ちんぼたちの中に、看護師でホストに貢いで借金が溜まり、看護師の収入だけでは返済できなくなり、夜は立ちんぼで稼ぐことを強要された佐久間美佳がいた。
北新地公園で立ちんぼをしていた佐久間美佳は通りがかりの男から声を掛けられ、話し込んでいるうちに刺されて殺されてしまった。犯人は分からず、精神異常者による通り魔殺人という事で迷宮入りした。
その事件を扱う刑事の一人だった杉下は帰りの車の中で、思い出しながら横山に話し、横山はその事件に山中美樹がどう関連してくるかを考えた。そしてパソコンで事件の詳細について報告書を見て驚いた。あの事件で佐久間美佳という犠牲者がいたが、もう一人けがをした女がいたのだ。たまたま近くにいて、佐久間をかばおうとしてナイフで腕を怪我をして病院に入院したのが山中美樹と書いてあった。山中美樹はどうしてそこにいたのかははっきりしないが、佐久間美佳を助けようとしたという事は、同じように立ちんぼをしていて、仲間同士としての繋がりがあったのかもしれない。2人の刑事は同じ思いで足が震えた。
「ソープの支配人の言葉を信じるなら、5年前に死んだのが山中美樹で、その時に一緒に入院していた佐久間美佳が山中に成りすまして、山中美樹として生きて来たのではないかという思いだった。
刑事部長の寺田に状況を報告すると、寺田は
「ほぼ間違いないかもしれないが、確固たる証拠が必要だね。5年前の事件がったらご遺体のDNAは解析済みじゃないかいな。今の山中さんおDNAを採取すれば鑑定できるんじゃないか。」と言われ、杉下たちは刑事課の部屋に戻り、投資顧問会社の住所などを調べることにした。
山中の投資顧問会社は北浜の一角の雑居ビルの2階に位置していた。事前に伺うことを電話で知らせておいたので、社長の山中は会社に待っていてくれた。階段を昇って事務所の入口の扉の前に立つと、ほとんど広告のような看板はなかった。小口の投資家は相手にせず、大口の投資家だけを相手にしているので、多くの人が出入りするわけではないとのことだった。
扉を開けると受付の女性が一人、カウンター近くのデスクで仕事をしている。社長はいるかと尋ねるとすぐに奥から美しい女性が出てきた。
「社長の山中ですが、お電話いただいた警察の方ですか。」と聞いてきた。杉下は立ち上がってお辞儀をして名刺を差し出して
「いくつか伺いたいことがあるんです。まずは5年前、北新地公園で起きた殺人事件であなたは怪我をされて、入院されてますね。その時事故で亡くなった佐久間美佳さんについて何かご存じですか。」と質問した。その時受付の女性が紙コップにお茶を入れて3人に出してくれた。社長の山中美樹はお茶を一口飲んで、たばこを取り出し、ライターで火をつけると、大きく息を吸って、その反動で煙を吐き出して思い出しながら
「懐かしい事件ね。私も危なかったの。北新地公園で友達を待っていたら急に刃物を持った男が現われて、近くにいた女の子が刺されそうになって私の方に逃げてきたの。助けようとしたわけじゃないけど、私にしがみついてきて抱えているところをその男たちが刺したから、私まで怪我しちゃったわ。詳しい話はその時警察に詳しく話したわよ。」と顔色も変えずに話してくれた。杉下はあきらめずに
「という事はあなたは佐久間美佳のことは知らなかったんですね。」と確かめると、彼女は首を横に振って明確に否定した。
「どうも有難うございます。参考になりました。」と言うと立ち上がって山中と握手して挨拶をした。山中はそのまま振り返って、奥の部屋に入っていった。横山は口紅の跡がついた彼女が飲んだお茶の紙コップと灰皿の中の唾液がついたたばこの吸い殻を回収して懐に隠した。
大阪府警本部に帰ると、寺田刑事部長に詳細を報告した。刑事部の部屋には事件の閉塞感が漂っていた。山中美樹がなりすましであることは、ほぼ確定的なのだが、何のために成りすます必要があったのかがつかめなかった。ただ、横山が採取してきた紙コップとたばこの吸い殻を鑑識に持ち込めたことは、この先に光を与えた。
杉下が自分のデスクに戻ってコーヒーを飲もうとした時、近くの刑事と話している男がいた。杉下が聞き耳を立てているとその男は刑事部の刑事に、ある女の消息について話していた。その話の中に
「北陸新幹線はいつごろ大阪までつながるのか。」という言葉が耳に入ってきた。ぼんやり聞いていた杉下は北陸新幹線が大阪まで来ることもあまり知らなかったが、その言葉がきれいな女性が発していた言葉だという事も聞いてもしかしたらと思い
「すいません。その話、僕にも聞かせてくれませんか。」と別の捜査に首を突っ込んだ。担当刑事は迷惑そうに顔を曇らせたが、先輩の杉下だったので遮るわけにもいかず、その男に経過を話すように促した。その男は
「私は福井県警の林田です。実は福井県の鳴鹿堰堤というダムで女の死体が上がったんです。その被害者は野坂陽子、現住所は福井市毛矢ですがもとは大阪市西淀川区大和田2丁目3-1 生年月日は1996年10月21日生まれの29歳です。彼女は殺される前の日に福井駅前の居酒屋でもう一人別の女と会っていて、その時の『北陸新幹線はいつ大阪までつながるのか』という内容のことを話しているのを従業員が聞いているんです。こちらに来て彼女のことを調べると、大阪北新地でスナックを開店したが、コロナで客足が停まり、閉店して福井に流れて来たらしいんです。」と事件の概要を話した。聞いていた杉下は耳を疑った。29歳、大阪西淀川、北新地でスナック
すべてが山中美樹や佐久間美佳と重なった。
杉下の頭の中で2つの事件が結びついた。
『もしかしたら3人は知り合いではなかったのか。3人ともコロナ禍の大阪北新地で苦労していた。ソープ嬢だったが客足が止まって北新地公園で立ちんぼをしていた山中美樹。開店したスナックが経営不振で店をたたみ、北新地公園で立ちんぼをしていた野坂陽子、そして佐久間美樹が殺された時にたまたまそこにいた佐久間美樹と名乗る佐久間美佳 もし3人がいっしょに北新地公園で立ちんぼ仲間だったとしたら、そして北新地公園殺人事件で殺されたのが佐久間美佳ではなく山中美樹で、何らかの事情で佐久間美佳は自分の戸籍を捨てて、山中美樹になった。しかし5年後テレビに出た山中美樹こと佐久間美佳を見た野坂陽子が山中こと佐久間を脅しに大阪に電話を入れ、山中こと佐久間が福井へ出向いて、その夜、野坂を殺して川に捨てたとすれば、筋は通る。』一瞬にして事件の筋道を描いてしまった。




