躍進
2020年 世の中はコロナ禍で経済は政府の補助金だよりだった。コロナ前の営業成績とコロナ後の営業実績を比較して売り上げの減少分から補助金を策定して、政府に申請するのである。店によっては従業員をすべて解雇し、店を閉めてしまったところも多い。ただ、緊急経済対策だったので審査は後日回しで、不正受給が横行したのもこの時期だった。
しかし、経済界の反応はすこぶる早かった。コロナが蔓延してきてしばらくすると、総理大臣が全国の学校を臨時休業にするように宣言してしまった。この動きに呼応するように全国の会社でもリモートでの勤務が一般化していった。子供が家にいるから親たちは出勤できなかったわけだ。経済の冷え込みを予想して株価は一斉に下げに転じた。しかし一月もすると逆の動きが出てきた。一斉に下がった株価をチャンスと見て買いの動きを見せる投資家が多かったのだ。一進一退の状態が続いたが、しばらくすると上昇基調の相場が始まった。同時に金融商品が一斉に値を上げ始めた。
この時、絶好の機会を逃さなかったのが山中美樹だった。友人が始めた仮想通貨がブームに乗って利益が出たという話を聞いて、ほんの5万円からのスタートだった。なけなしの5万円を仮想通貨に投資するとタイミングが良かったのか、一月で3倍、半年で10倍になった。勢いに乗ってその間の給料もすべて再投資すると、爆発的な利益を出し、1年で300万円になったところでひとまず半分売却した。
そこからは買うものすべてがうまくいった。金は5年で5倍に。信用買いで100万円投資したアメリカのエヌビデア株はまたまたまに1億円になった。ここからは簡単だったようだ。テスラ株でも仮想通貨でも投資額が大きくなったので2倍でも数十億の利益が簡単に出て行った。まさに雪だるま状態で総資産が100億円にたっしたのは29歳になった頃だった。そしてそのころ、更なる利益を求めて北浜に投資顧問会社をオープンした。投資筋の中で、『荒稼ぎをしている素人の女相場師』として有名人になり、テレビ局から経済番組への出演を依頼されたのだ。
5万円からスタートして100億まで稼ぐのに5年しかかかっていなかったが、実際には4年で1億まで伸ばしたが、そこから100億は勢いのある1年だった。トリンプ大統領の政策で円安に振れたことも大きな要因だったが、彼女の運がここまで彼女を押し上げたのかもしれない。
ところが彼女の成功にもわずかな影が迫っていた。関西中央テレビの番組を見ていた視聴者からの電話だった。
番組の制作スタッフの所には放送後に様々な視聴者からの意見が寄せられる。かつては手紙という形で、そして電話で、今ではほとんどがメールやHPへの書き込みという形で寄せられる。好意的な意見もあるが、クレームも毎週たくさん送られてくる。そんな視聴者からの声を取りまとめる30代男性の番組ディレクターの酒井がメールを読みながらアシスタントの女子大生の田中さとみに話しかけていた。
「聡美ちゃん、君のファンからメール来てるよ。『さとみちゃんのミニスカート、あしがとてもかわいかった。番組の話は全然聞いてなくて、さとみちゃんの足ばっかり見てました。来週もよろしく。』だって。経済番組をバラエティだと思ってるやつだ。」と言うと田中はスマホをいじっていた手を休めて酒井の方を見て
「いやらしい目で見てるんでしょうね。ミニスカでないとだめですか?」と逆に聞いてきた。酒井はにやけた顔で
「この番組はきみのミニスカと山中さんの美貌で持ってるような物さ。所詮テレビはビジュアルなんだよ。」と言って田中の肩をいやらしく撫でた。そこに太田プロデューサーが入ってきた。彼は出たばかりの視聴率票を持っていた。
「さとみちゃん、君がミニスカでCM前に現れた瞬間、8.2% やったね。やっぱり君は数字持ってるよ。これからも頼むね。」と言って彼女の背中をいやらしく触った。田中は「いやだ、やめてください。」と言いながら笑顔で喜んで太田の肩に手をかけた。酒井はメールを見ながら
「太田さん、気になるメールが一通来てますね。これですけど。」と言って太田に見せた。太田はパソコンのモニターを覗き込んでそのメールを無言で読み込んだ。
「『北浜からとっておき情報』いつも楽しみに見ています。ただコメンテーターの山中さんですが、同姓同名の山中美樹を知っています。同じような年齢で同じ大阪出身。大阪市は人口280万人くらいですから同姓同名もいますよね。僕の知っている山中美樹は風俗嬢でした。」
太田は眉をひそめたがしばらくすると笑い飛ばした。
「そんなこと、あるわけないよ。こいつたかりじゃないかな。」と言っている。
来週、番組の日、山中さんが来たら俺から聞いてみるよ。」と言ってその場は収まった。しかし、次回の放送日、スタジオに山中が入って来た時、太田が山中を呼び止め、サブ調整室で話した。
「山中さん、実は気になるメールが来たんだけど、見てみますか。」と言って紙に印刷したメール文を渡した。山中美樹はその紙をじっくりと読むと一瞬はっとしたが
「これは同姓同名だってことですよね。私、風俗嬢はしたことないですから。」と言って憤慨した。太田は
「ごめんなさいね。このメールは、タカリ屋のたぐいだと思うんです。先生の会社やご自宅を調べ上げて、口封じ料として金を要求する輩だと思うんです。気を付けてくださいね。有名になると必ずこういう輩に狙われるものなんです。」と言って注意喚起をした。山中は嫌な気持ちになったがその日も生放送で放送を終えて、帰路に着いた。
放送終了翌日の関西中央テレビでまた酒井が市庁舎の反響のメールをチェックすると、また前回と同じアドレスから不思議なメールが来ていた。太田に連絡するとまた太田が来てくれた。メールは
「『北浜からとっておき情報』山中さん。投資顧問会社のホームページで社長のプロフィールを見ましたが、僕の知っている山中美樹に違いありません。でも顔が違うんです。彼女は山中美樹ではありません。なんで彼女は他人に成りすましているんでしょうか。」と摘発する内容だった。太田はこの発信者に太田の個人アドレスからメールを返送して、その投稿者の根拠を聞いてみることにした。
『北浜からとっておき情報』番組スタッフです。山中先生について別人ではないかという投稿でしたが、どんな根拠でおっしゃっているのか説明していただけますか。」という内容で送信した。すると2時間後にメールが返ってきた。
「投資顧問会社のHPによると山中美樹さんは大阪市西淀川区大和田の大和田小学校出身の29歳となってました。でも私の知り合いも大和田小学校出身の29歳の山中美樹だったんです。でも5年前から音信不通で分からなくなっていたんですが、先日から突然、テレビに出ているんです。しかも顔が全然違うんです。なんか怪しいと思ったんです。ちなみに行方不明の山中美樹は僕が支配人をしているソープランドの風俗嬢で、“さゆり”って名前で働いてた子なんです。両親は早くになくして、兄弟もいないって言ってたから、天涯孤独の可哀そうな境遇だったんです。投資顧問の山中さんは別人だと思います。一度調べてみてください。」というメールが帰ってきた。
太田はこのメールをどうするか悩んだ。山中本人に相談するわけにもいかないし、会社の幹部に相談することを選んだ。社長は東京のキー局の専務から天下ってきた人物だが、この業界では実力者だった。社長室に電話を入れ相談したいことがあると言うとすぐ来いという事だった。
社長室は中の島の運河沿いの風光明媚な景色が眼下に見える7階の大きな部屋だった。普段は社長に用があっても、制作局長を通して情報を上げるが、山中先生のプライバシーに関することだし、下手をすれば警察沙汰になる案件という事で、社長に直に相談することにしたのだ。社長秘書に挨拶して社長室の扉をノックすると中から返事があった。ゆっくりとドアノブを回してドアを開けると、正面に大きなガラスが広がり、眼下に中の島の官庁街が見え、その手前には運河が横たわっていた。奥に進むと社長がデスクワークをしてた。
「社長、折り入ってご相談したいことがあります。私が今手掛けている経済番組にコメンテーターで出演してもらっている山中美樹さんですが、視聴者からの情報で山中美樹を名乗っているが、別人ではないかという疑惑が持ち上がったんです。西淀川区の大和田小学校出身の29歳という条件で同姓同名はいない。その投稿者が知っている山中美樹はソープ嬢で5年前から行方不明だったというんです。僕もそのメールを見て犯罪の匂いがするなと感じたんですが、どう対処したらいいでしょうか。」としんみりした感じで話した。山中美樹はその美しさと理知的な経済評論と、個人資産100億円以上というセレブ感で今人気急上昇中で番組も絶好調なのだった。だから今彼女にスキャンダルは困るし、彼女の人気に水を差そうとするたじょくの連中もいるかもしれない状況だった。社長は眉をひそめて考え込んだ。コンプライアンスに厳しい時代になってきているが、人気番組は何とか継続させたい。悩んだあげく急に電話をかけ始めた。
「もしもし、寺田さんですか。関西中央テレビの田島です。折り入って相談したいことがあるので、ちょっと力をお貸し願えませんか。電話ではお話しできない事なので、今から太田という社員をそちらに行かせます。相談に乗ってください。」と言って電話を切った。
「今の電話は大阪府警の寺田刑事部長だ。我々が独自で調査しても限界があるんだ。警察に秘密のうちに捜査してもらって、情報が間違っていたらそれでいいし、本当に偽物だったら、まずキャスティングを変更して、罪状に応じて警察に対応してもらうんだ。とにかくすぐに大阪府警本部へ行って来なさい。」と指示した。
太田プロデューサーはすぐに中の島の放送局から徒歩で大手前の大阪府警本部を尋ねた。東京の警視庁の建物を連想させる建て方で、横長の2つのビルが60度の角度で合体しているようなビルの様相だ。正面玄関から入って受付で寺田刑事部長に綿かいと告げると6階の刑事部長室を案内された。5台並ぶエレベータのうち一番手前の物を選んで乗り込むと、すごい速さで6階まで昇って行った。この建物が比較的新しいので、エレベータも最新の物なのだろう。
刑事部長室の扉をノックして中に入ると寺田刑事部長は立ち上がって迎えてくれた。白髪の60歳近い年齢でがっちりした体格なので、柔道が強そうに感じた。
「太田区んだね。田島社長から聞いているよ。田島社長にはいつも世話になってるんだ。報道規制を掛けるときにはマスコミ各社を取り仕切ってくれたり、捜査情報をリークする時も田島社長にお願いしてもらうんだ。今度はこちらが出来ることはさせてもらうよ。どんなことなんだい。」と言われたので、太田は周りに人怪我無いのを確認して話し始めた。
「部長、私は関西中央テレビで『北浜からとっておき情報』という番組を製作しています。その番組で山中美樹という投資顧問会社社長に出演してもらっています。先日から市庁舎のメールに彼女が成りすましだという投稿が来ているんです。はじめはいたずらかなと思ったんですが、投稿者になぜなりすましだと思うのか、その根拠を聞いたんです。すると山中美樹のプロフィールに西淀川区大和田の大和田小学校卒業の29歳と書いてあるが、その投稿者の知り合いも大和田小学校の卒業生で29歳だというんです。しかもその知り合いは5年前から行方不明で、投資顧問会社社長の山中美樹は彼が知っている山中美樹とは顔かたちが違うらしいんです。ちなみに5年前に失踪した山中美樹はソープ嬢だったらしいんです。不確実な情報で私たちが自分で調べるにはあまりにも難しい問題なので、社長に相談したら、プロに相談して秘密のうちに捜査してもらったらと言われたんです。どうでしょうか。」
太田の話に寺田部長は深く考え込んだ。相手が人気急上昇中の経済コメンテータ―。捜査を始めて間違ってましたでは引っ込みがつかない。何としても他のマスコミにかぎつけられないように捜査をしなくてはいけない。寺田は苦虫をかみ殺したような顔で困惑しながらも
「わかりました。うちの特捜部の数人にあたらせます。調べていることは決して知られないように気をつけさせます。」と言って引き受けてくれた。
大阪府警を後にした太田は来週の放送で結論が出ていなかったら、どんな顔で彼女に会おうか考え込んでしまった。そして先々週のホテルの彼女のことを思い出して、ただ物ではない女なのかもしれないという思いを新たにした。