閑話・漫画家たちの生まれた年
今回は閑話です。
いままで全然気にしていなかったのですが、このエッセイを書くためにウィキなどを見ているうちに、漫画家さんたちの生年がやたら目につくようになりました。
それで著名な方々をピックアップしてみたのが、こちら。
順不同、敬称略です。裏をとってないので違っていたらごめんなさい。
◆1947年 池田理代子 山岸涼子
◆1948年 大和和紀 里中満智子
青池保子 木原敏江
◆1949年 萩尾望都 一条ゆかり
山本鈴美香 あしべゆうほ
◆1950年 和田慎二 竹宮恵子
河あきら 庄司陽子
◆1951年 美内すずえ
あわわ、レジェンドな先生方が目白押し……!
「花の24年組」という昭和24年(1949年)前後の生まれをさす言葉は知っていたんですが、あのメンバーは相関関係のある一部をさしていたんですね。
それ以外の方々の年齢もこんなに近かったとは、知りませんでした。
以前、一条ゆかりさんの自伝的エッセイ本を読んだことがあります。
一条さんの若いころは、漫画というものが世間的に全然認められていなかった時代。
家族にもわかってもらえない中、描きたいという燃える思いだけで突き進んだ様子が、ありありと伝わってきました。
そういえば、里中満智子さんのそういう体験談も、どこかで読んだ気がします。
おふたりともデビューは高校1年。
そして、一条さんが大ヒット作『デザイナー』を描かれたのが1974年。里中さんが『アリエスの乙女たち』を連載開始されたのが1973年。
ほかの方々のデビュー年齢までは調べてませんが、多分皆さん、十代後半から二十歳くらいでデビューして、二十代前半には、代表作やそれに近いものに着手されていると思います。
当時の少女漫画界に、どれだけの情熱と覚悟があったか、目に見えるようですよね。
年齢の近い同志たちとともに、必死に描き続けた若き漫画家たち──。
でも考えてみると、同士というのはつまりライバル、商売敵でもあるわけで。
年齢が同じとなるとなおさらに、おたがいがどれだけ意識して、しのぎを削り合ったことか。
そしてそれが、作品レベルを格段にアップさせていったんだろうと思うと、なんだかもう、すごいとしか言いようがありません。
ちなみに、それ以降の方々はこんな感じになります。
◆1952年 三原順
◆1953年 魔夜峰央
◆1954年 田淵由美子
◆1955年 くらもちふさこ
◆1956年 吉田秋生 松苗あけみ
槙村さとる 太刀掛秀子
◆1957年 岩舘真理子 ひかわきょうこ
◆1958年 高橋由佳利
◆1959年 池野恋
◆1960年 成田美名子
◆1961年 日渡早紀
◆1962年 清水玲子
話はちょっと飛びますが──。
数年ほど前、高校の国語の先生二人に「どうしたら読解力がつきますか」と質問したことがあります。
読書嫌いのうちの息子たちの成績がアレだったため、苦し紛れに訊いたんですけどね。
そしたら二人とも、同じ答えを返してくださいました。
「漫画を読んでください」って。
びっくりしました。そしてもちろん激しく同意でした。
それにしても、昔なら考えられないこの回答……。
こんな時代になったんですね。ていうか、時代が漫画に追いついたということですよね、きっと。
そして、そんな時代を作り上げてくれたのが、上にあげた漫画家さんたちの系譜なんですね。
あらためて、彼女(および、ときどき彼)たちの功績に、想いを馳せました。
感謝の気持ちでいっぱいです。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
自分の中でひと区切りついたので、いったん締めさせていただこうと思います。
といっても、取り上げたい作品はまだまだたくさんあります。
私、本当は短編が好きなんですよね。なのに、全然ご紹介できてません。
書きたくなったら、しれっと再開すると思いますので、そのときはよろしくお願いいたします。