婚約者は幼馴染の皇女に振り回されている
息抜きに書いた短編です。
随分前に書いたものですが、せっかくなので投稿しておきます。
私には婚約者がいる。幼馴染で三つ年上の公爵家の次男だ。帝国騎士団の第二師団所属の魔法騎士であり、そこそこ将来を期待されているらしい。その彼は、私と婚約をする前からずっと帝国の第二皇女様に振り回されている。
帝国の第二皇女、オルティシア様は現在十六歳。私より一つ年下だ。そしてオルティシア第二皇女殿下も、彼とは幼馴染という間柄だという。元々彼は皇太子殿下の友人だった。その延長線上に、たまたま皇女殿下がいた。彼からしてみれば幼馴染ではなく友人の妹でしかないということだが、皇女殿下が幼馴染だと公言しているため、周囲からはそう認識されているのだ。
彼と私、シグルド・ヴィクシードとリリーナ・ジルベスタが婚約をしたのは、五年前。私の実家はそこそこ歴史のある伯爵家。父は現在王宮で宰相補佐という立場で、なんとも微妙だと思うのだが姉からすれば、父はそのくらいがいいらしい。裏方の方が力を発揮するタイプだと。
そう父を称した姉だが、その当人はというと治療院で出会った子爵家の次男との婚約を勝手に決めてきた。子爵家の人が駄目だということではない。けれど、相手が悪かった。その人は稀に見る治癒魔法の使い手らしく、治療院が手放さなかったのだ。伯爵家に婿入りすることは出来ないと、はっきり言われた。伯爵家にはまだ私がいるので、ならば私が婿を取ればいいという話に落ち着いた。
「すまないな」
「別にいいですよ。その方が相手も早く見つかるでしょうし」
父から申し訳なさそうな顔をされたが、これは本心からの言葉だった。特別美人というわけではなく鳶色の髪に灰色の瞳という平凡な容姿。勉強は得意だけれどもそれ以外に秀でているものがない。そんな私が、どこかに嫁ぐとすれば利となり得るのは伯爵令嬢という点のみ。更に婿入りともなれば、貴族子息からはかなり魅力的に映る。古くから続く名家というのは、それなりに需要があるはずだ。
「だが、お前はそれでいいのか? お前がもし気になる人がいるならばこちらから打診することも出来る」
「……」
この時の私は、まだ十二歳だった。社交界デビューもしていないこの段階で、出会う男性など限られている。そんな状況下にある私が、誰を思い浮かべるかなどと一目瞭然だろう。それでも私は答えなかった。それが彼にとって迷惑になることだとわかっていたから。彼ならば、私でなくても良縁が望める。だからわざわざ伯爵家に来てもらう必要はない。それでもいないと断言はできなかった。これは私なりの意地でもあったのだろう。
何も言わず黙ったままの私を見て、父は溜息を共に立ち上がった。
「わかった。私にリリィにもツィーエにも不用意な婚姻をさせるつもりはない。だが、こちらはそうでも、あちらは違うかもしれない。打診は私からしておこう」
「え? お父様?」
「父に任せておきなさい」
「あ、あの⁉」
任せろと言って父はその足で屋敷を出てしまった。嫌な予感しかしない。けれども、私にはどうすることも出来なかった。
「リリィ、大丈夫よ」
「お母様、でもお父様は一体何を」
「ティッシのところに行ったのでしょうね」
「ヴィクシードのおば様のところへ?」
「えぇ。だってリリィはシグルド君のことが好きなのでしょう?」
確信を持って告げられた言葉。それを聞いて、私は顔に熱がこもっていくのを自覚していた。一度も口に出したことはないのに、バレバレだったらしい。
リリィとは私の愛称で、ツィーエは姉の名前だ。そしてティッシと母が呼んだのは、母の親友のティッシ・ヴィクシード公爵夫人のこと。その息子の一人がシグルドで、私の幼馴染にして初恋の人だった。
父の勢いに負けたのかどうかは定かではないが、これがきっかけで、シグルドとの婚約が確定した。
そうして婚約者同士になった彼と私。後に伯爵家を継ぐという立場にもなるということで、私は帝都にある女学院へ入学することにもなった。その前に婚約式を行うということで、帝都に向かい久しぶりに彼と会うことになった。
一年ぶりに会った彼は、身長も伸びてスラリとした青年になっていた。青みがかった銀髪に、薄紫と青の瞳。彼は左右瞳の色合いが若干違う。私は彼のこの瞳がとても好きだった。
「リリィ」
「シグルド様、申し訳ありません。父がその……」
「リリィが謝ることじゃない。それに俺としても、リリィが相手なら嬉しい」
「あ、ありがとうございます」
嬉しいと言って目を細めた彼は、私の手を取る。そして手の甲に口づけをしてくれた。婚約式も無事に終わり、名実ともに婚約者同士となった私と彼。誕生日や行事などは一緒に居ることが出来て、幸せな時間を過ごすことが出来た。彼が帝国騎士団に入団するまでは、仲が良い婚約者同士として認知されていたと思う。だが今は、その時間すら取ることが厳しくなってしまった……。
「リリィ、ごめんなさいね。シグルドが」
「いいえ、おば様。お役目ですから、仕方ありません」
今日は帝国の建国記念日。初日は、王宮でパーティーが開かれることになっていた。私も参加するのだが、そのエスコートをシグルドがしてくれる予定が、急遽エスコートできなくなったという連絡が来たのだ。それも当日になって。
「毎回だと慣れてしまいますし」
「本当にごめんなさい」
「大丈夫ですよ、それに……たぶん今は荒れていらっしゃると思いますから」
「そうねぇ」
シグルドの母であるティッシは遠い目をしていた。そんな様子を見て、私は苦笑することしか出来ない。
今夜のパーティーでエスコート出来ない理由は、第二皇女の我儘から始まったことらしい。彼は第二師団所属だけれど、第二皇女が権力を使って自身の専属護衛に任命した。本来なら皇族の護衛は第一師団の役割にもかかわらずだ。それだけでも十分なのに、婚約者のエスコートまで出来ない状況にされるとは、彼も大変だなと私は楽天的に考えていた。この感覚が当たり前でないのは、周囲の様子を見れば理解する。
実は皇女殿下の我儘によってエスコートができないというのは、今回が初めてではなかった。皇女殿下が社交界デビューしてからというもの、かなりの頻度で行われている。その度に、私は周囲から同情のような視線を注がれる。対して、彼は厳しい視線を浴びせられる。当然、彼もわかっていることだろう。きっと今回も同じようなことになるに違いない。そう思いながら私はパーティーに参加した。
「見て、シグルド様だわ」
「今回も第二皇女殿下が一緒なのね。婚約者がいらっしゃるのに、殿下も殿下ですわ」
「いえいえ、シグルド様だって同罪ですわよ」
小声で話をしているつもりなのだろうが、彼女たちの会話は私にも届いている。言いたいことはわかるけれども、それは彼の表情を見てから判断してもらいたい。今の彼は無表情だ。長い付き合いだから私にはわかる。あれはかなり怒っている。あれほどまでに怒らせるとは、皇女殿下もなかなかやるものだと、私は逆に感心さえしてしまっていた。
そうしていると、来賓だったであろう隣国の貴族子息が皇女殿下の前に立ちふさがった。お役目だからなのか、表情を一切変えずに彼が皇女殿下の前に出る。
「オルティシア! お前、一体どういうつもりだ!」
「あら? どういうつもりとは何のことですの?」
可愛らしく首を傾げながら皇女殿下が問いかける。貴族子息は拳を震わせながら、声を荒げた。
「お前は私の婚約者候補だろう⁉ なのに、何故いつもいつもこの男と一緒にいる! ここ半年ずっとだ!」
「それの何がいけないのです? 彼は私の専属護衛ですよ。一緒に居るのは当然ではなくて?」
「お前の横暴でやったのだろうが! 本来ならその男は護衛になどなれないはずだと聞いた! それをわざわざ連れてきて……それがどういう意味を指すのかなど誰にでもわかることだぞ!」
確かに一理ある。シグルドは専属に成り得なかった。それを皇女殿下が捻じ曲げたと言い切れなくはない。ふむふむと、他人事のように私は状況を見守る。
「どういう意味を指すか、ですか。どういう意味ですの? 私にはわかりませんから、教えてくださる?」
「おまえ……私を馬鹿にしているのか⁉ お前とこいつが恋仲だということだ」
貴族子息の彼が断言する。その瞬間、私はこれは駄目だと感じた。何が駄目なのか。そう彼だ。若干パーティー会場が涼しくなったのは気のせいではないだろう。見れば、彼の周囲には冷たい風が起こり始めている。彼は魔法騎士だ。その力を見たことはないけれど、優秀だということは聞いていた。ということはつまり、力も強いということ。どこかでピシリと何かがひび割れるような音が聞こえたけれど、きっと気のせいだろう。いやそうであってほしい。
「誰が、こいつと恋仲だって……?」
「え、いや、だからお前と、オルティシアが」
「自分のことを棚に上げて、皇女殿下を非難するとはいい度胸だな。呆れを通り越して称賛したくなる」
ただでさえ無表情だった彼が、更に剣呑な瞳になった。空気を読まない私は、格好いいと思ってしまったのだからかなりの重症だ。
それでも気になることはある。自分のことを棚に上げて、とは一体どういうことだろう。
「そうね、まずは自らの行いを省みることをお勧めするわ。まずはナタリー・マグレイア男爵令嬢と、シア・ギルストーン子爵令嬢だったかしら? あと、雑貨屋のリンという子に――」
「ちょっ、お前一体何を⁉」
「何も知らないと思っていたのかしら? 待っていたのよ、貴方がこうして仕掛けて来るのを。私としてはさっさと候補から外してもらいたかったというのに、一応貴方は隣国で王族に準ずるものだと許してもらえなかったものだから」
「え……」
「このような公式の場で、私に声を掛けたのだもの。それ相応の覚悟はおありよね?」
「な……そ、それはお前だって同じだろう⁉ そいつと――」
何を言おうとしたのかは私にもわかった。だが彼が冷たい視線を浴びせれば、その次の言葉を言うのを止める。言えばどうなるか、とでも思ったのだろうか。よく見れば、反論しようとしていた相手の貴族子息は身体が震えている。そしてそのまま床へと座り込んでしまった。オルティシア皇女は、扇で口元を隠しながら目を細めている。恐らくは笑っているのだろう。
「その辺でいいわよ」
「……」
「あと、そうね。一応、言ってみましょうか。ねぇシグルド」
彼が振り返って皇女殿下と視線を交わす。ほんの少しだけ胸が痛む気がした。私と並んでいるより遥かにお似合いなのだ。金髪碧眼美少女のである皇女殿下と、公爵家次男である彼。身分的にも釣り合っている。恐らくこの場にいる誰もが思ったはずだ。
「これからも私の傍にいてくれる?」
「……それはどういう意味で?」
「わかっているでしょうに。私から言わせるの?」
静まり返った会場。この場にいる人たちは皆、二人の会話に耳を澄ませているだろう。私も、その一人だ。聞きたくないけれど聞きたい。彼が何というのかが気になる。
「お断りします……世話を焼くのはこれきりです。これ以上はありません」
「冷たいわね」
「冷たくて結構です」
「酷いわ。ねぇお兄様?」
いつの間にか皇女殿下の隣に来ていたのは、皇太子殿下だった。皇太子殿下は困惑したように笑うと、皇女殿下の手を取る。
「この期に及んで続けられるお前の方が酷いと思う。まぁそれはいい。オルティシア、余興は終わりだろう? 踊ろうか」
「レディの誘い方としては及第点を上げられませんが、仕方ありませんわね。ここはお兄様を立てて差し上げます」
両殿下が中央に来ると、止まっていた音楽が再び開始される。何やら大変なことが起きたような気もするけれども、皇太子殿下は余興だと言った。たった一言で、先程までのやり取りが全て片付けられてしまう。尤も皇太子殿下にとっては本当に余興だったのかもしれない。
「リリィ!」
「シグルド様?」
皇女殿下から解放された彼は、両殿下がダンスに興じると直ぐに私の方へ向かってきてくれた。パーティーだから彼は正装だ。騎士団の正装は、隊服の上に裾の長いコート、胸には徽章を着けてマントを身に着けるようになる。このマントの色は師団によって違うらしく、彼は第二師団なので赤色を纏っていた。いつもの服装もいいが、正装をした彼は特別に映った。決して婚約者の欲目ではない、と思う。
「恰好いいですね、シグルド様」
「……第一声がそれか」
思わず漏れた本音を聞いて、彼は肩を落としていた。そんな様子が可愛くも見えて、私は笑い声を漏らしてしまう。
「すみません、つい」
「いや、リリィらしくていいよ。ごめん、エスコート出来なくて」
「大丈夫です。なんだか、色々と大変だったみたいですし」
「あー……まぁ」
大変だった、では済まされないような気はするが、きっと私には言えないことなのだろう。だから何も言わなかった。彼自身が社交界で不名誉な噂を流されていても、彼はそれに異議を唱えることもなく、私に弁解をすることもなかった。ただ、申し訳ないと。
単なる婚約者という間柄ならば、不誠実だと怒ったかもしれない。理由を教えて欲しいと迫ったかもしれない。それでもそうしなかったのは、私が彼を信じていたから。そして何より、彼が好きだったから。
疲労感を露わにしている彼を私は責めない。それを人は優しいと思うのかもしれないが、私はそのつもりはなかった。彼が皇女殿下と真実そう言う仲ではないと、確信しているからだ。一度たりとも、彼の心を疑ったことはない。何故ならば――。
「リリィ」
彼はそっと私の手を取る。剣を持つ彼の手は堅い。それは彼がこれまで努力を重ねてきた証だ。だから私は、彼と視線を合わせて微笑む。
「はい」
「俺は――」
そっと耳元で彼が囁いてくれる。その言葉が嬉しくて、私は満面の笑みを見せた。
「私も大好きです、シグルド様」
お返しの言葉を告げると、彼は笑顔を見せてくれる。他の人には見せない表情らしい。家族にさえここまで表情を崩すことはないと、以前彼の父親から言われたことがあった。私にだけ見せてくれる顔だと。私が他の人たちと違い彼を信じられたのは特別でも何でもない。きっと、それだけ彼が私に見せてくれていたからだろう。言葉だけではなく、彼自身の態度で。
「……はやく結婚したいな」
「私もですよ」
チラリと彼の背中から皇女殿下がこちらを見ているのが視界に入った。すると、彼女は私を見ながらにっこりと笑う。
『おかえしするわ』
皇女殿下の口がそんな風に動いていた気がする。私に読唇術の心得はないので、何となくだけれど。
ダンスの輪に入った私たち。心なしか、いつもよりも距離が近いように感じる。見上げれば、直ぐ傍に彼の顔があった。背伸びをするだけでその距離が縮まってしまう程に。
「あの、シグルド様?」
「どうしたんだい?」
「少し近くありませんか?」
婚約者同士とはいえ、今はダンスの輪の中にいて、周りには沢山の人たちの視線がある。注目されているのだ。そんな中でここまで密着に近い形でいられるほど、私の心は強心臓ではない。だが私の言葉に彼は口端を上げた。
「いいんだ。リリィは俺のリリィなんだから」
「シ、シグルド様っ⁉」
その笑顔は心臓に悪いと思いつつも、私は視線を逸らすことなどできなかった。
結局、ダンスの間はずっと傍を離れることもなかったシグルド。翌日には第二皇女殿下の護衛役も下りることになり、本来の役割に専念することが可能となった。婚約者候補だったという例の隣国の令息は、あの後事態を知った隣国へと強制送還され、皇女殿下との婚約話は白紙となったらしい。すべてはそのためだった。シグルドが皇女の専属護衛となったのも、私をエスコートしなかったのも。社交界の噂に至っても、そうなるように操作していたのだろう。
すべての片が付いた後、令嬢たちが集まるお茶会で私の親友は大きなため息を吐きながらつぶやいた。
「それにしても……」
「どうしたの?」
「リリィだから良かったものの、他の令嬢だったら婚約だってどうなっていたかわからない事態になってしまっていたのじゃないかしら」
「……そうかもしれないわね」