その4 分からない
女の助けを借りて、俺はカウンター席へと腰を下ろす。隣にはその女も座り込む。
ウエイトレスはというと自分の仕事に戻っていたし、渋い店長は静かにコップを磨いていた。
ちなみに俺が割ってしまった窓には段ボールとテープが貼られていて、見るも無惨な様相を示している。外に散らばったガラス片は掃除されたらしく、そのガラス片による怪我人もいないらしかった。
いやあー、良かった良かった。……うん、マジで……。
「ほわあ……相変わらずうまいっすねえ、ここのコーヒーは……」
淹れられたコーヒーを飲みながら俺は一息つく。熱々の淹れたてであり、さっきの疲れを癒してくれるようだった。
近くで聞いていた店長も表情こそ変えていなかったが、どこかしら満足げな雰囲気を出していた。
……と、そこで隣に座っていた女がつぶやくように口を開いた。顔は前のほう……やや下を向いて、カウンターに置かれている砂糖瓶を見つめている。
「……彼は、どうなったんでしょうか……?」
『彼』というのは、さっきの貴族男のことだろう。彼女はこちらを向いてはいないが、その問いは間違いなく俺に向けられていた。
「……いま頃は病院のベッドの上じゃないですか? 救急馬車は呼んどきましたけど、それが来る前に俺はそこから離れましたから」
いままで何度もトラブルに出会ってきた経験則だ、そのままそこに居続けたら病院の連中や官憲に事情を聞かれて面倒なことになる。だから早い話が逃げてきたわけだった。
逃げるが勝ちってね。
「……そう……ですか……」
俺が男を自然公園で気絶させたことは、ここに戻ってきて土下座をする前に簡単に話してはいた。そもそも俺の無事な姿を見て、女もウエイトレスも店長もある程度の予想はついていたらしいが。
「……すみません……私達の問題に巻き込んでしまって……」
「貴方が謝る必要はないですよ。全部あの男が悪いわけで」
「…………」
あの男は自身に起きたこと……俺にやられたことを誰かに話すだろうか? 分からない。だが、話さない可能性は充分あるだろう。
それを話すことは、すなわち名門貴族の自分がそこら辺の底辺冒険者の俺に負けた恥を広めることに繋がる……そう考えるかもしれないからだ。
プライドの高そうなあの男が、これ以上の恥の上塗りをしてまで話す勇気があるだろうか? ……っていうことだ。
「……彼……前は優しかったんです……婚約が決まって会った初めの頃は……でも最近は会ってもほとんど話もしなくなって……」
つまり、その時にはもう、さっき言っていた他に結婚したい奴が出来ていたってことだ。
そして俺にはその女の気持ちが分からない。