その3 ずーん……
男の身体は最初動かなかったが、やがてふらふらと立ち上がり始める。気絶してなかったのか、意外とタフな野郎だ。
「……お、お前、この僕にこんなことして許されると思ってないだろうな……僕の家なら……」
ダメージ自体はちゃんとあるらしい。足ががくがくしていた。
「お前ってずっとそればっかだな、家が家がって。それしかないのかよ」
「……何だと……?」
「お前から家柄を取ったら何も残らない。お前はその程度の奴だってことだよ」
「……っ⁉ ぼ、僕を馬鹿にするなァッ!」
叫んだ男が剣を振りかぶって迫ってくる。剣聖スキルによる剣技も発動させていない、ただの剣撃。いや剣技を使う余裕がないということか。
縦に振り下ろされるその一撃を、俺は最小限の動きで回避する。そして同時に握りしめていた拳を男の隙だらけの腹へとめり込ませていた。
「……グ、ハァ……ッ⁉」
とてつもない衝撃が駆け抜けたのだろう、男は開けた口から唾を飛ばしながら剣を落とす。そして腹を抱えるように手を当てると、僅かに後退した後に地面に膝をついて、そのまま前のめりに突っ伏してしまった。
微かに痙攣はしているが、男自身の意志ではピクリとも動かなくなる。今度こそ本当に気絶したらしい。
「……やれやれ、やっと終わったか……」
流石に死ぬことはないと思うが、一応救急馬車でも呼んどいてやるか。通信する為に懐から小さな長方形のサポートアイテムを取り出して、それを使おうとした時に思い出した。
「あ、やっべ……カフェの窓、割っちまってたんだった……」
窓の弁償費用っていくらくらいすんだろうか? ずーん……と気が重くなってしまった。
約三十分後。俺はさっきのカフェの床に正座をして頭を下げていた。土下座ってやつだ。
「「「…………」」」
すぐ前には店長とウエイトレスとさっき男から婚約破棄された女。店長はいつも通りの真面目な顔、女は心配そうな顔、ウエイトレスはやや頭にきているような顔をしていた。
「あの、その、すいませんっしたーっ!」
とりあえず謝っとく。ウエイトレスの声が降る。詰問するような強めの口調だ。
「何がですか?」
「いや、その、窓割っちゃったんで……」
「なるほど。で?」
「弁償します、いやさせてください」
「よろしい。顔を上げてもいいですよ」
許しが出たので俺は顔を上げる。いやー許してもらって良かった良かった……と思ったがすぐにまた頭を床に擦りつけていた。
「おやどうしたんですか? もう土下座しなくてもいいんですよ?」
声こそ優しくなっているが、その実は違う。ウエイトレスの顔にはムカッを表す感情……漫画的な表現をするならあの独特な斜めの十字マークがあった。
口元こそニッコリしていたが、目は笑っていない……そんな声音で言ってくる。
「他のお客さんから聞きました。ジークさんっていうんですね、他のお店でも度々トラブルを起こしてるとか」
「いやーあはは……それはですね……」
土下座しているから俺の顔は見られない筈だが、それでも目が泳いでしまう。やべえ、またここも出禁にされちまうかもしんねえ……。
と思っていたら、小さな溜め息が聞こえた。怒りを鎮まらせた声になる。
「まあ、いいでしょう。店長も許してますし」
「ほ、本当っすか⁉」
俺は顔を上げる。ウエイトレスは店長に顔を向けながら。
「ですよね、店長」
彼女の言葉に、店長は一つうなずいた。そしてそれだけすると、またカウンターの向こうに戻っていきコーヒーをカップに淹れていく。
店長が無言でウエイトレスを見て、視線を受け取ったウエイトレスが俺に言う。
「『注文のレッドリバー。冷えないうちにどうぞ』ですって」
て、店長……っ。渋いぜ……っ。
よっこらせ、俺は立ち上がってカウンターへと向かおうとする。が、ずっと正座をしていたからか、足が痺れてふらついてしまった。
「おっとと……」
思わずまた床に手をつきそうになる俺の身体を、近くにいた婚約破棄の女がとっさに支えてくれる。
「あ、すんません、ありがとうございます」
「……いえ……」
女は気まずそうに視線を逸らしていた。