その125 安アパートのベランダで
下水道のクエストが終わってから、約一時間後。俺は自宅安アパートのベランダで、ぼろぼろでいまにも壊れそうな桟にもたれて街の景色を見るともなく眺めていた。
すでにシャワーは済ませたし、洗濯も終わらせて、すぐそばでは干した衣服が午後の風になびいている。乾ききっていない髪が風を受けて、どこか心地良い……若干上の空ではあったが。
「ロン! っしゃー、一発逆転したぜ!」
どこかから大家の声が聞こえてくる。あのギャンブラー、相も変わらず麻雀しているらしい。
「……やれやれ……風情がねーなー……」
俺は体勢を変えて、背中を桟にもたれさせる。頭上を見上げると、いつも着ている服がばさばさとなびくのが見える。
なんてことはない、普通の日常、危機感のない、穏やかな午後の日差し、静かな街の一角。昨夜の命懸けの戦いとか、さっきまで暗い下水道にいたのが嘘のような、普通の光景。
アパートの他の部屋からは、ちょくちょく大家の声が聞こえてきている。
「……ま、こういうのもありかもな……」
目を閉じて、そうつぶやく。たまにはこんな穏やかな日も悪くないもんだ。最近はずっと何かと戦いっぱなしだったからな。
そう思っていると……背中側、ベランダの桟の向こう側に、誰かが立つ気配。俺は目を開けて、ゆっくりと振り返る。
「……ファラ……」
そこにいたのは、ファラだった。シャワーを浴びてきたのだろう、髪はまだ乾き終わっていないようで、服装もさっきとは違っていた。
「……シャケは保護出来たんだな?」
分かりきっていることを、俺は尋ねる。彼女もまた、分かりきった答えを述べる。
「……はい。ギルドの方々が保護して、洗浄したあとで数日掛けて調査するようです。そのあとで、再び野生に返すとのことでした」
「そうか。……ファラも一度家に帰ったのか?」
「……はい。ここへは馬車で来ました」
彼女の背後に目を向けると、彼女の屋敷専属の馬車と執事がいた。馬車のドアのそばに控えて、いつでもまた出発出来るように心構えしているようだった。
「……わざわざベランダ越しに話し掛けてくるとはな。ドアの呼び鈴を鳴らしてくれりゃあいいのに」
「……馬車の窓から見えましたので……」
ドアまで行って呼び鈴を鳴らす時間も惜しかったってか?
「それで? 何のようだ? さっきのクエストの経過報告をしにきた……ってだけじゃないんだろ?」
「それは……」
彼女が言おうとしたとき、俺の腹の虫が鳴る。真面目な雰囲気がぶち壊しだが、まあ馬鹿な俺にはお似合いだろう。