その118 びちびちびちびち
ファラがパイプにしっかり掴まり、来たるべき衝撃に身構えたのを確認して、俺は両の足に意識を集中させた。まずは地面を踏み込むための右足に力を込めて……。
溜めた力を一気に解放するイメージで、瞬間的なダッシュを実行する。地面を思いきり踏み込んだドンッ!というような衝撃音や、空気を切り裂くようなバヒュンッ!というような風切り音が耳に届いたのと同時に、俺の身体は水中を泳ぐ何かの横に並んでいた。
「ちっと痛いぜ」
俺は横に並ぶそいつへと拳を構える。
厳密には、俺には水中にいる相手に攻撃する手段はほとんどない。己の身体を武器とする以上、仕方のないことではあるが……しかし、ほとんどないというのは、全くないということではない。
その一つが、いまから俺が奴にしようとしていることだった。俺は構えた拳を、全力で奴へと振り抜く。
つまりは、毎度おなじみの拳圧弾だ。拳を振り抜いた衝撃波は水上のみならず水中を吹き飛ばして、水中にいたそいつの身体を空中へと放り出す。
水中では自由自在に動き回っていたそいつだったが、空中では成す術を持たなかったらしい。びちびちと身体を小刻みに動かしながら、そいつは向こう岸の通路へと吹き飛んで、整備された固い地面へと落ちていった。
びちびちびちびち。
そいつはそれ以上、別段これといった反撃をしてくることもなく、小刻みに身体を動かし続けていた。それもそのはず、何故ならそいつは……。
「……ただの魚……シャケか……?」
魔物でもオカルト的な怪物でもなく、本当にただの魚だったのだから。魚屋で並んでいるのをよく見る、シャケに間違いなかった。
「だがなんでシャケが……?」
「川を上っていたら、下水道に迷い込んだ……とかでしょうか?」
俺の元へと駆け寄ってきたファラが推測を述べる。幸い、俺が事前に注意していたから彼女はなんとか衝撃波を耐えて、吹き飛ばされたり下水に落ちたりはしなかったようだ。
「そんなこと、あるのか……?」
「さあ……でも、実際にこうして目の前にいるわけですし……」
「それは、そうだが……」
シャケは産卵のために川を上ると聞いたことはある。もしかしていまがその時期だったとかか……詳しいことは分からないので、あとで調べておく必要はあるだろうが……。
向こう岸のシャケから俺へと顔を向けながら、ファラが言ってくる。
「とりあえず、あのシャケ、どうしましょう? あのまま放っておいたら死んでしまうかもしれませんし……」