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荒れ廃れたこの場所で  作者: SET
1章 偽悪
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荒れ果てた土地で(6)



 本当に、切りやがった。

 ……切らせちまったのか? 俺が?

 体は男を追うが、どうでもいい自問が頭の中で広がっていく。

 窓枠に飛びついて下を覗くと、市街地の方に走り去っていく男の後ろ姿が見えた。追おうと窓枠に右足を掛けた時、踏ん張った左足が滑りそうになった。疑問に思い振り返ると、あおいの首から吹き出した血が、辺り一面に広がり始めていた。ど素人でも分かる。一分一秒でも早く止血しないと、死ぬ。

 室内に戻り、あおいを仰向けにさせると、痛みからなのか目尻に涙を浮かべたあおいが、口を小さく動かした。声が出ていない。まさか声帯まで逝ったのか? ……違う、一時的なものだ。そこまで深くない。相手も焦っていた。深くない。焦る拓真は、あおいがもう一度口を開いたのを見て、ようやく次に自分がするべき行動を思い出した。止血だ。タオル。そう唇が動いている。急いで荷物に飛び付き、適当な店で買ったタオルを取り出した。

 急いで傷口を抑えにかかる。首には止血点がないと聞いた。どこを押さえればいいか分からないので、首を絞めない程度の強さで患部を圧迫した。

「あおいっ、血なんか気合いで止めろっ! 今俊介が手配してる。すぐ病院に行けるから!」

 あおいの頬が少し動いた。無茶言うなとでも言いたいのだろう。そんなことを気にする余裕のない拓真は、あっという間にタオルが血で濡れ始めたのを見て、汗が体中から吹き上がってくるのを感じた。

 相手は本当に焦っていたか? 銃を脅しとしてしか使えない自分を見て、銃を握る手が微かに震えていたことに気づいて、せせら笑っていなかったか? せせら笑いながら、ゆっくり、確実に引き裂いたのではなかったか――?

「なんでもいいから、死ぬな。俺が悪かった。俺が……俺がもっと銃撃の練習しとけば……あの男を殺すつもりで撃ててれば、あの男を仕留められてたんだ! だから……だから、そんなんで死ぬな!」

 怖いんだ。

 自分の手で、他人の命を奪うことが。他人の上に成り立って生きることが。他人を殺して奪ってまで、生きる価値がある存在なのか、自信がない。それに母親を殺した連中と同じ境遇に堕ちたくはない。

 しかしそれで。それで仲間の命を失いかけるなんて、絶対に嫌だ。

 失うくらいなら、こんなつまらない恐怖なんて捨ててやる。


 唇を血が出るほど噛み締めながら首元を抑える自分が、あおいにどのように見えたのかは分からない。でも確かに、あおいには心中を見透かされていたと思う。悲しげな瞳をしたあおいが、拓真の腕に縋り付くように右手を伸ばし、首を微かに左右に振っていた。

 しかし、その時の自分に気付く余裕はなかった。

「拓真、どいて! 担架で運ぶ!」

 慌しい声とともに扉が開かれ、俊介の後から救急隊員と思しき人物が二名、部屋に入ってきた。

「酷いな……」

 救急隊員はそう呟いた後、拓真の泣きそうな目を見て咳払いをした。

「とにかく、病院だ。おい、永田。輸血の準備させとけ。今すぐにだ。弟君、この子の血液型とか、情報が分かる書類は!」

「あります。出生時の情報でよければ」

「十分だ」

 俊介が鞄に取り付いて書類を漁り始めたのを背にこちらを見つめた救急隊員の顔は、切羽詰まっていた。

「担架に移す。せーので持ち上げるぞ。合わせて」

 拓真は掛け声に合わせて、あおいの体を担架に移した。電話をかけていた救急隊員が電話を切り、代わるよと担架と拓真の間に体を割り込ませてきた。

「あ、あの……助かりますよね?」

 その背中に、訊いた。

「……」

 苦い顔をした隊員は、答えなかった。

「永田! ボヤっとすんな。階下に車が乗り付けてる。急げ」





***





 翌朝になっても、その翌朝になっても、あおいは目を覚まさなかった。

 三日目の朝。

 目の下に隈を貼り付かせた拓真は、首を包帯で覆われたあおいの手を握っていた。まだ死んではいない。だが、目が覚めてもいない。

 一命を取り留めたのは奇跡。医者は断言した。病院への収容が早かったのと、輸血用血液の充足、そして本人の生命力。三つがたまたま重なっただけだ、と言った。つまり、俊介が警察と共に、最悪の場合を想定して救命病棟への収容を要請していなかったら、死んでいたということだ。異変に気付いたのは、帰り際。拓真たちも妙な集団に襲われ、辛くも逃げ果せた所だった。あおいにも同様の危機が差し迫っていると考えたのも俊介。通報したのも俊介。ここにあおいを転院させ、守りを固めるため浮浪者を金で掻き集めてきたのも俊介。何もかも俊介のおかげ。

 ここは街の中でも小規模な部類に入る個人開業医院。腕は確かで設備も最新に近いものが取りそろえられているが、浮浪者だろうと何だろうと誰彼なく受け入れるために、一般の人々はあまり近寄らないし、実際入院しているものは一人もいなかった。町の守備隊が本気になれば一般市民を巻き込んでもある程度は事故として揉み消されるため、俊介がここへの転院を希望したのもそれが理由だった。そして今、周囲は浮浪者が巡回している。知己のネットワークと貯めてきた資金を最大限に使った俊介が、集めてきた者たち。彼らには安全な場所からの狙撃を要請している。金のために命を賭けるとは思えないし、大体、危なくなったらすぐ逃亡されても、文句は言えない給料だ。

 それでも、すごいなと思った。素直にそう思った。これが今まで二人で生き抜いて来た者の手並みなのか、と。街の守備隊のいざこざには、自治の名目で警察は手が出せない。極度に進みすぎた地方自治は国家転覆を恐れる政治家たちにより野放しにされてきた。守備隊と警察は犬猿の仲だが、いくら警官でも、個人の裁量で動いたら、守備隊に拘束される。保護を求めても逆に突き出される。誰にも頼れない。そんな状況で、これ程までに手際よく守る体制を整えられるとは思いもよらなかった。

 比べて自分は、どうすることもできなかった。あおいは、気づいていただろうか。あおいを盾にされ、銃を持つ手が震えていたことを。男を狙った弾が、あおいを殺傷するかもしれない。牽制に撃った弾も、もしかしたら人を殺してしまうかもしれない。人と殴り合いの喧嘩をするのは慣れていたが、銃は違う。急所に当たらずとも、一撃で出血多量や臓器の機能停止を引出し、相手の命を奪うことだってある。そう考えると、どうしても撃てなかった。だがそれが。その甘えが、本来なら人質を盾にするまで追い詰められていた筈の相手に心理的余裕を与え、あおいの首筋を切らせてしまったのだとしたら。

 眠れなかった。もし目を閉じている間に、もし眠ってから起きた時に、あおいが死んでいたら。自分を信頼して助けに向かわせてくれた俊介に、何より状況の打開を期待していたはずのあおいに、申し訳が立たない。今の自分にできることは、敵の襲撃を見張り、襲撃を受ければ敵を殺して、昏睡状態にあるあおいの目覚めを待つ。それしかない。もう躊躇ってなんていられない。


「……まだ寝てないんだね。少し、眠ったほうがいい。睡眠不足は集中力を鈍らせる」

 病室の扉が開き、歩み寄ってきた俊介が言った。この部屋にベッドは二つあり、一つにはあおいが寝ていて、一つには拓真が腰掛けていた。俊介はその隣に腰を下ろした。

「眠れねえんだって」

「もう聞き飽きた。ほら、これ」

 錠剤のようなものを俊介が右手に握らせてきた。

「見張りは任せといて貰っていい。慣れてるし、他の浮浪者だっているんだから」

 それからまた、立ち上がった。そのまま出ていくかと思えば、ドアを閉める前に軽く笑って、振り返った。

「……意外だよ。二ヶ月行動しただけなのに、姉ちゃんのこと、そんなに心配してくれるなんて。仲悪そうだったけど、そんなことないのかな?」

 茶化すような言い方に、反論しようと口を開きかけたが、今度こそ、扉が閉まった。

 拓真は溜息を一つ吐いてから、手のひらに押し込まれた錠剤を、水もなしに飲んだ。ついでに、あおいを助けられなかった自分を責めも怒りもしない俊介に対する引け目も、呑み込んだつもりになって。





 

 錠剤を飲んでしばらく経つと、たちまち眠気が襲ってきた。さすがに三日寝ていない身には、薬も効果を働かせてくれた。

 それから何時間か眠り続けたらしく、気づいた時には夕暮れ時になっていた。

 頭が痛い。どうにか体を起こすと、まず、あおいを確認した。まだ眠ったままだった。だが、死んでもいない。胸をなで下ろして、いつの間にか脱いでいた靴を捜し当ててから、部屋を出た。窓はなく一面が壁の廊下を歩き、俊介たちがいるロビーへ歩いて行った。

「しっかしあのあおいが一方的にやられるなんてのぁ……とんでもねー相手だな。勝てんのか。この面子で。表に居る奴らは危なくなったらすぐ逃げ出すぜ?」

 ロビーから聞こえてきた声を受けて、拓真は足を止めた。確か俊介の知り合いの一人だ。

「でも、助かりましたよ。岩崎さんがこの街に居てくれなかったら、ここまでは集められなかった」

「まーお互い様ってこった。冬島の名前には世話になったかんな。俺ぁもう抜けたけど、おやっさんの組織は今でも成長してるらしいし。黎明期を支えたのは間違いなくお前たちだよ。お陰で、お前らが抜けた後も仕事がやりやすかった」

「……あのですね。その話、彼の……拓真の前ではしないでください。お願いします」

 自分の名前が出て、拓真は心臓を一度弾ませた。そしてさらに聞き耳を立てた。

「あ? ……あー、まだ言ってねえのか」

「……生きるためとはいえ、殺しすぎました。拓真は一人で生き抜いてきたけど、まだ殺しはしていないんです。そんなこと言ったら、絶対軽蔑されるに決まってるって、姉ちゃんがどうしても、嫌がって。姉ちゃん、気に入ってるんですよ。拓真のこと」

「へぇ。珍しいこともあるもんだ。ま、何にせよ玄関は絶対に死守してやる。大船に乗ったつもりでいろよ。なぁ、大島?」

「ああ」

 そこで、話が終わった気配がした。拓真は二人のことを聞けず残念な様な、しかしどこか安心してもいるような心境で、歩くのを再開した。


「あ、拓真。よく寝れたみたいだね。顔がすっきりしてる」

 ロビーに姿を見せると、俊介はいつものように笑い掛けてきた。拓真も釣られて、笑みを返す。

「まあな。さすがに三日はキツい。動きはあったのか?」

「……うん。狙撃してた奴が一人……射殺した。でももう一人は逃したらしい。来るなら今夜だと思う」

 言いにくそうに、俊介が声を籠らせた。

 余計な気遣いだ、と思った。もう今は、敵が死ぬことに対してなんとも思わない。こっちが、殺されかけたんだ。このまま黙って撃たれてやる義理はない。

「いいって。仕方無い。こっちだって殺されかけたんだ。……殺し返して、何が悪い」

 最後に冗談めかして付け加えようとした言葉が、自分でも信じられないくらい、硬質な音声で再生された。

 俊介が、心配そうな目をこちらに向けていた。

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