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荒れ廃れたこの場所で  作者: SET
終章 その笑顔が
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その笑顔が(10)



 エペタムに戻ってからは、今までの安穏とした生活が、タチの悪い夢だったように思えた。

 突然戻ってきた一時除隊者。しかもまだ十九のガキ。そんな女が、自分たちが忍耐に忍耐を重ねて準備してきた計画に最後の最後だけ参加し、部隊を指揮する。憎悪に似た妬みが、部下たちの目には例外なく宿っていた。

 私語が可能な場面では面と向かって罵られ、あおいが苦心して立案した作戦の無視は当然のように行われた。別の男性上官に指示を仰いだ結果、自らが片腕を失ったり、同僚が死亡したりした時には理不尽な恨みを買った。戦争が進み死者が増えるにつれ、憂さ晴らしに殴られたり、蹴られたりも当たり前になって行ったが、甘んじて受け入れた。

 しかしそれらが性的な暴力にまで及ぼうとした時、さすがにあおいも抵抗した。三人に囲まれた時はいつもの事かと思ったが、服にまで手をかけられると意図に気付き、下着姿になりながらもかろうじて逃れることが出来た。襲ってきた三人の頬骨や顎、あばらを砕いて責任を問われたのはもちろんあおいで、中隊長から一兵卒にまで格下げされた。それからは味方陣内であろうと拳銃を携帯し、威嚇に取り出したこともあった。敵陣ではいつも周りを警戒し、味方陣内に戻っては味方の暴力を警戒して野営地から遠く離れた場所で孤独に眠る。いちいち悲しむ気力もなく、誰とも口を利かなくなった。

 その間、拓真の名前を何回呟いただろう。拓真に感化され人を殺すのが苦痛以外の何物でもないうえにそれらの些事が重なり、毎日が嫌で嫌で仕方なく、最後には敵に撃たれて死にたいと願うようになった。そしてそう願い始めると、戦争はあっけなく終わった。

 戦後は雑務処理に回されたが、鬱屈した気持ちは晴れることなどなく、俊介はその頃に「拓真は生きてる」と言い出した。慰めるための気休めなら、なんて残酷な言葉だろう。あおいは俊介を憎んだ。しかしそんな感情を抱えながらも、拓真が生きているかもしれないという期待は、意図せずとも日増しに大きくなっていった。

 今、目の前には拓真が居る。

「エペタムにいるのはもう嫌……」

 逃げないようにきつく、きつく抱き締めてもそれは現実的な感触を伴っていた。とても、温かい。

「まだ退職できないのか?」

「今は、簡単にできると思う」

「さっさとやめろよ。エペタムなんて」

 強い口調で言った拓真の声が耳朶に響き、あおいは唇を噛んだ。また涙が零れていくのを感じた。

「うん」

「何があった? なんでそんなに、泣いてんだよ」

「あたし、エペタムでは、嫌われ者だから」

 これだけ泣いても、笑われない。いくら言葉を零しても、無視されることはない。それだけで、あおいはどうしようもなく嬉しかった。

「つらかった」

 嗚咽が邪魔をして、なかなかうまく話せない。あおいはその言葉を絞り出した後、しばらく黙って拓真を抱きしめていた。


 初めにすれ違った職員に泣き顔を驚かれると、拓真は自分の着ている上着を脱いで渡してくれた。混雑している支部の中、あおいは上着に顔を押し付け、拓真に手を引かれるまま玄関を出た。

 拓真に礼を言って上着を返してスロープを下り、車のほとんど止まっていない駐車場まで歩いた所で、立ち止まった。言葉を交わし合っていた四人が、あおいを笑顔で迎えてくれた。その様子にまた、涙が出そうになって堪えた。

「平気か?」

「ありがとう、凛。拓真を、守ってくれて」

「別に、私達はちょっと力を貸しただけで……。でもこれで、少しは恩返しができたかな」

「少しどころじゃないよ。彰も、未由も、こんなところまで、ありがとね」

 声をかけると、彰は曖昧に頷き、未由は「無事でよかったです」と返してくれた。

 あおいはスーツの袖で両目を擦り、大きく息を吸って吐いた。冬の冷たい空気が肺に回ると、少しだけ気分が良くなった。

「みんな、そろそろ列車が出る時間だから、駅まで行かないと」

 挨拶が終わったのを見計らって、俊介が声を上げた。彼はあおいを一瞥しただけで歩きはじめ、それぞれが俊介に従った。

 四人と話したいことはいくらでもあったが、その前にあおいは、道中ほとんど口を利いていなかった俊介の隣に歩み寄り、謝った。

「疑ったりして、ごめん」

 俊介は気にしていないと答えるだろうし、卑怯な謝罪だとは思ったが、謝る以外にどうすればいいのか分からなかった。

「姉ちゃんさぁ、最初にあの部屋で会った日、自分がなんて言ったか覚えてる?」

 しかし予想とは裏腹に、俊介は怒ったように言った。意外な言葉が返ってきて戸惑ったが、すぐに記憶を巡らせる。

 俊介のせいで、拓真は死んだ。あの時は残酷な気休めに激昂していて何を言ったかほとんど憶えていなかったが、その言葉だけは確かにぶつけた覚えがあった。しかしあれが、本当の事を言っていた俊介に対してだとしたら、自分の方がはるかに残酷な物言いだった。

「あれ言われたら、僕だって怒る。実際、あとひとこと付け加えられてたら殴ってたし」

 何も言えずに、黙り込むほかなかった。俊介は見えてきた十字路を左に曲がり、スーツケースが後に続いた。歩調を少し緩めたあおいは、その後ろについて、歩く。少し時間を置いて、また謝ろうか。言葉が行き違えば更に怒らせてしまうかもしれないが、列車の中で、無様な言い訳を並べたてようか。十年、共に暮らしてきても、弟に対してあんな言葉を吐き捨ててしまったことなどない。あおいは対処に迷い、駅が見えるまでずっと考え込んでいた。

 雨ざらしの小さな駅のホームに上がるための、十五段程度の階段に近づいた時、先に階段を上り、段差に躓いたスーツケースを抱えようとした俊介と目が合った。何か言おうとしたが、尻込みしてしまって上手くいかず目をそらして、自分のスーツケースを抱え上げた。

 そんな自分を見て、俊介は溜息を吐いた。

「でも、許せないほど怒ってたら、その時点から何も干渉しないよ」

 階段を上り切ってホームに上がると、立ち止まってあおいを待っていた俊介は言った。

「姉ちゃんがいなかったら僕は七歳の時に死んでる。何があったって、関係を断ち切ったりなんてしない」

 俊介は、ホームの真ん中にぽつんと設置された三人掛けのベンチまで歩き、座る。あおいも心持ち早足で俊介の後を追うと、彼の隣に座った。

「話、終わったのか?」

 俊介の様子を窺おうとすると、後ろから拓真の声が聞こえた。追いついた拓真たちが、ベンチを囲んでいた。凛に勧められ、三人掛けのベンチの最後の一席には未由が座る。

「うん」

 正面の線路に目を落としたままで、かじかむ両手を擦り合わせる。沁み出した温かさに、あおいは小さく笑んだ。




***




 陽が沈みかけた頃、甲府駅に着いたあおいたちは列車を降りた。エペタムの職員カードを提示し、他の四人のことは詮索しないでほしいと伝え、降車許可をもらった。詮索するのが仕事だ、と駅員は言いたそうにしていたが、基地があるこの街でエペタムの職員に詰問するような命知らずはいない。こういった特権も、元反乱軍の大部分がエペタムに不満を抱いている原因なのだろう。しかしその特権は、辞表を提出することでもうすぐなくなる。最初で最後の権力行使くらいは許して貰えるはずだ。

 あおいと俊介は明日まで休暇が取ってあるため、今日は甲府にある安いホテルに泊まることになり、一人用の部屋を、二人ずつに別れて三部屋借りた。そして未由の顔色が悪い事に気付いた俊介が、今日は疲れを取るのを優先しようと提案し、全員が同意した。

 部屋の扉近くの電気のスイッチを押すと、三和土(たたき)から少し離れただけの場所に、灰皿の載ったテーブルが置かれているのが目に入った。テーブルの向こう側には広めのスペースがあり、その奥に一人用の小さめなベッド。駅の近くで買ったおにぎり弁当の入った袋を、背の低い四脚テーブルに放り、スーツケースは脱いだ靴の隣に立てた。

「拓真、どっちがベッド使うか、じゃんけんしよ」

「じゃんけんって……結構前に、教えてもらった奴?」

「そう、それ。いくよ、じゃんけん……」

 いきなり始めると、拓真は慌ててグーを出した。あおいはパーを出していた。

「あたしの勝ち。ごめんね」

 あおいはそう言ってテーブルの反対側に回り込み、座った。

「あのベッド、二人でも寝れんだろ」

「ぴったり隣り合わないと無理だよ、こんな大きさじゃ」

「いいなそれ。あったかそうだし」

「嫌。掛け布団は多めにあげるから、空いてる場所で寝て」

 はっきりと断り、おにぎり弁当をビニール袋から取り出した。拓真も大してベッドに執着せずに席につき、おにぎり弁当の薄いプラスチックのふたを開けた。

「ホント、久しぶりだな。こーやって面と向かって飯なんて食うの」

「うん。あたしは誰かと一緒に食べるの自体、久しぶり」

 おにぎりの隣に詰められた鶏の唐揚げを、手掴みで口に放り込んだ。昼食は抜いていたから、冷めて固くなった唐揚げでもおいしく感じられる。お互いの顔や手をぼんやり眺めたり、意味もなく部屋を見回したりしながら顎だけを動かす。塩が少しだけ利いたおにぎりの中には、おかかが入っていた。

 ほとんど同時に弁当を食べ終えると、容器を潰してビニール袋に突っ込んだ。することはなくなったが、このまま眠ってしまうのはなんだかもったいない気がした。何か話をしたいと思い、少し気になっていたことを話題に上げた。

「あの日まで使ってた拳銃と小銃は、持ってきてないの?」

「あの街はどの勢力にも襲われなかったし、生活の足しにするのに、銃の廃棄所みたいな所で売った。性能悪いみたいで売値は安かったな」

「そっか。そのほうがいいよ」

 あおいは拓真が銃を使っていないことに胸を撫で下ろした。紛争であの街が襲われたとすれば、拓真は使っていたかもしれないと思っていた。

「このままエペタムが治安の安定化に成功したら、そんなもの必要なくなるから」

 エペタムは元々、前世紀に戦災で居住地を失い、政府から救済を受けるどころか被差別対象者として仕立て上げられた放浪者が、差別や飢餓から身を守るために立ち上げた集団だった。世代を経て、反乱軍として膨れ上がってからは利権目的の腐った連中なども混ざりこんできてはいるが、エペタムがリーダーのまま統治していけば、当然、前戦時からの差別政策が順次撤廃されていくことになる。国籍を持つ放浪者も、国籍を持たない放浪者も、前政府によって国籍を奪われた放浪者も、他者から奪わずに生きる術を得て治安は改善されていく。自衛のための武器もいらなくなる。

「同僚すら粗末に扱う奴らが、そんなことできるなんて思えねーけど」

 拓真は眠そうに言った。

「そうかもね」

 笑顔が自然に零れた。そこで話は途切れ、疲労を取るため早めに眠ることになった。

 部屋の照明をオレンジ色の灯りに切り替えベッドに入ったが、寒さでなかなか寝付けず、苛立ち交じりに唸った。拓真のほうへ顔を向ける。彼はけばけばした絨毯の上に直接仰向けに寝転がり、あおいが多めに渡した毛布をかけている。彼もまだ眠っていなかった。視線に気づいた拓真と目が合うと、あおいは壁際のほうに体を寄せた。毛布を渡し過ぎて、自分が寒いとは言い出せなかった。

「もしかして、寒くて寝らんない?」

 後ろから声が聞こえもう一度拓真の方を振り返ると、彼が半身を起してこちらを見ていた。

「うん。毛布、意外に薄くて」

 正直に答えた。

「じゃあ一枚返すよ」

「拓真も寒くて寝られないんでしょ? いいよ」

「返す」

「いい」

「返す」

 眠くて苛々していたあおいは、溜息を吐いた。

「やっぱりベッドに上がってきていいよ。それなら毛布がまとまって暖かいから」

 拓真が毛布を持って立ち上がり、元ある毛布に持ってきた毛布を被せ、ベッドに入ってきた。あおいはなんとなく恥ずかしくなって壁際に寄った。気配が近い。いつもより少しだけ、鼓動が速くなった。

「明日何時までに出るんだっけ?」

「七時半」

「わかった。おやすみ」

 その言葉のあと、隣から寝息が聞こえ始めるまで時間はかからなかった。

 あおいは一瞬でも緊張した自分が馬鹿らしくなり、壁際から拓真のほうへと寝返りを打った。そして部屋側を向いて規則的な呼吸を繰り返している背中に、頭突きをした。拓真は眠ったまま、呻されたような声を出した。

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