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荒れ廃れたこの場所で  作者: SET
終章 その笑顔が
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その笑顔が(4)



 女従業員の菊政さんが、フロントで預かっていた拓真たちの靴を取り出し三和土(たたき)に並べてくれた。スリッパを脱ぎ、拓真はその靴に履き替えた。荷物で両手がふさがっていて肩に掛けた小銃の隠しようがなかったが、菊政さんは気にする風でもなかった。

「またここに立ち寄ることがあれば、是非」

 彼女はいつも受付で応対している時よりも、少しだけ声の調子を落として言った。四カ月も滞在していたから、やはり少しは寂しいと思ってくれているのだろうか。

「そのころには、もう援助も終わって、元の値段に戻ってるかもしれませんね」

 凛は靴を履きながら言い、

「あまり高いと泊まれないですよ」

 笑った。

「善処いたします」

 飄々とした口調で菊政さんがそれに応じた。

 それから、拓真はお礼を言って一番初めに外へ出た。玄関扉を開けて、四つの敷石の上を歩き、また廊下への扉を開く。十年前の空襲で焼け残った旧館の一部だと菊政さんが教えてくれた廊下を抜けると、四カ月ぶりに見る外の世界がそこには広がっていた。現実だ。曇りがかった空に、吹き付ける風、寒さに追い立てられている人々の足取りは早い。それに合わせるようにして、飾り気の足りない画一された住宅街を抜け、信号機の無い十字路の交差点を渡り、拓真たちは街を出た。


「ごめん、少し、休ませて」

 それから、四時間くらい歩いただろうか。辛そうに吐き出された未由の言葉を容れ、休憩を取った。安物ですぐに誤差の出る腕時計は、十二時三分を指していた。

 拓真が見ていた限りでは、彼女は足が止まりだしたと言うよりも、どう頑張っても足が言うことを聞かなくなった、という印象だった。実際、休憩しようと言ってから、しばらく未由は足を折ることができず、立ったままだった。そのうち膝に手を突き、深呼吸をした。白い息が大きく吐き出される。

「どのくらい休みたい?」

「三十分くらい……」

 凛の問いに答え、彼女は顔を歪めながら、ここまで歩いてきたあぜ道の端に座った。凛は休憩こそ承諾したが、必要以上に未由を甘やかす真似はしない。疲れてきたな、と分かっていても本人が言い出すまでは視線も合わせず淡々と自分のペースで歩いていた。

「昼飯にすっか」

「はあ……やっとメシか」

 抱えた膝に額を押し付け目を閉じた未由からは反応がない。代わりに彰が答えた。

 歩き慣れしている拓真も、さすがに完治したばかりの足で四時間の歩き通しは疲れが溜まった。ふくらはぎが痛い。軽く息を吐いてから、未由の隣に腰をおろし、水田との境目の短い斜面に足を投げ出した。辺りに街の気配はなく、背の低い雑草が所々に生えてはいるが礫が目立つ不毛なあぜ道が、稲刈りの終わった水田の周りを縦横に貫いているだけの場所だった。

 拓真は荷物の中から潰れたコッペパンを四つ取り出した。凛と彰には手渡し、未由のものは太ももの上に置いたまま、紙の個包装を破った。

「考えて入れりゃあ良かった……」

 イチゴのジャムが包装にべったりとはみ出していたので、パンの先ですくってから食べ始めた。

「潰れそうなものは一番上に入れろと教えられなかったのか?」

 彰を挟んで座っている凛もまた、パンの先でジャムをすくっていた。夏はあれだけ薄着だった凛は寒さに弱いらしく、赤いフェザーダウンのフードを被ったまま、もそもそと口を動かしている。

「あー、親父に育てられたから、そういうのはあんまり……」

「このパン、不味いな」

 彰がそう言いながら、二リットルペットボトルに入った水を自分のバックパックから漁って飲んだ。水は各自に二本ずつで、彰が三本、拓真と凛が二本ずつ、未由が一本、それぞれのバックパックに入れている。これは一応、一週間分の備えだ。

 拓真は考えなしに水を飲む彰を横目に、口中から水分を奪うコッペパンをどうにか飲み下した。特にまずいパンだとは感じなかった。それから三人分の包装を集め、事前に用意していたビニールに入れた。

「私にも」

 隣から声が聞こえ振り向くと、多少体調を持ち直した様子の未由が手を差し出していた。包装を破り取ってビニールに突っ込んでから、手渡す。




***




 凛は休憩が終わるまで貧乏ゆすりをしながら座っていた。歩いている間はまだいいが、どうも寒さは苦手だ。小刻みに体を揺らしていないと耐えられそうにない。

「凛。カサカサうるさい」

「仕方がないだろう。寒いんだから」

 彰が苛々した様子で注意してきたせいで、余計に意識して寒くなってきた。小刻みに動かしている足とフェザーダウンとの衣擦れの音が激しくなる。

「揺するな」

「寒いんだよ」

「うるせぇって言ってんだろ」

「二人とも……」

 隣に座っていた彰が声を荒げた所で、ずっと顔を俯けていた未由が囁くように言った。

「そろそろ三十分経ったから、行こう」

 拓真が腕時計を見ながら言った。彰は所在なげに舌打ちをした。

 道中では、特に誰かが何かを言ったわけでもなく、凛を先頭に、彰、未由、拓真と縦に並んで歩いていた。

「なあ、あとどのくらいで県境に着くんだ?」

「わからない」

「わからない、ってなんだよ。だいたいでいい」

「なら、あと二日くらい」

「二日もかかるのか? あーもー疲れた」

 凛はうんざりして彰に向き直り、彼の後ろを顎で指してやった。辛そうな未由が、おぼつかない足取りで黙々と歩いていた。彰は顔を顰め、凛から目を逸らして、休耕田の先にある林を見つめた。彰がぶつぶつと言い始めたのは、休憩を終えてからだった。集中力が切れた様子で、文句ばかり言っている。

 どうして彰が文句を垂れ始めたのか、大体の見当はついていた。ただ単に歩き疲れて苛々しているのもあるだろうが、彰は、顔や言動に似合わず気が弱い。検問所で拘留されるのも、本当はもう二度としたくない体験だと思っているに違いない。だから、報われない歩みを思って、苛々している。昔から、そうだ。自分にも責任の一端はあるが、とにかく、昔から。

 頬を切る風が冷たい。凛はジーンズのポケットに突っ込んでいた両手を出して、赤々としたフードをさらに深く被り直した。

「夜までには次の街に着く。もう子供じゃないんだから、我慢して」

「分かったよ。次の街までな」


 街の残骸を見つけたのは、すっかり日が沈んだ頃だった。月だけが辺りを照らす中、拓真が目を凝らして時計を見てくれて、午後八時半ということが分かった。結局、ここに来るまでに十時間歩き、二時間休憩した計算になる。

「……次の街って、これか?」

 投げやりな口調で言った彰が、地面に散らばるコンクリートの破片を蹴っ飛ばした。拓真らと出会う前に拠点にしていた街の残骸と同じように、瓦礫が場を構成していた。凛はフードを取り、短めの黒髪を軽く振ってから背負っていたバックパックを下ろした。バックパックの中には圧縮した寝袋が入っている。

「ここで寝よう。こんな瓦礫の山を夜に進むのは危ない」

「ああ。そうだな」

 拓真と未由も、バックパックを下ろした。彰だけ、突っ立ったままだ。

「こんなところで寝んのかよ?」

「だったら、起きてれば?」

 いい加減彰の小言に反応するのが煩わしくなっていた凛は、あしらうように言った。疲れが溜まって苛々しているのは彰だけではない。自分も同じだ。一日に十時間も歩いたことなんて今までになかった。足の裏やふくらはぎなど様々な所に痛みが残っている。

「んだよその言い方は……」

「あのなあ……」

「こっちは疲れてんだよ」

「いい加減にしろ!」

 地面に向かって怒鳴り返すと、彰が押し黙った。そのまま、地面に置いたバックパックから寝袋を取り出す。寝袋を広げてから、まだ立ったままの彰に視線を移した。目が慣れてきたとはいえ、辺りは暗くその表情は見えない。

「疲れてるのはお前だけじゃない。なんでいつもそうなんだ。直前になって愚図るな。自分で行くって決めたんだろう? ぶつぶつ言わずに黙って県境まで歩け」

「違う。凛と未由が行くって言うから、仕方なくついてきただけだ」

「お前、自分で恩がどうとか言ってたじゃないか」

「知るかよ。缶詰程度で何が恩だ」

「あれは本心だ」

「本心じゃねえ」

「違うな。直前になって、怖くなってきたんだ。あのエペタムに拘留されることが。そうだよなあ。あの時は手も足も出なかったからな。あんな組織に一時的にでも拘留されるのは、確かに怖い」

「馬っ……馬鹿にすんな!」

「馬鹿になんかしてない。本当の事だろう」

 言い切ると、言い合いが途切れた。拓真が、居心地悪そうに咳ばらいをひとつ零す。未由も寝袋を取り出す手を止めて、こちらを見つめている。凛はその視線を受け、更に彰を追い詰めたくなる衝動を抑えた。

「……偉そうに」

 寝袋に入る前に靴を脱ごうとかかとに手を掛けたところで、低い声が、耳朶を打った。

「大体、こんな状態になったのは誰のせいだと思ってんだよ」

 蒸し返すように、言う。これも、口喧嘩で自分に勝ったためしのない彰らしい。聞き流せ、と心中で呟いた。

「国籍をはく奪されて」

 聞き流せ。

「街を追い出されて」

 聞き流せ。

「お兄ちゃん! それ以上は……!」

 心配そうに見つめているだけだった未由が、寝袋を放って立ち上がり、彰に取りついた。

「一文無しで、街にも入れなくて、入ろうとしたら殺されかけて、隊商にどうにか取り入って、食べもんを恵んでもらってやり過ごして……。今も、一銭にもならないのに、一日ぶっ通しで歩いてる」

 聞き流せ、と凛はまだ呟いていたが、責め方がいつもの喧嘩と違う、と既に気付いていた。

「お兄ちゃん!」

 未由が彰の腕を掴んで揺すったが、彼の視線はこちらを射たままだ。

 咄嗟に、次の一言を聞く前に耳を塞ごうとしたが、手が動かなかった。 

「今までこんな惨めな思いしてきたのは、全部、お前のせいだろうが!」

 その言葉を聞いて、彰に殴りかかろうと発作的に思ったが、それを実行に移す前に、体中から血の気が引いた。あの光景が、甦ってくる。目頭の辺りだけが、嫌に熱い。何か言おうと思ったが、言葉が出てこない。

「なんで? いくら苛々してるからって、なんで……なんでそんなこと言うの!」

 未由が取りすがるが、彰はそれを振り払って、背を向けた。

「未由! 放っとけ」

 拓真が、呆れたように言った。暗闇に捉えた彰の背が、霞んで見える。息が詰まった。背を向けた彰は、耳の後ろを一度掻いた後、歩き出した。

「……大丈夫?」

 彰のもとから駆け戻ってきた未由が、表情の分かる距離まで近づいてきた。強がろうとしたが、まだ声が出なかった。未由が心配そうに覗きこんできて、凛は思わず、彼女の頭を抱え、肩を抱いた。抱く腕に、ぎゅっと力を入れた。未由が苦しそうに呻いたが、加減が出来なかった。

「未由。未由。未由」

 目の前の妹の耳に口を寄せ、名を何度も呼ぶ。優しい手が、髪を優しく梳いてくれた。

 平静を取り戻し、未由の体から離れるまで、彼女はそうしてくれていた。


 泣き腫らし嗚咽が鎮まった後で、凛は未由から離れた。彼女は長らく拘束されていたにもかかわらず、大人びた表情を浮かべ、柔らかく笑ってくれた。その笑顔だけで、彰に裂かれた古傷が、小さくなったような気がした。

「凛。その……落ち着いた?」

 遠慮がちに、拓真が後ろから声を掛けてくる。振り向くと、目が合った。困ったような顔をしていた。見苦しいところを見せた恥ずかしさにそれ以上目を合わせていることができず、地面に目を向けようとした。しかしまだ目元に残っていた涙が零れそうになり、慌てて月を見上げ赤いフェザーダウンの袖で両目を擦った。月は満月でも半月でも三日月でもなく、一口齧ったアンパンの形をしている。不格好な月を見つめると、少しだけ気分が紛れた。

 それから、まだあの時に受けた傷は癒え切っていなかったんだ、と今更のように思った。

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