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荒れ廃れたこの場所で  作者: SET
終章 その笑顔が
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その笑顔が(2)



 翌日、一人だけテーブルのある部屋で布団を敷いて寝ていた拓真は、朝陽が差し始めた頃に目を覚ました。

 無意識に足を庇って布団から出ようとしたが、骨折が治っていたことを思い出し、布団を退かしてそのまま立ち上がった。両足で立つというのは昨日が四カ月ぶりだった。まだ独特の浮遊感が残っている。しかしそんなことが気に掛らないくらい、こうして自分の足で立てていることが嬉しかった。

 今日が準備で明日、出発。俊介の提示してくれた方法が上手くいくかは分からない。だが、あのような別れ方で納得しろと言われても納得などできるはずがない。加えて三人ともが賛同してくれた。これで、躊躇う理由はどこにもなくなった。

 着替えてから買い置きの菓子パンを食べ終え、歯を磨いていると、襖が勢いよく開けられ、大きな音を立てて跳ね返った。それを左手で押し留めた彰は重たい瞼を携え、洗面台に向かってくる。拓真が洗面台の前から退くと、そのまま顔を洗った。

「あー、おはよう」

「おはよう。今日は遅かったな」

 手近にあったタオルで顔全体を覆うようにして拭っている彰の横顔に向かい、拓真は挨拶を返した。歯磨き粉を吐き出して口を濯ぐ。

「しばらく仕事の休みがなかったし、今日くらいはいいじゃねーか……。やっぱ、まだまだ工場の部品扱いされてるって気がするわ」


 彰より少し遅れ気味に凛と未由が身支度を済ませた後、四人は必要な食料や道具を買い揃えるため、街の中心部に歩みを進めた。もっとも、この街は県境まで然程距離もなく、用意するのは数日分でよかった。

 冬にしては暖かいが、風がある。シャツとセーターしか着ていない拓真が唇を青くしていると、凛はまず服を買おうと言った。

 店に入ると風がないぶん外よりは暖かくなり、拓真は一息ついた。暖房器具はあるようだが、点いていない。

 店内は雑然としていた。手前には靴やバッグが並んでいる棚があり、そこから先は大体が服売り場だったがベルトなど小物を売っている場所も紛れている。服は男物が多く、レディースサイズもあるにはあるが、デザインは男物と似たようなものが多く見られた。

「あんな男っぽい服でいいのか?」

「あ、大丈夫です」

 斜め後ろを歩いていた未由が軽く手を振って答えた。

「どうして私には訊かない」

 凛が不満そうに言ったが、拓真は返事をしなかった。

 

 拓真は短めのブルゾンと少し重量感のあるベルト、彰はフェイクファーのついたレザージャケットをそれぞれ購入した。他は着てきたもののままで、店員に許可を取りさっさと店内で身に着てしまったが、女二人がなかなか決まらない。ジャケットに手を突っ込み試着室の扉に寄り掛っている彰は、凛があれこれと未由を着せ替えて遊んでいるのをだるそうに見つめていた。

 そのうち彰が痺れを切らしてぶつくさ言い出したが、凛は彰の言葉が耳に入らないように振舞って、それを見た未由は申し訳なさそうに謝っている。どことなく連帯感のあるやりとりがこの姉弟らしくて可笑しかった。

「着替え終わりました」

 未由は薄めのカーキ色で膝上まである半袖の中から長袖の白インナーを出し、伸縮性のありそうな化学繊維の黒いパンツの足元を暖かそうなムートンブーツで脛の真ん中辺りまで覆っている。首にはオレンジと白の毛糸で編まれたマフラー。時間をかけて買っただけあってよく似合っていたし、機能性もよさそうだった。ブーツのヒールもないに等しい。

 しかし、これらを買い揃えるといくらになるのだろう。苦言を呈したくなったが、普段の未由のみすぼらしい格好を考え、思い留まった。底が抜けそうな靴をいつまでも履かせているのは酷だろう。それに、あおいや俊介と居た時は、全員で共有している金だったからいつも彼女の消費を二人がかりで止めていたが、これは自分の金ではない。凛たちの稼いだ金だった。

 もうあれは、あの平和な記憶は、数カ月も前の事だ。言い聞かせるように口の中で呟くと、吐き気と情けなさが綯交(ないま)ぜになってこみ上げてくる。拓真は軽く歯ぎしりをして、未由から視線を外した。

「どうかしましたか?」

 表情に出ていたのだろう。未由が心配そうにしていたので、なんでもないと答えておいた。

「よし、これで服は終わりだ」

 そう言った凛は赤い無地のフェザーダウンにジーンズだった。

「色気も何もないな」

 彰の言葉を無視し、凛は歩き出した。拓真もその後に続いて店を出た。

 次に買ったのは主に缶詰を中心とした食料品だった。

 街に一つしかない大型のスーパーに立ち寄ろうと扉の前に立つと、入り口近くの壁には所々弾痕が見受けられた。これは拓真が怪我をして身動きの取れない間に、前線から遠く離れたこの街に流れ着き、発狂した政府軍の一人が暴れた時の名残だろう。葛藤が爆発し自制心を失った兵士ほど厄介なものはない。守備隊が射殺するまでに、六人の買い物客が犠牲になったそうだ。このスーパーで買い物をしていた未由も目撃者の一人で、帰りの遅い未由を心配して凛が迎えに行くと、泣きながら守備隊の聴取を受けていたという。ちらりと未由の様子を窺う。顔色を失った彼女は凛の左手を握りしめていた。

「買い物なら俺らがしとくから、凛と未由はその辺で休んでれば? 服選びで疲れただろ」

 気遣いが声音に出ないよう、何気なく店の内部を窺いながら言った。

「うん……そうだな。頼む」


 個包装のコッペパンなどが既に入っている緑のカゴに、二リットル入りの飲料水を三本加えた。

「お前ってホント、よく気が回んな?」

 缶詰のコーナーから数種類の缶詰を抱えて戻って来た彰が声を掛けてきた。彼はパンなどの食料品を潰さないよう除けてから、それらをカゴに入れた。

「誰だって、人が死ぬところを見た店に入るのは嫌だろ」

 拓真はそう言ってレジに向かって歩き始めた。

「言い方間違えた。よく三ヶ月も前の話を覚えてた、って意味だよ。このスーパーであったってことまで」

「あの未由が泣いて帰ってきたら、忘れようがないって」

「そりゃそうだけどさ。所詮他人事っつうか、そういう風には思わないんだな」

 彰は通路の右側に陳列されている商品の方に顔を向けながら言う。

「俺は三人を他人だとは思ってないよ。……友達、だと思ってる」

 恩人、と言い掛けたが、その一人を前にして言うのは白々しいと思い、言い換えた。

「友達、か」

 その言葉を少し捻くれたように呟いた彰は、それからふっと息を吐いた。

「お前より三歳年上なんだけど、俺」

「迷惑?」

「いや。それ聞いたら、二人とも喜ぶだろうな」

 持ってきたデイバッグに買った物を詰めスーパーの外に出て、凛と未由と合流した。寒空の中、二人とも律儀に店先で待っていて、肩を寄せ合い何かを話していた。こちらに気づくと二人は顔を上げ、

「気を遣ってくれてありがとうございました」

 と、未由が言った。

「わかってたのか?」

「わかりますよ」

「あ、そう」

 未由がくすくす笑いながら言ったので、拓真は頬を少し掻いてから、苦笑いした。

 ふと気付けば、寒さからか隣の凛がしきりに鼻をすすっている。拓真は買ってデイバックに詰めないでおいたポケットティッシュを取り出すと、彼女に声を掛け、投げ渡した。

「あ、ありがとう」

 ポケットティッシュを受け取ると少し驚いたように拓真の方を見ていたが、そのうち中からティッシュを取り出して鼻をかみ始めた。

「どこかの店に入って待ってればよかったのに」

「はぐれたりしたら手間ですから」

 未由は再び笑顔を覗かせると、拓真に背を向けて歩き始めた。




***




 旅館に戻り、恐らくここでは最後になるであろう風呂への入浴を済ませた時にはまだ夕方だった。野宿するための装備はあおいと俊介の荷物が残っていたから、あまり追加購入するものは無かった。

 ケースに入れられた国籍証明の書類を再度確認しデイバッグに詰めた後、手持無沙汰になった拓真は部屋の隅に畳んであった布団を敷き直し、その上に仰向けに寝ころんだ。何の気なしに、枕の下に隠してあった拳銃を手に取る。銃はまだ規制されていない。戦争による直接の死傷者は少なかったが、各地の治安は叛乱の前よりも確実に悪くなっているうえ、食糧よりも手軽に買える銃の取引を禁止したところで今度は夜の街で密やかに売却されるだけだからだ。

 この銃は、あおいが護身用に使っていた。彼女は俊介を助けようとした際、凛に前もってこの銃を渡していたから、まだ手元に残っている。拓真は銃把を握り目の前に掲げ、彼女の面影を追ったが、それはただ西日にあたり鈍く光るだけだった。彼女の顔が、もう鮮明には思い出せない。思い浮かべようとしても、どこか霞みがかってぼやけている。自分はあの二人を忘れようとしていて、こんな方法が上手くいくと思うな、妙な期待を持つなと、心の中のどこかでは考えているのかもしれない。

「銃なんて持って、どうしたんですか」

 一人で気分を沈ませていると、唐突に未由の声がした。驚いて彼女の姿を探す。

 彼女は枕の近くに屈んでいた。

「戻ってきてたのか」

 先程から、あまり湯船に浸からずさっさと出てきてしまった拓真だけが部屋に居た。拓真は銃をまた枕の下に戻し、上体を起こして胡坐をかいた。未由はまだ屈んだままだ。

「それ、あおいさんの使っていた銃ですよね」

 未由は様子を探るように訊いた。

「ああ」

 彼女は拓真の肯定の言葉を聞くと、納得したように小さく頷き、その場にきちんと座り直した。

「あおいさんとまた、会えるといいですね」

「うん」

 拓真は頷いた。未由は何も話すことが無くなったように黙り込む。そして何気なく彼女の髪を見つめていると、未由が俯き加減だった顔を上げ、視線が合った。

「あ、あの」

「ん?」

「上手くいくって、信じましょう!」

 未由は唐突に、畳に手を叩き付けて言った。拓真が驚いて見つめると、彼女は顔を赤くしながらもどうにか視線を合わせたまま、言葉を繋いだ。

「会えるかどうか、不安に思ってるんですよね」

 そこまで聞いて、未由は未由なりに、自分の不安を拭おうとしてくれていることに気付いた。

「うん。不安に思ってる」

 隠し立てしても仕方がない。正直に言った。

 あおいと俊介と会うと言うことは、再びあのエペタムに関わると言うことだ。俊介を助けようとした時の事が思い出される。自分たちを街から逃がすため殺すつもりでぶつかっていった俊介、そんな部下に対して容赦なく制裁を加えた岩崎。そして、彼と対峙した時にこちらを見据えた、足に震えが来る程に険の刻まれた瞳。威圧感。感情的に昂っていなければ、とても殴りかかるような真似はできなかっただろう。一人になって考えれば考えるほど、今朝の決意が萎え切ってしまいそうになる。もし失敗すれば今度も無事で居られるという保証はどこにもない。

「不安に思うのは分かります。でも、そこまで深刻に考えない方がいいですよ。偽装して街に入ろうとした場合、厳重な拘置所には移送されなくて、街付属の相談室に連れて行かれるだけです。エペタムの俊介さんが身元引受人なら、更に話は早いと思います」

「詳しいな」

「捕まったことがありますから」

 未由は勝手知ったる口調で説明し、拓真の疑問にもあっさりと答えた。

「捕まったことが」

「はい。私達もいろいろ経験してきました」

 言われてみれば、未由は五年生までしか学校に居られなかったと言っていたし、彼女たちと出会った時には既に廃墟に住み着いていた時だったから、それ以前から放浪生活を送ってきていたのだとしても不思議ではない。

「だからか。一旦拘留されるってのに、そんなに落ち着いてられるのは……」

 納得して呟くと、未由は頷いた。

「初めて捕まるとしたら、拓真さんだけで会いに行くことになってたかも」

「それはそれで嫌な話だな」

「そうですね」

 未由は楽しそうに笑った。

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