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荒れ廃れたこの場所で  作者: SET
2章 別れを告げる銃声
20/34

別れを告げる銃声(10)



 今日は土曜日。仕事は、夕方までのものを選んで受けていた。

 朝に四人と別れた、日雇い斡旋の店にある(ひさし)の下で照りつける太陽をやり過ごしながら、拓真はじっと待っていた。

「ごめんごめん。少し仕事に手間取っちゃって」

 ただ何も考えず街路を流れる人を眺めていた拓真は、その声に振り向いた。

「遅ぇよ」

 約束の時間から既に三十分が過ぎようとしていた。

「いま謝ったじゃん。男なのに小さいこと気にしないでよね」

 彼女はそう言うと、早速少し不機嫌になった。

「分かったよ。そのくらいでキレんな。すぐ近くに見つけといたから、夕飯食いに行こう」



 店と言うのは、安くて美味しい焼肉を出すと、日雇いの連中が話題にしていたところだった。

「……焼肉、か。いい匂い……」

 あおいは店先の匂いを軽く嗅いだ後で、満足そうに笑った。

「肉なんて何ヶ月振りだろ! おいしそーだね。勿論代金は拓真持ちでしょ?」

 彼女は軽く肩を叩いてきた。

「なっ、なんでそうなる。焼肉って少なくとも五千は飛ばねーか?」

「あれ? 今日は勝手に缶詰あげてごめんなさいの会じゃなかったっけ?」

「勝手にタイトルつけんな! しかも缶詰って、いいとこ二百円だろ」

「うるっさいなぁ。奢ってよねってあたしはちゃんと言いました! 拓真も頷いてたよ」

 玄関先で喚いていると、来店に気づいた店員が遠慮がちに声を掛けてきた。

「あの……何名様でしょうか?」

「二人で」

「お席は」

「なるべく静かなところ」

「分かりました。二名様ご案内しあーす!」

「いらっしゃいませー!」

 店内の喧噪に負けないよう店員が店全体に向かって怒鳴ると、威勢のいい掛け声が返ってきた。

 窓際の席に案内され座ると、あおいが早速メニューを広げ、ざっと目を通していく。拓真は肉の種類の日本語名はあまり知らないので、彼女にメニューの選定を任せることにした。少し経つと店員が七輪を持って現れた。火力調節のやり方を説明してから帰ろうとする店員を呼び止め、あおいは注文を告げた。

「牛タンにハラミに中落ちカルビ、三皿ずつ。あと石焼ビビンバと冷麺のハーフを一つずつに、お冷二杯。トングも二個持ってきて」

 店員は慌ててメモ帳を取り出し、せっせと書留め、それからカウンターに戻っていった。

「決めるの早えな相変わらず」

「もうダメ。匂いのせいでお腹が限界。今なら生でも食べられる気がする」

「流石にそれは……ちゃんと焼けよ」

「うーんでも、生で食べたらどうなるんだろう? 気にならない?」

「腹壊して病院行きになるだけだろ。そういや、さっきのタンとかって何?」

「タンは牛のベロ。舌。他はあたしもよく知らない」

「なんで知りもしない肉なんか頼むんだよ……」

「おいしければいいんだよ」

 彼女は楽しそうに言ってテーブルに肘を突き、窓際から見える景色を見つめた。


「お待たせしました」

 店員が現れ、タンの皿とお冷の入ったガラスのコップ、トングをそれぞれ二つずつ置いて行った。

「すいません、お冷のおかわりってどこですか」

 久々にまともな水を口にした拓真は一杯目をあっという間に飲み干しそうになり、店員に尋ねた。

「あ、カウンターの隣にありますね。ハイ」

「ありがとうございます」

「いえ」

 あおいはその間にトングを使い、もう肉を焼いていた。

「……早いって。女っ気ゼロだな」

「日本には色気より食い気って言葉があるの。見栄より実を取りなさいって昔の人も言ってたんだから」

「まあいいけど。あおいらしくて」

 拓真はそう呟いてから、肉が焼き上がるのを楽しみに待つあおいを、じっと見つめていた。




***




「あーおいしかった。ガムも貰えたし、良い店だったね」

 会計でおまけに貰ったガムをあおいと同じように噛みながら、拓真はその言葉を聞いた。たまたま案内された席が大きな換気扇の近くだったからか、服にはあまり匂いが染みついていない。結局奢らされ、財布は今日の給料が半分以上消えた。予想外に高額だったが、約束していた上にこれだけ嬉しそうな顔をされると、文句も出てこなかった。

 今の時期は太陽が沈むのが遅く、辺りはまだ夕暮れ時で、視界も問題なく利いていた。辺りを包む透徹な空気が火照った肌に心地良い。

「確か近くに公園があったから、食休みしてかない?」

「そうだな」

 まだ働いているであろう凛や彰には申し訳ないが、今日は夕方までで仕事を切り上げていた。何故かといえば、あおいと二人の時間を作りたい、と言うだけの理由だ。これからの旅に余裕を持たせるため、今稼いでおかないとならないのは分かっていたが、少しだけなら他の四人も許してくれるだろう、と考えていた。二人でいる時のあおいは、割と――本当に割と――口数も減り、どこかしとやかさを感じさせる。普段とは違った意味で好きだ。一週間に一度くらいは、そんなあおいを見たいと思ってしまうのはどうしようもない感情だった。二人きりになるのは病院であおいとやり合った時以来。あおいは黙って舗装されていない街路を歩く。肩まで伸びた髪が揺れている。

 公園といっても、木などは生えておらず、街の中に作られた簡易休憩所といった印象だった。ベンチなども置いてあり休むにはうってつけの場所だったが、街の中で一夜を過ごす浮浪者はいない。守備隊に見つかれば殺されるか放逐されるか、二択しかないからだ。尤も、この街にはまだ守備隊はいないらしいが。あおいが言っていた話では、政府や自治体が守備隊などを通して街の住民を守ることで政治基盤を強化しているから、彼らは快適な生活を送ることができている。そしてほとんどの街の人間は、そのことに何の違和感も持たない。自分たちの快適な生活を侵犯する浮浪者に同情するなどという、奇特な人間もいない。

 二人掛けのベンチにあおいが座ったので、拓真も隣に座った。そこで、ふと思った。

 ……何を話せばいいんだろう。二人になったはいいものの、その辺りのことは何も考えていなかった。また、悪い癖だ。直前になるまで肝心なことを忘れている。逃げることだけ、生きることだけに必死だった自分はこれまでに恋愛などというものに接した経験がなかった。だから……というのは、言い訳にはならないだろうか。

「あーあ。こういうところも貸してくれればそれなりの生活はできるんだけどなあ」

 対応を迷っていると、あおいは背凭れに後頭部までも預け、言った。それにどうにか話を合わせようと、

「そもそも浮浪者って何で生まれたんだ? あおいの事情は大体分かったつもりだけど……。皆が皆、そうってわけじゃないだろ?」

 気にはなっていたが、今ここでどうしても答えを得たいわけでもない問いを投げかけていた。自分で思っていることとは違う事を言ってしまい、あおいのことを妙に意識し出してしまった拓真は、あおいから視線を外し公園の出入り口の先にある、住宅街へ視線を移した。

「今はどうにか"物が買える"レベルには回復してるけどね。私が生まれる前はそりゃあもう大変だったらしいよ。金がない人は高騰する食料に手が出せなくて、家賃も払えなくて、住むところも持てなくて、街から追い出されて……日本各地を放浪して、ありもしない安住の地を探すだけ。餓死者は正確には統計されていないけど、相当なものだったみたい。学校なんて途中までしか通ったことないから、全部組織の人間に聞いた話」

「……その時代にどうにか生き残った放浪者やその子供たちが、反政府集団を形作った……ってトコか。政府も過敏になるわけだ」

 呟くと、話が一旦途切れた。

 しばらく二人とも黙っていたが、やがてあおいが溜息を吐いた。しっかりと体を起こしたのが視界の端に映った。

「ねえ、この話、今しなきゃダメ? あたしもつい乗っかっちゃったけど。もっと、楽しい話しようよ」

「あ、悪い。最近、こんな話ばっかだもんな……」

「……で、楽しい話は?」

「……いや、な? あれだよ、あれ」

 誤魔化してみたが、話の合間合間に記憶を探っても、特に話題は出てこない。俊介や彰など、他人を交えてなら幾らでも出てくるのに、二人と言う事を意識すると、本当に何も出てこなかった。顔や耳まで熱くなってきた。どうやら自分は、異性を楽しませるということには向いていないようだ。

「……あのさ、ちゃんと考えてくるものじゃないの、そういうのって。話すことがないなら楽しめる場所に連れてくとか。すぐ振られちゃうよ、そんなんじゃ」

 彼女は呆れたように言った。

「あ……あおいが喜ぶのって、なんだよ」

「だーかーら。それを考えるのが拓真の仕事じゃないの。いっつも同じようなの着てるから、服欲しいだろうな。いっつもラーメンばっかり食べてるからおいしいラーメン屋に連れてってやろうかな。化粧品持ってないから、買ってやろうかな。感動系の映画で寝てたから、アクションものを見せたらどうかな、とか、そういう洞察眼が必要なんだから」

「焼肉連れてってやったんだからラーメンはいいだろ」

「問題はそこじゃない! 拓真はあたしのこと好き?」

「……好きだけど」

「好きならこのくらいの出費は当然でしょ?」

 あおいが得意げに言ったので、拓真は溜息を吐いた。

「人が真剣に悩んでんのに、非現実的なことばっか言うな。どこにそんな金があんだよ。貧乏浮浪者だろーが俺たち」

「あたしだって分かってるよ、そんなこと」

「じゃあ何で……」

「……そのくらいしてくれないと不安になるってことだよ。拓真は鈍いから分かんないかもしれないけどさ」

 先程まで、いつもの軽い調子で拓真に文句を言っていたあおいが急に、真面目な声を出した。

 視線を一度外してからずっと遠くの住宅街を見つめていたが、拓真は彼女の表情を窺おうと、恐る恐るあおいを見た。

「や、今のは別に深い意味はないよ。うん」

 彼女は様子を窺う自分の視線に気付くと、慌てて声を上げた。

「……不安って?」

 拓真は、彼女の否定を気にせず、その先を促した。

 じ、自分で考えてよ、と彼女は文句を言ったが、少しの間を開けて、その先を続けた。

「……最近、拓真、あたしの目の前で凛とすごく楽しそうに話したり、するよね。彰から聞いたけど、未由にだってわざわざ消毒してバンドエイド貼ってあげたり、それ以外にも、目を配ってて優しいし……。あたしには、怪我したってそんなことしてくれないし、それに寝るとこも、あの子たちのすぐ隣で……。話してる声が襖越しに聞こえるんだよ? 凛も未由も、美人だし……誰だって、不安になると思わない?」

「……なる、のか?」

「あの、さ、あたしがこの間怪我した後から、眠れなくて、痛み止め飲んだりしてるの、気づいてた?」

 初耳だった。ゆっくり首を振ると、やっぱり、と彼女が言った。

「あたしは、拓真が昨日、テレビ見ながら楽しそうに笑ってたとか、そういうのまでちゃんと見てるよ。今日もすっごく楽しみにしてた。でも、拓真、全然そういうの気づいてくれないし、今日だってあんまり楽しそうじゃないし、あたしのこと、本当に好きなのかな、みんなに対してああなのかなって思ったり……しちゃうよ。拓真にとっては、あたしらしくない、のかもしれないけど。一応、あたしも、普段からそういうこと考えたりするっていうか……もう少し嬉しそうにしたりしないのかな、って」

 あおいは語尾を詰まらせ、言った。

「……ごめん」

 そこまで言わせてから、拓真は溜息を吐いた。あおいがここまで言ってくれるまで、自分はほとんど何も気づかなかった。すごく楽しみにしてた、という言葉が痛い。自分が考えている以上に、あおいは二人で過ごせる時間を楽しみに、大切にしてくれようとしていた。もっとしっかり楽しめるような計画を立てておけばよかったと、今更のように思った。しかし、あおいを好きな気持ちに、間違いなんてない。一人の女性として、あおいのことが好きだというのは、揺るぎのない気持ちだった。だってそうだろう。あんなに一生懸命で、あんなに真っ直ぐな気持ちを持っていて、あんなに弟思いで……あんなに綺麗な性根を持つ人間を、自分は見たことがない。

「……確かに俺、あおいのこと、軽く見てたかもしれない」

 あおいだから平気だろう。あおいらしい。あおいらしくない。三か月近く過ごしてきて、いつの間にかそんな基準で考えることが定着してしまっていた。それは、確かだ。だけど、と拓真は続けた。

「……俺は、人に好きだなんて言ったことがないし、付き合ったこともないから、あおいのことがどれくらい好きかなんて、分からない。でも、あおいが、一番好きだ。友達としての好きとは、絶対に違う。凛も未由も、そんな対象として見れない」

「……本当に?」

「いや、本当に」

「そうかなあ。信じられないけど」

 あおいはまた背凭れに頭を乗せて天を仰いだ。

「……なら、あたしが、他の男と話してたら嫉妬してくれる?」

「sit?」

「真面目に聞け」

 彼女は居住いを正すと、面白くもなんともない切り返しをした拓真に目を合わせ直して言った。

「はい」

「……この場合、好きな人が他の異性と話したりして、不愉快に思ったりすること、かな。嫉妬は」

「……そういう意味なら、分かる気がする。きっと、俺もすると思う」

「へえ。するんだ」

 曖昧な相槌を打った後、あおいは黙って、住宅街のほうへ視線を遣った。横顔が少しだけ嬉しそうに見えるが、だからといって特に返す言葉もなく、拓真も住宅街のほうを見た。カラスが空をけたたましく飛び回り、街中に向けて鳴いている夕暮れ時。公園には、あおいと拓真以外誰もいなかった。

「……話は変わるけど、俊介、この間話したら、もう、エペタムに戻るつもりはないって言ってた。……で、さ。拓真。あたしたちが、もし……正式に脱退したんじゃなくて……」

 そこまで言うと、言葉を区切る。

「ん?」

「……ううん。やっぱいいや。なんでもない」

「なんだよ。気になるから言い掛けたら最後まで話せって」

「なんでもないってばー」

「話せよ」

「しつこい!」

 あおいはそこで勢いよく立ち上がった。

「……ね、結構、宿から離れちゃったから、そろそろ帰ろうか。ちょっと、遠回りしてから」




 商店街の熱気に煽られて、お互いの手は少しべたついている。商店街を歩き始めてから手を繋ぐのは、意外にも勇気が要った。手をそれとなく握ってみると、あおいが握り返してきた。十八にもなって、手を繋ぐだけでこんなにも緊張するものなのかということに初めて気がついた。街で見る人たちが自然に握り合っている姿を次に見掛けたら、尊敬してしまうかもしれない。

「拓真って、本当に女の子と付き合ったこと、無いんだね」

 あおいが出し抜けに、そんなことを聞いてきた。手から自分の心の中が漏れ伝わってしまっているのだろうか。

「な……ないけど。何で?」

「なんか、ぎこちないんだもん。手、繋ぐだけなのに」

 見れば、あおいが可笑しそうにくすくすと笑っていた。

「そうやって馬鹿にしてっけど、あおいこそあんのかよ。付き合ったこと」

「ないよ。だから今、すごくどきどきしてる」

 彼女は握り合っている手を、軽く振った。

「みんながこうして居られたらさ。きっと、銃なんて要らないよね」

 


 しばらく夕暮れ時の商店街の喧騒を眺めながら歩いていると、あおいが、弁当屋の前で立ち止まった。

「あ、俊介たちに、お土産買って行ってあげようよ。二人だけで焼き肉なんて食べちゃったし」

 体を心持ち拓真に寄せながら、空いている右手で、彼女はショーケースに並んだ様々な種類の弁当の中の、豚肉弁当を指差した。

「俊介、豚肉大好きなんだよね」

「へえ。俊介にも、ラーメン以外の好物なんてあったんだ」

「当たり前でしょ。ラーメンは安い割に脂肪がつくから食べてるだけだよ。確かにおいしいけど」

「で、代金は俺持ち……だっけ?」

「あは……そうだね。じゃあ、拓真が出して」

 あおいの左手をゆっくりと離し、拓真はジーンズのポケットから財布を取り出した。

「豚肉弁当、四つ下さい」

 拓真は、千円札を三枚、カウンターに置いた。




◇◇◇



 

 救急隊員は、街外れにあるパン屋の店員の通報を受け、救急車を三台駆って現場に急行した。倒れていたのは女性一名、男性二名。全員が重傷で、救急隊員たちはストレッチャーに次々と患者を乗せた。銃を握って倒れていた女性も酷かったが、一番酷いのは、まだ顔に幼さの残る、褐色肌の少年だった。右腕と両足は完全に折れ、痣だらけ。顔中血塗れだったので止血をした。鼻血は止まっていたようで、血が溢れて呼吸を妨げる心配はない。体を見たときは外傷性ショック死の可能性も無きにしも非ずだと思ったが、これは助けられる、と救急隊員は思った。内出血の分布を見る限り、絶妙な具合で重要な臓器や血管を外れていた。検査をするまで正確なところは分からないが、致命的な損傷は回避されていると診て間違いない。この患者は運がいい。……しかし、余程精神的にも痛めつけられたのだろう。意識を失っているはずなのに、彼は先程からうわ言を何度も繰り返している。それは病院に辿り着くまで、止む事はなかった。

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