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荒れ廃れたこの場所で  作者: SET
1章 偽悪
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荒れ果てた土地で(9)



「おいしー」

 あおいが顔を綻ばせながらラーメンを啜っていく。

 商売人たちが着ている物と同じように、白い外套に身を包んだ彼女は、ラーメンの丼の中に汗を滴らせながらも特に気に掛ける様子もなかった。外套は目以外全てを覆うものだが、今は顎まで下げてラーメンを食べている。

 あの翌日、あおいはすぐに退院した。医者からは問題なしとされたものの念のための入院を勧められたが、いつまでも居座っているわけにもいかなかった。笠間の守備隊に加え、土浦の守備隊が一枚噛んでいると分かっている以上、この街に留まっているのは危険極まりない行動だとあおい本人が言えば、口を挟む余地はなかった。

 しかし少し休養するくらいなら居所を嗅ぎ付けられる心配はないだろうと俊介は言った。そこで今は、外套で顔と身を隠し、ラーメン屋の屋台に腰を据えている。

「何見てんの? 拓真も食べなよ」

「え……あ、うん」

 あおいから視線を外した拓真は、割り箸を割って、目の前に置かれたしょうゆラーメンに箸を伸ばした。

 本当にこの姉弟はラーメンが好きだ。正直、拓真は少し飽きてきていた。こんなに脂っぽい食べ物の、何がそこまで彼女たちを惹きつけるのだろう。拓真は宗教に恨みを持った母親に育てられたため食事に制約はないが、豚肉の脂身の塊を使ったチャーシューというものは、敢えて食べようと思うほどおいしいとは感じられなかった。

 しかし気乗りしないまま麺を口に運んだ拓真は、次に思わず唸っていた。

「……うまいな」

「でしょ?」

「……でもさー、あおい、つゆまで全部飲むのは体によくねえって。ほら、すっげー油浮いてんじゃんこれ」

「つゆまでちゃんと飲まないとそのラーメンを食べたとは言えないよ」

 俊介が言った。彼はあおいほど汗をかいていない。どこか涼しげにすら見える。

「そうそう。飲んどいた方がいいよ。これから金もなしに逃亡してくんだから、なるべく体に脂肪つけとかないと」

「その理屈ホントに当たってんのか? まあ、つい飲んじゃうのは認めるけど……」

 拓真は直接丼に口をつけ、半分ほど飲んだ。それから口を離し、出された水で喉に張り付いた油を流し込んだ。

 

「おじさん、ここ、いつまで続けてくの?」

 帰り際に屋台の主を振り返ったあおいが、目以外を隠している外套を引っ張って、再び顔を出して聞いた。

「まあ、死ぬまでだろうね」

 客のいない朝の屋台で、蓄えた髭の先端を摘まみながら、主はそう言った。

「そっかぁ、死ぬまでか……」

「……何か事情があるみたいだけど、また食べに来てくれるのを楽しみにしてるよ」

「私、あおいって言います。あとそっちが俊介で、これが拓真」

 これ、と言ったあおいが頭に手を載せてきた。身長は拓真の方が高いが、あおいも女にしては高い。手は容易に届く。

「また、食べに来ますね」




***




「これ、すげー長いスカート穿いてるみたいで気持ち悪ぃな」

「中のズボン脱げば? あたし、めんどくさいから直接着ちゃった」

 外套の中にジーパンも穿いている拓真は全身を暑さに苛まれながら呟く。すると後ろから声が聞こえた。

 狭い路地で人とすれ違うために、三人は縦一列で歩いている。

「……俊介ぇ、こいつ女? なんでこんなに恥じらいないの?」

「は? 下着はちゃんと着けてるよ」

「外套の下がすぐに下着なんて聞いたことねぇよ」

 振り返って諭す口調で言うと、あおいは大して気にも留めずに言葉を返した。

「外套だと思うから駄目なの。服だと思えば平気」

 外套の口元を覆う部分を顎に引っ掛けたままクレープを齧っているあおいはそう言うと、最後の一欠けらを口の中に放り込んだ。口の周りにイチゴのシロップと生クリームがついている。

「……別に好きにすればいいけどさぁ」

 拓真は口の端を手で二回叩いた。あ、と口を開けたあおいが外套の袖で口元を拭った。袖にこびり付いて汚かったが、いちいち注意するのも面倒だったので前を歩く俊介に視線を戻した。

 クレープを食べて、三人の所持金は、拓真の持つ一万五千五百円だけになっていた。俊介が貯めていたらしい数十万という金は、狙撃手を雇う金や病院への補償などで消えてなくなってしまっていた。貨幣の価値は、ラーメン一杯が五百円で食べられる程度。三人で生活するには心許ないが、次の街へ着いたときにまた働けばどうにか食い繋いで行けるだろう。そしてまた、各地を放浪していく。あてもなく、ただ放浪していく……。

「じゃあ最後に、映画でも見てく? 今度は面白そうな奴がやってるみたいだよ」

 将来に一抹の不安を感じたところで、俊介が言った。

 いつの間にか目の前には映画館があった。表に置いてある看板に張り付けられた大きめのポスターには、「タイタニック」と書いてあった。




 ジョンが力尽き海底に沈んでいく最後の場面で、拓真は泣かないように堪えた。胸に響くものを感じていた。俊介の横顔をちらりと見遣ると、真剣な表情で画面に食い入っていた。視線をスクリーンに戻して、拓真は最後のひとコマまで目に焼き付けようとした。

 上映終了後、俊介と拓真は目を合わせて、この間の映画とのレベルの違いを言い合った。

 右隣にいるあおいは、涎を垂らしながら幸せそうに爆睡していた。

「良く寝てんな……。そんなにつまんなかったのか? この映画」

「面白いって感じる基準は人それぞれだから。あおいはこういうお涙頂戴ものが嫌いなんだよ。本好きだけど、小説とかでもそういうのは読まないし」

「へぇ。ま、イメージには合ってる」

 外套の袖で、あおいの涎を拭いてやった。

「……涙といえば。昨日、散々騒いでたけど、あれは収まったの?」

 俊介はふと真剣な表情に戻ると、拓真の目を真っ直ぐ見つめてきた。

「え? あー……、昨日のって?」

「とぼけなくていいって。見てたし。誰だってあんな大声で遣り取りされたら目が覚めるよ。拓真も大人げないよね。姉ちゃんに当たっちゃってさ」

「う……」

 昨日の夜……あおいと自分の、激しい言い争いを冷静に思い返して、拓真は言葉を詰まらせた。

 そう言われると、言い訳のしようもなかった。

「でも、安心した。姉ちゃんの理屈が、普通の女の子みたいで。散々殺しておいて、って昔の仲間には笑われるかもしれないけどね。そうさせたのは拓真だよ」

 どうやら、一部始終を知っているらしい。

「……どこまで見てたんだよ?」

 あの後は、なんとなく気まずくて、軽く就寝の挨拶を交わすとそれぞれの部屋に戻った。そして今日の朝、いつもの様に話しかけてきたあおいを見て、安堵したのを覚えている。

「さあね。姉ちゃんが必死に拓真のこと呼んでて、拓真が戻ってきて……。あれ? そっから先はどうしたんだっけなあ?」

 からかう口調で、俊介が楽しそうに語尾の声を弾ませた。

 拓真は少しだけ耳を赤くして、俊介を軽く睨んだ。

「うっせーな。いいだろ。あの時のあおいは、反則的に可愛かったんだって。ホントに。俊介も目の前で見てたら絶対ああしてた。条件反射だっつうのあんなの」

「ああしてた? 拓真みたいに、ずーっと抱き締めてたってこと? 何十秒ああしてたっけ。見てるこっちが恥ずかしかったよ。姉ちゃんは姉ちゃんで動きたがらないみたいだったし」

 泣いていたのも見られていたのだろうか。

 だとすれば、恥ずかしいどころの騒ぎじゃない。顔まで熱くなってきた。

「……だってさー、好きなんだからしょうがねえじゃん。俊介って、結構容赦ねえよな」

「くっくく……おっかしい。二人して、顔真っ赤」

「あ? 二人?」

 嫌な予感がして振り返ると、あおいが顔を俯けてじっと手のひらを見つめていた。

「……聞いてた? 今の?」

 訊くと、あおいが静かに頷いた。

 顔が益々熱くなってきた。色恋沙汰にはあまり縁がなかった分、こういったからかい方をされると戸惑うしかない。

「あー暑い。無理。ここ暑すぎる。このまま居たら死ぬ。死ぬかもね~。さっさと映画館出ようぜ」

「え? 冷房効いてるけど、ここ」

 もうやめてくれ、と拓真は心中で呟いた。



 荷物を両手に抱え外へ出ると、()だる様な暑さがすぐに戻ってきていた。

 外套を被り直した拓真たち三人は、再び歩き始めた。

「……そういや、まだ訊いてなかったな」

 照りつける日差しに目を細めながら、隣の俊介に訊く。歩く度に肩に下げている小銃が揺れ負担になったが、もう慣れた。

「ん?」

「なんで、暗殺紛いのことをしなきゃいけなかったのか、とか、浮浪者の扱いの酷さは何が原因なのか、とか、いろいろだよ。そろそろ教えてくれてもいいだろ?」

「それを言うなら、拓真がどうして船でわざわざこんな島国渡ってきたのか、一人でどうやって生き残って来れたのか、とか、こっちも知りたいことがあるよ」

 あおいが横から口を挟んだ。

 それもそうだ、と拓真は納得した。

「……俺たちって、まだお互いのこと何にも知らねえんだな」

「まあ、会って二ヶ月だからね」

「で、どうなんだよ? 話してくれんのか?」

「いいよ。姉ちゃんが良いならね。軽蔑はされないと思うけど……どうする?」

「な、なんであたしに振るの? 良いに決まってるじゃない」

 彼女は荷物を抱え直して、視線を正面に向けた。

「街を出たら、ゆっくり話すよ。今回は追われる心配、もうないから。土浦を抜けられたら笠間守備隊も流石にお手上げだろう」

「抜けられんのか?」

「あ、検問見えたよ」

 あおいが拓真の言葉を無視して、声を上げた。

 鉄製の、拓真五人分ほどの高さの柵が道をふさいでいる。検問所には、南東ゲート、と看板が掲げられている。ゲートの両端には入る時と同じく二名。

 こちらが真ん中の検問所に近付いていき、代表者の名前を告げると、相手の顔色が見る見る変わり、苦虫を噛み潰した顔になった。両端を固めていた二名があおいと拓真に近づいてくる。

 ……こうなるに決まってるだろう。

 無策の俊介とあおいに心中で舌打ちすると、あおいが懐に隠していた銃を取り出した。守備隊も瞬時に構え今にも撃たんとしたが、あおいは銃口を真上に向け、そのまま放った。大きな音が検問所の前に響き、守備隊が一瞬怯んだ。しかしまた守備隊が銃を構え直すまで、あおいは何もしなかった。何がしたいんだ。

「……今のは、仲間を集めた音。知らないわけじゃないよね? 暗殺者集団"エペタム"……」

 瞬時に表情を消したあおいが、物でも見るような眼を検問所の男に送った。

 場に漂っていた空気が一瞬にして温度を下げたような気がした。守備隊が明らかに動揺している。なぜだか拓真も一瞬呼吸を止めていた。今の彼女は周囲を凍らせる雰囲気がある。

「辞めたって言っても、繋がりが消えたわけじゃない。あんたら、家族はいる?」

「……居たらどうした!」

 あおいに銃口を向けていた兵士の一人が、流れ始めた汗を隠しもせず声を上げ、彼女の頭に照準を絞った。あおいはゆっくりと検問所の男から視線を外すと、銃を向けた男に視線を移した。

「私たち、土浦の守備隊には迷惑かけてないはずだよ。……簡単なんだよね。あんたらの身内を一人残らず消すくらい。見逃すか……笠間の守備隊に義理立てして、私を殺す、か?」

「くっ……」

 男が声を漏らし、銃を下ろした。

 同時に、柵の出入り口が開く。

 あおいはそれから表情を元に戻し、満足したような顔つきで悠々と門を潜り始めた。

 守備隊と一緒に息を呑んでいた拓真も、事態が呑み込めていないなりに冷静さを取り戻し、そのあとに続いた。

 前を歩いているあおいは、出ていく途上で、硬い表情のまま正面を向いている検問所の男に紙を丸めたようなものを投げつけた。窓が開いていたので、パソコンのキーボードの上にそれが乗ったようだった。

「私たちが出て行ったら読んで。今読んだら、死ぬかもしれないから気をつけなよ」




***




 検問所の男は、あおいたちが遠く見えなくなるまで見送った後、硬くなった表情を消し、大きくため息を吐いた。

「元"エペタム"の幹部か……嫌な目つきをする女だった。見逃したのに殺されるってことはないだろうな……?」

 事前に注意するよう通達があったとはいえ、思わず独り言が口から零れた。検問の仕事は門兵より危険が少ないが、それでも時折ああいった輩を引き止めなければならず、ストレスが溜まる仕事だ。ましてや今のように命の危険が迫れば、門兵たちの生命も守らなければいけない。殺されれば全て、検問所に詰めている部隊長の責任になる。出来れば捕縛して笠間に引き渡せ? そんなことできるわけがないじゃないか。中で犯罪を犯したのなら別だが、奴らは笠間守備隊に対してしか攻撃行為を行っていないのだ。門兵の死と引き換えに捕縛する勇気は出なかった。

 男は恐怖に支配されかけた頭を切り替え、冬島あおい、冬島俊介、三瀬拓真の三人のデータを「通過」と書き替えようとキーボードに視線を移して、先程投げ入れられた紙が目に入った。

 開くか開くまいか一瞬迷ったが、彼女らが遠く歩き去ったのをもう一度確認してから、その紙を開いた。



「さっきのはウソ。

 もうエペタムとは、繋がりなんて何もないから安心して。

 おじさんたちが怖い目付きしてるから、からかっただけだよ。

 エペタムって、あまり知られていないけど実は反政府集団なの。

 一般の人には決して手は出さない。

 別の奴に脅されても話半分に受け取っておいてね。

 出来れば今度街に寄ったときも、受け入れお願いします。

 土浦、気に入っちゃったから。


 それと、もう一つお願いがあります。

 一緒に包んだお金を使って、笠間守備隊の犠牲者たちの墓前に、花を一輪供えてください。 



 私たち、もう殺しは止める。今更かもしれないけどね。

 弟の他に、三瀬拓真っていたでしょ?

 私、あいつのあまーーい考えに賭けてみようと思う。

 彼にとっては、殺人なんて、最低のクズ野郎のすることらしいです。


 ……人を好きになるって、いいことだよね。

 私はこれから、変われる気がする。



 おじさんたちも、恋人とか奥さんとか、大切にしなよ。

 じゃ、またね。」




 男は開いた手紙から零れたぐしゃぐしゃの千円札を拾い、もう一度上から読み直した。


 ……何だ。普通の子じゃないか。

 見えなくなってしまった三人を砂上に幻視し、それから苦笑した。



 業務中に私語をしたことのない男は、その日、初めてその禁を破った。

 険しい目つきで街を睨みつけている門兵の二人に集合を掛けると、手紙を見せて、こう言った。

「墓に供える花って、何がいいと思う?」

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