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 リフィと出会ったのは俺が十二才、リフィが十才の時。

 お互いの父親が俺たちを引き合わせるために、うちの別荘に招いたのがはじまりだった。


 脳裏に、淡いピンクのドレスを身にまとったリフィの姿が浮かんだ。

 ちょうどミコノスの花が盛りの頃だったから、甘い香りが庭中に満ちていて。


 ミコノスの花は淡い薄桃色でひとつひとつは小さいけど、まるで雪のように舞い落ちるんだ。その花の絨毯の上に、リフィがはにかみながら立っていて――。



 あの時のリフィを思い出すと、今でも胸がぎゅっとなる。

 その懐かしい光景と胸にこみ上げる甘酸っぱさに、俺はたまらなくなって目を閉じた。




『お前の未来の伴侶になるかもしれない女の子が、ここへくるぞ。最終的に結婚するかどうかはお前たちの意思に任せるが、とてもいい子らしいからしっかり振る舞えよ』


 父親にそう言われて、何を勝手なことをと怒った記憶がある。


 ようは、たまたま友人同士だった俺の父親とリフィの父親とが、自分の娘と息子を婚約させてはどうかなんて、勝手なことを思いついたのがはじまりだった。


 十二歳と言えば反抗期真っ只中の生意気ざかりな年頃だ。突然婚約なんて言われてもはい、そうですかなんて喜べるはずもない。


 そう、思っていたんだ。リフィを実際にこの目で見てみるまでは。



『はじめまして。リフィと申します。本日はお招きいただきありがとうございます』


 リフィは片方の足を軽く引き、スカートのひだをつまんでちょこんと頭を下げた。


 ちょっと控えめだけど、鈴のようなかわいらしいその声に、ドキリとした。


 その日リフィは淡いピンク色のドレスを身にまとい、ほんのり赤みがかった薄茶色のふわふわの髪を背中に流して、キラキラした髪飾りを付けていた。

 髪飾りについた透明なガラス細工が陽の光に反射して、少しまぶしくて、顔は直視できなかった。


 だから、ドレスばかり見ていた。


 レースが何重にも重ねられたふんわりとしたスカートはまるで綿菓子みたいで、袖口にはシルクのリボンが結ばれていてリフィ自身がピンクの花束のようだと思った。



 それは、正真正銘人生で初めての一目惚れだった。


『ほら、ぼうっとしていないでお前もちゃんと挨拶をせんか!』


 呆けたようにリフィを、いや正確にはリフィの着ていたドレスばかり見つめていた俺を父が小突き、慌てて貴族の令息らしく胸を張り、自己紹介した。


『は……はじめまして。メリルです。こちらこそお会いできて、ううう……嬉しく思います。今日はようこそおいでくださいました。……リ、リフィ嬢』


 初めてその名前を口にした時の、あの気持ちといったら――。


 その後のことはよく覚えていない。


 あの日着ていたピンクのドレスの詳細は今でも鮮明に思い出せるけど、リフィがどんな表情をしていたかとか、どんな話をしたかとか、そういった肝心なことはさっぱり思い出せない。


 けど、多分ろくなことを話していないのは確かだ。

 だって、同じ年頃の女の子とどんな話をすれば喜んでもらえるのか、どうすれば気に入ってもらえるのかなんて考えたこともなかったから。


 でもきっと仏頂面をして、ぶっきらぼうな態度を取っていたのだろう。


 あの年頃特有の、女の子の前でへらへらだらしなく笑うもんじゃない、とか格好悪いところを見せてはいけない、とかそんなくだらない虚勢を張っていたに違いないのだから。


 でも本当は、リフィがあんまりにもかわいくて声も出なかっただけなんだ。胸が早鐘のように打ってドキドキしてたまらなくて、顔も上げられなくて。

 ただ、それだけだったんだ。


 だけど今思えば、完全に初手を間違えた。初対面だからこそ、いい印象を持ってもらうべきだったのに。



 ただ、二人で庭を散策している時リフィがつまづいたのは覚えている。


 足元を見てみれば、年の割に大人びたよそ行きの靴を履いていて、きっと慣れない靴で足を痛めたんだろうと思ったんだ。

 だから、よろめいたリフィにとっさに手を差し出して――。


『あ、あり……がとう……』


 リフィは驚いたように目をまん丸くして、小さくそう答えると、差し出した俺の少し汗ばんだ手の上におずおずと手を乗せたんだ。


 その手は壊れそうなくらい小さくてかわいくて、少しひんやりとしていた。


 その手をまるで宝物のようにそっと握りながら、この手を自分が守ってやるなんてご大層なことを考えたりした。そんなこと、できもしない子どもだったくせに。



 その後まもなくして、俺とリフィの婚約が決まった。


 リフィが自分の婚約者になる。それは、踊り出したいくらい嬉しい出来事だった。

 だって、生まれてはじめて一目惚れをした女の子と婚約できるんだから。

 嬉しいに決まってるじゃないか。



 なのに――、それが今では元、婚約者だ。


 今この瞬間だって、胸が痛くて死んでしまいそうなくらいリフィのことが好きなのに。

 リフィのいない人生なんて、もう考えられない。あの優しい笑顔が隣にいないなんて、絶対に嫌だ。


 だから、どうしてもやり直したい。もう一度あの日に戻って、婚約が解消されるなんて憂き目にあわぬようやり直したい。


 だから俺は、心を決めた。


 友人たちとあんな下手なやりとりをする前に戻って、今度こそちゃんとリフィについて友人たちに紹介する。リフィがどんなにかわいくてどんなに優しくて、どんなに素晴らしい大切な存在かを堂々と伝えるんだ。


 婚約解消なんて、何もなかったことにするために――。



 俺は、手の中にぎゅっと握りしめられていた手鏡に視線を落とした。


「五ヶ月前のあの日に戻れ……! リフィに会う前のあの時間に……!」


 そうつぶやくと、手鏡の中にうつった自分の顔がゆらり、と大きく揺らめいた。




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