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もう一度目をこすり、目の前のそれをまじまじと見つめる。
「え、えーと……。女神がなんでここに? ここ、俺の部屋……」
呆気にとられながらも、その姿を観察する。
「しかも……なんで浮いてんの?」
なんと、その体は宙に浮いていた。ふよふよと気持ちよさそうに。
その上、黄金色に輝くながい髪と裾のやたら長いひらひらとした衣服までもが、無風であるはずの部屋の中で不自然にたなびいている。
そんな俺をにこにこと、自称女神は見つめていた。
「ほんとに、女神?」
「はい、女神です。正真正銘、偽りなく」
そりゃ女神なら、いきなり鍵のかかった部屋に現れて宙にだって浮けるだろう。
だろう、けど。
「女神が、何の用でこんなところに?」
そういえばさっき、何かおかしいことを言ってた気がする。
過去がどうとか……。
「ええっと……。過去が……何だっけ?」
「手鏡ですっ! 実は私、あなたに過去に戻れる手鏡をお試しいただきたくてやってきたんです」
夢を見てるんだ。そうに違いない。
女神がいきなりやってきて過去に戻れる手鏡がどうとか、そんなことが現実に起こるはずがない。
「これを使えば過去に戻ることができるんですっ。すごいでしょう? 今とは別の未来をのぞけるんですよ! あ、ちなみに今ならもれなく付属の巾着袋もセットでお付けします」
しばしの間をおいて、口から乾いた笑いがこぼれた。
どうやらずいぶん疲れがたまっているらしい。いや、睡眠不足がたたっていよいよ頭が壊れ始めているのかもしれない。
何しろもう何ヶ月も安眠などできていないのだから、無理もないが。
自分の頭がついに壊れてしまったかと頭を抱え込み、再度目をこすり目の前の浮遊体を見つめ直す。
が、やはりそれは消えることなく目の前にふよふよと、まばゆく全身を発光させながら浮かんでいた。
俺は目をごしごしと強くこすった。
よく前が見えない。なんだかチカチカして。
ちなみにまばゆい、というのはまさに文字通りの意味だ。なにしろずっと全身から強い光を放っているせいで、いささか目がチカチカして痛い。
「えーと……、なんか良くわかんないけど。不法侵入と押し売りはお断りなんだ……。帰ってくれるかな? あ、あとそのぴかぴか光るのなんとかならないかな? ちょっと眩しくて目が……」
とりあえず、これだけははっきりしている。
女神かどうかは別として、とりあえず押し売りは断るが吉だ。面倒なことになる未来しか見えない。
俺はどこか冷静に、自称女神を追い出しにかかった。
けれど女神は笑みを浮かべたまま顎に人差し指を当て、不思議そうに首をちょこんと傾げた。
「えー? だってさっきあなた、過去をやり直したいって言ってましたよね? 過去に戻って、あの日をやり直したいって。その声が聞こえたから、私ここに来たんですよ?」
その言葉に俺は固まった。
ちょっと待て。なぜそれを知っている。誰もいない部屋で呟いただけのひとり言なのに。
のぞき見か? のぞき見されていたのか?
プライバシーはどうした、プライバシーは。
「……」
思わず黙り込んで、女神をじろりと見つめ返せば。
「空を飛んでいたら、あなたの声が聞こえたんですよね。過去に戻ってやり直したいって声が。なので、ぜひこの手鏡の被験者になっていただけないかと思いまして」
そう言うと女神はどこか自慢げな笑みを受かべ、ひょいと懐から手鏡を差し出したのだった。
見慣れているはずの自分の部屋で。
皆が寝静まったこんな夜更けに。
全身を煌々と発光させた女神が。
満面の笑みを浮かべて手鏡はいりませんか?と熱心にプレゼンしている。
なんだ、これ? 一体何が起きているんだ?
困惑する俺を気にもとめず、女神はにこにこと嬉しそうにひとり話し続けていた。
「この縁飾りのところ、ずいぶん装飾も頑張ったんですよ? なかなか繊細でいい出来だと思いませんか? ねね? 思うでしょ?」
「は……? あ、ああ。うん」
「ほら、柄の部分だって持ちやすいように丸みをつけてあるんですよ。いい感じですよね?」
「あー……、えっと、悪くない、かもねー……」
女神が得意気に胸を張った。
この手鏡は、女神が手間暇かけて作ったお手製らしい。相当こだわりの逸品らしく、これでもかというくらい熱烈に売り込んでくる。
でも正直男としては手鏡にそれほど興味もないんだけど。
そんなことを思いながら遠い目をしていると。
「実はこれ、次代の神器候補なんですよ。やっぱり神器ですからね、見た目の豪華さとか雰囲気とか、大事だと思うんですよね。こういうちょっとシックで不思議な紋様とか、好きでしょう? 人間って」
「は……?神……器?」
確かに見た目は悪くないし、何か特別な力を秘めているような厳かな雰囲気はある。
けど、神器候補って?
神器って、あれだよな。神殿に滅茶苦茶うやうやしく飾られてる、滅多なことじゃ拝めない神聖なものだよな。
「あのさ、もしかして神器って女神様が作ってるのか?」
「ええ、そうですよ。神官たちに頼まれる感じで」
「神官が、女神に頼む?」
まさかそんな軽いノリで作られてたのか?
いや、そもそも女神と会話なんてできるはずないだろう。
けれど女神はまじめな顔でうなずくのだった。