タナベ・バトラーズ レフィエリ編 (完成版はタナベ・バトラーズシリーズへ移動)
【タナベ・バトラーズ】フィオーネの記憶 ~それだけで私は幸せ~
魚人族の血を引く証ともいえる灰色の肌と三つ尖った耳を持ち、硬い胸当てと厚みのある衣服で身を包み――燃ゆるような赤の髪を後頭部の高い位置で一つに結わえ、そこには水色のリボン。
そんな女性が食堂へと続く道を真っ直ぐに歩いている。
曇りのない瞳と凛とした姿勢、そして、なびく緋色のマントのような布――そのすべてが、フィオーネという存在を描き出している。
フィオーネは先日レフィエリの主となった。
彼女は今この国の女王である。
「フィオーネ、本気で言ってんのか?」
颯爽と歩む彼女に話しかけるのは、橙色の髪を雑に後頭部で縛っている女性エディカだ。
彼女は動きやすい服装が好きということもあって以前薄着なことが多かった。だが最近は少々変わってきていて。袖のある、きちんとした印象の服を着用していることも少なくない。
今日もそのような服をまとっている。
「はい。今日はトマトパインパスタセットの日なのです」
「また何で……部屋にまで運んでもらえばいいだろ?」
「いえ、食堂で食べたいのです。食堂で食べることに意味があります」
女王となってもフィオーネのトマト愛に変化はない。
それゆえトマトパインパスタセットの日にはなるべく食べに行きたいのだ。
ただ、今のフィオーネは、これまでのフィオーネとは違っている。今の彼女はもう女王だ、本来軽やかに出歩くような存在ではないのだ。当然周囲も戸惑う、女王となった者がさくさく歩いていたら。
フィオーネとエディカが食堂に入ると、付近で既に食べていた男数人がこっちの話ですというような雰囲気を出しつつ大きな声で喋り出す。
「あーあ! 女王が変わるとかまじびっくりだよなー!」
「しかもフィオーネかよ、あり得ねえ。どーせレフィエリシナ様のお気に入りだからだろ? だったらレフィエリシナ様のままの方が良かったよな」
エディカは眉間にしわを寄せて静かに男たちを睨む。
しかしフィオーネは気にしていないような様子で食堂の注文の列に並んだ。
「あんな小娘に何ができるんだかねぇ!」
「それな! 器じゃねえ」
「俺さぁ、あんなのに忠誠を誓うとか無理だわぁ」
「まじまじ! レフィエリシナ様の方がまだ好みだった!」
フィオーネの隣で注文の列に並んでいるエディカだったが、さすがに耐え切れなくなったようで、好き放題言う男らの方へ進んでいこうとする。
だがフィオーネはそれを許さなかった。
袖を掴み、男らに今にも殴りかかりそうなエディカを制止する。
「エディカさん、構いません」
フィオーネはそう言って笑う。
「もうすぐ番が回ってきますから、注文するものを決めておきましょう」
彼女の溶けるような笑みを目にしたエディカは怪訝な顔で「……本気か?」と呟くように発する。それに対しフィオーネは「はい!」と明るく返した。エディカは「そうだな」と短く発したが、その最後に先ほどまであれこれ言っていた男たちを一瞬だけぎろりと睨んだ。
◆
「ふー! 美味しそうです!」
二人はトマトパインパスタセットを頼んだ。
受け取ると受付近くの椅子に腰を下ろす。
「そう、かなぁ……」
「トマトパインパスタですよっ! 美味しいに決まってます!」
「まじかよ」
「食べてみてください」
「ああ……」
エディカは恐る恐るトマトパインパスタへ手を伸ばす。そして、どこか不気味なものを見るような目でそれを見ながら、フォークを使ってパスタを口へと運ぶ。
「お。味は案外悪くないな」
「ですよね!?」
「あ、ああ……」
「嫌ですか?」
「いや、べつに――ああ、確かに、ありではあるな」
パスタの上に乗っているパインを口へ運んで咀嚼する。
エディカは少しだけだがトマトパインパスタを見直した、思っていたよりかは美味しかったのだ。
「ですよね!」
嬉しそうな顔をするフィオーネは既にトマトサラダを食べ終えている。野菜が入っていた皿はもう空だ。そして、引き続きパスタを食べて、口もとについてしまったソースを舌ですると舐め取る。美味しいからこそ、好きだからこそ、ソース一滴まで無駄にしたくないのだ。
「しっかし、何なんだあのフィオーネ否定派は」
やがて愚痴をこぼしたのはエディカ。
「仕方ないことです、いきなりでしたから」
「けどさ、あんな言い方はないだろ」
フィオーネはエディカの顔へ視線を向ける。
そして少しだけ悲しそうな目をしたが。
「実際、私はまだこの国のために何もできていない――ですから、これから、一つずつ積み上げてゆきます」
そう言ってまた笑顔を作る。
「きっといつかは分かってもらえるはずです」
しかしエディカはまだ不満げだ。
「けどさ、フィオーネはこれまでずっとレフィエリシナ様のために頑張ってきただろ。アンタは誰より頑張ってきた、女王のために。それは国のために頑張ってたも同然だ。なのにそのアンタがあんな風に言われるとか、アタシは納得できないな」
エディカはフィオーネの剣の師だった。だから日々努力している彼女を見てきた。その心を、その努力を、その想いを、ずっと近いところから目にしてきた。
だからこそフィオーネを悪く言われることが許せなかったのだ。
「何も知らないやつにあんなこと言われたくねぇーって思うよ」
エディカが不満そうに発すると。
「私はエディカさんが分かってくれているだけで十分です」
パスタを完食したフィオーネは笑顔でそう返した。
「理解してくれる人がいる、分かってくれている人がいる、それだけで私は幸せです」
どこまでも真っ直ぐで穢れのないフィオーネを目にし、エディカは思わず呟いてしまう。
「……天使かよ」
しかしその時にはフィオーネはトマトゼリーに意識を向けていたので、エディカの呟きがフィオーネの耳に届くことはなかった。
◆終わり◆