旅立ちの始奏曲〜grave〜③
「坊ちゃんたち、おはようございます」
「「おはようメリィ!」」
木陰に落ちるひだまりのような橙の髪を一つにまとめ、エプロンを着て白い何かをこねているのは、ユーリとヨハンを育ててくれた人、メリィだ。こんなふうに朝早く起きているのは──パンを焼いているから。
オーブンからは、小麦特有の香ばしい匂いが漂い、鍋からはグツグツと大きな鍋で何かが煮込まれており、少し甘ったるい香りがする。
ふんふん、と鼻歌を歌いながら、くるくるとユーリはまわる。
「ボク、メリィのパンだいすき。あさごはんのサクサクしたやきたてのパン、いっぱいたべたいなあ」
「ユーリ坊ちゃん、もうすぐ焼き上がりますよ。お楽しみに」
「あれ、シチューの匂いだ。珍しいね」
「そうでしょう?ヨハン坊ちゃんとユーリ坊ちゃんのために、ザックが奮発したんですから」
「ザックおじさんが!?」
ザックおじさん──ザガリアスは島の外に出て、メリィ含め家族みんなの食料を買いに行ってくれる頼もしい大好きなおじさんだ。そんな彼は家族の誕生日が近くなると、いっぱいご飯を買ってきてくれる。
でもですね、と微笑みを浮かべ、メリィは続ける。
「これで終わらないですよ。ザックは貴方たちに、誕生日のプレゼントを用意しているみたいですから」
「プレゼント!!なんだろうなあ!」
「さあ?ザックのことです。貴方たちをガッカリさせないと思いますよ」
「もしかしたら、ずっとほしいって言ってた日記帳かなあ。ねえねえ、ヨハンは?」
「ぼくは……絵の具と……筆とキャンバスかな。いっぱいあっても、足りないから」
「ヨハン坊ちゃんは綺麗な絵を描きますからね。そういうユーリ坊ちゃんも、何かあるんじゃないんですか?」
「あっ、紙はほしい!いっぱいいっぱいかきたい!!」
わいわいと騒ぐ双子に微笑みを浮かべながら、メリィは双子の提げるカバンをみつめる。
「ところで坊ちゃんたち、起きるのが早いですが……どこかに行くのですか?」
「うん!じつはね、イノシ──」
「め、メリィはさ!前に言ってたよね!早起きした方が健康にいいって!ちょうどぼくたち、作品作りに行き詰まってさ!だから……」
「お散歩……ですか?それにしては、持っていくものが多すぎません?」
「……」
ユーリのカバンからは、イノシシを解体するための短剣がはみ出していた。これだと散歩だとは言い張れない。
そこで、ガチャリ、と玄関のドアが開く。朝の冷たい風が入り込む。
「──そこまでにしておけ、メリィベル。男ってもんは、秘密が多い方が魅力があるもんだ」
遠くから、低く野太いがっしりとした声が聞こえる。自分たちを包むようなその声の主は。
「おはよう、ザックおじさん!」
「おう、双子ども!」
そこには焦げ茶色の、大木の幹と同じ色の髪と髭を蓄えた、体格のある中年の男──ユーリたちを見守る、父親のようなザックおじさんがいた。
「ザック……またこの子達を危険な目にあわせるのですか」
心配そうな顔をザガリアスに向け、メリィはため息をつく。そんな彼女の様子に、心配すんなと返す。
「大事なこいつらに、危険なケガはさせねえさ。今までもそうだったろ?それにさ」
ぽん、と双子の頭に両手を置く。
「こいつらも明日で14歳だ。もうすぐで俺たち大人の仲間入りを果たすんだ。そいつを迎える前に、な──」
その時。ユーリは前に出てメリィを強く見つめた。
「ねえメリィ!ボクたちね、明日で14歳になるから、ザックおじさんみたいにかっこよーくイノシシをとってきたいの!」
「でも、危ないですよ。いくらザックがいたとしても、イノシシがぶつかったら大怪我をしてしまいます。そんなことになったら……」
心配そうなメリィに、ユーリは変わらない笑顔で答える。
「だいじょうぶだよ、メリィ!いっぱいボクたち、ザックおじさんに剣のおけいこしてもらったもん!」
「でも、ユーリ坊ちゃん。今までザックが、気が立ったイノシシに危うくぶつかるところだったって言ってましたし……」
「うう……」
言い淀んで落ち込むユーリの肩をぽんぽんと叩き、ヨハンは続ける。
「メリィ。ぼくたちももうすぐ14歳なんだ。ずっと何かをザックおじさんに任せきりじゃ、立派な大人になれないよ」
「だけど、ヨハン坊ちゃん。ザックも言っているとおり、外の世界は危ないんです。ザックは外の世界で騎士をやっていたから外に出られるので──」
「もう、それは聞き飽きたよ、メリィ」
前からいつも聞いている言葉にはあ、とため息をつく。
「それは十分にわかっているよ。でもさ、二人ともぼくたちが知りたいことに対して答えてくれないよね?」
「そうそう!そうだよね、ヨハン!」
落ち込んでいた姿から一転、ユーリは頬をふくらませて、ちょびっとだけ怒っていた。
「海の向こうになにがあるの、ってきいてもおしえてくれないし、おいしいごはんをどこで買ってきたのかもはぐらかしちゃう。だけどメリィ……」
目を輝かせて、ユーリは続ける。
「ボクたちも、島の向こうにある外の世界に行きたいんだ!!ザックおじさんはいっぱいボクたちにおはなしをきかせてくれるけど、見てみないとわからないよね!?」
「……」
「メリィがうたってくれる歌も、ザックおじさんが話してくれる英雄の話も大好き!剣の神子様とドラゴン退治の勇者の話も、いばらのお姫様のお話も、大昔の王様のお話も!だから──」
「お二人共」
メリィは2人を抱きしめて、その先の話を遮る。そして、しばらくそれを続けたあとにゆっくりと話し始める。
「私はただ、私の大切な子である貴方方を、もう一度失いたくないだけ、です……傷つくのも嫌なのです。ごめんなさい。
でも、坊ちゃんたちは大きくなりました。ザックが言うように──いつか私も、貴方達の旅を応援しないといけなくなるのかもしれませんね」
「メリィ……」
涙のせいで、声が震えている。だけど、その声はあたたかく、嫌なものではなくて。この狩りを反対しているのに、絶対に嫌とは言わせない、あまりにも優しすぎる声に少しだけ困っていた。
「そしたらメリィ、いっこだけ約束するね」
「……ええ」
抱きしめられながら、不安げな顔のメリィを見つめて、ユーリは微笑む。
「あのね。必ず、ボクたちはここに帰ってくるからね。ただいま!って、おっきなイノシシを持ってかえってメリィをおどろかしてあげるね」
「ユーリ坊ちゃん……」
同じくヨハンも顔をあげる。
「ユーと同じだよ、メリィ。ボクたち、メリィのご飯が大好きなんだ。誕生日のご飯もまだ食べていないのに、帰ってこないなんてできないよ」
「ヨハン坊ちゃんまで……」
メリィの目から涙が落ちる。ひとつ、ふたつ、みっつ。
みっつめの涙の雫が落ちてしばらくたったあと──メリィは二人を解放した。
「……わかりました。おふたりが強く言うんです。仕方ないですね」
「ほんと!?」
「ええ。ですが、本当に帰ってきてくださいね?」
「イノシシくらいで大げさな……って思うけど、わかったよ、メリィ」
ザガリアスもぎゅっ、と双子を抱きしめるメリィにそっと身体を寄せる。
「心配するな、メリィベル。お前にもう二度と、あんな思いをさせない。こいつらは、俺が守る」
「ザック……すみません……」
えへへ、とメリィに笑いかけて、じゃあおじさんもと言った。
──が。
「うわっと!」
ヨハンはなにかにズボンを引っ張られて、思わず転びそうになった。
足元を見ると、そこにはふわふわとした毛の、うさぎのような、犬のような長い耳を持つ白と黒の小さな生物がいた。
ズボンを口で引っ張りながら、宝石みたいな青と赤の純粋な目で見上げる姿は、何をしても許してしまいそうな気にさせる。
「あっ、ブラン、ノワ、おはよ」
「ごはんはまだだよ。ボクたち、イノシシ狩りに行くんだ」
しかし、2匹は仲良くきゅうきゅう、と喉を鳴らしながら、ズボンを離そうとしない。首を傾げながらきゅーと、喉から鳴く。
「ついていきたいって?だめだよ。危ないって言われてるじゃん」
だめ、という単語をヨハンが言った瞬間、2匹は毛を逆立ててグルグルと不機嫌そうに鳴く。そしてまるでイヤイヤをするように、ズボンをかんだまま首を横に振る。
「うーん……」
「こいつらも行きたいって言ってるな……」
「おじさん、連れてっちゃダメ?ブランとノワ、このままだとついてきちゃうよ」
「うむ……」
髭を指でいじりながら、ザガリアスは思考を巡らせる。その間にも2匹は低く唸り声をあげながら、ヨハンのズボンを噛み続けていた。
「ねえおじさん。助けて。ぼくのズボンなくなっちゃう」
「あー、わかったわかった。ブラン、ノワ。お前らは飼い主から離れないこと。あと言うことは聞くんだぞ。いいな?」
呆れたようにザガリアスが応えると、キュン、と高い鳴き声をあげた。モコモコの白い毛に青い瞳のブランはユーリのカバンに入り、フサフサの黒い毛に赤い瞳のノワはヨハンの肩に飛び乗った。
「じゃあ皆さん、シチューもできましたし、ご飯にしましょうか」
「わーい!!」
わいわいと双子はキッチンに行き、お皿を並べようと準備を始めた。
「……ザック」
「まだ心配か?」
「私はあの子たちの母親のようなものですから。心配に決まってます」
「何かあったら俺が前に出るさ。メリィベル」
「……ありがとうございます」
「おうよ」
少し涙ぐんだ声でメリィはザガリアスに礼を言い、全員のシチューを皿に移していった。
「ねえ、メリィ。パンやけた?はやくたべたい!」
「待ってください、ユーリ坊ちゃん。ミトンを使わないと──」
そのまま、ユーリはオーブンを開けてパンを素手で取り出した。
「あっちちち!」
「あら大変!」
反射的にパンから手を離し、ユーリは手をぶんぶんと振った。メリィが彼の手をとると、小さく呟き始めた。
「彼の者を癒し給え。ヒール」
呟きが終わると、メリィの手が輝き始め、ユーリの手に光が吸い込まれて行った。
「わあ……」
ユーリはキラキラが吸い込まれていく様子に目を光らせながら、何度も自分の手をくるくると回しながら見つめる。そんな様子に、ハア、とザガリアスはため息をついた。
「おいおいメリィベル。ちょいとばかり過保護じゃないか?」
「メリィの魔法すごい!あっちっちでいたかったのに、すぐに治って──」
「ユーリ、お前は少し反省しろ。タダじゃねえんだぞ、これは」
「ほえ?」
合点がわかないまま、首を傾げるユーリの頭を撫で、メリィは彼の手を握った。
「心配しないでください。私の魔法でしっかり治しますから」
「メリィベル」
「ザック。ユーリ坊ちゃんはいつものことでしょう。痛みはありませんか?」
「だいじょうぶ!ほら、みて!」
ケラケラと笑い、ユーリは赤みの引いた手をヒラヒラと見せる。そんなあっけらかんとした彼とは反して、ザガリアスはため息をつく。
「ユーリ。お前、本当に吟遊詩人になりたいのか?」
「うん!」
キラキラと目を輝かせるユーリに反し、ザガリアスはまたため息をつく。それからぽんぽんとユーリの頭を優しく手のひらで叩いた。
「お前さんはヨハン坊と違ってヌケてるし、ボケーっとしてるし、先が心配だなあ」
「ほえ、どこが?」
「……まあ、いいか」
よし、と呟き、ザガリアスはユーリの黄金の髪の毛をわしゃわしゃと撫で回した。
「ちょっと、やめてよおじさん~!ぼさぼさになっちゃうよぉ!」
「よーしよし、いっぱいメシ食っていい男に育てよユーリ!」
「あははっ、はーい!」
それぞれがいっぱいの野菜が入ったシチューと、焼きたてのパンを持って、食卓のテーブルにつく。
手を合わせて、双子は青と赤の目を交わし、それから元気にこう言った。
「「いただきます!」」
「「ごちそうさまでした!」」
空になった皿を重ね、双子はもう一度──作った人にありがとうを伝えるように、元気に言う。
「お皿は大丈夫ですよ。早く行きたいでしょうから」
「メリィ、ぼく達が洗うよ。そういう決まりでしょ?」
「いえいえ、今日は13歳最後の日ですから。楽しみに待ってますよ、イノシシ」
ふふ、と微笑みを浮かべる“おかあさん”に、ユーリは明るい笑顔で返す。
「うん、メリィがいっぱいおなかいっぱいになれるように、ボクたち大きなイノシシつかまえてくるね!」
「だってよ、メリィベル。立派に言うようになったじゃねえか、ユーリ坊」
「じゃあ、メリィ」
3人は扉に向かい、双子は壁にかけているそれぞれの武器を手に取った。
ユーリの手には、自分の身長にぴったりな、少しだけ短い長剣を。
ヨハンの手には、あまり自分の身長に似合わない、大きめの大剣を。
「いってきまーす!」
「いってきます、メリィ」
「いってくる」
「いってらっしゃい」
そして、いつも通りに出かける時の挨拶を交わし、双子はお揃いの革のブーツを履いて外に出かけるのだった。