生き物の寿命は電池だ
これは、多少オカルトが好きな一般人が科学的にも医学的にも知識がないままその辺のサイトを少し齧りながら自分の妄想を下記試していった作品です。読者によっては的を射ていない話だとは思います。ご了承の上読んでいただけたらと思います。
「生き物の寿命は電池だ」これは、悪魔で仮定であり、決して正しいものではない。ましてや、科学的医学的知識のない人間が自分の主観で書き綴っている妄想だ。
まず、生き物には寿命というものが存在する。だが、それは種族や環境で大きく異なり、同じ種族でも個人差がある。基本的にネズミや猫などの小動物は人間に比べて早く寿命を迎えてしまうらしい。そして、生命活動が終わるとその生き物がどうなってしまうのか、いくつか仮説が立てられている。魂というものが肉体から離れていくというのがほとんどだ。要するに、生き物は死んでしまうと幽霊になるということだ。そして、幽霊とはいったい何なのか?
幽霊は普段は人の目には見えていないものである。深夜の時間帯であったり、崩れかけの廃墟であったりと、時間帯や場所限定で極稀に見えることがあるらしい。霊感がある人でも、くっきりと生き物の形をしていたり、ノイズが汚れたフィルター越しのように見えたりしている。私の母も多少霊感があるらしくぼんやりと影が見える程度だという。幽霊とはいったい何なのか?これにも諸説あるが、ここで取り上げるのは「プラズマ説」だ。
プラズマとは、「個体、液体、気体」に次ぐ「第4の状態」とも言われており、気体の温度が上がって原子核と電子が分離したものを言いう。プラズマには光を放つ特徴があるが、その光は必ず目に見えるものではない。小学校か中学校で習ったかもしれないが、雨が降った時に空にかかる虹の話がある。虹は空気中にある液体(雨)に太陽の光が屈折して見えるものだ。大体のものが赤から始まって紫で終わる鮮やかなグラデーションで見えている。ただし、虹はすべての色が見えているわけではない。赤から始まり紫で終わるどちらが先でも構いわしないが、それより外側の光、「赤外線」「紫外線」といった人には見えない光が存在する。プラズマが発する光にも可視光・不可視光が存在しているため普段人の目で見ることはできない。
ここから本題に入る。生き物の寿命は電池だという考えだが、人間の体は電気信号で動いているという話をよく聞く。人間の体には常に微弱な電気が流れているらしく、最近の研究では四肢が不自由な人のために機械を通して脳から手足に電気信号を流すことで筋肉を半強制的に動かすといった研究がなされている。人間が寿命(老衰)でなくなる時は徐々に体が活動しなくなりやがて電池が切れたロボットのように心臓の動きが止まる。これは、体内で蓄えられていた電気が発電されないまま使い切ったため心臓の筋肉が動かせなくなったと考えられる。もし、体内での発電方法や蓄電している臓器がわかれば、人間の寿命を飛躍的に長引かせることが可能になると考える。
余談で、幽霊の話に戻る。幽霊の話でつきものなのが、この世に残した未練が強いと幽霊となり彷徨うというものだ。さらに、怪談話で聞く幽霊のほとんどが自殺や他殺などといった寿命以外での死だ。寿命を迎えるとき、電池が切れると表現している。では、寿命が有り余っている状況で生命活動が停止してしまった場合、蓄えられていた電気はどうなってしまうのか。そう、電離して肉体から切り離されてしまう。結論からすると体内に電気を有り余らせた状態で生命活動を停止させることで生き物は幽霊となってこの世を彷徨うことになる。
そして、ここでまた一つ仮説が立てられる。強い未練を持った幽霊は成仏できずに他人に憑りついたり、土地に縛られたりする。強い未練とは他人への思いやりであったり、恨みつらみであったり感情に大きくかかわってくる。だとすると、人間の体を動かすために必要な電気とは感情の大きさによって生成されるものではないのだろうか。もしかすると感情が豊かな人は長生きするのかもしれない。
最後まで読んでいただきありがとうございます。いかがだったでしょうか。もう社会人となってしまって研究などできませんが、もし研究テーマで困っている学生さんなどいたら研究の参考にでもしてください。ただの妄想化学で終わってしまっても、私の自己満足で書いたものなのでOKです。詳しい方いらっしゃいましたら。コメントであれじゃないこれじゃない言っていただけると私も考えを広げることができるのでありがたいです。