選んだ仕事
アルプレヒトが連れてきたクルトに、ナタリエは目を丸くする。この村には、めったに旅人は来ない。時折、商品の買い付けに商人は来るが、いつも見知った顔だ。それが、この短い期間に、二組もの異邦人の来訪があるとは。
片方は自分が声をかけたので、来訪者とは少し違うが。それでも、いつもと異なる雰囲気は、少しの高揚感をもたらす。
新しい旅人は、鍛冶の町から来たという。赤い髪は炎の民を祖先に持つ証だ。普段、関わることのない地域出身の男に、ナタリエは興味津々だった。
『リドル・ラム』の男たちほどではないが、背が高い。やわらかい相好はお人よしに見える。身体は、意外と全身筋肉質のようだ。身長と表情から、あまりそうとは見えなかったので、脱いだ外套を受け取ったときにその姿に驚いた。鍛冶職人として自然に作られた造形なのだろう。
「ほう、一人で各地を回っているのか」
「はい、知らない土地でいろいろな人と出会って、自分の見識を広めている最中です」
「ブンセン村には、これから行くのか」
「いえ、あちらはつい先日立ち寄ってきました。何かお祭りでもしていたんでしょうか、とても賑やかでしたよ」
父親とクルトと名乗った青年の話に耳をそばだてながら、ナタリエは道具の手入れをしていた。
新しい客人の相手は父親がすることになり、ナタリエは自分の仕事に戻った。この小屋は母屋に隣接しているので、話はよく聞こえてくる。別に盗み聞きをしているわけではない。断じて。
しかし、あちらの村に寄ったにも関わらず、シュルムにやってきたとは。よほどの物好きなのか、単に陶芸に興味がないだけか。
(まあ、あのバカ騒ぎじゃ落ち着けなかったのかもね)
隣村での結婚式の余韻がぶり返し、ナタリエの眉間にかすかにしわが寄った。
父親は、新しい客人を例の長屋に案内するようだ。宿泊場所にはもってこいだろう。現に先に逗留している『リドル・ラム』一行も居心地は悪くなさそうにしている。
(そりゃ、そうよ。だって、家族同然の人たちが住んでた場所なんだから)
あの場所は、以前は住み込みの職人たちが生活の場として利用していた。父に弟子入りし、朝から晩まで陶芸の仕事を行っていた。
土をこね、形を作り、乾燥させ、焼く――。その作業の一つ一つを何人もの職人たちが一緒に行っていた。ナタリエの家だけではない。いくつもの窯元がこの村にもあったのに、今では職人を抱える家はなくなってしまった。
注文の減りは少しずつ、しかし確実にシュルム村を衰退させていた。職人の減少により、足りなくなった人手は子どもたちで賄われるようになっている。いずれ子どもたちが家を継ぐのだから、手伝いがてら少し早めの修行だと、親方連中は気にも留めていない。
ナタリエは、目の前の箱に掛けた指が白くなるまで力が入っていることに気づく。知らず知らずのうちに、唇も噛み締めていたようだ。
「こんなことでぐじぐじ悩まない! さ、仕事仕事!」
ナタリエは両手でぱちんと頬を叩き、小屋を見回す。
外からの明かりがかすかに漏れ入る小屋の中には、いくつもの箱が積み重ねられている。積まれた箱には、その一つ一つに異なる名前が刻まれていた。
これらは、すべて焼き物につける釉薬の原料だ。箱に刻まれているのは原料の種類。この小屋はそれらの材料を保管する場所だ。大量に、しかも多量にある原料は土。しかし、含まれる成分によって焼いた後の発色が異なる。作る物によって調合を変え、相応しい色を作り出すのがナタリエの、いや代々の女たちの仕事だった。
ナタリエは、箱から木桶に土を移し替え、釉薬を作る小屋へと移る。さすがに、三つの桶は重いが、それでも慣れた重さだ。
「今日はこれと、あとは灰を――」
桶の中身の量と、これからの作業に思いを馳せていて、彼女は完全に足元への注意がおろそかになっていた。入口の段差に躓いたナタリエは、両手に土の入った木桶を抱えたまま、バランスを崩した。
(ヤバい! コケる!)
木桶を手放すことがない代わりに、顔から地面に盛大に突っ込みそうになったのに、思いがけず厚い胸に支えられた。
「大丈夫ですか?」
敷地内を案内されていたクルトが、どうやら支えてくれたようだ。後ろには父親の呆れた顔。どうせまたせわしなく動いていたのだろうと、その表情が伝えてくる。
「そんな顔しないでよ!」
突然の大声にクルトは驚いたようだが、何も言わずにナタリエを立たせてくれた。
「ここが釉薬の保管小屋ですか」
「そうだ。釉薬の原料はここで保管してる。ここから運んで、向こうの小屋で調合と絵付けをする」
「かなりの量を保管しているんですね」
小屋を覗き込むクルトは、中の薄暗さに目を凝らしている。
「色も種類が必要だからな」
いつもは無口な父親だが、クルトに関してはなぜか饒舌だ。あれやこれやと説明にいそしんでいる。果たして相手が聞きたいのだろうかと疑問に思うナタリエだが、クルトの方も興味深そうに聞いている。何がそんなに楽しいのだろう。
木桶を両手に抱え、ナタリエは向かいの小屋に移動した。これから、土を灰と混ぜて、『釉薬』と呼ばれる薬を作るのだ。素焼きした器にぬり、再度焼くと艶やかな光沢がでる。それだけでなく、割れにくくなるのだ。
釉薬はその原料となる土や石を細かく砕き、草木を原料とした灰と水に混ぜた薬液だ。どんな土や灰を原料に使うかで、出来上がりの色味も変わってくる。それらを作り、色付けをしていくのがナタリエの仕事だ。
幼いころから行う作業はもうすでに身に沁みついて、何も考えなくても体が勝手に動いてくれる。石を砕いていく作業一つとっても、それはナタリエだけの感覚だ。
代々、村全体に受け継がれてきた技術だが、各家でも少しずつ個性が出る。それだけでなく、同じ家族でも微妙にやり方が変化する。現にナタリエも母や祖母から教わった時とは違う感覚で調合を行っていた。その方が、塩梅のよい仕上がりの釉薬が出来上がる。こればかりはそれぞれが経験して培っていくものなのだろう。
扉の前で、ナタリエは一呼吸置き、木桶を抱え直して片手を空ける。左手だけが異様な重さを支えることになるが、扉を開けるためには片方の手を空けねばならない。
「よいっ――、え?」
重い荷物を抱えなおす掛け声を上げた途端、目の前の扉が勝手に開いた。目を瞬かせていると、金色の筋が目の前に揺れた。
「入らないのか?」
扉を押しやるヴァレールが怪訝な顔をしている。訝しむ表情すら見惚れそうな作りの顔に、寸の間ナタリエは見入った。
「なんだ?」
「あ、ありがとう」
頼んだ薪割はすべて終わったようだ。居候している間は、こまごました手伝いを行ってくれている彼らのおかげで、ナタリエは自分の作業に集中する時間が取れていた。小屋の中に木桶を置き、石臼やすり鉢に持ってきた石を入れていく。
「すごいな」
振り返ると、ヴァレールはまだ小屋の入り口にいて、物珍しそうに小屋の中を見回している。
そういえば、彼らを案内した時には、あまり細かく説明をしなかったことを思い出す。案内したのはナタリエだ。必要ないと思った場所は『作業場』としか伝えなかった。
「うちはこれが商売だもの。一種類ずつ染料を作って、器の染付に使うのよ」
そういって手の中の、砕かれた石の入った小鉢を見せる。この道具もナタリエの母、祖母、代々受け継いできたものだ。
「これだけの色彩を作り分けられるのは、門外漢からすれば才能にしか見えない」
わずかな色の濃淡でも、出来上がりには違いが出る。職人たちの要望通りの色を出すためには、確かにある程度の経験やそこから得られる感覚が必要になる。
思いがけずヴァレールから賛辞を受け、ナタリエはそういえばこの男としっかり話すのはブンセン村で出会った時以来だということに気づく。
「そっちだって、すごいじゃない。あれだけ場を盛り上げる演奏ができるんだもの」
しかも、何曲もその場に合わせて臨機応変に披露することができるのだ。曲の習得だけでなく、場の雰囲気を感じ取ること、他の団員たちと息を合わせて即興に応じるなど、それこそ才能が必要だろう。
ブンセンの村での彼らの演奏や芸は、確かに心を浮き立たせた。幼馴染の結婚にモヤモヤしたものを抱えていたナタリエですら、あの一時は素直に曲に耳を傾け、祝福の気持ちを向けることができた。
「そうか?」
「なんで、ジョングルールになろうと思ったの? 元から楽器が得意だったとか?」
ヴァレールが頬をかく様子に、微笑ましさを感じたナタリエは尋ねる。ヴァレールの容姿や身ごなしを見ていると、わざわざジョングルールという職業を選ばなくても、やっていける道があったのではないかと思うのだ。
「言われたからな」
『これから旅芸人として、各地を周ってもらう』
ヴァレールはあの日、フィリップから言われた言葉を思い出す。言われたときは寸の間、思考が停止した。
宮廷詩人とは異なり、ジョングルールは放浪の身。身元の怪しいものも多く、差別の対象となることもあった。そのような立場に身をやつせと言われ、混乱した。それでもその意図を理解してからは、彼の希望を叶えるべく、それまで縁のなかった楽器の習得に力を入れたし、何十という曲も覚えた。
役に立てると信じ、それは今も変わらない。側で仕えることは叶わないけれど、この仕事は彼に対する忠誠の証しともいえる。彼の目となり、耳となり、彼が信じる道を進めるように、最大限のサポートをする。それを誇りに、自分は今ここにいる。