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村の生活

 朝焼けが村を包む頃、女たちは朝の支度を始め、男たちは一日の仕事の算段をつけ始める。

 その澄んだ空気の中に、かすかな歌声が響いてくる。既にここ数日、日課として馴染み始めたものだ。


   新しい日が昇る 新たな光が顔を出す

   明るく 眩しい一日を 喜ぼう

   大地は芽吹き 風が歌う

   光の恩寵がこの身にあふれる

   ああ 新しい我らの一日は 明るく照らされる


 聖輝教の祈りと共に歌われる歌の一つだ。ありふれた歌なので、これまでも何度も耳にしたことがある。しかし、なぜか村人たちは清々しい気持ちで一日を始められるようになっていた。


 日中、リリアは村で洗濯を手伝っていた。

 ただ世話になるだけでは申し訳ないと、村長宅の衣類を引き受け、ついでに周囲の人手が足りないお宅の分もまとめて回収していた。

 家事だけでなく、商品の絵付け作業なども行う妻たちは、猫の手も借りたいほど忙しい。加えて、年寄りの世帯では、なかなか家事を行うのも一苦労だったのだ。

「洗濯くらいなら、私でもできるもの」

 お料理は無理だけど、と笑うリリアは、楽しそうに洗濯をしていた。


   さあ 洗濯だ洗濯だ

   水よ しっかり働いておくれ

 隅々まで沁みわたり 汚れを浮かせてよ

   風よ 優しくふいておくれ

   柔らかく糸の一本まで 乾かしてよ

   土よ 決して埃をたてるな

   森よ 決して日差しを遮るな

   うまい洗濯は気持ちも晴れる さあ洗濯だ


 村には、井戸は何ヶ所か設置されていたが、洗濯場は一か所だ。

 リズムに合わせて足踏みしながら洗濯をしている様は、まるでダンスを踊っているようだ。一つにまとめた灰色の髪が足踏みとともに揺れる様子は、より楽し気に見える。一日目は彼女を物珍しそうに眺めていた年寄りたちや子どもたちが、二日目以降は一緒に洗濯をするようになり、この数日、洗濯場は賑やかだ。

「あのお嬢さんは、歌がうまいねえ。こっちの気分まで洗われるよ」

 見守る村長は、まぶしいものを見るように目を細めている。

 ディアーヌは近くの窯元で、おかみさん連中から絵付け作業の手ほどきを受けていた。 こちらはリリアとは違い、最初は明らかに煙たがられた。それでも村長夫人が一緒だったこともあってか、遠巻きにされながらも、一応は輪に加えられた。

 二日目以降は、まるでシュルム村出身のようにそこになじんでいた。

「本当に器用だね。花の紋様なんか、すぐにあつらえられるようになって」

 少女時代から作業をしてきた女性たちですら目を見開くほどの出来栄えの物を、ディアーヌは仕上げていく。大小の筆や様々な色彩を使い分けながら、巧緻な絵を描いていく。

 一度素焼きした器に下絵が描かれ、それを再度焼いて陶器は完成する。二度目の焼きのために、作品を取りに来た焼き場の男衆ですら、呆気にとられるほどの出来のものが仕上がっていた。

 三日目以降になると、一緒に絵付けをしているおかみさんたちは、髪の毛の結い方が変わったり、唇に艶が出たりと、華やかさが増した。

「素焼きの器だけでなく、奥様方にも色付けするとは、流石ですねえ」

「女性だって、手を加えれば、魅力的に輝くものよ。見せ方をどうするかだけだもの」

 そう言ってディアーヌはほほ笑むが、対照的にフランチェスコの顔はやや疲労して見えた。

 シュルム村に滞在してはや数日、今は穏やかな昼下がりだ。村長宅で弁当をもらったので、ディアーヌは休憩がてら村の柵の外に出ていた。

 柵の外は、なだらかな丘が続き、穏やかな風が吹いていた。昼食をとるにはもってこいの場所だ。腰を下ろそうとしたところで、柵の周辺を歩いているフランチェスコを目にし、声をかけたのだ。

「なんだか疲れてるわね」

 珍しいこともあるものだ、と横に座るフランチェスコを見ながら、ディアーヌは渡された昼食を口にする。黒麦のパンに、葉野菜や千切りになった野菜の酢漬け、干し肉が挟まっている。味はシンプルだが、黒麦の香ばしい匂いと相まって、食欲を誘う。干し肉の塩加減がまた絶妙だ。

「疲れた、というか、なんというか。一応ここはブレマン国ですよね?」

「ほうね」

「リリアみたいですよ」

 パンを頬張ったまま相槌を打つディアーヌの様子は、団員の少女とそっくりだ。思わず突っ込んでしまうが、別に不快なほどの行儀の悪さというわけでもない。フランチェスコは話を戻した。

「聖輝教が仕事を放棄してるんですよ」

「?」

「小さな村ですからね、教会がないのは仕方ないとは思います。でも、礼拝堂はあるんですよ。しかし、荒れ果てていた。教司が巡回に来ていないんです」

 聖輝教は、『すべてのものは光から生まれた』という教えのもと、発展した宗教だ。その教えは少しずつ広まり、フェディール王国、ブレマン国などの諸国で国教となっている。聖シャマーニュはその大本山であり、宗主を首長として一つの国家を形成していた。

 基本的には一つの集落には一つの教会があり、その教会は聖シャマーニュから派遣された教司によって管理されている。

 しかし、小さな集落の場合、教会を作ったり教司を駐在させたりすることも難しかった。そのため、そのような小さな集落では教司が定期的に巡回するという制度があった。教会を建てなくても礼拝堂を用意し、そこで教司が住民たちに教義を伝えたり、文字や簡単な計算などの知識を教えたりしていた。

「昔は、教会も人手不足だったということがありますから、礼拝堂や巡回のシステムがうまく問題を解決したようです。しかし、今は財力のない町や村、辺鄙な地域では、派遣をしぶる教司もいるようです」

 この村の担当者もそういう部類のようですね、とフランチェスコは不愉快そうだ。

 使われていない礼拝堂を見つけたフランチェスコは、村で遊んでいた子どもたちに尋ねたそうだ。『教司の人から、教えを受けたことはありますか?』と。

「答えは『一度もない』でしたよ。五歳くらいの子どもですら一度もですよ? つまりは、それ以上前から来ていなかったと考えても不思議はないです」

 聖輝教の教義はもちろん、文字も教わったことがないという。大人の見よう見まねで朝晩の祈りの言葉を暗唱したり、自分の名前を書くことはできたが、それだけだった。そのため、フランチェスコは子どもたちに文字や計算を教えていたのだという。

「そうしたら『余計なことをしないでくれ』と言われました」

 ナタリエに事情を聞いて彼女と礼拝堂を片付け、子どもたちと学んでいたところを、親の一人が乗り込んできたのだ。

『学ぶことは無駄ではありませんよ』

『そんな理屈はお貴族様相手にやってくれ。こっちは手がいくらあっても足りないんだ。子どもだって村のために働いてもらわにゃならん』

『確かに労働も尊いですが、せっかく子どもたちが興味を示しているんですよ』

『名前が書けるなら、それでいいじゃないか』

『言葉は自分の名前だけではありませんよ』

『おい、ナタリエ! よそ者を連れてくるのは勝手だが、こっちの仕事の邪魔になるんだ!』

 フランチェスコは言い募ったが、男は全く相手にしなかった。子どもたちも男の後ろについて立ち去った。しかし、フランの方を度々振り返りながらの表情からは、学ぶことに興味が向いていたのは明らかだ。

『仕方ないのよ。別に悪気があるわけじゃないんだけど。あの人だって小さいときは手習いをしていたのにね』

『……あなたにまでご迷惑をおかけしてしまいましたね。申し訳ない』

 ナタリエは礼拝堂の扉に背を預け、うつむいた。教司の巡回は、いつの頃からか頻度は減り、今では忘れたころにやってくるという表現の方がしっくりくる程度らしい。

『貧しいってこういうことなのよ。教会からも見捨てられるなんて、笑っちゃうわ』

『光は誰のもとにも平等に降り注ぐものです。完全に教会側の怠慢ですよ』

 ナタリエとの会話を思い出したフランチェスコは後ろに倒れこみ、空を見上げた。真っ青な空に吸い込まれそうになるが、時折ゆっくりと白い雲が視界を遮るように動いていく。フランチェスコは自分の手のひらを眺めながら、隣にいるディアーヌに聞こえるかどうかというくらいの声でつぶやいた。

「あの子たちに、配達屋を使ってもらうことはできませんね」

「そうねえ。今のままじゃ、無理ねえ」

 まったく気負ったところのない返事に、フランチェスコは恨みがましい視線を向けた。そんな視線を気にも留めず、ディアーヌは薄い笑みを浮かべる。

「変わらなきゃいけないって思っていても、どうやったらいいかわからない人間の方が大半なのよ。ちょっとしたきっかけがあっても、変わることが怖いって無意識に感じてしまうのも人間」

 そういう時はね、と面白そうな声音は先ほどと同じで、フランチェスコの上から降ってくる。

「変わりやすいところから変えちゃえばいいのよ」

 草の上を風が穏やかに吹き抜けていく。

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