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第五話

「……フィリス嬢。ちょっといい? このお店の中を見てみたいんだけれど……見てもいいかい?」


 店が並ぶ街中をぶらぶらと歩いていると、ラッセルがある店の前で立ち止まり、尋ねてきた。私も立ち止まって見ると、落ち着いた雰囲気のアンティークショップがひっそりと建っている。


 骨董品に興味があるなんて少し意外に思ったが、彼の申し出を断る理由もない。私は了承の意を込めて頷いた。


「別にかまいません。その代わり、わたくしも広場の方で休んでいてもいいでしょうか。少々疲れてしまったので」


 実際にはカフェで休憩してからあまり時間は経っていないため、疲れているわけではない。けれど、私が付いて行っても冷やかしにしかならないし、その方がラッセルも落ち着いて一人で見ることができて都合がいいだろう。現にラッセルも「わかった。用が済んだらそっちに行くね」と深く追求はしなかったから、これでよかったのだろう。


 私は彼と別れると、店からあまり離れていない広場のベンチに腰掛ける。とはいえ、休みたかったわけではないので、何もすることはない。


 ぼんやりと景色でも眺めてみるかと周りを見ると、私以外には金髪の少女と男のカップルがベンチ近くで揉めているらしい光景が視界に入ってきた。


 痴話喧嘩ならよそでやってほしいと呆れていたが、少女の「だから暇じゃありません!」と言う声に、ようやく少女が男に口説かれていたのだと知る。よく見れば、少女は心底困ったように拒絶しているし、男の方はそんな少女の腕を掴んでしつこく彼女に言い寄っていた。せめてこれが両者同意の元ならいいのだが、さすがに嫌がっている彼女をそのままにしてはおけない。


「そこのあなた、その女性から手を放しなさい」


 気づいたら彼らに近づいて、男にそう言い放っていた。突然出しゃばってきた見知らぬ女に一瞬二人は目を見開いたが、男の方は私が大したことなさそうだと察したようで、すぐに見下すように私を睨みつける。


「はぁ? 何だよ、あんた。この子の知り合い?」

「そんなこと、今はどうでもいいでしょう。とにかくその手を放しなさい。彼女嫌がっているでしょう」

「それこそそっちには関係ないだろ。それに嫌がっていないし」


 男の声に呆れたようにわざとらしく息を吐く。


「どう見ても嫌がっているでしょう。それがわからない男など、底が知れているわね」

「なっ」


 馬鹿にされたと気づいた男が、怒りで顔を真っ赤に染める。これで男の注意は私に向かったようで、男は拳を握り、その手を振りかぶった。その拍子に少女の腕から男の手が離れる。


「この女、ふざけやがって――!」


 襲い掛かる衝撃に備え、私はぎゅっと目を瞑った。けれど、いつまでもその衝撃は来ることがなく、私はそっと目を開ける。


「はい、ストップ。女の子を殴ろうとするなんて、男失格だよ」


 そこには、簡単に男の腕をひねり上げているラッセルの姿があった。急いできたようで、額には汗がにじんでいる。しかし、彼はこんなときでも笑みを浮かべていた。ただし、目は笑っていないけれど。


「いてぇっ! 離せ!」

「君がこれ以上彼女たちに何もしないと約束するなら、離してあげるよ。まあ、少しでも何かしたら、こちらもただではおかないけれど」


 ラッセルは、今にも人を殺せそうなほどの恐ろしい目つきで男を睨みつけた。


そんなラッセルに恐れを抱いたのか、男はこくこくと頷く。これならもう問題は起こさないと判断したのか、ラッセルが男から手を離すと、すぐさま男は一目散に逃げていった。なんて逃げ足の速い。


 男が立ち去った方を見ていると、「あの」と声をかけられた。そちらを見ると、先ほどの少女が立っている。


「先ほどは助けていただきありがとうございました。お二人には感謝しかありません」


 改めて見ると、その少女は可愛らしい顔立ちをしていた。確かにこれなら口説きたくなる気持ちもわかる。だからと言って無理強いはよくないけれど。


「こちらこそあまり役に立てなくて申し訳ありません。結局は彼……ラッセル様のおかげで上手く場を収められたわけですし」

「そんな! 私は何もできずにあたふたするしかなかったので、お二人がいてくれて本当に良かったです。ありがとうございました」


 素直にお礼を言う彼女は、本当に可愛らしい。それだけで、私のしたことに後悔はなかった。


「ところでフィリス嬢」

「何でしょうか」


 不意にラッセルに名前を呼ばれ、彼を見上げる。瞬間、見たことを後悔した。


 ラッセルはにこにこしていた。ただし、その瞳は静かな怒りを孕んでおり、彼の纏う空気も冷たかった。予想外の彼の表情に恐怖したのか、背中に冷や汗が流れる。怒っている理由はわからない。けれど、その様子から彼の怒りは私に対してなのだということは理解できた。


「フィリス嬢。俺が怒っているのはわかる?」

「え、えぇ」

「そう。ならなぜ怒っているかは?」

「えぇと……普通に考えれば、きちんと最後まで助けられる保証がないのに中途半端に助けようとしたこと……に対してでしょうか」


 ラッセルの纏う空気の温度が一段階下がった。この様子だとどうやら違うらしい。


 私の答えを聞いて、これ以上的確な答えを得られないと思ったのか。ラッセルはわざとらしくはぁ、とため息を吐くと、説明し始めた。


「それも確かにあるけれど、一番は自分を大事にしなかったことだよ。君、わざと相手を挑発するようなことを言って、隙を作ろうとしたでしょう。殴られても仕方ないと覚悟のうえで」

「え! そうなんですか?」


 ラッセルの言葉に驚いたのは少女だった。彼が頷くと、少女も私の行動の意図を知り、渋い顔をする。


「さすがにそれは……。助けてもらっておいて言える立場じゃないですけど、ご自身を犠牲にしてまで助けてもらっても嬉しくないです」

「だろう? 助けようとする気持ちは大事だけど、それで君自身が傷ついたら意味がない。君は女の子なんだし、顔に怪我でもしたら大変だ。だから、もう少し自分を大切にしないとだめだよ」


 さすがにここまで二人に言われて反省しないほど私は愚かではない。「申し訳ありません、軽率な行動でした」と謝ると、二人はほっとしたように顔を見合わせた。


「では、私はここで失礼します。改めて助けていただきありがとうございました」

「あんなことがあった後に一人で行動するのは不安では? よければ家まで送りましょうか?」


 私が申し出ると、少女はふるふると首を横に振った。


「申し出はありがたいですが、個人的な用があるので気にしなくても大丈夫です。でも、心配していただいてありがとうございました。では、失礼しますね」


 そう言って少女は立ち去って行った。ぼんやりとその後姿を見つめる。


「じゃあ俺たちも帰ろうか。寮まで送るよ」

「……ありがとうございます」


 私たちは帰るべく、歩き始めた。






 寮までの道は長く感じられた。


 と言うのも、今日犯したさまざまな失敗を考えてしまったからである。


 小説の恋愛テクニックを実行できなかったり、つい昔の思い出話を語ってしまったり。挙句の果てに助けようとしたつもりが、結局ラッセルに助けられ、怒らせてしまう始末。これでは好きになるどころか、好感度はマイナスだ。


 ようやく寮の前に辿り着いたときには、辺りはオレンジ色に染まっていた。今日が楽しい一日で終わっていたら、この夕焼けも綺麗なものに見えたに違いない。けれど、今は外の景色を美しいと思えるほどの余裕はなかった。


 先に切り出したのはラッセルの方だった。


「今日はありがとう。魔道具の構造も知れたし、楽しかった」


 楽しかったと言ってくれてはいるが、それはあくまでも展覧会の中身であって私と一緒だったからではない。つまり、誰が相手でも展覧会自体は楽しめたのだろう。今日の失敗を考えると、他の女の子ならばもっと楽しめたかもしれない。


「こちらこそありがとうございました。それと……最後の軽はずみな行動に関しては、改めて申し訳ありません。ラッセル様には迷惑をかけました」

「あぁ……もう二度とあんなことさえしなければ、別にいいよ。俺も君を一人にしたのが悪かったしね」

「そう言っていただけるとありがたいです」


 私がそう言うと、少しだけ二人の間に沈黙が落ちる。


 そんな気まずい空気に耐えられず、私は早々に別れを告げることにした。


「では、私はこれで失礼します。帰る際はお気を付けて」


 そう言ってラッセルに背を向けようとすると、「フィリス嬢」とラッセルに呼び止められた。内心驚いたが、顔には出さず「何でしょうか」と尋ねる。


「あー……えっと。君に渡したいものがあって」

「渡したいもの、ですか」


 予想外の言葉に、ついラッセルの言葉を反復する。


 ラッセルは鞄の中から手のひらほどの大きさの箱を取り出すと、それを私に手渡した。可愛く緑のリボンで巻かれたその箱を、反射的に受け取る。


「これは?」

「……えっと」


 ラッセルにしては珍しく歯切れが悪い。


 その様子を訝しく見ていると、やがて覚悟を決めたかのように、ラッセルは小さく頷いた。


「実はそれ、オルゴールなんだ」

「オルゴール?」


 思わず聞き返すと、ラッセルは「そう」と続ける。


「さっきのアンティークショップで見つけたんだ。ほら、今日オルゴールの話をしただろう? それで以前壊してショックだったと言っていたから……。もちろん、君の母君がくれたものには及ばないのはわかっているけれど、それでも少しは寂しさや悲しみが和らぐかと思って。結局、展覧会で見たオルゴールは鳴らさなかったし」


 つまりラッセルは、私の思い出話を聞いて私を慰めたいと思ったから、このオルゴールをくれたということなの?


 たどたどしく紡がれた言葉。躊躇いがちな瞳。どこか不安そうな笑顔。私にとって繊細な過去だからこそ、自分がしたことが正しいかどうか心配なのだろう。これが演技なのだとしたら、舞台に立てるほどだ。


 だからなのか、そんな彼の気持ちが素直に……嬉しかった。


「ありがとうございます。大切にいたしますわ」


 お礼を言うと、どういうわけかラッセルは目を丸くした。だが、すぐにいつもの余裕のある笑みを浮かべる。


「こちらこそありがとう、フィリス嬢」


 なぜラッセルがお礼を言ったのかはわからない。けれど、聞いても教えてくれない気がした。


 その夜、私はもらったオルゴールの曲を聞いていた。

 流れたのは、子守歌として歌われることが多い、有名な曲だ。


 当然、お母様がくれたオルゴールとは違う曲だ。けれど、子どものころお母様が歌ってくれたことを思い出し、懐かしくなった。


 私はしばらくの間、オルゴールの音色を聞き続けていた。


 初めてのデートは失敗に終わってしまったけれど、私は満ち足りた気持ちでいっぱいだった。


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