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第二話

 珍しく寝不足気味の朝、私はあくびしそうになるのを抑えながらすました顔で教室へと向かった。

 昨日眠れなかったのは当然、夜遅くまで具体的にどうすればいいかを考えていたからだ。


 まず当たり前だが、ラッセルたちの賭けを知らないふりをすること。

 私に知られているとわかったら、向こうは警戒するかもしれない。そうなれば惚れさせるなどとても無理だろう。だから不自然な行動は慎むように気を付けたいと思う。


 第二に、態度を徐々に軟化させるよう意識すること。最初のうちは淡々とした態度を取り、そばにいる時間が増えるにつれ、徐々に感情を表すようにする。そうすれば相手は自分が特別だと思うはずだ。そのため、ラッセルが何か仕掛けてきたとしても、最初のうちはいつものように浮ついた素振りは見せないつもりである。今までだって話しかけられたことは何度かあったが、最低限の会話しかしていない。それがもし、いきなりこちらから進んで会話するようなことにでもなったら、相手は何かおかしいと疑うだろう。そうなったら本末転倒だわ。


 第三に、こちらからも行動を起こすこと。例えば、話しかけたり、昼食に誘ったりとかである。もちろん、最初のうちにやれば怪しまれるだろうが、仲良くなればそれらの行動にも違和感はない。要はその時の関係に応じた適切な距離が大事なのだ。


 ……と言っても、ここまで考えることができたのは、昨日数少ない手持ちの恋愛小説を読み漁った結果なのだけれど。


「やあ、ボイエット伯爵令嬢。おはよう」

「……おはようございます。ニューランズ様」


 考え事をしていたせいか、前方からきていた女子生徒に囲まれたラッセルに気づかず、話しかけられた。彼を落とすと意気込んでいたとはいえ、昨日彼の態度に対し泣いてしまった以上、向こうは知らないとはわかってはいても少々気まずい。顔には出ていないと思うが、内心はすぐさま立ち去りたい気持ちでいっぱいだった。


 せめてもう少し気を引き締めている時に来てくれればよかったものを……。いつもなら二日連続で話しかけてくることなどないのに。やはり昨日の賭け通り、私を落とすためのアプローチを実践しにでも来たのだろうか。


「なんだか疲れているようだね。どこか顔色も悪いみたいだし、寝不足かい?」

「……ちょっと夜遅くまで勉強をしていたので」


 「あなたを落とすための勉強をね」とは当然言えるわけがなかった。


 それにしてもこの男、よく私の顔色が悪いって気が付けたわね。寮に雇われている私の世話役のメイドでさえ、「本日もいつもと同じお化粧をさせていただきますね」と顔色の悪さなんて気づかず化粧を施したのに。さすが女好き。


 けれど、すぐに自分は女扱いされなかったことを思い出し、なら今回は偶然かという考えに行きついた。そのことに胸が少し痛んだ気がしたが、私はその事実から目をそらした。


「勉強することは素晴らしいことだが、体調を崩しては元も子もない。保健室までついていこうか?」

「いえ、これくらい平気ですので。もし辛ければ一人で行きますので、大丈夫です」


 むしろそんなことされれば、あなたの周りの女の子に恨まれるからやめてほしい。


 現に一人にはあからさまに睨みつけられた。確かにラッセルを落とす気満々ではあるけれど、今はまだこちらから動いていないのだから、恨まれる謂れはないはずだ。


「心配してくれてありがとうございます。では私はこれで失礼しますね」


 軽く頭を下げると、私はさっさと歩き出した。






 昼休みになると、クラスメイト達は昼食を食べに皆学食の方へと向かった。


 いつもなら私も向かうのだが、できればもう少しラッセルを落とすための知識を身につけたい。となると、行く場所は一つ。本もあってかつ誰にも邪魔されない場所――つまり私がいつも勉強している第二図書室だ。


 私は第二図書室に辿り着くと、片っ端から恋愛関係の本を取り、机の上に積み上げた。恋愛関係の本と言っても、ほとんどが恋愛小説だけれど。


 私は椅子に座り、黙々と小説を読み続ける。昼休みのほとんどを読書する時間に当てることができるとはいえ、昼休みは約一時間近く。一冊分ですら読み終えることはできないだろう。そのため積み上げた本は戻さず、ここに置きっぱなしにして放課後また読みに来るつもりだ。第二図書室は司書がいないし、外部に持ち出さなければ本を借りることは自由。何より、ここに来る人はほとんどいないだろうから、問題ないだろう。


 それにしても、やっぱり私には恋愛小説は合わないみたい。母親が好きだったのもあって私の部屋にも何冊かあるけれど、どちらかと言えば冒険小説の方が好きだ。別につまらないわけではないのだが、メイドたちが話していたような「ときめき」みたいなものは全く感じない。昨夜の自分はよく眠気と戦いながら恋愛小説を読めたと、我ながら感心する。


 それが原因か否か、徐々に私の瞼が下がってきた。寝不足気味だったのも災いし、視界に入る文字がぼんやりしてくる。


 このままでは内容が頭に入ってこない。私は何とか眠気と戦いながらも文字を追っていく。けれど、やっぱり睡魔には勝てなかったようで。やがて瞼が完全に閉じてしまうと、そのまま私は意識を手放した。






 パラ、とページを一枚めくる音が聞こえる。


 その音はこの静かな空間に大きく響いていた。けれど、決して不快ではなく、むしろそれが心地良い。

 本当はもう少しこのままでいたかったが、いつまでもそうしているわけにはいかない。私にはラッセルを落とすという目標があるのだから。


 小さく身じろぎをし、徐々に目を開けた。それに気づいたのか、「起きたかい?」という柔らかな男性の声が、私の耳朶をくすぐり――。


 ……ん? 男性?


「!」


 すぐさま脳が覚醒した私は、勢いよく顔を上げ、声の聞こえた正面を見た。

 そこにいたのは私の目標を達成するために関係する、憎き人物。


「ようやく眠り姫のお目覚めだね。気分はどう?」


 そう言ってラッセル・ニューランズは、女の子たちが喜びそうな微笑みを私に向けた。


「な、ぜここに?」


 驚きで悲鳴を上げなかった自分を褒めたい。周囲に女の子がいなかったため、一瞬誰なのか頭が理解できなかった。それほどまでに彼が一人でここにいるという事実が信じられなかったのだ。今日ほど自分の無表情っぷりを喜んだことはないだろう。


「まず起きてすぐに言う言葉がそれなんだ。真面目な君の事だから、時間の確認や授業について聞いてくると思ったよ」

「時間?」


 指摘され、第二図書室に置かれたアンティーク時計を見やる。……昼休みが終わるどころか、とっくに授業が始まっている時間だった。途端、サーッと血の気が引いた。


「じゅ、授業!」


 慌てて立ち上がると、私の肩にかかっていたジャケットが落ちそうになり、反射的に引っ張り上げる。ほっとしたが、そこでようやくラッセルがシャツ一枚というラフな格好であることに気づき、これは彼がかけてくれたものなのだと理解した。


「すみません、かけてくれていたのですね。お返しします」


 ジャケットを彼に手渡すと、軽く頭を下げ、再び第二図書室を出ようと急ぐ。遅刻は確定だが、行かないよりは良いだろう。


 けれど、すぐさま「ちょっと待って」とラッセルに呼び止められ、同時に手首をつかまれた。


「どうして止めるのです?」

「まあ、とりあえず座って」


 私の苛立ちを含んだ声にも動じず、ラッセルは座るよう促した。というか、この男も授業中のはずなのに、なぜ平然とここにいるのよ?

 とはいえ、このまま問答していても無駄に時間が過ぎてしまう。仕方なく私は元の席に座り直した。


「簡単に説明するとね、今日の授業は出なくてもいいって」

「……どういうことでしょうか」


 顔には出さないが、不機嫌さを一切隠さない声色で尋ねる。けれどもラッセルには全く効いていないようで、彼はにこにこしながら説明し始めた。


「実は昼休み、たまたまここで寝ている君を見つけてね。朝、寝不足だったみたいだし、体調不良と判断して先生には授業を休む旨を伝えたんだよ。そしたら『フィリス嬢は優秀だし、多少授業を休むくらいなら問題ないだろう。お大事にしなさい』だって。ボイエット伯爵令嬢は信頼されているね」

「勝手なことをしないでもらえます?」


 きっと他の人から見れば、今の私の背後には吹雪が吹いているに違いない。無表情も相まって、普通の人には冷たい印象を与えるだろう。けれど、それほどまでに授業を休みたくなかったのだ。それはもちろん、一度でも休んでしまえば、勉強についていけなくなるかもしれないからである。ただでさえラッセルに負け続きなのに、休んでしまえば余計差をつけられてしまう。


「君は相変わらず真面目だね。体調が悪いのは事実だったのだから、少しくらい休んでも文句は言われないよ」

「わたくしが気にするのです。気を遣っていただいたことには感謝しますが、次からは余計なことはしないでもらえますか」

「お姫様のためならば」


 大仰に恭しく頭を下げるラッセル。その姿は様になっているが、どう考えても私をからかっているようにしか見えない。いつもそばにいる女の子たち相手に言うならともかく、親しくもない私相手に言う台詞じゃないんだもの。本当、嫌な男だわ。


 それにしても、今日の分の授業をどう勉強したらいいのかしら。この感情の出にくい見た目のせいで学園内の友人はほぼいないため、授業のノートを借りるなんてことはできない。でも、だからと言って担当教師に今回の授業内容すべてを尋ねるのは、相手の都合的にも厳しいだろう。


 ため息を吐きたくなるような今の状況に憂鬱になっていると、ラッセルがふと「そうそう」と切り出した。


「今日の授業内容についてだけれど、俺が教えることになったから」

「は?」


 思わず淑女らしくない声が出てしまい、ごまかすように咳払いをする。ありがたいことにラッセルはそのことに触れず、話を続けた。


「勤勉な君は授業を少しでも休めば困るだろうと、先生に言われてね。僭越ながら俺が教えてもいいでしょうかと提案したら、改めて先生から頼まれたんだ。だから君さえよければ今日の放課後にでも勉強したいんだけれど、どう?」


 先生、なぜよりにもよってこの男に教授を頼んだのよ!? 確かに困っているけれど、他の人にしてほしかったわ!


「ですが、さすがにご迷惑では? ニューランズ様も忙しいでしょうし、それにまだご自身も習っていない箇所もあるのではないでしょうか」

「あぁ、それなら問題ないよ。俺のクラスでは先日この部分をやったから。だから教えることは可能だよ。それとも、まだ具合は悪そうかい?」


 やんわりと断ったつもりだったが、この様子では彼に教わることは確定事項らしい。この調子だと、せいぜい教わる日がずれる程度だろう。それならば今日教わった方が後の事を考えると楽だ。


 それに、今回の授業内容を知らないと、次の授業がわからなくなる可能性があるのも事実。私は仕方なく「大丈夫ですので今日の放課後お願いいたします」と返した。その答えを聞いたラッセルは頷く。


「じゃあ、放課後またこの第二図書室に来るよ。ではまたね」


 ラッセルが第二図書室を出て扉を閉めたと同時に、私は机の上に突っ伏した。本来なら眠って体調が回復したはずなのに、彼の出現で一気に疲れが押し寄せた。


 それにしてもなぜラッセルはよく知りもしない私に授業を教える気になったのかしら。今の時間は彼も授業だったし、わざわざそのことを伝えるためにここに残っている必要なんてなかった。どう考えても彼のとった行動はどう見ても利にならない。私にとってはありがたいけれど……。


「はっ! もしかしてこれで私の好感度を上げて落とそうとしている……?」


 気づいた今ではもう遅い。私は彼の術中にはまり、見事に申し出を受けてしまった。


「なんてマヌケなの、私……」


 自分の馬鹿さ加減に落ち込むが、ここは前向きに捉えることにする。


「むしろ、これはラッセルを落とすための良い機会だわ。放課後の勉強会で少しでも私に惚れるように上手く立ち回ればいいのよ。それに最初のうちは私から積極的に接触することは難しいし。うん、そう考えれば勉強会も悪くないわ」


 ならば私が今やることは決まりだ。


「よし、恋愛小説を読もう」


 先生にはもう休むって伝えてしまったみたいだし、せっかくだからこの時間を有効活用しましょう。


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