表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/8

第一話

 人がちらほらと散らばっていったのを見計らって、私は廊下に張り出された紙に近づいた。


 張り出されていたのは、先日行われた試験の成績順位表。念のため、下の方から自分の名前を探す。けれど、やはり百位以下に自分の名前はない。

 そこから十一位までの欄を確認し、自身の名前がないことに安堵しつつも、さらに上の順位を丁寧に見ていく。

 十、九、八、七……そこに自分の名前はない。六、五、四、三……とここにも自分の名前は書かれていなかった。となると、残りは二位か一位。

 心臓をバクバクさせながら、恐る恐る二位の横に書かれた名前を見る。


――『フィリス・ボイエット』


 どきどきしていた気持ちが一気に沈んでいく。素を見せることができているとしたら、悔しそうに顔を歪ませているところだ。とはいえ、噂の私は表情が一切変わらないことで有名な「氷のような女」。常に無表情で感情を露わにしないと思われている私がため息を吐いたところで、見間違いだと認識されて終わってしまうだろう。実際は表情に出にくいだけで、頭ではいろんなことを考えているのだけれど。


 知りたくないと思いつつ、一応一位の人物が誰なのかも確認しておく。そこには予想通り、私が一方的に敵視している彼の名前があった。


 『ラッセル・ニューランズ』。何度も私より上の「一位」を取っている男だ。それも入学して以来、一度も二位以下に落ちたことはなく、常に一位をキープしている。誰がどう見ても優秀な生徒だ。

 そこだけ聞けば、彼の印象は勤勉で真面目で、眼鏡をかけているような、いかにも「優秀」と言った生徒を想像するかもしれない。実際、私も本人を目撃するまではそんな想像をしていた。現実は全くと言っていいほど異なっていたけれど。


 さすがにこれ以上見ている必要もないと思い、さっさと退散しようとすると、タイミング悪く進行方向からあの男がやってきた。自身の運のなさに呆れるも、もうどうしようもない。私は腹をくくった。


 あの男――ラッセルは、今日も女の子たちと一緒にいた。女の子たちの甘えた声に、彼は当然のように吐きそうなほどの甘いセリフで応えている。そんな彼の言動に女の子たちがきゃあきゃあと騒ぐ。だいたいはこれの繰り返しで、見ているだけでうんざりする。


 最初見たとき、驚きと同時にショックだった。私はこんな女にだらしのない奴に負けたのかと。


 確かにラッセルは美青年だ。柔らかな亜麻色の髪に琥珀色の瞳をはめ込んだ垂れた目。左目の目元にあるほくろは色っぽく、全体的に優しそうな印象を受ける彼は、確かに好きになるのもおかしくない見た目をしている。何も知らなければ、私も憧れを抱いていたかもしれない。

 だが実際はただの女好きだ。常に女の子を侍らせ、恋人を扱うかのように振舞えば、女の子が喜ぶと思っている。いくら貴族の間でも自由恋愛が当たり前になってきているからと言って、彼の行動は自由すぎる。それを受け入れている女の子たちも問題ではあるが、やはり積極的にそういう行いをしているラッセルの方が理解できなかった。


 だから私はそんな男に負けたくはなかったのだ。結局今回も負けてしまったけれど。


「あれ? ボイエット伯爵令嬢じゃないか。君も順位を見に?」


 そのまま女の子たちと話すことに夢中で私の存在に気づかないでほしいと願ったけれど、やはりそれは無理だったようだ。ラッセルがいつもの軽い調子で話しかけてきたことに、内心うんざりする。


「えぇ。もう確認したので、今から教室に戻るところです」


 だからさっさと行かせてほしいという念を込めて口にしたが、相手には伝わらなかったみたいだ。「何位だったの?」と不躾にも聞いてきた。あっさりと会話が終了しなかったことに対し、彼を囲んでいる女の子たちもどこか不満そうである。


「いつも通り二位ですが」

「へぇ、すごいね。さすが、才女と言われるだけはある」

「……ありがとうございます」


 毎回一位のこの男が言うと、どうも嫌味にしか聞こえない。実際嫌味なんだろうけれど。それを理解しているのだろう。周りの女の子たちもおかしそうにくすくすと笑っている。


「それよりも俺たちも結果を見ようか。順位が上がっていたらみんなとデートする約束だっただろう? 早く確かめないと。……じゃあね、ボイエット伯爵令嬢」

「えぇ。では失礼します」


 ラッセルは女の子たちに笑顔を向けて促すと、私に申し訳程度の別れの挨拶をした。そして、すぐに女の子たちへと視線を戻す。そんな彼の様子に心の中では呆れながらも、表情には一切出さずにその場から歩き出した。


 相変わらず、無駄に絡んできては嫌味を言う男。これだからあの男には負けたくないのよ。それに「みんなとデートの約束」って、どれだけ節操なしなの?


 嫌でも聞こえてくる彼らの弾むような会話を背に、心の中で罵倒しながら教室へと向かう。


 けれど、別れ際のラッセルの言葉、どこか苛立っているように聞こえたのは気のせいだろうか?

 一瞬気にはなったが、自分には関係ないことだ。どうせ虫の居所でも悪かったのだろうと軽く流し、私は教室へと戻った。






 放課後、誰も訪れない第二図書室で勉強をし終えた私は、外の暗さに気づくと帰る支度を始めた。

 もちろん、今までここで勉強していたのは、次のテストこそラッセルに負けないためである。とはいえ、寮の門限は七時。早く戻らないと寮母さんに叱られてしまう。


 このグリフォニア魔法学園の生徒はほぼ貴族だが、だからと言って寮生がいないわけではない。今年入学した唯一の平民の女子生徒は寮生だし、一応伯爵令嬢である私も寮生活をしている。寮には家で雇った侍女を連れていけないので、その理由から寮に入らない生徒もいるが、その代わり寮に雇われている使用人は多く、貴族の身の回りの世話を経験している者も多いため、そこまで不便な生活ではない。その上、寮はお金があまりかからないのもあって、学園の大半は寮生だ。私の場合、ぎりぎりまで学園で勉強できるという部分が決め手だったけれど。


 第二図書室を出て、玄関へと向かう。ほとんどの生徒は帰ったみたいで、辺りはとても静かだ。窓の外はもうすでに暗く、月明かりが差し込み、廊下全体を照らしている。慣れない人間からすれば夜の学校など不気味かもしれないが、私から見れば神秘的でこの空間が好きだった。

 曲がり角を曲がり、二年生の教室の前を通ろうとすると、ちょうど通り過ぎようとした教室から話し声が聞こえた。


 まだ残っている生徒がいるのだろうか? それとも先生? 何にせよ関係ないかと思い、気にせず通り過ぎようとすると、聞こえてきた言葉に思わず足を止めた。


「じゃあさ、フィリス嬢を落とせるか賭けてみないか」


 ――今、なんて。


 予想外の言葉に、息が詰まる。気になった私はおそるおそる身を屈めながら教室に近づいた。そして、向こうに気づかれないようにそっとドアを開ける。


 覗いてみると、そこには私のクラスの男子生徒のビリー、隣のクラスで騎士志望のチェスター・ギャロウェイ、そして一方的にライバル視している生徒――ラッセル・ニューランズの姿があった。

 なぜ彼らがまだここに残っているのだろうという疑問や、ラッセルが女の子と一緒に居ないなんて珍しいという感想など、思いつくことはいろいろある。けれど、それより気になったのが、先ほどのビリーが放った一言だった。


『じゃあさ、フィリス嬢を落とせるか賭けてみないか』


 私が知っている限り、フィリスと言う名前の生徒は私たち二年生にはいない。ならば、普通に考えて先ほどの「フィリス嬢」とは私の事を指すことになる。けれど、三年生や今年入ってきた一年生の名前まですべてを把握しているわけではない。そのため、現段階では私だとは断定できなかった。

 だが、その考えもすぐに否定される。


「ボイエット伯爵令嬢を? なぜ?」


 チェスターに改めて家名で名指しされ、予想通り自分のことを指していたという事実に渋面を作る。表向きはわからないだろうけれど。

 とはいえ、さすがにここで乗り込んでいくほど馬鹿ではない。聞かなかったことにして、私は教室から離れようと立ち上がった。


「フィリス嬢は真面目だけれど、恋愛している様子はない。だから一番落としがいがあると思ってさ。それに常に無表情な彼女が自分だけに笑ってくれたら最高だし。だから誰が落とせるか賭けてみない?」


 声を弾ませながら話すビリーに、内心呆れた。私の感情の出にくい顔は昔からだ。恋をした程度で表情が豊かになるとは思えない。そんな理由で私を巻き込もうと考えないでほしい。


 私と同意見なのか、チェスターは「俺はやらないぞ」と賭けにはのらない様子だ。彼の事をよく知らないが、彼に対する好感度は上がった。三人の中では唯一まともみたいだ。


 けれど、さっきからラッセルが黙っているのが気になる。すぐにでも立ち去ろうと思ったが、何となく彼の返答が気になってしまい、私はもう少し様子を窺った。


「で、どうする? ラッセル。もちろん、女の子と仲良くなるのが得意な君の事だ。まさかできないなんて言わないよね?」


 ビリーの言葉にラッセルは少しだけむっとすると、当然だとでも言いたげに答えた。


「当り前だろう。その勝負のろうじゃないか」


 私は彼の言葉に、思わず目を見開いた。彼がこの賭けにのるとは思わなかったのだ。


 私は常に女の子たちに囲まれているラッセルの事が嫌いだ。けれど、別に彼自身が悪い人だと思っているわけではない。常に一位を取っているという事実は並大抵のものではないし、女性に優しいという点も、やりすぎだとは思うが別に悪い点ではない。心の底ではラッセルを尊敬してさえいたのだ。

 だから女性を傷つけるような行動はしないと思っていた。今回の賭けも、「さすがに賭け事で女性を落とすのは俺のポリシーに反するよ」とか言って断ると思っていたのだ。女性に優しい彼ならば、くだらない自分たちの遊びに付き合わせることはないだろう、と。


 ところが実際は違った。むしろ挑戦を受けてやると言わんばかりに賭けにのった。つまり、彼の中での私は「女性」ですらなかったということだ。そのことが思っていた以上に悔しくて、腹が立って……何よりショックだった。


 私はすぐさま走って寮に戻った。さすがに向こうに気づかれたかもしれない。でも、今の私にはどうでもよかった。


 自室に入った瞬間、涙がこぼれる。感情が出にくいと言っても、感情がないわけではない。けれど、涙が出る感覚は久しぶりだった。


 ひとしきり泣いた後、私は明かりすらつけていなかったことに気づいた。魔法でランプに火を灯し、先ほどの彼らのやり取りを思い出す。


 私を落とせるかの賭けを持ち掛けたビリー。その賭けに呆れた様子のチェスター。そして、ビリーに乗せられ、賭けに応じたラッセル。


 ……思い出すと、先ほどの涙など忘れて、ふつふつと怒りが込み上げてきた。なぜ私がショックを受けて泣く必要があったのよ? チェスターはともかく、これでは彼らの言動に振り回されっぱなしじゃない。

 今の私の表情は、傍から見ればせいぜい眉が若干吊り上がっているくらいだろう。それはそれである意味恐ろしいかもしれないが、けれども今はそんなことなどどうでもいい。なにせ怒っているのは事実なのだから。


「このまま彼らの遊びに巻き込まれるのは癪だわ。何か、彼らをぎゃふんと言わせる方法はないかしら……」


 彼らは私が恋に落ちるかどうかを楽しんでいる。ならば、簡単だ。私が恋に落ちなければいい。でも、それだけではただ私が彼らの賭けに付き合わされているという図には変わらないし、何より私の気分が晴れない。


 だったら何をすべきか……。


「……そうだわ! だったら私が『落とす側』になればいいのよ!」


 名案とばかりに、ぱんっと軽く手を叩く。


 向こうは私を落とそうとあれこれしてくるだろう。それに対し、私は上手くあしらいつつ、こちらもアプローチし、彼らが私を好きになるよう仕向ける。ただの勉強しか取り柄のない無表情女に落とされるなんて、向こうからしたら恥だわ。ふふふ。想像するだけで溜飲が下がるわね!

 けれど、チェスターはやらないと言っていたし、彼に対して何かしようとかは思えない。だから復讐範囲からチェスターは除外するとして、残るは二人だ。

 正直言って、二人同時に落とすことは不可能に近い。百戦錬磨の傾国の美女ならいざ知らず、恋愛未経験の私ができるわけがない。渋々ではあるが、どちらか一人に絞ろうと思う。


 となると、もちろん相手は一人だ。


「ラッセルしかいないわね」


 憎きライバルではあったが、人として尊敬できる部分はあった。けれど、今回の私を馬鹿にしているとしか思えない行動は、今思い出しても腹が立つ。ならば、私がすることは一つだ。


「絶対にラッセルを落として見せる……!」


 私は決意を胸に、拳を高く掲げた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ