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不安症と不眠症と鬱病擬き。

「学生時代の記憶がないんです。全く。」


 心療内科。

 不安で眠れないことがあるから睡眠薬を貰いたくて来た。

「学生時代はどのように過ごされました?」と先生に与えられた質問。


 私がヘラリと笑って答えると、先生は目を大きく見開いた。

 それからゆっくりとパソコンに目を向けて、「そう、ですか…」と戸惑いながらカルテを打ち込む。

 事務的でないその仕草や表情に私はひどく安心感を覚えた。


 記憶がない、と言うと少し語弊があるのかもしれない。

 それが本当に現実で起きたことであると断言できない。

 というのも、私は夢で見たものを現実だと思い込むことや、記憶を捏造してしまうことが常にあるからだ。

 それに気づいたのは友人との会話の中。

 何気なく話した思い出が一致しなかったのである。


 つい最近も弟の車が家の目の前に停められているのを窓から見て「ああ、帰ってきているんだな」と思った記憶があった。

 しかし、弟は基本庭に車を停めるため、家の前に停めることは滅多にない。

 その記憶は夢の中のものであった。

 漸く弟が帰ってきていないことに気付いたのは次の日。

 そういえば姿を見ていないなと母親に所在を確認しようとした瞬間ふと気付いたのである。


「友人の顔が分からないとかではないんですよね?」

「友人はかろうじて分かりますけど、クラスメイトはほとんど覚えていません。」

「学校でどういう風に過ごしていたかとかは…」

「全く覚えていませんね」

「不登校だったわけではないんですよね?」

「はい。親が厳しかったものですから」


 淡々と質問に答えていけば、先生が少し思案するような顔をしてカルテに追記していく。

 その姿を見ながら私を記憶を辿って、そういえばと口を開く。


「学校よりも家での様子の方が覚えていませんね。親が言うには、手に負えないほどの反抗期だったそうですけど…その時の状態が全くわからないんです」


 すでに話してある生育環境を踏まえて、先生はどこか納得したような顔をした。

「それは…まあ、複雑な環境でしたもんね」と同情するように呟く。

 私はヘラリと笑って誤魔化した。


 これに関しては本当に、記憶が真っ黒のクレヨンで塗りつぶされたかのように一片も思い出すことができないのだ。

 1日をどういう流れで過ごしたのか、休日は何をしていたのか、ご飯の時間は、お風呂は、勉強は、趣味は、家族との会話すら。

 何も思い出せない。


 まあ、それは仕方のないこと。

 私はその感覚をずっと知っている。


 私は定期的に“記憶の更新“を行う。

 自分の年齢と家族の年齢。

 他、家族の職業と趣味、好きなものなどを照らし合わせる作業。

 それをしないと私は永遠に以前の更新の時のまま記憶して、それぞれへの対応を行なってしまう。


 例えば、妹が小学5年生の時に最後の更新を行ったとして、現在中学2年生になったとしても、私の中では彼女は小学5年生のままなのでそれ相応の態度で接してしまう。

 彼女が小学5年生の時に好きだったもの、当時の趣味を今もなお持っていると思考が働く。

 最悪、友人に妹の年齢を聞かれた時に分からなくなってしまうのだ。


 その違和感は自分にも働き、更新をしなければ自分が今高校2年生であるという感覚を持ったままになってしまう。


 だから私は定期的に記憶の更新を行い、家族が皆どうなったかを自分の中で再確認しなければいけない。

 また、一時的に更新をしないことで年月のズレが生じ、現在の西暦や自分の年齢が答えられない時が多々あるがそれは些細な問題に過ぎない。

 1番困るのが、更新前の記憶が真っ新に消えてしまうことだ。


 更新直後に消えるわけではなく、更新後、だいたい半年くらいすると思い出すことが困難になる。

 それまでの彼らの趣味や癖なんかが分からなくなってしまうのだ。


「今の仕事は自分で決めて就職しましたか?」

「はい。やりがいもありますし、とても楽しいです」

「けれど不安を感じているんですよね?」

「はい。失敗したくないという気持ちが強いというか…怒られるのが怖くて、怒られる夢を見るんです。それで、現実で怒られたのか夢で怒られたのか分からなくなっちゃうんですよね」

「職場で怒るような方がいらっしゃるんですか?」

「いえ。いないんですけど。想像しちゃうんですよね。だから、怒られたのは夢の中だったんだなって気付くんです。そこまでいくのにだいたい1ヶ月くらいかかるんですけど」

「なるほど…」


 その後も話を進めて結局、“不安を緩和させる“錠剤と、寝つきを良くさせる睡眠薬をもらった。

 2週間効果を試して、効きが悪いようだったら追加するという。


 私はどこかホッとしていた。

「あなたは鬱です」と言われることを心のどこかで恐れていたらしい。

 不安を緩和させる薬という柔らかい響きに安心した。

 けれど、それも束の間。

 家に帰って調べれば、“抗うつ剤“の文字が目に入る。

 その重たい文字にひどく気が滅入った。




 薬を飲み始めて1週間。

 寝つきが格段に良くなった。

 睡眠薬を使わずとも眠れるようになった。

 しかし困ったことに2時間置きに目が覚める。

 しかもふと目が覚めるといった穏やかな調子ではなく、飛び起きるようにして目を覚ますのだ。


 体が緊張していることがわかる。

 嫌な夢を見た感覚があるが内容は覚えていない。

 再び横になれば次の瞬間には眠りについている。

 そしてアラームが鳴る直前にまた目が覚める。


 寝ている間に歯を食いしばっているようで、目覚めると歯が痛いことが多かった。

 食事もままならないほど痛みが残っている。

 加えて朝は強い吐き気がして食欲などわかなかった。

 下手をすれば昼食も手を出すのが億劫だった。


 他に変わったことといえば日中欠伸が止まらないこと。

 これは薬の副作用らしい。

 眠っても眠っても足りない。

 物事に集中できない。

 気力がわかない。

 それから耳鳴りが増えた。

 多くの人が一気に話し出すと途端に耳鳴りが始まる。




 けれど、不安感は全くなくなった。




 深く考える前に嫌気が差して考えを放棄してしまう。

 以前のような独り言はほとんど無くなった。

 心なしか怒るとか苛々するとか、そういう衝動的な感情が薄くなった気がする。


 睡眠薬は相性が悪いようで、服用してから約16時間意識が覚醒しなかった。

 目が覚めても頭の中がもやもやして気持ちが悪い。

 寝つきはいいが、やはり2時間置きに目が覚める。

 一回使ったのみでもう使わなくなった。


『みんな過去のことをすぐ忘れる』

『みんな眠れない時がある』

『みんなこれくらい辛い思いをして生きている』


 そう思いながら、自分の弱さを責めながら生きてきたけれど。

 手に乗せた薬はどうにも違うらしいことを主張する。


 それでも【鬱病擬き】でいたいと願ってしまうのは、きっとこの鬱々とした感情を笑って誤魔化したいからだと思う。

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