勇者は再び牙を突き立てる
貫かれた、心臓を。
奪われた、生命を。
灼熱の業火が容赦なく体を焼いていくのを感じながら、これまでの日々を、生きてきた日々を思い返した。そこには、希望を託してくれた人達の姿があった。共に絆を紡いだ、かけがえのない人達だった。朽ちることへの恐怖はなかった。ただ、使命を果たせないことが、どうしようもなく情けなかった。
一条の光明すら見えない暗き闇へと、世界が染まっていく。
確と思い描いていた愛しき未来像は、遥か遠き夢と終わる。
果てることなき王の哄笑を葬送歌に、永遠の眠りについた。
――小鳥のさえずりが聞こえる。荷車を引く音が聞こえる。雑多な足音が聞こえる。馬車の走る音が耳を打つ。陽射しが降り注ぐのを全身で感じ、その暖かさに、閉じていた瞼が自然に開かれる。
瞳に映った光景は、なんということはない、雑木林に挟まれた田舎の街道だった。
「ここは……? ……ああ、そうか」
すぐに悟った。場所のことだけではない。魔王に殺されたはずの自分がなぜ生きているのかということ、なぜ、肉体が数年分若返っているのかということ、それらを説明できる理由は既に記憶の中に在る。
生前に譲り受けていた極めて希少な魔法の輝石。それは、所有者を一度だけ死の淵より救い出すという品だった。ただし、救い出された者が甦る先は遠い過去の地点であるとも聞かされていた。
「知識と経験を、つまりは生前の記憶を有した状態で過去の自分自身へと憑依することが、『甦る』という言葉の真意だったわけか……」
しかし、そんなことはどうでもいい。
負けた。勇者と呼ばれる身でありながら、魔王に返り討ちにされ、葬られた。
無様だ。許されざる失態だ。死に際に聞こえた高らかな笑い声が、今も耳から離れない。
「う、く、ぐ、っ……。なん、あ、がっ、ぐあああー! くぁwせdrftgyふじこlp!! あんのクソ魔王がァ! あと一歩、あと一歩だったって言うのにー! ゆ、許さん……。次会った時は絶対にぶちコロコロして、死体を八つ裂きにしてから魔界に送り還してやるっ! 絶対に、絶対にだァ!」
誓いだ。今ここに誓いを立てる。
僥倖によって得たこの二度目の人生、その全てを、魔王への挑戦、延いては魔王討伐に捧げる。何者をも超越する圧倒的な力を身に付け、必ずヤツを地獄に送ってやる。そのために心血を注いでやる。
「死の淵から舞い戻った俺の恐ろしさ、いずれ必ず、その身に刻んでやる! その時までに辞世の句でも用意していやがれァァ! ……はあ、はあ、はあ、すうー、はあ。……よし。じゃあ、行くか」
二度目の旅の始まりだ。とりあえず、この街道が本当に俺が考えているものと同じであるかの確認が必要だろう。そう思って、そこらを歩いている農夫に聞いてみた。なぜか俺のことを危ない人間を見るような目で見てきたが、街道については快く教えてくれた。ついでに、今日の日付についても。
結果は、俺の想像通り。やはり、五年前のあの日、故郷の村を旅立った日だった。勇者などとは到底呼べない安っぽい服装、錆びた剣を手にして親元を旅立った、十六の歳を迎えた日だ。
「となると、俺はこれから町に向かう予定だったはず。たしか、金が無いから馬車は使えなかったんだな。歩いて行ったはずだ。そうだ。それで、その途中だったな。アイツと出会ったのは」
時刻は正午過ぎ、村からはもう随分離れているが、町まではまだ遠い。歩いて行けば着くのは夜だ。だが、そんなのは御免こうむる。よって、歩く以外の選択肢を取る。つまり、馬車だ。金については問題ない。俺の記憶が確かなら、もう少し歩いた辺りで金を手に入れる機会が巡ってくるはずだ。
「おう、嬢ちゃん。俺たちに付き合えよ。へへっ、なに、心配すんな。金ならあるんだ」
「うへへ、こいつぁ大した上物だ。つらは良いし、乳はでけえ、脚はほせえしよぉ」
「なあ、返事しろや。こんな所にぼーっと突っ立って、男に声を掛けられるの待ってたんだろ?」
雑木林を抜けた先の山道に入る手前に広がる平原、遠方から町を訪れる人のために設置された簡易な宿の前で、むさ苦しいゴロツキ三人が一人の女を囲んでいる。俺は、五年前にもこの光景を見た。五年に渡ってともに旅をする、仲間の一人を目にした瞬間だ。
透明感のある白い肌に整った顔立ち、腰の辺りまで伸びた長い髪は銀の煌めきを有する灰色をしている。燃えるように紅い瞳は芯の強さ、険しく引き結ばれた口元は意志の強さを表しているようだ。その佇まいや服装も合いまり、一見して上流階級の人間を思わせる。美しくもどこか冷たそうな、薔薇のような少女。
これが、アイツを初めて見た人間が共通して抱く印象だろう。俺もそうだった。そして、その第一印象はだいたい当たっていた。
――ティア・アルバート
それが女の名前だ。中級貴族の娘で町出身、年齢は十六歳、若干人見知りする性格で初対面の相手、特に男には冷たい。実は世話焼き、うっかり屋で甘えたがりの一面有り。動物が好きで、実家では犬を飼っていたらしい。性格も容姿も大人びてはいるが、さすがに五年後と比べると少し幼いことと思う。
そして、思い返されるは五年前の今日、ゴロツキに絡まれているアイツを見て意気揚々と助けに向かったのだ。しかし、その頃の俺はただの小僧。喧嘩の経験はあれど、真剣での立ち合いについての理解などまるで無い。「その子から離れろ!」と、錆びついた剣を抜いたはいいものの、野盗紛いの事を生業とする男三人相手に敵うはずもなく、あえなくボッコボコ。それどころか、魔法の心得があるティアに逆に助けられる始末。男たちが慌てて逃げ去った後、最後はティアの膝の上で介抱されてしまった。
「……はあ。情けない。ああ、情けない。なんて、なんて、なっさけないんだ。信じられない不甲斐なさだ。それでも俺か」
しかし、今回は違う。五年後に比べれば身体能力は大きく劣るが、それでも、俺には五年の間に蓄積された知識と経験がある。あの程度のゴロツキなら素手で十分だ。あの日のお返しを今日、利子を付けてお見舞いしてやるとしよう。ただし、ティアは基本的に暴力が嫌いなので、今後親睦を深めるにあたって差し障りがないように表面上は紳士的かつ平和的に解決する。魔王を倒す上で、アイツの協力は必要不可欠だからな。
「あの、そっちの女の子、嫌がってないですか? やめてあげた方が、いいんじゃないかな、なんて。あはは……」
気弱そうな口調で後ろから呼びかける。すると、三人が不機嫌そうに振り向いた。
「ああ? なんだ、こいつ?」
「へっ、そんなもん決まってらぁ。大方、この女にいいとこ見せよってんだろうよぉ。へへへ、頭の悪いガキだなぁ、オイ」
「小僧、俺達はな、今からこの女連れて楽しいコトするとこなんだ。だからよ、頼むから邪魔しないでくれや。殺すぞ?」
三人が詰め寄り、睨みつけてくる。筋骨隆々な男に野卑な男、三番目の線が細い短気そうな男に至っては、腰にある剣に手を掛け今にも抜こうとしている。だが、まだ殴るのは早い。気弱な少年の演技をしたまま、引きつった笑顔を浮かべておく。
「そ、そんな、邪魔するだなんてとんでもない。た、ただ、女の子が嫌がることはするべきじゃないんじゃ、ないかなって言いたい、だけで……」
「ああ!? ぼそぼそとうっとしい野郎だな。なんだ、俺達に指図しようってのか、おう!」
「面倒くせえな。おい、このガキ片付けてくるからよ、その女見張っとけや」
短気そうな男が野卑な男に指示し、筋骨隆々な男が俺の背中を掴んで林の方へと連れて行こうとする。野卑な男はいやらしい笑みを浮かべて頷き、俺から視線を外した。
雑木林の方へと足を向ける直前、ティアと目が合う。訝しむような目の色、その中にわずかに含まれた不安や憂慮の念が垣間見える。一瞬、その固く結ばれた口が開きそうになる。
俺は片手を上げ、首を横に振った。傍から見れば、自己陶酔して自己犠牲を図る愚か者にしか見えないことだろう。しかし、林の中に消えた後の俺達の有様は、その見解とは一風変わったものとなる。
「あがぁぁぁ! い、いでぇぇ、いでぇぇよォォッ!」
筋骨隆々の男が鼻骨を砕かれ、上下の前歯を叩き折られ、右腕の骨をへし折られて悶絶している。醜い悲鳴を上げ、瞼をきつく閉じ、顔面から血と汗を噴き出して足元で転がっている。
「こ、このガキャァ! ナメた真似してんじゃねえぞ!」
もう一人の男が激昂し、振り上げられた剣が目前に迫る。脳裏に刻まれた経験が、体を動かす。恐怖で目をつむることも、体が硬直することもない。あくびが出る程トロ臭い剣閃を半身で躱し、剣が振り切られるのに合わせて顎に左拳を突き立てる。
「――あ、が、ああああああああああ!」
剣が両の手から滑り落ちる。雑草の上に鈍い音を立てて沈む。男は膝から崩れ落ち、眉間に皺をよせ、目を見開いて顎を押さえている。間髪入れずに鼻面に蹴りを入れ、仰向けに打ち倒す。悲鳴を上げる間も与えずに胴体を踏み潰すと、肋骨数本を折った感触が右足から全身に響いてきた。
経験上、こういう輩は半端にやられると、そのうち復讐しにくるか、誰か別の人間を傷つけて憂さ晴らしをしようとする。なので、容赦なく徹底的に叩きのめして禍根を断っておくべきだ、と俺は考えている。
「ふ、うぐ、い、いだいぃ……。あ、が、あ、い、いだいよぉ……」
「おいおい、こんな程度で泣くなよみっともない。心配するな、死なない程度に加減はしてある。――それよりも、だ。お前ら、さっき金なら持ってるとか言ってたな。出せ」
涙をこぼす男に驚き呆れつつ、資金の調達を図る。こいつらの金なんて、どうせ他人から盗むか奪うかしたものだ。本来なら持ち主に返すべきだが、そんな手間のかかることをしている暇はない。悪いが、こいつらよりはいずれ魔王を倒す俺が有効活用する方がマシとさせてもらおう。……いや、これは詭弁だな。今の俺にとっては、魔王撃滅こそが至上の目的。そのために利用できるものがあるのなら、なんであろうと全て利用してやる。
折れた肋骨を踏みつける。催促を受けた男は呻き声を上げ、震える手で革袋を差し出してきた。
「これで全部か?」
「そ、そうです。さ、三人分、全部です。も、もう、勘弁してください。許して」
懇願する男から金を受け取り、懐にしまい込む。これでもうこいつらに用は無いが、それでも最後に済ませておかなければならないことが一つだけある。
「さて、あと一人、どうやってこっちに呼びつけるか」
顔面を真っ赤に染めて涙を流す男から目を離し、地に倒れ伏した筋骨隆々な男を一瞥してから、宿の方へと体を向ける。そうして、野卑な男を呼び寄せる適当な文句を考えていたのだが、どうやら、その必要はなくなったようだ。
「な、なんだよぉ、こりゃあ! はあ? い、一体、どうなっ――ぶっ!?」
呼ぶまでもなく現れた男、混乱した様子だったが構わず顔面に拳を打ち込んだ。続いて、片手で首を絞め上げ、右手の指の骨を五本ともへし折る。鈍い音とともに漏れ出す男の悲鳴、さらに構うことなく顔面を五、六度殴る。困惑を表していた表情が、恐怖の色に染まる。
「いいか、返事は要らん。ただ聞いてくれればいい。――今回はこれで見逃してやる。ただし、これからもお前たちが野盗紛いのことをして生きていくというのなら、次に会った時が最期だ。俺は必ず、お前たちを殺す。地獄の責め苦を受けさせ、絶命させる。それだけだ」
言い終わると同時に、怯えた目で俺を見つける男を放り投げる。これだけ脅しておけば、少しは真面目に生きていく気になるだろう。
「そっちの二人を連れて、さっさと失せろ。俺の気が変わらないうちにな」
睨みつけると、指を折られた男が地に頭をこすりつける。その後、残りの二人に呼びかけると、筋骨隆々な男とともに肋骨を折られた男の肩を担ぐ。三人は俺を一瞥すると、その後は二度と振り返ることなく走り去っていった。
「ずいぶん、持って回ったようなことをするのね、貴方」
「……あんな所で騒ぎを起こしたら、宿の主人や客に迷惑だからな」
野卑な男が現れた直後、ティアもこの場に姿を現していた。驚いた様子ではあったが、連中が逃げ去るまで沈黙を守っていた。そして今は、一見感情の読めない顔で俺を見ている。長い髪を靡かせ、真紅の瞳で真っ直ぐに見据えている。
本当は、三人を打ちのめしているところを見られるつもりはなかったのだが、まあ仕方ない。予定を変更して、怪しい男の感じを演出したまま対応しよう。
「他人への迷惑を気にするような人には見えないけれど、いいわ。そう言うのなら、そういうことにしておきましょう」
辺りに点在する血痕を眺め回し、半信半疑といった様子で言う。やはり、警戒しているようだ。しかし、ここで警戒を解こうと柔和な態度で接しようものなら逆効果、コイツの場合、さらに警戒心を高めることだろう。いや、絶対に高める。性格上間違いない、断言できる。ではどうするか、答えは一つだ。警戒など解こうとしなくていい。そもそも、今この場はティアにとって緊張感に溢れた場。雰囲気に合わせた言葉選びをしつつ、俺の意図する方向に話しを導くのが正解のはずだ。
「とりあえず、助けてもらったことにはお礼を言っておくわ。ありがとう」
「必要ない。お前なら、自力で対処できたことだろうからな。俺は、余計な世話を焼いたにすぎん」
「……その通りだけど、どうしてそう思ったの?」
訝しみながら慎重に問いかけてくるが、そんなもの知ってたからに決まってるんだよな。しかし、間違ってもそんなことは言えないので、もう少し婉曲的な表現をする必要がある。……これ意外と面倒くさい上に寂しいな。仕方がないこととはいえ、苦楽をともにした一番の仲間に冷たい態度を取られると結構へこむ。
「お前の服装、町の貴族のものだろう。ならば恐らく、多少なりとも魔法を扱えるはず。加えて、連中に囲まれていた時のお前の態度は、か弱い少女のそれではなかった。恐怖ではなく、煩わしいという感情が垣間見えていた」
「……そう、分かった。それはどうも的確な分析をありがとう。ええ、その通りよ。本当、か弱くない私に余計なお世話を焼いてくれたものだわ。全然全く、これっぽっちも必要なかったのに」
こわばっていた表情が和らぐ。目を細め、微笑みを浮かべる。ただし、冷たい微笑みなのだが。その理由は分かっている。か弱くないと言われて気に障ったのだ。強いと言われている様なものなのに、喜ぶどころか少し怒っている。昔から、コイツのこういう所だけは理解できん。
「そう言うな。必要なくとも、困っている人間を見て素通りするわけにはいかんだろう。――まあ、俺の考えが正しければ、お前が真に困っていたのはあんな連中ではなく、他の事だろうがな」
「――っ! な、なんのこと? 貴方は、一体何を言いたいの?」
お前が訪問先で財布を忘れてきたことを言いたい。「町に帰る前に宿で食事でもして、疲れたからここからは馬車で帰ろうかな」なんて考えていたら、宿に入る前に財布がないことに気づいて立ち往生、クールに構えているように見せて、実は頭の中はパニック状態で焦りまくり、という真実をぶちまけたい。
「ふ、何を言いたいか、か。まあ、あえて口に出すようなことではないのだが、そうだな。では、一つだけ。お前がもし町に帰ろうと思っていて、しかし、何らかのトラブルによってそれが妨げられており、厳しい選択を迫られている状況にあるならば、俺がこれから乗ろうと考えている馬車に同乗することは、悪い選択ではないだろうな」
「――っっっっ! なな、な、何を訳の分からないことを言っているのかしら。わ、私は、ぜ、全然、こ、困ってなんかいないわ」
顔を赤くして目を泳がせ始めた。正直、ちょっと楽しい。五年前は、金がない俺に合わせて一緒に町まで歩いてくれたのだと思っていたが、後々になって知った。なんのことはない。コイツは今、ただの無一文なのだ。
「そうかそうか、いやまあ、いいよ? うん、俺の勘違いならそれでいいんだ。嫌がる女の子に無理強いしようなんて、全然思ってないからね。あ、それじゃあ俺はここらへんで失礼して、町に向かわせてもらおうかな。馬車で」
「くっ、う、うぅぅ、貴方、さっきと何だか雰囲気が違う……」
こっちが本性だからね。いやー、こんなに悔しがるティアは珍しいなあ。物言いたげな顔をしているのに、何も言えずに顔を赤くしているこの様、実に可愛げがある。
「ま、まあ、せっかくの殿方からのお誘いを無碍にするわけにはいきませんわよね。ええ、せっかくですから、町までご一緒させていただきますわ。……そう、これは誘われたからだから。仕方なく、仕方なくなんだから」
口調を一変させて強気に言い放ったが、後半から何か小声でぶつぶつ言っている。きっと、自分のプライドを保つために無理な言い訳でもしているのだろう。わりといつものことだ。
「早く済ませろよ。俺はこれでも忙しい身だからな」
その間に、男の一人が落としていった剣だけ回収しておく。それほど良い剣ではないが、錆びた剣よりはマシだ。
「抜き身で持って行くつもり? 物騒ね。危ない人間だと思われるわよ」
「使える物を捨ておくわけにはいかん。それより、準備ができたなら行くぞ」
不服そうなティアを連れ、宿のそばに停車している馬車へと向かう。今からなら、日が高いうちに町に着けるだろう。
――四輪の箱馬車、定員人数である二人を乗せたそれが、長い山道を走っている。徒歩で進む人たちを追い抜いたり、時折、町の方面からやってくる馬車とすれ違ったりしながら、順調に進み続けている。今はちょうど道が険しい辺りで、度々何かに躓いては車体を大きく揺らしている。近くには村がいくつかあるのだが、故郷にいたころは時々使いに来ていた。
「一つ、聞いてもいいかしら?」
「どうぞ」
隣に座っているティアが、窓から俺へと視線を変えて口を開く。俺も外を眺めるのを中断し、ティアへと顔を向ける。
「貴方、さっき自分は忙しい身だって言ってたけど、何をしている人なの? 失礼を承知で言わせてもらうと、あまり身分が高いようには見えないし、かと言って、ただの村人には思えない。なにか、奇妙な、特別な感じがする」
「当然だ。俺はいずれ魔王を倒す男なんだからな」
素朴な質問に、大真面目に答える。すると、ティアの目が大きく開かれた。
「な、魔王を倒すって、本気!? どうしてそんなこと……、貴方、そんなに強――きゃっ!?」
車体が一際大きく揺れる。御者の驚声と馬の嘶きが聞こえたかと思うと、馬車は動きを止めた。何があったのかを調べるため、素っ頓狂な声を上げるティアを放っておいて即座に降車する。原因はすぐに分かった。馬車の前に両手を広げた男が立っており、そこに小さな子どもを抱き抱えた女が駆け寄っている。
「おい、アンタ! 危ないじゃないか! 急に飛び出してきたりして、こっちは客を乗せてんだぞ!」
「すいません! ですが、どうかお願いします! 子どもが急に高熱を出して、早く医者に、町に連れていってください!」
男が子どもへと視線を促し、女とともに御者に頭を下げて必死に懇願している。その言葉通り、子どもは顔を赤くして呼吸をするのも苦しそうな様子だ。あれは、早く医者に診せた方がいいだろう。
「どうしたの? 何か問題が起きたみたいだけど、あの人たちは……?」
「子どもが熱を出したらしい。すまんが、楽をできるのはここまでだ。一緒に来てくれ」
遅れて降車してきたティアに軽く説明し、御者たちの前まで出ていく。
「そりゃ気の毒だが、勘弁してくれ。あんたらを乗せようと思ったら、今乗ってるお客さんたちに降りてもらわなきゃ――」
「いいよ。俺たちは降りる」
「って、え? お、お客さん?」
戸惑う御者にここまでの運賃を手渡す。呆気に取られている夫婦を一瞥してから、理解が追い付いてない様子のティアの手を引いて歩き出す。ここまで来れば、あとは徒歩でも三、四時間あれば十分だ。急げば日暮前には町に着けるだろう。
――歩く。木漏れ日の中を、砂利や草を踏みつけて歩き続ける。可能な限り足早に、無駄口を叩かずに、加えて、ついでに体がどの程度動けるのかも確認しながら山を越える。前回は、魔王に挑むまでに五年の歳月を要した。挙句の果てに敗北した。だが、今回は五年もかける気はない。無論、敗北するつもりもない。そのために、今までの知識や経験を活かし、わずかな時間も余すことなく利用して肉体や魔力を鍛え上げる。
「ねえ、さっきの続きなんだけど、いいかしら?」
「いいぞ。聞いてるから話を続けてくれ」
後ろにいるティアの言葉に耳を貸しつつ、この体で使えそうな魔法を一つ一つ発動していく。初級の火の矢や雷の槍、水の創造と空気の操作、それらを試した辺りで魔力が枯渇した。仕方がないとはいえ、我ながら情けない魔力量だ。質に関しても目を覆いたくなる有様、さすがただの村人だな。
「貴方、本当に何者? 魔王を倒すなんて突飛なことを言っていたけれど、本気? 魔法を使えるなんて、平民に見せかけて実は高名な家柄の人? もしかして、周囲やご両親の反対を押し切って旅に出た騎士とか? そうなのね? だから、服装がそんなに貧相なのね?」
「おい、質問が増えてる上に、ちょいちょいちょいちょい失礼な単語が飛び交ってるのは何なんだ? なんだ、やろうってのか? そのふざけた性格をしつけ直して欲しいってか? ああん!?」
金満女の鼻先に指を突き付け、顔と顔を突き合わせる。まったく、これだから金持ちは。口の利き方ってものがなってない。庶民には通えないさぞ高名な学校に通っているだろうに、一体何を教わってるんだか。
「ご、ごめんなさい。そんなつもりじゃなかったんだけど、不適切な言葉があったのね。気分を悪くさせて、本当にごめんなさい。取り消すわ」
ティアがしずしずと頭を下げる。いつもならもう少し言い返してくるはずのところなんだが、まあ、これも一つ仕方のないことだな。
「ま、分かってくれればいいんだ。それで、質問の答えだったな。悪いが、俺の身分は騎士じゃない。ただの農民だ。親や周りの連中の反対を押し切って出てきたという部分はあってるがな。魔法を使える理由は、魔導士に教わったからだ。あと、当然だが、魔王を倒すという言葉は本気だ」
ちなみに、俺に一番最初に魔力の扱い方を教えてくれた魔導士は、今目の前にいるティアだ。顎に手を当て、目を伏せて俺の答えを反芻している。
「……にわかには信じられないけど、わかったわ。それにしても、ずいぶんな自信よね。貴方はそんなに強いの?」
「弱い」
「え?」
「弱いと言ったんだ」
――今はまだ、な。
呆けた顔のティアから視線を外し、再び町へと向かって踏み出す。少し、日が傾いてきている。いよいよ、急がなければならない。歩いてなどいられん、もう走ろう。
最適な姿勢、最適な呼吸法によって、少ない体力を最大効率で運用する。一定の速度を維持し、リズムを保って走り続ける。加えて、幸いなことに強い追い風が吹き、体を前へ前へと押してくれている。山道もなだらかな下り坂となり始めた。もうすぐだ。
「……は、はあ、ね、ねえ、もう一つ、いいかしら?」
「なんだ?」
「どうして、そんなに急いでるの? 別に、到着は夜でも……」
「予定が押してるんだ。日暮れ前にやらなければならないことがある」
空が赤く染まり切った時、町へと続く石橋を駆け抜けた。眼前には町の外壁と一つの門が迫っている。俺だけだと下手をすると怪しまれて門で止められるかもしれないが、ティアが一緒なら大丈夫だろう。しかし念のため、入る前に武器の類は全てティアに押し付けておく。もとい、預けておく。
――そして、俺達は無事に町へと足を踏み入れた。
「はい、武器は返しておくわね。それで、やらなきゃいけないことがあるって言ってたけど、それは何なの? 良ければ、私も付き合うわよ?」
「ありがとう。でも、この用事は俺一人で大丈夫だ。それより、お前には一つ頼みたいことがある」
「頼みたいこと? いいわよ。助けてもらって、馬車にも乗せてもらったから。ただ、私にできることなら、だけど」
気前よく即答してくれるティア。こういう所は、何年経とうと変わらない。いつも、いつも助けられてきた。一応、これでも感謝はしている。
「町の近くで魔物の気配を感じた。俺が気付けるだけの気配だ、結構な数がいると思っていいだろう。夜には襲ってくるかもしれない。警備を強化してもらえるように、誰か、力のある人間に伝えておいて欲しいんだ」
「魔物が……。分かった。私の兄さんがこの町の騎士団長をしているから、頼んでおく。きっと、すぐに対応してくれると思うわ」
「頼んだぞ。それじゃ、俺は行く。――っと、あ、そうだ。後で、晩飯に付き合ってくれ。話したいことがある。待ち合わせ場所は町の中心にある一番大きなレストランにしよう。構わないか?」
「え? え、ええ、もちろんいいわよ。借りは二つ作っちゃてるわけだし? 礼節をわきまえた貴族として、二つともちゃんと返しておかないとね」
食事の誘いに驚いた様子だったが、少しツンとした口調ながらも了承してくれた。……良かった。一緒に旅をしてくれるように説得しなければならないからな。正直、断られたらどうしようかと思った。
「それじゃ、今度こそ俺は行く。また後でな」
「……ど、どうしよう。食事って、つ、つまりそういうことよね? き、今日会ったばっかりなのに、い、いいのかな。こ、心の準備が……。で、でも、もうオッケーしちゃったし……」
ティアは、たまに人の話を聞かずに自分の世界に入り込むことがある。五年経っても変わらない癖だ。――ただ、普段ならいざ知らず、今日に限っては止めて欲しい。こいつ、本当に大丈夫だろうな。信じたぞ、俺は。信じたから、本当にもう行く。
そうして、俺は自分の用事に取り掛かった。雑貨屋で傷薬と魔力回復薬、腰にぶら下げる角灯を購入し、武器屋で錆びた剣と抜き身の剣を引き換えに新しい鋼の剣を手に入れた。これで準備は完了だ。あとは一度外に出るだけだが、その前に、騎士団の宿舎に寄って行こう。
この町は比較的大きな町であるため、知らない場所を自力で探すには時間がかかる。往来を歩いていた町人らしき男に宿舎の場所を聞き、向かう。ありがたいことに、この後向かおうとしていた門の近くにあるらしい。いくつかの大通りを横断していると、活気に満ちた人々や、逆に、一日が終わって疲れた様子の人々が目に映る。どちらにしても、もうすぐ日没であるためか、人々の足は忙しない。
やがて、宿舎を遠目に発見する。ちょうどその時、宿舎から二人の人間が出てきた。一人はティアだ。もう一人はおそらく、ティアの兄さんだろう。話しに聞いた通り、背が高く、精悍な顔立ちをしており、鎧の上からでも分かるほど頑強な体つきをしている。ティアより一回り年上だという話しだが、実年齢以上の貫禄に満ちている。騎士団長を任されているというのも納得だ。
「――さて、行くか」
町の出口の方に向かって足を踏み出す。いや、踏み出そうとした時だ。背後に人の気配を感じた。
「あの、すいません。よろしいですか?」
声を掛けられると同時に振り向く。するとそこにいたのは、先程、馬車の前に飛び出てきた男だった。その表情は穏やかで、あの時の切羽詰まった様子はすでにない。おそらく、こちらが素の気質だろう。
「ああ、先程の方ですね。お子さんは大丈夫でしたか?」
問いかけると、男が安堵の息を漏らして口を開く。
「ええ、それはもう! 今は女房が診療所で付き添っているんですが、熱も下がって落ち着いた様子です。これも全て、あなた方のお陰です。本当に、ありがとうございます!」
男が深々とお辞儀をする。自分より年下の相手に躊躇いなく頭を下げるというのは、思うより難しいものだ。この人にとってはそれだけ、子どもが大切なんだろう。
「そんなに気にしないでください。……もしかして、お礼を言うために俺達を探してらしたんですか?」
「え、ええ、まあ。どうしても、一言お礼を申し上げたかったもので。……ただ、言葉だけで、何もお返しできるものがないなんて、恥ずかしい話です」
申し訳なさそうに男は顔を伏せる。一介の村人が町の医者の世話になれば、それだけで生活を圧迫する程の支出となる。それでなくとも、村人の生活なんて元より余裕はないものだ。
「構いませんよ、そんなこと。あなたの言葉と、お子さんが無事だったという事実だけで十分です。本当に。ですからどうか、頭を上げてください」
そう告げると、男はもう一度礼をしてから、ようやく顔を上げる。
「本当に、ありがとうございます。――あ、ところで、もう一人の方はどちらに? ぜひ、あの方にもお礼を申し上げたいのですが……」
「ああ、アイツなら、ほら、あそこにいますよ」
ティアを俺の連れ、もしくは俺をティアの連れだと思っているらしい男に、宿舎の方を示す。指差した先には、会話を続けている様子のティアたちがいる。
「アイツなら、お礼を言われればきっと喜ぶと思います。是非、お子さんの無事と合わせて伝えてやってください」
「はい、ありがとうございます。……あの、あなたは一緒にいらっしゃらないんですか?」
ふと、男が不思議そうな顔をする。
「ええ、俺はこれから少し、外に出る用事があるので」
「え、もう日が暮れる時間ですよ。それなのに、一体どちらへ?」
「ちょっと、森の方までね。日課なんですよ。剣の鍛錬をしておきたいんです」
年を取ったせいか、咄嗟の時に平然と嘘をつけるようになった。必要なことではあるが、何となく微妙な思いだ。
「ああ、なるほど! さすが、立派なお方だ。どうか、お気をつけて鍛錬なさってください」
男は納得した様子で、再度お辞儀をする。
「ありがとうございます。それでは、失礼します」
お辞儀をしたままの男を尻目に、俺は外へと向かって歩き出す。雑踏の流れに反して進んで行く。門をくぐる際、門番に少し訝しまれたが、同じく剣の鍛錬だと答えると通してもらえた。
他に誰もいない草原を少し歩くと、小高い場所にある森の入り口に差し掛かる。そこで、何となしに町の方を振り向いた。
黄昏時を迎えた空に抱かれ、町も何もかもが赤く燃えているかのようだ。……五年前の同じ日にも、俺は同じような光景を見た。ただ、その時の空は、黄昏時も禍時さえも過ぎて真っ暗な闇に染まっていた。その中で、町だけが一つの灯火となっていた。
――燃えていた、町が。比喩ではなく、本物の紅蓮の炎に包まれていた。あちこちで人々の悲鳴が上がり、あちこちで魔物の笑い声が響いていた。町にたどり着いたばかりの俺は、ティアと一緒に急いで街中まで駆けた。そこでは、この世の地獄が、魔物の狂宴が繰り広げられていた。人々は魔物の好きに蹂躙され、凌辱されていた。魔物は歯向かう者を殺し、歯向かわない者を殺した。母親の前で子どもの頭を砕いて笑い、妊婦の腹を裂いて笑い、生娘を犯して笑う。恋仲の男女を連れてきて、男が見ている前で女に奉仕させる。恋人への謝罪の言葉を紡ぐ女を、催淫の魔法でよがり狂わせる。嬌声を上げる女と涙で顔を濡らす男を見て、また笑う。
娘を殺されたくなければ、娘を犯せと父親に迫る。妻を殺されたくなければ、妻が犯されている姿を見て自慰をしろと夫に迫る。母親を殺されたくなければ、自分自身を殺せと年端もいかない少年に迫る。涙を流して苦渋の選択をする者たちを見てまた笑い、飽きたら殺す。苦悶と怨嗟の表情を浮かべて死んだ人達の頭を棒きれで串刺しにし、それを火で炙ったものを遺族に食べさせる。
どれも、見たことのない光景だった。衝撃に、言葉を失っていた。
町を護る騎士団は、魔物の首領に皆殺しにされていた。全身の皮膚を剥がされ、全身の骨を折られていた。脳みそは漏れ出し、眼球は潰れ、臓物は飛び出ていた。
だから、俺がティアの兄さんを見たのは今日が初めてだ。五年前に俺が見たのは、泣き叫ぶティアの胸に抱かれた、人間らしきものだけだったから。
――しかし、結局そんなことはよくあることだ。世界中の至る所で、日夜同じことが繰り広げられている。むしろ、十分な実力が無かったにもかかわらず、ティアを連れて無事に逃げ出せただけ俺は幸運だったはずだ。ティアも、幸運だったはずだ。たとえ、家族を失い、友人を失い、故郷を失い、この世で独りになったとしても、自分の身が無事だったのだから。
ただ、口が裂けようともそんなことは言えないし、言う気も無いというだけ。あの惨劇は何度見ようと慣れることは無いし、慣れる気も無いというだけだ。
「見つけた」
後になって調べたことがある。町を襲った魔物の数は幾百という規模だった。にもかかわらず、町の外へと人々が逃げ出した形跡はなく、門の外で殺されている人はいなかった。散乱している衣服は寝間着が多く、焼け落ちた家屋の中で亡くなっている人も相当数いた。つまり、町は予兆なく突然襲われた可能性が高い。だが、いかに夜中とはいえ、百を超える魔物の接近に気づかないわけがない。ということは、魔物は事前に町の近くに潜んでいた。言いかえれば、それだけの数が潜める場所があったということ。
洞窟だ。大きいだけで何の変哲もないが、入り組んだ森の奥、木々に覆われ、生い茂る草木をかき分けてようやくたどり着けることから、通常、人が立ち入る場所とは思えない。
「――いるな」
角灯に明かりを灯し、一歩を踏み入れる。耳をすますと、奥から魔物の息遣いが聞こえてくる。一人のこのことやって来た獲物に気づき、今か今かと待ち構えているようだ。
「待ってろ。すぐに行ってやるさ」
この夜、再び赤い炎が燃え上がる。夥しい量の悲鳴と血が舞い踊る地獄の狂宴が始まる。
滅ぼそう。歯向かう者も歯向かわない者も、その一切合切を神への供物として捧げよう。
開けた場所にたどり着く。ひんやりとした空気の中、大量の何かが蠢いている。形状も大きさも様々だ。暗闇の中、彼らは笑っている。口元を歪め、目を爛々と輝かせて。
そして、俺もまた、嗤っていた――。
無音の闇。静寂が支配する空間に、一つの巨大な影が現れる。丸太のように太い二本の脚が、重い足音を響かせる。その度に長い尻尾が引きずられ、大きな翼が揺れている。影は少し歩いた所で立ち止まり、二本の角が生えた頭を忙しく動かす。
「なんだ……? 一体、何があった……?」
低い声で吐き出された呟き。しかし、誰も応える者はいない。
ふと、影はある一点を凝視する。その先には、闇の中でただ一つ揺らめく小さな光がある。その光に向かって、ゆっくりと足が踏み出される。次第に光へと近づく影、それに伴い、影の足音に変化が起きる。かたい地面を踏み鳴らしていた重厚な音が、何かを踏み潰しながら進む鈍い音へと変わる。鈍い音が鳴る度、辺りには液体が飛び散っている。
そして、影は光の前で立ち止まる。呆然と立ち尽くし、光を見下ろしている。
「よう。探しものは見つかったか?」
辺りに散らばる無数の有機物、そのいくつかを積み上げた椅子に座す光源を見つめている。
「ああ。たった今な」
怒気をはらんだ声だ。確かに、聞き覚えのある声だ。
いつかの今日、愉快気に染まっていたそれが、憎々し気なものに変わっている。一匹残らず事切れた同胞を前にして、魔物の首魁が憤怒を露わにしている。
「小僧、こいつらは本当にお前が――あ?」
右眼を突き刺した。首魁が首を横に動かし、俺から目を切ったその一瞬のもとに。血と脂に塗れ、なまくらになった剣の切っ先に、ちっぽけな魔法の火をともして。
「ぐあああああああ! ……く、あ、がぁ、このガキィィィ! よくも、よくも! 殺す! 殺してやる! 五体を八つ裂きにして町の人間どもの前に晒してやる!」
眼球を貫かれ焦がされた首魁が片手で傷を押さえ悶え、薄闇の中で睨みを利かせている。小鳥のさえずりにも及ばない陳腐な脅し文句を垂れ流している。
「無理だな。お前じゃ、一生かかったって俺には勝てやしない。もう、分かっていることだ」
無造作に転がる死体と死体の隙間、わずかに残された足の踏み場へと降り立つ。
「勝てないだと、この俺様が? もう、分かっているだと? ――グ、ガァッウォォォォォォ! 人間風情が、誰に向かって口を利いたァ!」
激昂し、怒号を轟かす。傷口から手を離し、両腕を力任せに振るい始める。同胞の死体が滅茶苦茶になるのも構わず、息を荒げて一心不乱に拳を叩きつけている。
――とりあえずは、予定通りだ。この魔物は挑発に乗りやすく、一度頭に血が上ると冷静に戦うことが出来なくなる。極端に視野が狭くなり、力押し一辺倒の動きになる。通常であれば負けるはずのない、圧倒的に性能の劣る相手に隙を衝かれることになるのだ。
「無駄だ。そんな鈍重な攻撃じゃ、俺は捉えられん」
迫る拳を悠々と躱しながら、再度挑発する。すると不意に、砕かれた地面や死体の欠片、死体から飛び散る液体が視界を遮る。同時に、死角から伸びてきた尻尾が腰にぶら下げた角灯を破壊した。
「――ク、ククク、クハハハハハ! 油断したな? 愚かな人間めがッ! さあ、闇の恐怖を存分に味わえ! 分不相応な言葉の償いをさせてやるぞ! ククッ、どんな風にいたぶってや――ガ?」
左眼を、突き刺した。闇の中、油断し、笑いながら接近してきた首魁は、永遠に光を失った。
「ガァァァァァァァ! ……はっ、はあ、ぐっ、ぬう、こ、な、なぜ? 明かりを、失っておいて……!」
「馬鹿が。ランタンなんざフェイクに決まってんだろ。少しは頭使えよ、マヌケ」
俺には見えている。両目を押さえて悶え苦しむ首魁の姿が。人間にコケにされ、口惜しそうに歯ぎしりをする首魁の姿が、はっきりと。――闇の中に在って灯を必要としない瞳、初級魔法の一つによって。
「ク、グ、グォォォォォォ! どこまでも、どこまでも舐めた口をォ! 消す! 跡形も無く消してやるぞァ!」
眼窩から血の涙を流し、咆哮する。次いで、両腕を高く掲げて魔力の塊を生み出す。煌々と輝く紅蓮の炎玉が、辺りを照らし出す。露わになる死体の山、首魁は自分自身が巻き込まれることも構わず、それを足元へと叩きつけた。
圧縮されていた火が爆炎となって一面に広がる。熱風が巻き起こり、辺りに転がっているものを消し飛ばし、発火させる。洞窟内が激しく振動し、轟音が響く。破滅の時を告げる、暴威の嵐が吹き荒んでいた――。
「だから、無理だって言ったろ」
嵐が止んだ世界で、唯一残った音がその言葉。
「あ、が、そ、んあ、バカな……。こ、の、俺様、が――」
この魔物のもう一つの特徴、最大火力で魔法を使用した場合、瞬間的に全身の皮膚が著しく軟化する。
狙い定めたその刹那、手足の腱を断ち、首筋の動脈を裂き、喉元を貫いた。首魁は膝から崩れ落ち、足元に散らばるかがり火へと沈む。同胞に宿った炎が、首魁を葬送する送り火と化す。
ここに、再度の決着がついた。復讐を果たした一度目と違って、大した感慨はない。だが、これでいい。悲劇など、訪れる前に終わらせるのが一番だ。
「さて、頭を斬り落とすか」
とはいえ、俺の戦いが終わったわけではない。これから続いていく旅路のためにやるべきことがある。現時点で、こいつには既に多額の賞金がかかっている。貴重な資金源となる首だ。加えて、角や牙、爪などは強力な武器を作るための素材として活用できる。
「き、貴様、い、いったい……?」
角を掴んで首元に切っ先を当てると、首領が口を開いた。切っ先を押し付けたまま、答える。
「いずれ必ず、魔王を倒す男だ。その未来を、地獄でゆっくり見物しておけ」
頭部切断。息も絶え絶えに問いを投げてきた魔物は、今度こそ完全に息絶えた。
「……はあ。余裕の振りをするのも限界だな。もう足が動かん」
腰を落ち着ける。緊張が解け、どっと汗が噴き出す。剣が自然と手からすり抜け、乾いた音を立てた。無数の魔物の死骸が、周りでゆったりと燃え立っている。肉の焼ける臭いと、流れ出した血の臭いが酷く鼻を衝く。
「少し、休むか」
息を大きく吐き、仰向けに体を倒す。途端、急激な眠気に襲われ、意識がまどろみに落ちていく。
――夢を見ている。遠い昔の夢だ。少女の手を握っている。全てを失った少女だ。哀しみと憎しみを胸に刻んだ少女だ。随分と長い間、彼女と旅をしたように思う。常に寄り添い合っていた。日に照らされる影はいつも二つだった。時に速く、時にゆっくりと、二つの影は揺れていた。
――そう、揺れている。全身に強い振動が伝わってくる。しかし、頭だけは何かに護られているようだ。目の前には大きな二つの丘があり、たゆんたゆんとリズミカルに揺れて……
「って、ちがーう! なんだ! なんだ!? どこだ、ここは!?」
揺れる箱、流れる景色、馬車だ。だがなぜ、馬車に乗っている。俺は乗った覚えなんてない。
「もう、目が覚めるなり騒がしいわね。心配しなくても、ここはもう町の中よ」
そして、なぜかティアが目の前にいる。互いの座っている位置を把握した瞬間、嫌なイメージが頭をよぎった。
「どうかしたの? 私の脚なんかじっと見つめて」
「……いや、もしかして、俺はお前に膝枕されていたのか?」
「へ!? え、えええっと、それは、まあ……」
目をそむけて言いよどんでいる。やはりか。くそ、せっかく回避したはずの失態をこんな所で再び披露することになろうとは。油断した。
「ち、まあいいか。それで、なぜ俺はお前と一緒に馬車に乗っているんだ?」
「ちって、今、ちって言った!? 舌打ちした!? なによ、嫌だったって言うの?」
なんか騒ぎ出した。どうやら今の失言で怒らせてしまったようだ。
「そういう意味じゃない。気にするな。それより、質問に答えてくれ」
冷静になだめると、ティアも落ち着いて座り直す。
「……分かった。貴方がここにいるのは、私や騎士団の人達が洞窟から連れ出して乗せたからよ。ぐっすり眠ってたみたいだから覚えてないでしょうけど。ほんと、あんな酷い場所で倒れてるもんだから、最初は死んでるのかと思ったわよ」
呆れたように言う。まあ、血を噴き出したぐちゃぐちゃの死体が山のように転がっている中じゃ、そう思われても仕方はないが。
「ん? ちょっと待て。それはいいが、そもそも、どうしてお前たちは洞窟に来たんだ? 呼んだ覚えはないぞ」
「門番の人が森から響いてくる音に気づいたからよ。明らかにただ事じゃないって、すぐに騒ぎになったわ」
なるほど。おそらく、最後にぶっ放された魔法のせいだろうな。外まで響いていたらしい。
「それで、騎士でもないのに様子を見に行ったのか。お嬢様らしからぬ好奇心だな」
ま、今更ティアにお嬢様らしさなんて期待してないけども。外見からは想像できない活発な子だということを、今は知っているからな。
「失礼ね。私は貴方が森に向かったっていう話を聞いてたから、心配して行ったのよ」
「なに? そんなこと一体誰から、って、ああ、あの父親や門番には話したんだったな」
予想を裏切る答えに驚いたが、しかし、こういう所もティアらしい一面だ。出会って間もない人間を心配してあんな所に飛び込んでくるとは、相変わらず過ぎて安心する。
「言っておくけど、私たちが連れ出さなかったら、貴方今頃真っ黒こげよ? 魔物に付いた火がどんどん大きくなってたんだから」
「そうか、そりゃありがとう。――ん? おい、ちょっと待て! 火がどんどん大きくなって? おい、その火はどうしたんだ。ちゃんと消したんだろうな? いや、消してなくてもいいが、魔物どもの死体はどうした。あの中には高額の賞金首が、武器のもとになる有用な素材が転がってるんだよ!?」
それが、もし全部灰になってしまっていたとしたら……。ああ、そんなことは考えたくない。
「ちょ、ちょっと落ち着いてよ! 大丈夫よ! 貴方のそばで倒れてた魔物は、兄さんの指揮で体ごと運び出されてるから! もし、他にもいたって言うなら知らないけど……」
思わずティアの顔前ゼロ距離で叫んでしまっていた俺、答えを聞いて一安心。
「そうか、良かった。本当に良かった。ありがとう」
あとで、ティアの兄さんには礼を言おう。そう思っていると、ティアの顔が急に険しくなる。
「それより、少しは自分の心配もしたらどうなの? そもそも、なんであんな所に一人で行ったの。貴方、魔物の気配がするって話してたわよね。ということは、あそこに大量の魔物が潜んでるって分かってたんでしょ? なんで、どうして一人で行ったの。私には警備の強化を頼むように言っておいて、あとで食事に行こうって誘っておいて、なに? 自分は一人で危険な魔物討伐? ふざけないでよ! もし貴方に死なれでもしてたら、私、寝覚め悪すぎじゃない!」
話し始めは冷静だったのに、途中から凄まじい剣幕で怒鳴ってきた。間違いなく、馬車の外にも漏れ出しているだろう。道行く人々が皆こちらを見つめている。
「お、落ち着け! 分かった! 俺が悪かったよ! まさか、そんなに心配されるとは思わなかったんだ。本当にすまなかった。心から反省してる」
慌てて謝ると、ティアは怒鳴ったことが今更恥ずかしくなったかのように座り直し、膝に手を添えて顔をそむける。
「……じゃあ、約束できる? もう一人で危ないことはしないって、私に誓ってくれる?」
「もちろんだ。約束するし、誓いもする。二度と、一人で危険なことはしない」
出会ったばかりのはずの人間にここまで謝るというのは中々ない経験だろうな。それはそうと、俺には今日、まだやり残したことがあるのだ。
「よし。じゃあ、行くか!」
混み合う往来で馬車が停車する。その機会に、扉を開いて飛び降りる。
「え、ちょっと、行くってどこに?」
「レストランだ。約束しただろ。話したいことがあるって」
驚き不思議そうな顔をするティアに事も無げに答える。そう、本日最後に残された重要な任務。ティアが旅に同行してくれるように説得しなければならない。正直、これが一番上手くいくかどうか不安だ。
「……はあ。その約束、今果たすこと?」
「今夜って言っただろ。ほら、お前も降りて来いよ」
扉から顔を覗かせるティアに手を伸ばす。すると、ティアが一つ溜息をついた後、その真っ直ぐな眼差しを向けてきた。
「ティア・アルバート」
「え?」
「名前。お前じゃなくて、ティア・アルバートだから」
聞き慣れた名前を口にした彼女は、伸ばされた手を取り馬車を降りる。
「ああ、分かったよ。ティア」
数えきれない程口にした名前を、初めて呼ぶ。すると魔法のように、遠い日々が脳裏に蘇ってくる。今となっては、まだ見ぬ未来となってしまった日々。自然と、顔がほころぶ。目の前にいる未来の友人もまた、顔をほころばせた。そして、当たり前の問いを口にする。
「貴方の名前は、なんて言うの?」
いつかと同じ問いに、いつかと同じように答えよう。
「ああ、俺の名前は――」
Fin.
おまけ
「ところで、その焼け焦げた血まみれの服で食事に行くの?」
「え? ――げ!? し、しまったー!」
おしまい