森のエルフを孤独から、
拙い文章と構成ですみません。楽しんでいただけたらと思います。
森は静かだ。人は五月蠅い。
森は尊い。人は醜い。
さて、ここに移り住んでから、人の世ではどれほどの時が経ったのだろうか。最後に建て替えたのはいつだったか。木で作った我が家は、だいぶ古びてきた。
ぺらりぺらり、たまに森を出て人の街へ物を買いに行く。その際に買った本をゆっくりと読みながら、私―――――エルフ族のエルリートは少し微睡んでいた。
ここでの暮らしはいい。おそらくかなりの時が流れたが、この確かな日の温かみと、心地よいそよ風の中、ハンモックで寝るこの気持ちよさは、飽きる気配はない。
心配していたのは人恋しさだったが、最初は孤独を感じたものの、森の木々たちに目を向けるようになってからは、他の生命と共存している喜びで、そんなものは忘れた。
――――――そろそろ昼時だろうか。
ならば、何か摂ることにしよう。数日であれば、何も食べずとも支障ない体ではあるが、かといって忘れて食べずに数日間寝てしまい、食料の補充も忘れ、餓死しかけたことがある。
一日三食。食べられるならば、それが一番だ。であれば、すぐに準備しよう。本格的な料理は、試みたことがないし、私が不器用であるため、作らない。食べてみたい、とは思うが、それには人間から教わらなければならず、いろいろと厄介だ。
人に偏見を持つわけでもないが、人間には少しばかり嫌な思い出がある。主に、迫害されたり、差別されたりといったものだ。それでも、買い物には行かねばいけないから、妥協する箇所もあることにはあるが。
長寿種のエルフは、やはり人と価値観に大きなずれがある。私にとっては些細な時の流れでも、人の世ではそれこそ何年、時には何十年と経過していることがある。
街で買い物する際、微かに顔を覚え始めていた店員が、若々しい肌から、いつの間にかヨボヨボの皺だらけになっていた時の寂しさなど、他種族にはそうそうわかるものではないだろう。そんなものに嫌気がさし、私は人里離れた――――と言っても、まっすぐ迷いなくこの場所までたどり着ければ、それほど離れてもいないが――――この森の中に、密かに木を倒し、花を植え、小屋を作り、自作のハンモックも架けた。私だけの城・・・・誰も介入してこない、私だけの家だ。
もしかしたら、わざわざそんなことしなくても故郷に帰ればいいじゃないか、と思う輩もいるかもしれない。しかし、かといって、故郷は故郷で堅苦しいシキタリが数多く残っている。集団生活の息苦しさは、人間の村、街の比ではない。よって、この場所での暮らしが一番私に合っていると判断した。事実、とても心地が良い。
そこまで考え、私は本を閉じ、ハンモックから降りた。小屋の外観の中で、近いうちに直した方がいい箇所を大まかに目に焼き付け、中に入った。
――――――ああ、この木のにおい。自然が、私を向かい入れてくれているようで、気持ちがいい。
これこそ、私が孤独を感じない所以だ。森と共存し、小屋の周囲に植えた花々を愛でて、潤いを与える。それだけでの行為で、私は幸せな気分になれる。
今日の献立は、森で捕れた木苺のジャムと、野兎を焼いたものだ。酷く簡素だと己でもわかるが、こればかりは仕方がない。
しかし、ただ焼くだけでも肉の匂いがたまらない。ジャムも、パンなどあればいいのだが、少し前に買ったものは使い切ってしまい、スプーンですくって舐めるだけ。昔、人の街の食堂に入ったことがある身なので、少しばかり空しさを覚える。エルフの集落では、まず食文化が発達しておらず、それこそ薬草ばかり食べていたから、それに比べればご馳走なのだが。
――――――不意に、戸が叩かれた。
反射的に、熊かなにかではないかと警戒。護身用に持っているナイフを手に取りかけて、明らかに知性ある行動だと気が付いた。
規則正しく、トントントン。であれば、人間か。こんな場所に何の用だ。猟師・・・・?いや、人間の大人ではまっすぐ通れないようにと、バレない程度にここへの通り道は塞いだはず。
ならば、遠回りしてわざわざここまで・・・・?いや、この周りに大きな動物はあまりいない。狩猟目的であれば来る価値の薄い場所だ。
そこまで考えて、
「・・・・だ、誰かー・・・・いますか・・・・?」
「!?」
子供の声だった。男女の聞き分けなどできないので性別は分からないが、この少し高めの幼い声音は、確実に人間の子供の声だ。街で道をかける子供たちを見て聞いた。間違いない。
人の子に悪い印象はない。むしろ、迫害された中でも、気さくに話しかけてくれたり、食べ物を分けてくれたりした、無邪気で心優しい存在だと考えていた。
であれば、開けない理由はないだろう。その時の子供たちへの恩返しも兼ねて、ジャムを分けてやるのもいいかもしれない。子供は確か、甘いものが大好物だった。
「・・・・だぁー・・・・だれ、だぁ・・・・い・・・・?」
出すのは久しぶりだからか、声が掠れた。怖がられないだろうか。・・・・その心配は杞憂だった。
中に知性ある存在がいると安心したのか、扉をバンッ!と勢いよく開け(鍵など人が来ないこの場所では意味をなさないからつけていない)、子供が入ってきた。
スカートを履いて、髪が長い。あと、愛らしい顔立ちだ。これだけ特徴がそろえば、この子は女の子だろう。
人目を引くほどではないが、愛嬌のある顔立ちに、サラサラとして綺麗な茶髪。年頃は、十歳に届くか届かないか辺りだと予想する。衣服が多少土で汚れているのは、ここに来る途中でそうなってしまったのだろう。
私の姿を認めると、人間の少女は、露骨に安堵した様子で、しかし、やや緊張した様子で挨拶した。
「あ、こ、こんにちは!」
礼儀正しい子だ。きっと、親御さんに愛されて、ちゃんとした教育を受けてきたのだろう。
「うっうぅん・・・・こぉ、こんにちはぁ・・・・」
「喉痛めてるんですか?大丈夫ですか?」
どうやら、私の喉を気遣ってくれているらしい。やはり、成長しきった大人とは違う。無邪気で、心優しいものを胸に宿している。
自然、緩んだ頬をなんとか持ち上げ、
「あ、あーあー・・・・うん。治った。大丈夫だよ、ありがとね、心配してくれて。ところで、君は人間のお子さんだね、こんなところに何のようだい?」
「あの、お肉の焼けるいい匂いがして・・・・ごめんなさい、ここまで来ちゃいました」
「あー・・・・そうかぁ・・・・」
詰めが甘かった。これからは、肉を焼くときは、人の活動していない夜間にしよう。きっと、この少女は、私が野兎を調理する匂いを印に、ここまでたどり着いたのだ。
「食べる?まだ温かいし、私は、もう十分食べた」
「え!?いいんですか!?・・・・あっ、でも、悪いです」
「子供が心配することじゃあないよ。さあ、皿を用意してあげよう。ちょっとテーブルについて待ってて」
「え、あ、で、でも・・・・!・・・・はい、いただきます」
「うん、素直でよろしい」
ああ、子供は可愛いなぁ・・・・!たぁんと食べさせてお腹いっぱいにしてあげたくなる。
久しぶりに誰かと話す高揚感、愛らしい女の子にあてられて湧いてきた温かい感情に、私はとても嬉しくなった。
スキップしたくなる気分を抑えながら、頬を緩ませ、私は品をテーブルに置いた。その瞬間の彼女の嬉しそうな顔を、私はきっと忘れられない。
「はい。ジャムは好きかな?なんなら、食後に出してあげるよ?」
「はい、大好きです」
もう己の食欲に逆らう気を無くしたらしい少女は、顔を真っ赤にしながら素直にそう答えた。
「すごい美味しかったです!ありがとうございましたっ!」
「ううん、ただ焼いただけだし。でも、喜んでくれたなら何よりだね・・・・ところで、君、ここからの帰り道はわかるかな?」
「・・・・あ」
うん、詰めが甘い。やはり子供だ。後先考えずに、この森へ足を踏み入れたに違いない。私も稀に、餓死したであろう人間の骨を、見かけることがある。それくらい、入り組んで迷いやすい森なのだ。この愛らしい少女には、そうはなってほしくない。
「じゃあ、街へ買い物に行くついでに送っていこう。私はエルリート。君の名前は?」
「わたしは、フランドールって言います」
「うん、わかった。フランドールちゃんだね」
「・・・・は、はい」
軽く笑みを向けただけなのに、顔を真っ赤にして背けられてしまった。そんなに凄んだつもりもないのに、怖がらせてしまったのだろうか。
「あごめん、笑顔のつもりだったんだけど・・・・怖がらせちゃったのかな」
「あ、ああいえ!違うんです。ただ、綺麗だなって・・・・あ、あと・・・・」
「あと?」
「・・・・なんでもないです」
「???」
よくわからない。人の考えていることは、やはり価値観の違う私には理解しがたいことなのかもしれない。わからないのなら、理解しなくてもいい。だって、私とこの子は、相容れない存在なのだから。
余所行き用のローブを深くかぶり、今度こそ私はフランドールに笑いかけた。
「さ、行こうか」
「はい!」
フランドールも満面の笑みだ、今度はちゃんと笑えていたらしい。
森を抜け、なるべくグネグネとした道を通る。もう二度と、この子がこの場所に迷い込まないように。正規の道は、教えるつもりはない。終始フランドールは首を傾げていた。ごめんよ、君に本当の道を教えるわけにはいかない。
いつもより長く時間をかけて森を抜けてから、私はフランドールの背に合わせて、しゃがみこんだ。どうやら、私は人と比べるとやや高身長らしい。
「一つ約束してほしいんだ。私と出会ったことは、誰にも言わないでほしい。親御さんには、友達と遊んでいたとでも言っておいてくれないかな」
「え、なっなんで・・・・?」
「私は、人が嫌いでね。あまり、人とは話したくないんだ」
そういうと、フランドールの表情は露骨に沈んだ。勘違いさせてしまったらしい。
「ああ、いや・・・・違うよ。フランドールちゃんと話すのは、特に嫌じゃないよ。別に、私は子供まで嫌いというわけじゃない。むしろ、恩もあるし、好きの部類に入るかもね」
「じゃあ、わたしのこと、嫌いじゃないですか?」
「うん。好きだよ」
「!はい。わたしも、エルさんのこと、好きですよ」
「ありがとう」
子供に無邪気に好意を寄せられて、嫌な気はしない。ああ、今度からは街へ行くときは子供と戯れてから帰ろうか。
「ああ、そうだ。どこか、安く食材を買えるところはあるかな、あと、薬草を売るとき、なるべく高く買い取ってくれるところとか」
私にとって、どれだけ安く食材を買えるか、高く売れるか。それは今後の生活に左右する大きな問題だ。
「あ、それなら、街の真ん中の『何でも屋さん』がいいと思いますよ。猟師さんが、たまにとったものを売ってるの、見たことあります」
何でも屋・・・・か。もしかしたら、生活用品もあるかもしれない名前だ。
「ん、ありがとう。じゃあ、これで。気を付けて帰るんだよ?」
「え・・・・もう、さよならなんですか」
「うん、なるべく、君と一緒にいるところは見られない方がいいな。フランドールちゃんにも変な勘繰りが入るかもしれないし」
「・・・・そうですか・・・・。あ、でもっ!また・・・・!また、会えますよね?」
「・・・・」
君は、多分私の家にたどり着けないよ。期待した少女の瞳に、そう返してやれる度量はなく、私は黙り込んでしまった。
「エル、さん・・・・?」
「・・・・うん、そうだね。きっと・・・・きっと、また会えるさ」
「はい!」
酷く嬉しそうなフランドールの顔を何の感傷もなく見ていられるほど、私は強くなく。ただただ、フードを深くかぶり込むばかりだった。
「さようなら、フランドールちゃん」
「はい、エルリートさん」
「いらっしゃっせー」
「この薬草、どれくらいの値段で売れるかな?」
「ういっす。売却ですねぇ・・・・あーっと!?お客サン、これ、どこでとったんすか!?」
いつも通り、私が何てことなく森の奥地で採った薬草を差し出すと、店番をしていた若い男性は、酷く狼狽えた。
「それは、言えないな。でも、そんなに驚くって、どういうことだい?まさか、薬草に傷がついていて勿体ない、とか・・・・?」
「ちげーっすよ!この薬草、もうこのあたりには生えてないはずのきちょ~~~~なヤツなんすよ!やべーす、すげーっすよ、お客サン!これ、金貨三枚くらいにはなるっすよ!」
「え、そんなにすごいものだったのかい!?」
私の記憶をたどれば、確か銅貨十枚で銀貨一枚。銀貨百枚で、金貨一枚だったはずだ。相場が変わっていなかったら、相当な金額になる。
「以前お世話になっていた隣村の店では、銅貨五枚くらいだったんだけどもな・・・・」
「いぃっ!?お客サン、それ、ボられてるっすよ!しかも、銅貨五枚!?そいつ、そーとーな強欲もんすよ!もうそこで売るのやめた方がいいっす!」
「そうなんだ。じゃあ、もうそこで売るのはやめるよ」
「そーした方がいいっす!あ、でも・・・・こんな高価な薬草なら、もっとちゃんとした店で売った方がいいっすね。うちに回ってこないのは悔しいっすけど、その方がボられる心配もないっす」
本当に悔しそうに、しかし私のことを案じてくれるその言葉に、私は彼の為人を垣間見た気がした。
「・・・・いいや、ここで売らせてもらうことにするよ」
「え?でも・・・・!」
「商売度外視に、私を案じてくれるあなたが、悪人なわけはないだろう?なら、ここで売らせてもらうよ。どこの誰とも知れない大きな店の主人より、今善人だと確信できた人の方が、私は安心して品を渡せるね」
「・・・・いいんすか?」
「うん、いいよ」
「よっしゃ!あざっす、お客サン!ぐへへ・・・・ありがてえありがてえ」
今更悪い顔したって遅いよ。君は、きっとこの仕事に向かないくらいに、善人だ。
「じゃあ、金貨三枚と、銀貨二十枚で!」
「あれ?でも、君はさっき金貨三枚としか・・・・」
「うちの店を信じてくださったお礼っすよ!こーみえて、あっし、この店の店主なんすよ!あと、宣伝料と、今後もうちをご贔屓にしてくださるようにと、そんな感じの気持ちっす」
それにしたって、銀貨二十枚のオマケは多すぎる気がする。これだけのことをしてもらったのだから、今後も何かを売ることがあれば、この店に来よう。
「やっぱり、君はいい人だ」
「わかんねーすよ?もしかしたら、そーとーな猫被った守銭奴かもしれませんぜ?」
ワザとらしく、冗談交じりに悪巧み顔を晒す店主。彼の本質がだいたい把握できてきた気がする。そんな人のいい店の主さんに私もまた、冗談交じりに微笑んで返した。
「ははは、じゃあ、この店にはもう来ないね?」
「いぃ!?うそうそじょーだんすよ!ぜひまたのご来店を!」
「うん。私も冗談だよ。ありがとう、人間の優しい人。それで、他にもちょっと食料と日用品が欲しいんだけど」
「はいっす、安くしますぜぇ・・・・」
――――――彼は、あの商売に向かないのではないだろうか?
たくさんサービスしてくれ、ずっしりと重い紙袋を抱えながら、私は人のいい店主に思いを馳せていた。
人間が差別主義者であるという偏見は、ある程度捨てた方がいいのかもしれない。少なくとも、彼のような善人も、この種族の中には確かに存在するのだ。
しかし、それは彼が私を『人間』であると思い込んでいるからだろう。同族同士、助け合って生きているのが人間だ。今の私は、フードを深くかぶり込んだ、顔の見えない長身な男としか彼の印象には残っていない。さて、このフードを脱ぎさり、長くとがった耳を晒せば、彼はどう思うだろう。
―――――ひどく、恐ろしい想像をしてしまった。
あのお人よしにまで、石を投げられたらどうすればいいのだろう。善人にすら、悪だと罵られたら、私はどうすればいいのだろうか。
―――――そういえば、フランドールちゃんは、私の耳のことを何も言わなかったな・・・・。
それは単に、フランドールが子供であるからだろう。私の耳など、彼女から見た世界の壮大さの前では、些細なものなのかもしれない。
一日に二人もの優しい人間に出会い、私はスキップしたい衝動に襲われた。そして、一抹の寂しさも、私の心中には宿っていた。
「帰るか・・・・」
最近は無くなっていた、孤独感から来る独り言。私は、再びそれに苛まれ始めていた。
森は美しい。人は、汚い。
森は豊か。人の心は、貧しい。
さて、あれからどれほどの月日が流れたのだろう。私からすれば、些細な時の流れでしかないのだが、人の世では、はてさて、何年経ったのか。
相変わらず、この森での生活に飽きる気配はない。ハンモックで本をゆっくりと読んで、少し微睡んでみる。代わり映えしない、するはずなどない、変化の乏しい毎日。
小屋は、流石にそろそろ建て替えた方がいいかもしれない。劣化が進み、そろそろ雨一つで中が水浸しになるやもしれない。
不意に、腹が鳴った。一日三食の生活を続けていると、一日最低三度は腹が鳴る。何も食べなくとも、数日持つ体ではあるが、やはり、何かを食べたときの幸福感と満腹感は、食欲が三大欲求に入るのも理解できるほどに、強烈なものだ。
――――――さて、何か摂るか。
やはり不器用さは変わらない私なので、料理と言えるほど手の込んだものを今日まで作ったことがない。簡単に手早く、木苺のジャムと、野兎を焼いたものを用意する。
―――――――そういえば、あの子がこの家に来た時も、これと同じものを食べたな。
不意に湧きかけた孤独感を、木の匂いで強引に掻き消す。駄目だ、思い出してはならない。一度思い出せば、早々忘れられなくなる。
胸中の想いすら、喉を通る糧と共に胃に流し込むように、私は肉を頬張った。
―――――――不意に、戸を叩く音がした。
いつかと同じように、私は咄嗟に腰につけたナイフに手をかけようとした。熊か何か・・・・いや、違う。この物音の正体を、私は知っている。
トントントンと、知性と規則性のある物音に、私はまた人間が―――――もしかしたら、また肉の匂いにつられた者かもしれない―――――迷い込んだのだと確信した。今は、夕時。猟師もすでに帰路へ着いた後だと思って肉を焼いたのだが。詰めが甘かったか。
「・・・・エルさん。いますか・・・・?」
「っ・・・・!」
私は、咄嗟に声を漏らした。この声、この声は・・・・そんな、まさか。
「・・・・フランドールちゃん、かい?」
いつかと同じように、バンッ!と、大きく音を立てて扉が開く――――――ことはなく、「お邪魔します」と、しっかり念を押してから、あの子は入ってきた。
見違えた。愛嬌のあった顔は、やや大人びた、しかし幼さの残るものに変わり、『幼子』から、『娘』に私の中で認識が切り替わった。サラサラとした茶髪は、より長いものになり、スカートは、やはりやや汚れている。無理して通ってきたのだろう、いつかより明らかに汚れがひどい。
「お久しぶりです・・・・エルさん!」
「・・・・見違えたよ。まさか、また君がここにくるとは。綺麗になったね」
「あ、ありがとうございます・・・・」
意味が分からないところで赤くなるのは、いつかと同じままだ。しかし、その表情は少し不機嫌なものだった。
「・・・・酷いですよ、エルさん。私のこと、わざと入り組んだ道で送ったりして。全然、この場所にたどり着けなかったんですから」
「え、あー・・・・いや、その。・・・・実は、もう二度と君がここに来れないように、わざと遠回りして帰したんだ」
「え!?何でですか!酷い!」
頼むから、詰め寄ってくるのはやめてほしいんだ。フランドールは、大人の女性に着実に近づいてきている。どきりとする仕草も、あるわけで。
「私は、もう君に会いたくなかったんだ」
「・・・・ぇ」
「勘違いしないでほしいんだ。君が、嫌いだったわけじゃない。ただ、君が、もう一度この場所に来てしまえば・・・・君のことが忘れられなくなると思った」
「・・・・どういうことですか?」
「孤独に耐えられなくなる。人が恋しくて、たまらなくなる。私にとって少しのときでも、君たちにとってはあまりに長い月日だ。いつか、君がいなくなったとき、私は、それに耐えられるとは思えなかった」
「意味が、分からないです」
それはそうだ、エルフと人間は相容れない。理解できなくて当然だ。中にはハーフエルフという、人間との混血もいることにはいるそうだが、その混血の自殺率はあまりに高いと聞く。・・・・人と長く触れてしまえば、孤独に耐えられなくなるのだ。
人の国で暮らすエルフにも、それは言える。他種族の寿命を延ばす薬も、あることにはあるらしいが、それを使った種族もまた、孤独に苛まれ、自殺。長く持って数百年。短ければ、百年と少しで発狂すると聞く。それだけ、他者との関わりは重要だということを指している。
「君は、私と初めて会ったとき、何歳だった・・・・?今は、何歳になった?」
「あの時は、九歳でした」
「ははは・・・・若いね」
「今は、今年で十四歳になります」
「五年と少し、かぁ・・・・やっぱり、そんなに経った気がしない」
「?」
「この耳を見ても、まだわからないのかい?」
「耳・・・・?・・・・ぁ」
どうやら、やっと理解が追いついたらしい。逆に何故、今まで私の耳に気付かなかったのだろう。
「エルさんは・・・・絶滅したエルフ族、何ですか?」
絶滅した・・・・?エルフが?
「エルフが、絶滅?」
「知らないんですか・・・・?その、百年ほど前に、最後の集落が焼き払われたって。確か、ドワーフ族との戦いで・・・・すみません、こんな話、聞きたくなかったですよね」
「いや・・・・ありがとう、教えてくれて。ああ、そうかぁ・・・・皆、死んじゃったのかぁ・・・・」
今更故郷に思い入れはない。しかし、父母と共に過ごした場所がもうどこにもないのだというなら、それは少しばかり・・・・悲しい。
つまりは、私はとうとうこの世で独りぼっちになってしまったということか。いや・・・・なっていた、の方が正しいか。
痛ましげに私を見つめるフランドール。きっと、私に会いたくて来てくれたのに・・・・。五年もの月日が経ったというのに、私に会いたいと思ってくれたのか。
「本当にありがとう、フランドールちゃん。五年も経って、よくもまあ、こんなみすぼらしい家の、みすぼらしい男を覚えていてくれた」
「だって、私は、あなたが好きだったから」
「え・・・・?いや、ちょっと待って。私のことが好き?フランドールちゃん、君は、何を・・・・だって、私はエルフで、君は人間で」
「何もおかしなことはないと思います。昔は、エルフと人間の夫婦だっていたって聞きます。一目惚れです」
私に一目ぼれする要素など、ないと思うのだが。ああ、野兎とジャムか。野兎とジャムで胃袋を掴んでしまったのか・・・・。
「ならなおさら、もうここには来ないでほしいな」
「何でですか」
「君は不幸になるよ。私の見た目は、それこそ死期の数十年前になるまで、変わることはない。私と共にいたら、君だけが年老いて、私だけが変わらない。そんな残酷なことはないよ。それに、そんなに綺麗になったんだ、誰かいい人を見つけなさい」
子供を諭すように。君なんて、私の眼中にはないのだと。
正直に言えば、フランドールは私の好みの女性だった。優しそうな顔立ちに、礼儀正しい仕草、サラサラとした女性らしい魅力に富んだ髪に、今でも変わらない、こちらを見通すような、純粋そうな瞳。どれをとっても、魅力的な女性になっていた。
「まだ、子ども扱いするんですか。私は、来年には成人になります。もう子供じゃないです!」
「私からすれば、人間なんて皆子供みたいなものだよ。――――――私は、人間の年に換算して、恐らく五百年以上は生きている。この場所に住み着いたのは・・・・そうだな、多分・・・・二百年くらい前だ」
途方もない年数。たかだか十数年しか生きていない少女には、まるで想像もつかない歳月だろう。
なのに――――、
「そんなに永い間、ほとんど一人でいたんですよね・・・・?辛かった、ですよね・・・・?」
何で、私が子供の様に、諭されているのだろう。
「・・・・」
驚愕で、硬直している私を見つめ、フランドールは近づいてくる。そうして、その小さな背の女の子は、私の頭めがけて、精一杯背伸びした。
「よしよし」
「っ!」
頭を撫でられる。まるで、自分の心中を見透かされているような気がした。
「私、エルさんに比べたら、全然子供ですし、長くも生きていません。でも、そんなの、関係ないじゃないですか」
「・・・・」
「初めてあなたに会った時、すごく綺麗な人だなって、思いました。それこそ、周りを全部拒絶して、自分一人の世界に籠っているような、そんな綺麗さ」
「・・・・」
「でも、話してみたら、すごく優しい人で。子ども扱いされたのは、すっごく不満ありましたけどっ!」
「だって・・・・君は、本当に子供だったじゃないか」
掠れた声で、何とか紡ぐ。本当に、人の成長は早い。私など置き去りにして年老いて、いなくなっていってしまう。そんな悲しくて、自分勝手な存在と、共にいるなど、無理だった。
「でも、もうすぐ大人になります。・・・・私、親がいないんです。去年、育ててくれたおじいちゃんが、病で倒れて、亡くなりました。家族、いないんです。独りぼっちなんです。エルさんと、一緒ですよ」
一緒じゃあない。私は、君ほど純粋に人と関わることなど出来ないし、独りであることを、そんなに堂々と口にすることもできない。君の方が若いのに、私など、老人と言って差し支えない歳だというのに。フランドールの方が、強い。
「時の流れは違くても、あなたが好きです。五年間、ここにたどり着けなくて、あなたに遠ざけられているようで、悲しかったけど、会えないままだったけど。好きでした。あなたと、一緒にいたいです」
「でも、君はすぐに逝ってしまう・・・・そんなの、嫌だよ」
「それなら、私がいなくなった後も、あなたが寂しくないようにたっくさん思い出を作ります。だから・・・・お願い。もう、遠ざけないで。一緒に、いてください。いさせてください」
「私、はっ・・・・」
「好きです。愛しています」
声が心に溶け込むようだった。そのまま何か熱いものが、心を溶かしていくようだった。
「ずっと一緒に、いてくれるのかい?」
「います。ずっとは無理ですけど、生きてる限り、あなたの隣にいます」
「本当に?」
「本当に。ずっと、ずっと」
抱きしめられた。ここで抵抗しても、逃がしてくれそうにない。第一、抵抗する気も、彼女を拒絶する気ももう、起きなかった。
だから――――――、
「ぐっ・・・・うぅぐっ・・・・!」
「な、何してるんですか!?エルさん!!やめ・・・・やめて!!」
―――――――心臓に、爪を立てた。
血が噴き出る。痛い、熱い。でもやめない。だって、これは彼女とずっと一緒にいるのに、必要なことだから。
「だいっ・・・・じょ、ぶ・・・・それに、必要なことだから、じゃま、しない、で・・・・」
「で、でもっ!!エルさんが死んじゃう・・・・!」
フランドールに腕を掴まれる。でも、もうすぐだから、待ってほしい。やめない。
―――――――コキリと、決定的な感覚があった。
「こ、これ、で・・・・」
「エルさん!?エルさん!・・・・エルさん!!」
意識が遠のく。前にはフランドールがいるから、せめてもの抵抗として、背中から倒れる。
「エルさん!?しっかりして!やだ、死なないでっ・・・・!」
――――――――大丈夫、死なないよ。
そう心中つぶやいて、私は意識を手放した。
手を握られる。温かい。
愛を囁かれる。心地いい。愛おしい。
――――――意識が浮上する。
目を開ければ、最愛の人の涙で濡れた顔があった。
「エルさん・・・・!よかった、生きてる・・・・!」
「だから、言ったでしょ・・・・?私は、死なないって・・・・」
「――――――何で、あんなことしたんですか!?」
フランドールは怒っていた。私が遠ざけたときでは比にならないほどに。
もちろん、自殺したくて心臓に爪を立てたのではない。フランドールと共にあるために、考えあっての行動だった。
「エルフの治癒能力の高さは、知っているかな・・・・?」
「急になんですか!?話を逸らさないで!!」
「いいから聞いて。知ってる?」
「・・・・いいえ。エルフがいなくなったのは、もう百年も前なので」
長寿であったことと、耳がとがっていたことくらいしか伝わっていません、とフランドールは続けた。
「じゃあ、私がこんなことをした訳を教えるね。エルフは、治癒能力が生来恐ろしく高い。ただの切り傷なら、ほんの一瞬で治ってしまうし、転んで皮がむけたりしても、すぐに治ってしまう。――――――その代わり、すごく体に負担がかかって、疲れるけどね」
「それと、何の関係が・・・・?」
「私の目的は、心臓に重傷を負わせて、体に強い負荷をかけること。心臓は云わば命の要だよ。そんな箇所を損傷したら、例えエルフでも無事じゃ済まない。すぐに治さないと命に関わるからね、かなり治癒能力が結集されて、私を治しただろうさ」
「でも、無事じゃ済まないんですよね?体は、大丈夫なんですか」
「いいや、大丈夫じゃないね。かなり負荷がかかったから、寿命だってだいぶ削れたと思うよ。というか、それが目的だ」
そこまで言って、フランドールも私の言わんとすることに気付いたらしい。「まさか・・・・」と口に出しながら、私に続きを促した。
「エルフの寿命は七百年くらいだ。私は五百年と少し、この世で生きているから、あと二百年持つか持たないかくらいのはずだね」
「二百、年・・・・」
その途方もない年数が、フランドールには想像もつかないらしかった。それでも私を励ましてくれたのだから、本当に強い子だ。
「まあ、私は持って後百年。短ければ数十年で、死ぬだろうね」
大きく寿命を削ったから、と続ける。
「・・・・やっぱり」
「うん、そうだね・・・・」
「私の寿命に、合わせてくれたんですよね・・・・?」
その通りだった。彼女と共に過ごすなら、彼女に置き去りにされるのだけは、嫌だった。耐えられるわけがない。私に好意を寄せてくれた人が、ただ年老いて、先に逝ってしまうのを、黙って見送るだけなど、できるはずがなかった。
フランドールは泣き出した。どうやら、自分のせいで、私が死に急いだと、己を責めているようだった。
「フランドールちゃんが、自分を責める必要なんてないよ。むしろ、私は君に救われた。君には、もっと笑ってほしいよ。もっと、笑顔でいてほしい。だから、泣かないで。全部、私がやったことだ」
「でもっ・・・・!でもっ、私があなたを好きだって言ったから・・・・!それでっ」
「私も、君が好きだよ。それでいいじゃないか」
「へ・・・・?」
「君が好きだ。私を好きだと言ってくれた、フランドールが好きだよ。愛してる」
「~~~~~~!!!!」
―――――あ、あれぇ?もっと泣く勢いが強まってしまった。
どうすればいい?思えば、女性を悲しませた時の対処法など知らぬまま、この歳まで生きてきてしまった。
「な、何で泣くんだい・・・・?私は、私はちゃんと君が好きだからっ!愛してるから!泣かないでくれよ・・・・!」
「だって・・・・夢みたい、で・・・・エル、さんに好きって、言われると、思って、なくて・・・・!」
たどたどしく己の考えを吐き出すフランドールは、どうやら何割かうれし泣きしているみたいだった。そのままフランドールが落ち着くのを待つと、彼女は口を開いて、数分ぶりに嗚咽以外の音を発した。
「・・・・ごめんなさい。私のせい・・・・じゃなくて、その・・・・エルさんに、苦しい思いさせちゃった」
「いいよ。謝るくらい私に罪悪感があるなら、ずっと、私のそばにいておくれよ。それでいいから。それで幸せだからさ」
「・・・・はい。います、ずっと隣に。・・・・でも、罪悪感じゃないです。愛してるから、隣にいるんです」
「うん。わかってる。死ぬまで・・・・いや、死んでも、君から離れてやらないからね」
「・・・・はいっ!期待してますっ!」
「・・・・ははは、君には本当に敵わないな」
―――――――どっちが年上か、わからなくなってしまうよ。
そう心中つぶやきながら、私は少しばかりにぎやかになったこの場所が、もっと好きになった。
さて、エルリートの選択は正しいのか。愛する人と生涯共に暮らすため、己の命を削るのは、正しいことなのか。
まあ、この後二人は生涯幸せに暮らすので。そこは心配なく。
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