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今日も元気に魔王城。
「よし、これで午前の陳情はお仕舞いですね」
机の前で書類をまとめているのは大魔王第一の側近、赤黒いローブにすっぽり身を包んだ人型悪魔のデルフォード。
そこにパカラッパカラッと慌しい足音が。
「デルフォード様! 火急の報告が!」
「なんです。勇者でも攻めてきましたか」
「いえ、それが……」
なんとも言えない微妙な表情で言いよどむ伝令兵のケンタウルス。
「その……魔王城のすぐ横に雪だるまが現れました」
「雪だるま? この夏にですか?」
「はい」
沈黙が部屋に降りる。
両者が共通して思い浮かべたのは絶世の美女堕天使にて大魔王その人。
笑顔で厄介事を振りまきながら歩く脳筋バカ。
「分かりました。とりあえず見てきましょう。もし大魔王様が動いているとなると私くらいしか対処できないでしょうからね」
自分が動いてもろくに解決できた試しはないとは敢えて口に出さなかった。
ケンタウルスも黙って同情の目を向けていた。
魔界では大魔王に次ぐ地位と実力を持つ悪魔という看板は既に錆びてガタガタだった。
「さて。件の雪だるまはどこですか……ああ、確かにこれは目立ちますね」
雪だるまがいた。
魔王城を悠々と越えるとてつもなくでっかい雪だるまがどでんとそびえ立っていた。
Vの字の眉にまん丸とした目。口は真一文字に引き締まっている。
不気味な魔王城の威厳など吹き飛ばす勢いだった。
「大魔王様ー。そこにいらっしゃいますかー?」
投げやりに呼びかけてみると、雪だるまの頭の上からひょっこり顔を出す20歳前後の若い女性。ついでにブンブン手を振っている。
彼女こそが大魔王エリエルだった。
「む。おおデル。どうしたのじゃ」
「それはこちらのセリフです。なんですか、その雪だるまは」
「ああ。これはじゃな、かつて6人の勇者達が雪だるまと化して邪神Sへと挑んだという伝説をついこの前聞いてな。それで新魔法の開発をしてみたのじゃ」
えっへんと豊かな胸を張る大魔王様。
ぷるんぷるんだ。何がとは言わないが。
「そうですか。では満足なさいましたね。可及的速やかにその不吉で禍々しい悪夢の雪像をどこかに捨ててきてください」
「な、なんじゃとー!? おぬしにはこのロマンが分からんというのか! この素晴らしい巨体が動く雄姿を見たいとは思わんのか!」
「いいからとっとと降りてこい、このスッカラカン! ろくなオチが思い浮かばねーんだよ、畜生!」
そのオチとやらに真っ先に巻き込まれるのは大抵側近だったりする。
「ヤじゃ! よーし、ではいっくぞー! 発進じゃ! YUKIDARUMA1号よ!」
「あああああああああ! 止めろっつーとろーがああああ!」
側近の悲哀を黙殺し、大魔王はわくわくしながら号令を出す。
雪だるまの頭の上で漆黒の翼を羽ばたかせて仁王立ちしながら、指をビシッと前に突き出した大魔王。
その指示に従おうと、無表情の雪だるまの丸い胴体が動き出す。
「おや?」
が、雪だるまはその輝かしい一歩を見事踏み外し、グラリと頭から前のめりに崩れて行った。
まずは頭がポロリと、続いて丸い胴体が魔王城に向かってゴロンゴロン転がって行く。
不思議そうに可愛らしく小首をかしげる大魔王様を置いて雪だるまはスピードを上げて行く。
そして、魔王城が雪崩れに飲み込まれた。
「ぎゃー!」
そして側近もやっぱり真っ先に飲み込まれ、雪の中を掘り返されるまでカチンコチンになっていた。
☆☆☆☆☆
猿王ゴズクウ襲撃から2週間後。
森の中に二人の幼い男女の姿があった。
「ほら、ブドウが生ってる。とってやるよ」
「ありがとう、ゆうしゃさま」
「お、こっちにもある。ほら、美味しそうだぞ」
「ゆうしゃさまも、はいどうぞ」
勇者ノヴァと一つ年下の神官見習いの女の子セアはまるで兄妹のように仲良くなっていた。
あれからセアはよくエリエルと勇者に会いに来た。
ほぼ毎日と言っていいくらい住んでいる大神殿を抜け出して、子犬のようにどこにでも付いて来る。
勇者もまんざらではない様子で、あれこれと世話を焼いたり楽しそうにお喋りをしていた。
正直に言えばベタ甘だ。
妹とよく似ているという要因も多分にあるせいだろうが、無論幼い勇者はそこまで深く考えていない。
ただ大事にしたいという表面の思いだけが心を大きく占めており、それで完結していた。
そしてセアはそれを知らず、無邪気に勇者のおにいちゃんに懐き、喜んでいた。
セアは付いて来るだけでなく、勇者と一緒に基礎体力メニューをこなしている。
無論重しなど背負わず、勇者と比べてかなり緩めたものではあるが。
途中でついていけずにギブアップすればエリエルが召還するレベル20台の氷狼の背に乗せられ運ばれていく。護衛代わりだ。
勇者とエリエルが剣の稽古をすれば、傷ついた勇者を魔法で癒す。
幼い身ながらも初級の癒しの魔法を完璧に扱える優秀な神官だった。
しかも回数をこなす度にどんどん癒しの光が強くなっていっていた。この分では中級の癒しの魔法を使えるのもそう遠くはないだろう。
時には勇者とペアを組んでモンスターとの戦いの経験を積む。
勇者は前衛としての役割を覚え、後衛を守る動きを知る。
そして二人でどう力を合わせればより効率的に敵を倒せるのか、その連携の訓練で二人の動きは日々磨きがかかっていた。
「では、二人にはこれから2匹のモンスターと戦ってもらおう」
「どんなあいてだ、師匠?」
「それは見てのお楽しみじゃ。まあレベル7とレベル5とだけ言っておこうかの」
「ゆうしゃさま、がんばろーね!」
両手を胸の前で握り締めるセア。
それを見て頷く勇者。
勇者の表情にはもはや躊躇や弱音、辛い修行に対する愚痴はない。それ以上に大切な物ができたからだ。
今はひたすら顔を上げて前を見て、真摯にエリエルの課す修行を全て飲み込もうとしていた。
森の奥に進むと、緑のローブをすっぽり被った人型のモンスターと、皮がゴツゴツした子供の背丈ほどある大きなカエルがいた。レベル7の火の魔法を使う小鬼とレベル5の大ヨロイカエルだ。
みっちりサバイバルを叩き込まれている勇者とセアの方が先にモンスターを見つけた。哨戒と隠形の技能もしっかりスキルアップしている。
きっとこのままいけば将来は立派な特殊兵になってくれるだろう。
「よし、先に魔法を使う小鬼をねらう。ぼくがとっしゅつするからセアは魔法でフォローおねがい」
「うん。わかった」
方針を決め、勇者が短剣と盾を構えて茂みを飛び出す。
勇者に気付いた小鬼とカエルが気付き、すぐさま臨戦態勢を取る。
先手をとったのは勇者。
真っ先に守備力が低く動きの鈍い小鬼へ斬りつける。倒しやすい敵を真っ先に倒すのが鉄則だ。
必死に避けようとして体を横にズラした小鬼の左腕を斬り飛ばした。
「ギャアアアア!」
小鬼が激痛と怒りを火の魔法に変えて放ってくる。
火球を左の青銅の盾で防ぐ勇者。
更に勇者の横からピンク色の細長い物が素早く伸びてきた。カエルの舌だ。
だが鞭のようにしなるそれは突然現れた魔法の障壁に弾かれる。後方のセアのサポートだ。
勇者はカエルを放置し、小鬼に集中攻撃。
本来はカエルの攻撃でできていたであろう呪文を唱える時間はなくなり、隙だらけのその胸に勇者が短剣を構えて飛び込んで行く。
「しとめた!」
短剣を小鬼の胸から引き抜き、すぐに転進。カエルに向かう。
カエルは襲いやすいと見たのか、セアに向かって跳んでいく。そうはさせないと勇者は地を駆けてあっという間に追いつく。
「セアにはぜったいに行かせない」
鬼気迫る顔で自分と同じくらい大きなカエルの背に向けて短剣を振り下ろし、勢いを削いだ。その発達した背の硬い皮はわずかに傷つけただけだった。
セアとカエルの間に立ちふさがり、次々と短剣を振るってカエルを押していく。カエルももはやセアどころではなく、舌で短剣の腹を打ったりして抵抗を続ける。
舌が勇者の額をかすめ、スッパリと皮膚を斬られた。だがすぐさまセアの癒しの光がぼんやりと勇者を包み、傷がふさがる。
「しっかり、ゆうしゃさま!」
「たすかった、セア!」
再び短剣を振るう。
やがてカエルが跳びあがった時にセアがうまく魔法障壁を展開し、ぶつかったカエルはひっくり返って地面に落ちる。
ようやく柔らかい腹を晒し、勇者はセアの作ったその好機を逃さずに短剣を突き刺して戦いは終わった。
「やったあ!」
「セア、助かったぜ! 本当ありがとうな」
二人がほっとした時、勇者の視界の端で赤が生まれた。
最初に倒したはずの小鬼が倒れたまま上体を起こし、手を伸ばしている。その手から火球が放たれた。
息絶える直前の一矢。執念のそれは道連れにセアを選び、牙を向く。
このままではセアに当たる!
突然の事に棒立ちになって身を固くしているセア。
勇者は迷うことなく一番近い短剣を握る右腕を差し出して、火球を受け止めた。
右腕が炎に包まれ、煙をモクモクと吐き出す。
「ゆうしゃさま!」
悲鳴。
肉の焼けた臭いが漂う。
腕に立ち上っていた煙が消えた後、そこにはひどく焼け爛れた勇者の右腕があった。
「だいじょうぶだ。安心しろ。セアにはキズ一つ、つけさせるもんか」
勇者は額に脂汗をにじませながらも、なんでもないようにその顔に笑みを浮かべて言い切った。
そこにあるのは底知れぬ強い意志。
そして深い愛情だった。
「よくやったの」
「いてて……セア、もうだいじょうぶだって」
「ダメ!」
勇者の右腕を手当てしているのは真剣で、どこか怖い顔をしたセアだった。
魔法で腕を癒し、水に塗らした布で腕の熱を冷やす。
「はは。大人しく手当てを受けておくがよいぞ。ここまで心配してくれるとは実に愛いではないか」
「し、師匠……」
その言葉に今度は勇者がガックリ肩を落とす。
内心密かに師匠を慕っている勇者としては、まったく相手にされていないと言われているようでため息もつきたくなる。
「……」
そしてセアはそんな二人の会話を聞きつつも黙ったまま、ただせっせと手当てを続けていた。
勇者に対して「倒せれば御の字」と評価した国境の洞窟に住み着いている火の魔法を使う小鬼のモンスター。
エリエルが勇者を初めて見た時に下した評価が覆された日だった。
「よし、では手当ても終わったな。次は坊や一人でガーゴイルの相手じゃぞ」
「のぞむところだ!」
捕らわれた氷柱からでてきたガーゴイルはやはり幼い勇者にとっては凶暴で凶悪だ。
その動きも力の強さも勇者とは比べるべくもない。
だが、猿王の一件から今ではもう怯む事も逃げ腰になることもない。
『勇者』になると決めたノヴァは燃え盛る炎のように戦意を高揚させ、果敢に挑んで行く。
そこには今まさに成長し続けている勇者の卵がいた。
「ほう。いや、坊やも随分と動きがよくなってきたの」
「ゆうしゃさま……」
感心するように呟くエリエル。
ハラハラと見守るセア。
二人の見ている前で勇者は己より遥かに強い相手に挑みかかっていた。
もう何度となく戦った相手だ。
10分経った今なお、勇者は全てガーゴイルの攻撃を完全回避し続けていた。
「ギイイイイイ!」
「おっと」
勇者の頭を切り刻もうと振るわれた腕をかいくぐり、その石の体に一撃を与えてすぐさま飛びのく。
また一つ欠けた石の欠片が転がる。
未だ息を切らさず、慎重に相手の隙を窺いながら着実にキズを重ねていっていた。
「随分とガーゴイルの動きを見切れるようになってきたの。後の先を取りつつあるか」
「ししょう、どういうことなんです?」
「なに、セアよ。相手が動こうとした時にはもう坊やは既にどう攻撃が来るかを予測し、先に体を動かしているということじゃ。そうすることで素早さの劣る坊やでも攻撃を避けることができるし、また相手の先手を取ることができる」
「よ、よくわかんないです……」
「まあ、ガーゴイルが殴ろうと爪を振り上げた時にはもう既に坊やはそこにはいないということじゃ」
「わぁ。それはすごいですね!」
「うむ。すごいのじゃ……本当に成長が楽しみな坊やじゃ。うふふ」
「さすがゆうしゃさまです!」
そんな後ろの二人が観戦している間も、ジワジワと勇者はガーゴイルの攻撃をなるべく小さな動作で避けようと限界を少しずつ詰めていた。
ほんの目と鼻の先をガーゴイルの爪が過ぎ去り、掠った髪がハラリと1本落ちる。ほんのわずか目測を誤れば届くであろう攻撃範囲。
紙一重の攻撃範囲の見切り。
予備動作からの行動予測。
ノーミスでガーゴイルを倒すという訓練に対してまず勇者が身に着けつつある技能がそれだった。
結局、20分してやや息が切れてきたところでガーゴイルの一撃をもらってしまい、ノーミスは崩れてしまった。
「よく20分フルで息を切らさずに動けたの。随分と体力はついてきたようじゃな」
ガーゴイルを倒した後。
そう師匠が褒めてくれて、勇者は訓練目標に届かず悔しそうなのか、師匠に頭を撫でられて嬉しそうなのか分からない顔をしていた。
「あ、あのねゆうしゃさま。おねがいがあるの」
「どうしたんだ、セア。言ってみろよ」
修行も終わり、荷物を纏めようとした時にセアが思いつめた表情で勇者の手を取ってきた。
可愛い妹分の頼みだ。
どんな事でも聞いてみせようと思っていた。
「わたし、ゆうしゃさまがこのくにを出るときはいっしょにつれて行ってほしいの」
「そ、それは……」
思わぬお願いに躊躇う。
危険な旅に巻き込みたくない、というのが正直なところだ。
「おねがい……ゆうしゃさま」
「う」
「わたしは、ゆうしゃさまと行きたいんです」
どこか悲愴とも言える面持ちで懇願する。
セアの願いを叶えたい気持ちと突っぱねるべきだという思いがせめぎ合う。
「いいではないか。連れて行けばよい」
「師匠!?」
「パーティに神官は必須であろう。それとも他に当てでもあるのか?」
「それは、けど、危険すぎるし……」
「何、そう難しく考えるでない。坊やが強くなって傷一つ負わせないようにすればよい」
「師匠、そればっかりじゃねえか!」
ダメだ、この師匠。脳みそが筋肉でできてやがる。
「……なあセア、どうしてぼくといっしょがいいんだよ」
「ゆうしゃさまのちからになりたいの」
「ほかには?」
首を横にふる。
そしてまた勇者を懸命に見つめてくる。
「そんな顔は反則だ」
内心でそう呻く。
もはや勇者は陥落寸前だった。
セアの悲しそうな顔は見たくない。どうやってか諦めさせようと思っても、何も頭は回らない。
「ははは。もう諦めるがよいぞ、坊や。どうやら生半可な決意ではないと見える。それにの、坊やは女を甘く見ておる。いざという時には男より思わぬ肝っ玉を見せるものじゃぞ」
「師匠まで……」
もう一押しだと察したのか、セアがズイっと迫ってくる。
思わず後ろに逃げようとしたが、セアに掴まれている手がそれを許してくれない。
「……わかった。わかったよ。ぼくといっしょに来いよ」
その言葉にセアは顔をみるみる輝かせ、勢いのままに勇者に飛びつく。
「ありがとう、ゆうしゃさま! わたしがんばります!」
「わ、わ、セア、いきなりあぶないだろう」
「ははは。いい仲間になりそうじゃの」
きゃっきゃっとはしゃぐ女の子とそれを困ったように、けれどどこか嬉しそうに受け止める男の子。
そして二人を見守る若い女性。
小さな勇者パーティがここに誕生した。