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ショタ勇者さま育成計画  作者: めそ
51/51

ex2 極光の勇者






 辺りが静まり返った深夜。

 ガタガタと木窓が悲鳴を上げている。

 強くなる一方の外の風に、ベッドに伏せている若年のやせ衰えた女性がぼんやりとした目を木窓へと向ける。

 すると女性の視界の端から黒装束で全身を覆い隠した一人の男が進み出て来て、木窓へと寄る。

「月が雲に隠れたか……荒れてきたな。閉めるぞ」

 そう言って男の腕が木窓のつっかえ棒に伸びる。棒が取り外され、木窓が閉められた事で少しばかりの静寂が訪れた。

「こんな真夜中の村外れのおんぼろ家に近づくやつなんていやしないさ。もし近づいてきてもあたしとあんたじゃすぐ察知できる。いい加減その装束を脱いだらどうだい。暑苦しいったらありゃしない」

「……」

 魔法の明かりに照らされた室内。

 男の体を虚空から生まれた闇が覆い隠し、消えた後には褐色の肌の眉目秀麗な男性がいた。

 若い女性が揃って黄色い歓声を上げそうなその外見は、だがその目を見た途端に冷や水を浴びせられることだろう。

 見つめられれば息が止まる。それほどの圧迫を覚えるほどにその男の目は冷たく鋭かった。獅子や虎といった獰猛な肉食獣を前にしたように、彼の前に立った者は皆恐怖と共に身を竦ませる。

 それも当然。

 まず男は人間ではない。

 かつては邪神を称え、魔を肯定したエルフの一派。邪神の寵愛の証として肌は褐色へと変貌したという。そして魔界に追放され、ダークエルフと呼ばれるようになった種族。

 その多数あるダークエルフの部族の内の一つから生まれ、つい近年急激に台頭してきた若い長だった。まだ100歳をわずかに超えたばかりで、ダークエルフにとっては若者扱いである。

 そして何よりも男にこびりついているのは血と焦げた臭い。あまりにも整ったその容貌は、その不吉な印象と共にあっては数多の命を奪ってきた死神を思い起こさせる。

 彼の名はシェード。

 『深淵(ダンケルハイト)』という異名で恐れられている彼は、魔界を統べる大魔王その者だ。

 レベルは90。

 これは史上初のレベル90台に踏み込んだ存在として世界中を恐怖で大いに震撼させた。

 しばらく前にようやくライバルの妖猿族の長たる『猿王』を屈服させ、堂々と魔界に大魔王として君臨した。

 猿王ゴズクウはレベル84。その実力はシェードに唯一単独で比肩し得る剛の存在。

 シェード陣営もまた多大な犠牲を払ったが、長年相争っていた魔界のトップの双璧たるゴズクウを降した事で、シェードは人間のいる地上世界の侵攻を始めていた。

 人間の聖地の一つを攻め落とし、地上世界への足がかりとして確保したのは耳に新しい話だ。人間達にとっては凶報極まりないが。

 猿王ゴズクウと深淵シェード。

 魔界の圧倒的に飛びぬけた二強を前に、今まさに人間の国々は恐慌状態だった。

 各国では戦に備え、青銅や鉄の武具の発注が相次いだ。

 まだ鋼のない時代ゆえに、鉄を越えた硬さを誇る竜鱗のスケイル・メイルやミスリル製の武器、妖精族が神秘でもって創り上げた武具は非常に高価で貴重な物だった。

 なお全身を覆うフルプレートなど開発されておらず、徒歩での移動を念頭にした胸甲(ブレス・プレート)などが主な防具だ。

 砦を補強するために資材のやり取りも活発化する。

 未発達の街道や海賊の蔓延る海道を商人が行き来する。荷台を引いた馬車や一本マストの木造帆船(コグ)がモンスターの襲来に怯えながら必死で走っていた。

 そんな慌しい世界の中、張本人たる大魔王はそんな国々の反応をどこ吹く風と密かに旧知である人間の女性、アテネを訪ねていた。


「なーにをそんなにピリピリしながら睨んでるのさ。魔王にそんな顔されちゃあ、おっかないったらありゃしない。残りわずかな寿命がもっと縮まっちまうよ」

 生気の薄いアテネは、だがしっかりとした穏やかな明るい声でシェードに声をかける。

 アテネのその言葉にシェードはますます眉を顰め、その長い耳をピンと尖らせる。そして空気が軋みそうになるくらいの怒気を滲ませた。

 今にもアテネの首に手をかけ、へし折ってもおかしくない雰囲気だ。

「病で死に掛けの女にひどい男だねえ。もうちょっと落ち着いておくれよ。安静にできないじゃないか」

「ほざけ。今の俺の気持ちが貴様に分かるものか」

 シェードが胸の前で組んだ腕。その右腕の筋肉が盛り上がり、右手の指が掴んでいる己の左腕の肉にめり込んでいく。骨が小さく悲鳴をあげているが、シェードは気にする様子もない。

 それほどシェードの憤怒は深かった。

「はは。なんだい、まーだあんな事気にしてるのかい」

 対するアテネはあくまで笑い飛ばす。

 怒りの中に無念さと悔しさを抱えながらシェードは顔を歪ませた。

「当たり前だ。気にするに決まっている。あれが……俺の生涯唯一の敗北なのだからな」

「そんなの、あんたが未熟だった時に一度だけ勝っただけじゃないか」

 まだシェードが魔王でもダークエルフの長でもなかった頃。一武将だった頃に彼らは一度だけ戦った事があった。

 そしてシェードは敗れた。まだ二十歳の娘にだ。

 これまで負け無しで戦い抜いてきた若き狂戦士シェード。抜き身の刃のごとく、近づく者には誰彼構わず斬りつけ、傷つけてきた凶刃。

 その前に現れたのがアテネ。弱冠二十歳にして真空刃と衝撃波を操る剣士。完成された天才剣士として勇名を馳せていた娘だった。

 互いに全身を血に染め、最後まで立っていたのはアテネ。その前に膝をついたのがシェードだった。


 そしてシェードは逃げた。


 初めて敵に背を向けた。

 アテネは追ってこなかった。

 それからシェードは再戦を誓った。

 あの日、見逃された借りを必ず返すべく。

 更に腕を磨き、今度こそあの女を正面から切り伏せる事を目標にして。

 その後、シェードは鬼神の如き勢いで更なる成長を遂げていった。

 そして十年も経たぬ内にレベル90という極みに上り詰めた。

 その間も胸の内には常に一人の人間の女の姿があった。

 いざリベンジを挑もうと逸る心と共にアテネを捜し、ようやく見つけた時にはすでに彼女は病に倒れた後だった。

 全力を奮えぬ相手を倒しても屈辱は晴らせない。その時は諦め、そのまま帰った。

 かつての己の打ち負かした強者の衰えた姿。

 それを見た時のシェードの胸中は言語に絶するものがあった。

 それからも忙しい時間を縫ってはアテネに会いに行き、様子を見続けた。

 だが病は治る気配もなく、逆に重くなっていく一方だった。

 血痰を吐き、倦怠感に襲われ続け、食欲が減少し、微熱が続く。

 人間には邪神の回復魔法も効果が薄く、高級霊薬も改善には至らない。

 シェードにできる事は栄養価の高い食べ物を持ってくる事くらいだ。

 一度神殿での奇跡を頼って寄付用に高価な品を持ち出してきたが、そこでも匙を投げられてしまった。神の奇跡すら既に届かないほどに手遅れだった。

 もう、アテネは剣を持てない。

 その事にシェードの苛立ちは募る一方だった。

「あの屈辱、あの汚点。いつか再戦し、清算するためにここまで来たというのに、その当人がこのザマとはな……はらわたが煮えくり返る思いだ」

 対するアテネは鼻で笑って言う。

「あの勝ちは偶然さね。あたしが勝ったのは本当に天の気まぐれさ。あの当時、十回やって2,3回勝ちを拾えれば良いくらいだったよ。

 それにもう今は完全にあんたの方が強い。それはあたしが保障する。例えあたしが万全で最盛期だったとしても、もう百遍やっても決してあんたには勝てやしないよ。ねえ、それでいいじゃないか」

「ぬかせ。そんな言葉だけで俺が納得できると思ってるのか。この俺が。この俺の誇りが決して認めやしない」

「まったく……あんたにも困ったものだねえ」

 弱弱しく苦笑して、アテネは大きく息を一つ吐いた。

 そして咳き込む。口に抑えた骨と皮しかない手から血が漏れ出ていた。

 日が経つにつれ青白くなっていくアテネの顔。死相が濃くなっていた。

 そこに部屋の外から物音がする。

 そして近づいてくる小さく軽い足音。

 二人はとうにそれに気付いており、シェードが先に動いた。

 自然と足音を忍ばせ、部屋の入り口のドアに手をかける。

 開いたドアの前にいたのは口を大きく開けて驚いている小さな女の子だった。

「ルナ」

「ママ」

 女の子はアテネの一人娘だった。

 年は六つ。金髪碧眼のサラサラセミロング。普段は頭に大きな青いリボンをつけているが、今はもうおねむの時間なので寝巻き姿だった。

「まおーのおじちゃんだ! 来てたの!」

「ああ……お前はどうした」

「あ、あのね、お外が怖くてママと一緒がいいの……」

 おずおずと遠慮がちにそう言った娘に、アテネは敢えて素っ気無く突き放す。

「病気がうつるといけないから、ママに近づいちゃダメだよ」

「……うん」

 ルナは顔を伏せ、その小さな手が力なく下がる。

 鼻を小さく鳴らし始めたルナに、だがアテネは続ける。

「代わりに後でおじちゃんが一緒に寝てあげるってさ。だからルナは先に部屋に戻っておいで」

「――おい」

「ほんと!」

 シェードの地獄から響いてくるような低い声を無視して親子は勝手に盛り上がる。

 そして明るい顔でルナは「待ってるね!」とパタパタと隣の部屋に戻っていった。

「何を勝手な事を言っている。今ここで殺されたいか、人間」

「何を今更。その気ならとっくにやってるだろうさね」

 アテネは目だけで笑う。

 シェードの戦士としてのプライドの高さをキッチリ見越していた。

 その誇りの高さ故にかつて己を負かせた相手に敬意を払い、納得のできない結末など決して望まない。

 だからシェードは今、こうしてここにいる。

 それがもう、決して叶わぬ望みだと知っていても。

「ねえ、折角だから一つあたしの頼みごとも聞いてはくれやしないかい?」

「……何故俺が貴様の頼みなど聞く必要がある」

「いいじゃないか。あたしとあんたの仲だろう」

「斬るか斬られるかの仲に何を…………ああ、もういい。分かった。言ってみろ」

「ルナを頼まれてやってはくれないかい」

「それは、魔界に引き取れという事か?」

「そう。どうせ、あんたこのままだとこの世界を一掃してしまうんだろう。生憎と、もうあんたらを止められる戦力はあたしらには無さそうだしねえ」

 地上にモンスターの楽園を。

 そしてゆくゆくは天界への復讐を。

 魔界という劣悪な環境に自分らを追いやった神々とその尖兵たる天使との戦いを彼ら魔王軍は見据えていた。

 その目的のために、人間は絶滅とまではいかないものの、それに近い状態まで追いやられる事だろう。

「たった一人残していくあの子だけがあたしの心残りさ……あんたの元なら安心できる」

 アテネは『魔』に属する者は信じていない。魔界に生きる者は基本的に殺し、殺されるのが日常茶飯事な弱肉強食の世界に生きている。環境も生きるに厳しく、劣悪。

 魔界の者に大事な一人娘を預けるなど、飢えた野獣の前に置き去りにするようなものだ。

 だが目の前のダークエルフの男は残忍な性質こそもっているが、それ以上に『武人』だ。認めた者には一定の敬意を払い、約定を違える事はない。

 だからこそ、アテネはそれに一縷の望みを賭けた。

 果たしてシェードは。

「いいだろう。貴様に免じてあの娘は俺が一時預かろう」

「……ありがとうよ。これでもう、思い残すこともなさそうだ」

「心安らかであれ……俺の生涯に癒えぬ傷を付けた女よ。お前の事はこれから先、決して忘れることはない」

「死んだ旦那ほどじゃないが、あんたも中々嬉しい事を言ってくれるねえ」

 そうして歪な関係の二人は残りわずかな時間を粛々と過ごす。


 そして一ヶ月後、アテネは衰弱の果てに息をひきとった。




 ☆☆☆☆☆☆




 ついに魔界から次々に魔王軍が地上に送り込まれ、八魔将第一位たる猿王ゴズクウを筆頭に全面侵攻を開始した。

 レベル84という天変地異を引き起こす力を誇るゴズクウは各地で猛威を奮った。

 8mを超える金色の大猿が率いし万の軍勢。

 例えばある大国ではその数倍の数の軍勢で迎え撃とうとしていた。

 幾重にも張り巡らせた防衛線。

 防衛結界の数も多く、迎撃用の攻勢魔法陣やトラップ型魔法陣も多数構築。大小様々な魔力結晶をありったけ投入し、総力戦の構えをとった。

 レベル50以上の大魔法クラスの魔法陣も複数用意していた。

 レベル40を超える世界有数の英雄や大魔導士が何名も参加。これだけの英雄らが一堂に会するなど歴史を紐解いても滅多にない。それだけにこの戦が大きな意味を持つ事を自然と知らしめる。

 その名声に違わぬ雄姿を間近にした兵達の士気は天井知らずで伸び上がり続けていた。

 大国の威信にかけて彼らは魔王軍をここで跳ね除けてみせるつもりであった。

 中小国家もまた「大国ならばきっと……」という縋る思いで戦況を見守っていた。

 だがそれら全てがゴズクウの仙鋼棍によって粉砕されていく。

 振り下ろされた棍は聳え立つ塁壁を砂壁のように容易く粉砕する。

 迎撃用の魔法陣から放たれた攻撃魔法も次々と棍で撃ち落し、突き出した棍から放たれた衝撃弾は人間の軍勢の布陣に次々と大穴を穿った。

 魔王の軍勢の勢いは止まらない。止められない。

 英雄らも戦神・闘神の如き奮戦を見せて一時は魔王軍の前線を膠着させたが、ゴズクウらを前にことごとく討ち死に。

 英雄らの善戦によってゴズクウもまた多大なダメージを負ったものの、最後に召喚した隕石が決定打となった。燃え盛りながら墜ちていく隕石。その一撃で人間の防衛線をぶち抜き、城砦を砕き、その余波で辺り一帯を丸ごとクレーターに変える。

 巻き上げられた土砂は空を覆い、太陽を隠す。炎があちこちに飛び移り、黒煙が天へと昇る。

 後は雑草を刈り取るように魔王軍は崩壊した残兵を根こそぎ討ち取っていくのみ。

 魔界の軍勢の快進撃は続く。

 冬季は冬眠するモンスターなども出て一時足が止まったものの、各国は着実に広がっていく魔王軍の侵攻の手に半狂乱となっていた。


 一方、そんな世界情勢の中、大魔王シェードはというと。

「ルナ。元気にしていたか」

「おじちゃん! おじちゃんだ! わーい!」

 魔界からヒマを見つけては地上のルナのいる隠れ家に通っていた。

 地上にある魔王軍の支配域に限りなく近い境目でルナは一人密かに暮らしている。

 シェードは大魔王という立場柄、どうしてもルナを置いている家を空けねばならなかった。それでも今はかなり自由に動ける方だ。2,3泊して魔界を留守にしても問題ないくらいには。

 一通りやる事はやり終えて作戦や案件はシェードの手から離れ、現在はゴズクウを始めとした部下達が指示通りに動いて結果の推移を慎重に見極めている状況だ。

 故に頻繁に2,3泊して魔界を留守にしても問題ないくらいには融通がきく。

「もうしばらくしたら魔界もひとまずは落ち着く。今、魔界は人間との戦争に掛かりきりであり、そんな中で人間を連れて帰ったら魔王城の無駄な騒乱の種にしかならないし、ルナの安全も保障できない。落ち着くまでしばらくルナはここに隠しておこう」

 そうシェードは考え、護衛兼見張りとして騎士型木人形(ウッドゴーレム)を隠れ家に多数置き、家事は大人しい働き者の茶色妖精小人(ブラウニー)に任せている。

 ウッドゴーレムは野盗数十人が来ても易々と返り討ちにできる程度の実力と装備をさせている。哨戒、狙撃、機動戦、白兵戦を可能とした、各兵種を揃えた部隊編成だ。

 持ってきた食料を置き、隠れ家で一息つきながらシェードは地上制圧中の天界の動きについて思案を巡らせる。

 彼は恐らく近いうちに神の使者として天使がなんらかの動きを地上に働きかけてくるだろうと睨んでいた。

 基本的にいつも天界の入り口を閉ざして引きこもっている神々だが、魔界からモンスターらが地上に進出しようとすると必ず何らかの形でちょっかいをかけてくるのだ。

 過去これまでの天界の動きのパターンから、今後想定される影響を推測、対処方針の検討をしようとするシェード。だが思考をすぐさま一時中断した途端、その背に衝撃を受けた。

「おじちゃん、おじちゃん。あそぼあそぼ」

「分かった分かった」

 背に飛びついてきた暴れん坊の犯人は幼い女の子ルナだった。

 勿論シェードは背を向けていてもその動きに気付いていたし、ルナの好きにさせていた。ただダークエルフの尖った長耳をいじってくるのだけはやんわりと払っていたが。

 6歳のルナは遊びたい盛り。

 シェードがいない時のルナは、シェードの真似をして木の棒を振り回したり、山や森を駆け回ったり、ブラウニー達を眺めたり一緒に家のお手伝いをしたりしている。

 すごい寂しがり屋でもあり、シェードが帰ってくるといっつもひっついて離れようとしなかった。母のアテネが亡くなってからはよりその傾向が顕著になっている。

 シェードがいない間はいつも心細そうにしており、シェードが顔を見せるまでそれはずっと変わらない。

 シェードにとって大事な大事な預かり子であるルナ。

 そんな女の子の相手を、武と闘争一本槍だった育児初心者の彼は四苦八苦しながらこなしていた。


 ある日、いつものように外でシェードが魔剣を振り回して剣術の型の鍛錬をしていた時だった。

 一呼吸の間に十種類の剣術を流れるように繋ぎ、魔剣が振るわれる。

 その度に風を斬り、空を貫く音がする。

 ついてきていたルナはそれを小さな口をまん丸に開けたままずっと食い入るように見入っていた。

「……ルナ、面白いか?」

「うん! すっごいはやーい!」

「そうか。まあ退屈していないならいい。これが終わったら絵本でも読んでやろう。もう少し待て」

 そう言ってシェードは鍛錬を続ける。

 踏み込みからの左右の斬撃。数は百を超える。それを受けた仮想敵の大木は一瞬で幹を細切れにされていた。

 崩れ落ちて行く大木へとそのまま左腕を伸ばし、敵の喉笛に見立てた幹を掴んで手に力を入れる。すると大きな爆砕音と共にへし折れたので、そのまま後ろに倒してやる。

 枝が折れる音が連続し、葉を大量に撒き散らし、大木は地響きを立てて地面に沈む。

 それからまたシェードは別の仮想敵、今度は八魔将第二位の大獅子を見立てて剣を振るい続ける。

「……ん?」

 ふと音速を超える剣を無数に出し続けながらシェードは気付いた。

 先ほどからずっとルナの視線が剣に喰らい付いている事に。

 剣を止めると同時にルナも視線も動かなくなる。

「ルナ……まさか、俺の剣が見えているのか?」

「え? 見えないよー。すっごくはやくておめめがぐるぐるしちゃいそう」

「……そうか。考えすぎか――いや、待て。今なんと言った。俺の剣を目で追えるのか」

「え、え?」

「ルナ。お前は剣がどう動いていたのか分かるのか?」

「うん。えっと、こうだったかな」

 ルナが言いながら小さな手を懸命に動かす。

 ルナが振るった木の枝の軌跡は、スピードこそただの子供のものであったが、確かに先ほどまでのシェードの剣の動きを完璧になぞっていた。

 そう。ゴズクウを除く八魔将クラスですら防ぎ得ないシェードのフェイント、虚実入り乱れた剣技をも。

 全てが見切られていた。

「お前……」

「ど、どうしたの?」

 滅多にない険しい表情を向けてくるシェードに、ルナは息を止める。

 ルナの怯えた様子にシェードは我に返り、一度首を横に振った。

「今まで魔界のどんな連中でも見た事のない精霊をまとわり付かせていると思っていたら、ここまで毛並みが違っていたとは。下手に成長すれば俺達の道を阻む存在になりかねん、か?」

 冷徹にシェードはそう胸の内で独白し、目の前の幼子を見定めようとする。

 だが、とシェードは続けて思う。

「あまりにも幼すぎる。もう地上を詰めにかかっている今、俺達の脅威足りえるには生まれる時代が遅すぎたな」

 それはシェードの願望も入っていたのかもしれない。

 アテネとの唯一の約定と魔界を統べる者としての立場を天秤にかける事を避けたいがために。

 かつてたった一人、己を打ち破った偉大な女に敬意を払うがために、シェードはルナを自らの手にかける事を決して望もうとはしない。

 シェードはそこまで考えた後でこれまでの思考を捨て、ルナにその褐色の手を伸ばした。

「ルナ、剣を教えてやろうか」

「え?」

「俺と一緒に剣を振るってみないか。一緒に傍で教えてやるぞ」

 それを聞いたルナは、戸惑いから一転して顔を輝かせた。

 最も劇的に反応したのは「傍で」という部分だったが。

「うん。やる!」

「よし、ならまずは小さな子供でも振れる剣を用意しないとな」

 シェードとしてはこれから先、わずかな間でも混沌とした時代に入るであろう事を考えて、ルナに少しでも自衛の手段を教え込んでおこうというだけの目論見だった。


 それだけの目論見だったのだ。


 こうして一年以上の間、ルナはシェードと共に剣を振る事になる。

 筋力や体力といった基礎能力はそこいらの子供と変わらないが、剣術のセンスは大魔王シェードをして感嘆するほどだった。

「お前がもう少し成長していたら、もっとたくさんの事を教えてやれたんだがな。今の年齢ではそう高望みはできんか」

 さすがに七歳では姿勢や剣の振り方の基本を教える程度しかできなかった。

 とりあえず柔軟と合わせた体作りをしながら、少しばかりの時間だけではあるが剣を振り回せる程度に成長していく。

 そしてルナはその間も隣で振るわれるシェードのその剣技をずっとずっと目に焼きつけ続けた。

 ありとあらゆるパターンを。

 剣の扱い方を。体の動かし方を。力の伝え方を、全身を流れ続ける力の移動を。

 そうしてルナは一目見るだけでシェードの剣捌きを頭に焼きつけ、自分でも扱えるようにイメージを経ながら微細に調整(カスタマイズ)していく。

 そんな異常な自分を、ルナは何ら疑問に思わなかった。




 ☆☆☆☆☆☆




 更に時を重ね続け、ルナが八歳になった頃。

 いよいよ魔王軍の地上侵攻も大詰めとなり、シェードは魔界で本腰入れて指揮を執らざるを得なくなった。

 つまり、ルナとの一時の別れだった。

 シェードがルナを抱えながら数日高速で駆け続けたその先。

 世界の東端へと続く入り口の台地。高い空の下で広がる畑と緑の上でのんびり歩く家畜の群れ。そんな場所にある牧歌的な小さめの町。

 そこに建てられた決して大きくはない、メジャーとは言いがたい女神を崇める神殿。

 その前でルナはわんわん大泣きし、シェードは困り果てた様子でルナを宥めていた。

「いいか、ルナ。よく聞け。今回魔王軍は東方まで侵攻する予定はない。ここにいれば安全だ。だからここの神殿で大人しく待ってるんだ。既にここの司教(ビショップ)とは話をつけている。お前と同じ年頃の子供達も何人かいるそうだ。だから寂しくはないだろう」

「やだぁ! おじちゃんといっしょがいい! いっしょがいいよぉ!」

「心配するな。いつになるかはまだ分からんが、必ず迎えに来る。だから泣くな」

「やだやだやだ! もういなくなっちゃやだ!」

 先ほどからこの調子で、いくらシェードが説明を繰り返してもルナは聞く耳もたなかった。

 地上を一年以上空ける事になるため、シェードはこのままルナを隠れ家に一人にするのは厳しいと判断。魔王軍の侵攻地域に入らない場所でルナを預かってくれそうな所がないか、正体を隠して探していたのだ。

 シェードはダークエルフ。

 幸い元々人間に近しい姿であったため、少しばかりの小細工だけで人間達と接触できた。とはいえ、そこから何の伝手もなく、誰の手助けも得られなかったために色々と苦労したのだが。

 そうして見つけたのがこの町の神殿。

 身寄りの無い子を引き取り、子供達も明るく元気で過ごしていると評判の良い所だった。噂で聞き、実際シェードが対面してみても温和で人畜無害そうな初老の男性だった。

 司祭と年配の女神官はシェード本人が必ず迎えに来る事を信奉する女神に誓わせた上でルナをひとまず三年ほど預かる事を了承した。

 唾棄すべき女神に誓わされた大魔王はというと、アテネの約束を守るために屈辱に耐えながら、ルナを預かってもらう代価として魔界のささやかな宝を一つ神殿へ寄付した。

 その宝は大地の精霊の祝福。三年間だけその土地を肥えさせ、豊作を約束する力があった。

「行っちゃやだ! 置いていかないで! おじちゃん! おじちゃぁん!」

 最後は女神官に抱き上げられ、涙で顔をくしゃくしゃにしながら必死に手を伸ばすルナ。

 それに背を向けてシェードはそれも一時の間だと思い、ルナと別れた。

 次に会う時は地上の人間はあらかた片付き、モンスターの築く国があるだろうと夢見て。戦火も敵たる人間への非難も落ち着き、安全になったそこでルナを迎えるために。

 こうしてシェードが魔界に帰還し、遂に最後の大侵攻が始まる。

 魔王軍は悲願に王手(チェック)をかけた事に、士気がどこまでも上がり続ける。今や熱狂の渦が魔界を支配していた。


 一方、ルナは預けられたその翌日、突然神殿を飛び出して何処へとその姿をくらました。

 その夜、山を根城にしていたある凶悪な魔鳥の群れが迷い込んだ人間の小さな女の子を襲おうとした。

 しかし襲い掛かっていった魔鳥は女の子に近づく事すらできず、不可思議な純白の光に灼かれて尽く世界から消滅する。

 若き枢機卿(カーディナル)の青年は長い巡礼の帰りで見かけた迷子らしき女の子を保護しようと仲間の格闘家と共に探しに行き、その場を目撃する事になる。

 それは後世にて、運命の出会いとして歴史に刻まれる事になる。




 ☆☆☆☆☆☆




 更に半年が過ぎた。

 世界の情勢はもはや切羽詰った所まで進行していた。

 その間、各国は必死で戦った。未だ攻め滅ぼされていない中小国家は、隣の国が魔王軍に攻め入られているのを震えながら見守り、城に閉じこもっていた。まるで厳重に門を閉ざし、部屋でベッドに潜り込んでいれば嵐が過ぎ去ると信じるかのように。

 時には同盟を結んでいる国が救援に駆けつけたりもしたが、それもせいぜい四カ国に満たない程度。その程度の加勢、ゴズクウにとっては火に飛び込む夏の虫。その国への進軍の手間が省けるというだけでしかなかった。

 彼の前には全ての抵抗が塵芥と同じ。

 もはやゴズクウを止められる人間は誰もいなかった。

 そうして世界の6割以上の国が猿王ゴズクウに滅ぼされていた。

 事ここに至って人間は始めて「絶滅」という恐るべき絶望の未来を強く意識し始めていた。

 そんな中、残った各国はようやくなりふり構わず一致団結し、国境を捨て去る決意をした。人類存亡の危機を前にしてもなおも権力にこだわり、状況を見ずに足並みを乱して声高に自己主張したとある王は王弟と王自身の部下のクーデターにより玉座から追いやられている。彼らもここで各国の輪から摘み出されてなるものかと必死だった。

 そうした円卓会議を経て残存戦力を全てE大国へと集結。

 魔王軍の次の進軍先であるその地で全戦力を投入、最終決戦を挑む事に決定した。

 既に後はない。余力を残す事などできず、次の一戦で敗れれば終わりだ。

 これ以上人間が削られては反抗する戦力すらなくなる。今ですら常勝無敗のゴズクウ率いる魔王軍に天秤は傾いているのだ。

 やるしかなかった。

 残った英雄らも各地から続々と集まる。そこには有名、無名を問わずありとあらゆる強者が集った。

 皆が皆、これが人類の運命の一戦になると悟っていたのだ。

 残った人間の街や村では悲観論、楽観論が入り乱れ、怪しい宗教やヤケクソでどうにでもなれと狂ったよう好き放題な行動にでる者が続出。心が弱い者は自殺し、その数は多数に上った。

 世界は底の見えない混迷に陥っていた。


 E国王都の外れにて。

 そこは国や所属ごとに区切られた駐屯地。近くには海に繋がる川が流れ、仮設置されたテントや糞尿処理場、厩舎、資材置き場などといったものが点在している。

 二人の男が兵や騎士、神官、魔法使い、剣士などといったピリピリした人々でごった返すそこを歩いていた。

 一人は剣を帯びた貴族服の壮年の男性、もう一人は銀の刺繍が入った神官服の青年だった。

「おおー。見てみろよ、あれゴズクウに滅ぼされたA国の英雄じゃねーか? 確かレベルは38だっていう。あ、あっちはS国の紋章……って、あのナンバーは魔導団の筆頭大魔導士だ! すっげえ、ってことはレベル50の世界五指に入るっていう話の最強クラスの魔法使い! うっはー。盛り上がってきてんなー」

「そりゃ当然でしょう……生き残った全世界に対して全国連盟で緊急召集勅令が発せられたんですよ。全ての英雄は人類の旗の下、E国に集うべしってね」

「いやー。こうして各国に割り振られた駐屯地を周るだけで眼福だな。一生かかっても見れないような英雄がすぐ目の前にいるなんて……うははははは! あいつらと戦列を共にできるなんてこれ以上ない自慢話になるな!」

「まあ自慢できるのもこの戦いに勝てれば、ですが」

 上機嫌に浮かれる壮年の男性とは対照的に、暗い顔で神官の青年が魂を吐き出す勢いで呻いていた。

「まあ、そういう貴方も大概ですけどね。レベル47、世界最強の聖剣と無敵の聖竜盾を持つ聖都の総騎士団長様」

「なんだよー。さっきからテンション低いなー、相棒。そんなんじゃ最高の大司教(アークビショップ)の名が泣くぞー。次は枢機卿、ゆくゆくは大神官だって言われてるじゃんかよー」

「人類の存亡がかかった前でそんな馬鹿笑いができるあなたが異常なんですよ。それに枢機卿の座にはフレイが選ばれましたけどね。僕も順当な結果だと思いますが」

「そういや、フレイもこっち向かってるんだって?」

「ええ。最後の巡礼も終わったそうです。連絡時期を考えるともう到着しているはずですが」

「しっかし、こういった英雄を束ねるとなるとどえらいプレッシャーだよな。一体誰が率いる事になるやら」

「他人事のように言いますけど、貴方もその候補に入ってますからね。念のため」

「ほっほー。そりゃ楽しみだ!」

 底なしの泥沼のように重く絡みつく暗い空気の中、能天気な笑い声が爆発する。

 世界最強の一人と名高い聖都の英雄騎士、アールス。

 それに付き従うは銀の神官、聖都四方守護天使神官団団長のセロット。

 集った英雄らの中でも、もっぱらこの戦いの趨勢の鍵を握ると見られている者達だった。

 二人は着々と進む決戦の準備を見て回り、その緊張を肌で感じ取る。

 懸念としてはやはり集まった軍の連携だった。

 これまで数回いくつかの軍団に分けて演習を行ったが、未だ足並みが揃わない。

 細かい陣形変化にも合図を取り違えた小部隊が別の部隊と衝突したり、自分の隊とはぐれる兵が出る始末。

 将軍としては頭の痛い事この上なかった。

 命令の合図を統一したのはいいが、慣れるまであと少しといった具合だった。

 しかし、もう時間はない。斥候からの報告だと猿王も近日中にE国に現れる進軍速度との事。治安維持を除いてほとんど空っぽ状態の各国には目も向けず、ゴズクウは人間にトドメを刺すべくE国へ進む。

 決戦、近づく。


 もはや何度重ねたか数えるのも億劫な会議。

 大議事場の出席者はE国に集った首脳陣、及び英雄らの中でも厳選されし一握りの英雄。

 常に浮かれたような笑顔の英雄騎士アールスもまたそこにいた。

 今回の議題は魔王軍攻略についての戦術会議。

 最大の争点は最大の障害、ゴズクウへの対処。

 戦術会議は紛糾していた。

 集まった人材をどう振り分け、どう運用するのか。レベル40以上の英雄らの配置をどうするか。各軍の布陣を、指揮系統をどうするか。

 ゴズクウを攻略してもまだ控えているのが八魔将第七位と万を超す魔王軍。

 突破口は未だ見えてこなかった。

「では、敵はゴズクウを筆頭とした八魔将第一位、副将に八魔将第七位、そしてレベル20を超える万の軍勢だ。一度率直に聞きたい。仮にこの地にいるレベル40以上の者達だけでゴズクウに挑んだとして、勝算はあるかね?」

 円卓に並ぶ英雄らを睥睨するのは議長であるE国の国王その人。

 それに真っ先に答えたのはゴズクウに滅ぼされたA国の英雄。彼は直接ゴズクウとの戦闘経験がある貴重な戦力だった。

「――良くて七割だろう」

「おおっ!」

 ただし、と更にその英雄は付け加える。

「あくまで十人にも満たない残り英雄全員を損耗無しでゴズクウのみにぶつけた場合だ。更に言うなら、勝ったとしてもゴズクウとの戦いで半数以上は脱落すると考えてくれ」

「ぬう……」

 重苦しい沈黙が場を支配する。

「そいつは俺の聖剣を始め、皆の聖杖や霊剣を以ってしてもか?」

「ああ。ヤツの防御力は鉄壁だ。宝剣や聖剣とて高い効果は見込めん。それは既に我が黒槍で実証済みだ」

「へえ……おたくの槍というと、竜鱗をも容易く貫くっていう話だったよな」

「相違ない。だが私の全力の一突きは貫くまで至らず、ゴズクウの肉を少しばかり穿つ結果にとどまった」

「そいつぁ……想像以上に硬いな。ふむ、ふむ」

 ゴズクウだけを見れば決して勝てない事はない。

 だが敵はゴズクウの他にも八魔将が一体、そして軍勢がある。

「何とかしてゴズクウを早急にに討つ事ができぬものか。彼奴が暴れ始めれば手がつけられんぞ。隕石など大魔法を撃たれれば国がもたぬ」

「空を泳ぐモンスターも厄介だ。奴らの飛空部隊の機動力は天候次第でほぼ制限なしだからな。自由にさせればさせるほど被害が広がる。ゴズクウの次に仕留めておきたい」

「いや、それよりも数こそ少ないがドラゴンの重部隊によるブレスの一斉放射を頭に入れておくべきだ。あの破壊力、殲滅力は一軍を壊走させ得る」

「だが、飛空部隊、ドラゴン部隊、それらの対処も全てはゴズクウを倒せてこそ。でなくては全て机上の空論に終わる」

「……」

「……」

 ゴズクウというあまりにも高い壁を前に、頭を抱える首脳陣。

「ま、鍵は上手く戦術でゴズクウを孤立させて全員で叩けるかどうかって所かね。そこは兵達の奮闘次第か。いくら英雄が雁首揃えても、まずは兵が頼りだかんな……血、あんまし流させたくねえんだけどなぁ」

 口には出さずに外面はのんきそうなままだが、内面は不機嫌曲線が急降下カーブを描いている。

 そんな聖都の英雄騎士アールスは椅子の背もたれへ不真面目そうに背を預け、静寂の室内に大きな軋む音を響かせた。

「しゃあねえか。ここまできたら、殲滅するかされるかだ。一丁気合いれて腹くくらせるか。ゴズクウは相打ち覚悟でも俺らが責任もって仕留めないとな」

 そうしてアールスが大きく息を吸い込み、じめじめした空気を吹き飛ばす檄を発しようとした時だった。

「もし、よろしいですか」

 円卓から一人の青年の手があがる。

 青年の名はフレイ。金の刺繍を施された神官服の彼は若き聖者と名高く、だがメジャーとは言えない神殿出身の枢機卿だった。そしてこの円卓に着く事の許された英雄の末席の一人でもある。その実績はこの場でも信用たり得るほどのものだった。

「君はたしか……」

「女神タニア様に仕えます枢機卿フレイと申します。末席に連なる栄を頂きながら、僭越ですがゴズクウ攻略について発言の許可を頂きたく」

「ふむ。かまわんよ」

「ありがとうございます。では」

 そこで一度フレイは一堂を見渡し、落ち着き払った声で言った。

「ゴズクウ必倒の鍵は我が女神の手にあり。初手の許可だけで構いません。私にその機会を与えて頂ければ、我等だけで先陣を切り、ゴズクウを退けてみせましょう。勝算はあります」

 若き聖者は堂々と自信を以って、笑顔と共に会議の場に大火を放った。




 ☆☆☆☆☆☆




 これはフレイが人見知りするルナから根気強く粘って事情を聞き出した時の事。

「まおーのおじちゃんの所に行きたいの。どうすればいいのかな」

 ぐすぐすと鼻を鳴らしながらルナは最後にそれだけを言う。

 そしてフレイは優しく答えた。

「魔王の元に辿り着くにはまず八魔将第一位のゴズクウを倒さねばなりません。でなければもう半年もしない内に全てが無くなってしまいますからね。そして何よりも魔界に行くには次元のひずみを渡るしかありません。ただし人工的にひずみを生み出すには想像もつかない程の力が必要となります。そして残念ながら私達は力もなく、ひずみを開く方法すら分かりません。

 ですが手がかりはあります。あらゆる秘術を()る妖精の女王か、或いは全知に最も近いとされる北の大賢者ならば何かいい知恵を授けてくれるやもしれません」

「その人に会いに行けばいいの?」

「……ええ。あなたがどうしても魔王の元へ行きたいと願うなら」

「あたしは……行きたい」

「そうですか……なら私も手伝いますよ。あなたを放っておくのは色々な意味でできそうにないので。スサもいいですね」

「もちおっけー」

 枢機卿フレイの護衛であり、義兄弟である格闘家の青年スサは何も考えていなさそうなやる気のないローテンションな顔でゆるく答えた。

 だがそんな声とは裏腹に、彼はヒマさえあればいつも格闘術の反復訓練をしている。思いつきで色んな技を編み出しては試行錯誤して研鑽し、我流で鍛え続けている彼は未だ無名でありながら才気ある若者だった。

 そんな二人と共に、ルナはE国にやって来ていた。

 そう。大魔王シェードへ続く道の第一歩として猿王ゴズクウを倒すために。


 閉じていた目を開くと、飛び込んできたのは青い空と遠くまで広がる荒野。そして奥には連なる山々の稜線。

 今、ルナは見晴らしの良い高台にいた。

 遮るものは何もなく、どこまでも自由な風がルナの輝く金髪で遊ぶ。

 空はまるで手を伸ばせば届きそうなくらいに近く感じるほど。

 眼下には戦場が広がる。大きく六つに分かたれた軍勢がちょうど迎撃の布陣を終えた所だった。魔法陣も多数構築済みで、離れたからでもその規模の大きさが分かるほど。

 そう、これからこの地は戦火に包まれる。ルナもまた戦士の姿で前を見据えて立っていた。

 生憎と子供用の鎧がなかったため、少々サイズオーバーの軽鎧を分解してつなぎ直した鎧だったが。

 レベル10の幼い女の子。

 血と火と鉄の死の臭いがまったくせず、場違いのようなその子は一見戦とはまったく無縁に見える。

 実際熟練の兵と同じ程度の力を奮えるのだが、それでも実戦経験など数えるほどしかない。その上戦場すら出た事もなく、まさしく新兵もいいところだった。

 だが、この子こそが人類の運命の一戦を挑むに当たって、ゴズクウ攻略の鍵を握る者だった。

 初陣の緊張に震え、浅く早く呼吸を繰り返すルナにフレイが優しく穏やかな声で話しかける。

 人々を宥め、落ち着かせるフレイの声も今のルナには届かない。

 だが、一番会いたい者の顔を心の内思い浮かべると、それだけでルナの震えは止まった。

 心を必死に奮い立たせ、目を何度もこすり、二本の足でしっかり地面を踏みしめる。

 そして、朝の太陽が随分と高く昇ってきた頃。

 遂に金の大猿――猿王ゴズクウが山を越え、姿を現す。

 その後ろに続くは多種多様なモンスター。世界を蹂躪し続けてきた無情の悪魔達。魔王の軍勢。

 そのゴズクウらの進軍速度は遠目からはゆっくりとしたものだったが、やがて四つの軍に分かたれ、ゴズクウのいる最前面の軍の進軍速度が急加速した。

 いよいよ決戦が始まろうとしているのだ。

 ルナは遠目からも分かるそのゴズクウの巨体から目を離さず、食い入るように見つめる。

 そして一つ大きく息を吸い、手に意識を集中する。

 光が、そして祝福が。世界を白く染め上げた。


 一方、次の侵攻地を目指していた魔王軍はといえば。

 軍勢の先頭に立ち、自ら率いてきたゴズクウは人間達のこれまでにない大軍団を前に口の端を大きく歪めた。

 その胸に蹂躪する事への期待と喜びを秘め、手の内のAランク武器たる仙鋼棍を握り締める。オリハルコンと双璧を為す金属で作られたこの棍に打ち砕けぬ物はない。

 シェードに敗北するまでゴズクウはそう豪語して憚らないほどだった。

「ホウ、コレハマタ随分ト涙グマシイ姿デハナイカ。アレダケ散々逃ゲ回ッテイタ人間ドモがコレダケノ数ヲ集メテイタトハ。ヨクヨク精一杯カキ集メタト見エル。イイゾ、イイゾ。チマチマト小サク集マッタモノヲイクツ踏ミ潰ソウトモ、コウヤッテタクサンマトマッテイル所ヲマトメテ一気ニ蹂躪スル方ガヨッポド気持チガ良イトイウモノダ。ソウダロウ、皆ノ者ドモヨ!」

 ゴズクウの甲高い叫びに、後ろのモンスターらも合わせて笑う。

 ゴズクウは暴れるのが好きだった。

 弱者を踏みにじるのが好きだった。

 逃げ惑う者を後ろから叩き潰し、なぎ払った棍の一振りでバタバタと人間の倒れて行く姿を見るのが爽快だった。

 人間の悲鳴は心地よいコーラスとなり、涙と絶望と恐怖の表情は最高のスパイスとなる。

 ゴズクウは人間を始め、敵を殺すのが楽しみだった。

 特に激しい抵抗をされればされるほど、それを無残に引き裂いた時の興奮は大きくなる。

 特に大国での英雄らの抵抗は最高だった。そしてそれを千切り捨て、瓦解した軍勢を好きに蹂躪できた時の事など、今思い出しても鋭い牙をむき出しにして自然と笑みがこぼれてくる。

 目の前に広がる戦場は、彼にとって遊戯場と言ってよかった。

「サア、思ウ存分全力デ暴レテヤロウゾ!」

 魔王軍の第一陣が前面に出る。

 ゴズクウもその中に入り、大地を震わせるほどの気合の雄叫びを上げる。

 それは魂を揺さぶるドラゴンの咆哮とは比べ物にならない。空気を激しく震わせ、大地は盛大な砂埃を天にまで巻き上げ、遥か遠くの人間達の意志を打ち据える。

 ゴズクウは吼え声一つで人間の軍勢の半数近くの戦意を折った。

 シェードに敗れたとはいえ、彼もまた大魔王級の実力である事には変わりない。

 一挙手一投足が彼の『格』を人間達に知らしめる。

 圧倒的強者とは何か。魔界を統べる資格を持つ存在とは何か。

 人間にとってはレベル30に至る事すら選ばれた才能を必要とする

 そんな彼らにとって、レベル84とは神、いや邪神の降臨に等しい。

 初めて相見えるそのプレッシャーは人間のその矮小さを嫌が応にも思い出させる。

 だが、それでも人間はここにいる自分達こそが最大最後の砦である事を自覚する。

 神官団が奇跡を祈り、戦意を鼓舞する。膝を折っていた兵士が再び武器を手に立ち上がる。

 それを見たゴズクウは呵呵大笑した。

「ギャッギャッギャ! ヨイゾ! ソレデコソ敵トシテ戦ウ楽シミガアルトイウモノダ!」

 迸るは苛烈な闘気。まるで闘神のようなそれを背に受けた魔王軍は心強い事この上ない。

 後方に陣取った八魔将第七位の指揮が発せられ、意気揚々と魔王軍は進む。

 その進軍は地震と間違えるほど大地を激しく揺らがせ、正面に構えた守備陣形の人間達を食い破ろうと突き進む。

 ゴズクウもまた第一陣の後方で暴れる喜びで熱を帯びて疼く体を抑えて号令を下す。

「突撃ダ!」

 飛空部隊と地上歩兵部隊とが足並みを揃えて風を切りながら駆ける。

 ゴズクウもまた駆け出そうとしたその時だった。

「――ム?」

 視界の片隅で不自然な光が膨れ上がった。

 一瞬だけだったそれ。だがゴズクウは冷や水を浴びせられたかのような感覚を覚えた。

 百戦錬磨の古強者。その経験が光への警戒を呼びかける。

 光が見えた方角には軍勢はおろか、何の変哲も無い山があった。戦場の片隅にある山。彼が注視するも今はもう光も何もない。

 そう思った瞬間、ゴズクウの全身が総毛立った。

「何ダ……アレハ!!」

 ゴズクウには見えた。尋常ではない数の未知の精霊がその山で踊り狂っているのを。

 それはレベル84の自身が扱う精霊の力に匹敵、或いはそれ以上の力。

 この戦場に、何かがいる。

 この猿王をして脅威を覚える何かが。

 ゴズクウのその直感は正しかった。


 ――光が疾った。


 巨大かつ膨大な光の奔流が広範囲に地表を薙ぎ払う。

 それは大雑把な狙いだったが、突撃を始めていたモンスターの戦列に直撃。

 光が収まった後にはあまりの光熱に蒸発して何も残っていないモンスターと地面が溶けてガラスと化した大地、光の余波の熱風で焦げ尽きたモンスター、そして全力で光から身を守ったゴズクウの姿があった。

 気がつけば魔王軍第一陣は壊滅状態一歩手前だった。

「何ガ起キタッ!」

 目を剥き、怒号を上げるゴズクウ。彼自身もまたその全身の毛皮のあちこちが焼け爛れていた。

 そこに間をおかず光の第二波が襲い掛かる。

「ヌウ!?」

 今度はゴズクウのみを狙い撃った一矢。

 光の洪水が一直線に大猿へ向かい、その片足を容易く貫く。

 ゴズクウは驚愕した。

 元々彼は岩と炎の化身の妖猿だ。炎熱には魔界一の耐性を誇る。火山の噴火ですら軽微なダメージしか与え得る事ができない。

 だがその彼を以ってしても、巨大な光の矢は防ぎ得なかった。

 ゴズクウは魔法で大地から金剛の防壁を何重にも作り上げながら急いで足を再生させる。

「オノレ、長距離カラノ狙撃カ!」

 ゴズクウが空に向けて吼える。その声は空気を震わせた。

 天空が赤く染まり、割れた空から流星が墜ちる。

 それは国一つ潰す隕石。真っ赤に燃える破壊の槌。

 ゴズクウの誇る暴虐の象徴。

 レベル80の天体魔法。


 隕石落とし(メテオ)


 彼自慢の最強魔法。

 それを一気に三つ、光の発生源である山へと落とす。

「コレナラバ!」

 最も信頼し、自信のある手札を繰り出したゴズクウは、山から三度発せられた光の波に言葉を失った。

 三つの隕石全てを、光は撃墜した。

 隕石は天空のチリとなり、遥か彼方の海上に散る。

「ナ……ソン、ナ」

 あまりの光景にゴズクウの思考が真っ白に染まる。

 忘我の時間はわずかな間だけ。だがその間に四度の光がまたもゴズクウに向かった。

 ゴズクウの作り上げた金剛の防壁、そして今になって後方のモンスターらが作り上げた数々の魔法弾がゴズクウを光から守ろうとする。

 そして光の勢いはそれらを前にしてもまったく衰えることは無かった。

 ゴズクウの胴体、左脇腹に貫通した大きな穴が空く。

 猿王の絶叫がE国に轟いた。


 その一部始終を今なお目の当たりにしている聖都の英雄騎士アールスと銀の大司教セロットもまた絶句していた。

 光が一度疾る度にあの暴虐の化身たる猿王ゴズクウを着実に削っていく。

 中央後陣に布陣していた二人は軍勢に囲まれながら、周りでどよめいている他の兵らと共に息を飲んでいた。

「おい、セロット……なんだ、ありゃあ」

「分かり……ません。ただ、今まで見たどの魔法より強力な大魔法としか……」

「あのメテオを苦も無く一蹴? 有り得ねぇ……なんだあの威力、レベル90超えの化け物魔法使いでもまだ世界に隠れてたっていうのかよ?」

「或いは……あれが神話の大白刃一閃ブレイクダウン・ミーティアかもしれません」

「あのレベル60の超絶技か。けどよ、フレイ枢機卿が言うには『人見知りするレベル10の小さな子』がアレをやっているんだろ。ブレイクダウン・ミーティアじゃあない。地力が足りなさすぎる」

「では、あれは一体なんだって言うんですか……」

「分からん……」

 アールスは今や瀕死に追い込まれつつあるゴズクウを見ながら己の腰の聖剣を握り締める。

 それこそが世界最強の聖剣。

 アールスが振るえば城を半ば以上断ち切る威力を誇る彼自慢の愛剣。

 その彼をしてもメテオの撃墜など到底できない。やろうとしても良くて半分まで切り込みを入れて終わりだ。

「レベル10……それが正しいとしたら、あの光は純粋な実力では有り得ない。実力以外……一体何だ? 神々の助力か、妖精の神霊器物か、それとも精霊の加護か……」

 そこまで考えてアールスは一度頭を振る。

 いずれにせよ、今あの山にいるのは世界最強を自負してきた彼の聖剣を上回る威力を誇る何かを扱う者だ。

「ま、いーや。この戦いが終わったらぜひとも一目会わせてもらわねーとな。相棒、お前何か飴ちゃん用意しとけよ」

 気を取り直して総大将アールスは未だ浮き足立っている軍団に号令をかける。

 それはざわめく戦場でもよく通る声だった。

「聞け!! 神のご加護は我等にあり! かの光と偉大なる枢機卿はこのままゴズクウを封殺する! そして俺達ぁ、あのゴズクウのいなくなった魔王軍との戦闘に入るぞ! 今連中は動揺している! この機を逃すな! テメエら、これが俺達人間の反撃の始まりだ! 気ぃ引き締めていけ!

 いいか、予定通りだ! 第一軍、第二軍、第三軍、進め!!」

 アールスの指示を受け、ようやく人間の軍勢も動き出す。

 鬨の声が魔王軍を左右及び真正面から縦断した。


 渦中の一人、枢機卿フレイもまた駆けていた。

「スサ、ここでルナちゃんを頼みましたよ」

「おーらい」

 ゴズクウへの第一射で魔王軍の第一陣を蹴散らした事を確認した後、フレイはそう言い残してわずかばかりの手勢を率いて飛び出した。

 山の斜面を駆け下り、疾風のように一気にゴズクウの元へと向かう。

 今や彼らの前に障害は、ない。

 ルナが虚空から生み出した純白の剣。それから放たれた光こそがゴズクウを襲った正体だった。

 極めて珍しい光の精霊の結晶体。光精の恩寵を一身に受けた者しか生み出す事のできない唯一絶対最強の剣。

 剣から放たれた光熱の奔流は1000万を超える超々高温度による太陽の力。

 ルナは剣に秘められたその力を解放し、視界一面に広がる敵を一掃し、ゴズクウを撃ち続ける。

 一度剣を振り下ろす度にルナの小さな体から力がごっそり剣に奪われ、唇が青くなり、汗を浮かべ、息を乱す。

 それでもなお、ルナは苦しさを押し殺して剣を振り続ける。

 ルナとゴズクウの直線上は彼女の剣の殺傷範囲内のため、フレイ達は少しばかり弧を描くよう遠回りをしていた。

 まだ動くモンスターらがいたが、既に虫の息で彼らを止めるには至らない。

 そうして何度か凄まじい勢いの光熱波の奔流が撃ち込まれるのを横目に、爆風と思ってしまう程の余波の熱波に耐えながらも全速でフレイは疾駆していた。

 ようやくフレイが辿り着いた時、既にルナからの光は止まり、ゴズクウは肉体再生だけで手一杯の状態となっていた。

 金色の大猿は棍を支えに片膝をつき、牙を剥き出しにしながらその目を血走らせていた。

 竜鱗より硬いとという金色の剛毛の輝きはもはや見る影もなく、体のあちこちから肉の焦げた臭いがする。

 光の一撃一撃で次々と削られたゴズクウは身動きができない程のダメージを負っていた。

 それを間近で見たフレイとその護衛は、それでもなおゴズクウの圧倒的威容を前に唾を飲み込む。

「……ここまで追い詰めてなお、その威圧感は健在ですか。これは、情けないですがここまでしても到底トドメを刺せるとは思えませんね。ルナちゃんの光はもう撃ち止め。かといって放置すればまた復活する……やはりここは当初の予定通り……」

 見た目は死ぬ一歩手前。だがそれでもフレイ達にはゴズクウにトドメを刺せるだけの力と手札がない。

 ルナの力が無ければフレイではまともに傷を与える事すらできない。

 それが猿王。

 今なお着実に再生を続け、動ける力を取り戻そうとしているゴズクウを前に、フレイは一刻の猶予もないと決心を固める。

 そしてゴズクウから放たれる炎熱の嵐を耐え凌ぎ、駆け寄ったフレイの手がゴズクウの腕の毛皮に触れる。

 途端、フレイの腕から白く輝く鎖が幾条も現れ、ゴズクウへと絡み付いていく。

「オ……ノレエエエエェェ……! キサ、マァ!」

 それは束縛の鎖。

 倒す事はできねど、今なら力を奪い弱めさえすれば封印する事ができる。

 次々と現れ、伸びる鎖は百を超えて動けぬゴズクウの全身を縛り、力の限り締め付ける。

 するとついにゴズクウの本性が露わとなった。金色の肉体が消えた後にはただ燃え盛る大岩があった。

 フレイは更に己の血を鎖に重ね、神に祈り、封印の呪縛を重ね掛けする。

 完成した封印を前に、フレイは天に向けて喉が裂けんばかりに叫んだ。

「――猿王ゴズクウ、光の御子ルナの下に枢機卿フレイが今ここに封印せり!!」


 人間にとっての一大決戦はこれだけで決着が着いた。

 まさかの緒戦からゴズクウが消える事態。

 後方にいた八魔将第七位は事態を重く見て即座に一時撤退を決断。モンスターらは恐慌と共に総崩れになりかけながら進軍前の拠点まで後退していった。

 そしてその背を容赦なく追撃する人間の軍勢。

 残った八魔将は必死で軍勢が崩れぬよう手綱を握り、かつ人間の追撃を食い止める。

 その撤退戦の獅子奮迅の活躍たるや、アールスら人間の英雄をして見事と言わしめたほどだった。

 波が引くように退いて行くモンスターの軍勢。

 それをこの大戦第一の戦功が決定されている幼い女の子は、見晴らしの良い山の上から激しい虚脱感に苛まれながら見送っていた。

 格闘家スサに優しく丁寧に抱きかかえられながら、ルナは手の中の剣を力なく取り落とす。

 零れ落ちた剣は光の露となって消えた。

 全ての力を振り絞り、光を放ち続けた彼女は。

「おじちゃん……お家に…………一緒に……」

 急速に襲ってくる多大な疲労で霞む視界の中、意識を手放すまでずっとシェードの幻影の背に向かって手を伸ばしていた。




 ☆☆☆☆☆☆




 ここから勇者ルナパーティの快進撃が始まる。

 ルナは神剣を手に神官フレイ、格闘家スサらと共に世界を巡り、魔王軍を蹴散らし続ける。

 戦いの時には神剣の輝きを纏い、光のカーテンが彼女を優しく包む。

 放たれた光は全ての敵を灼き払い、また虹色に光輝くカーテンは近づく物全てを阻んだ。

 ありとあらゆる防御を貫くその光の力。

 光の幕は鉄壁の防御となり、近づく攻撃を全方位で撃ち落とす。

 その姿は光の寵児。

 過去、未来に渡って最も光の精霊に愛され祝福された少女。

 光の力は少女に決して牙を向く事は無く、少女は神剣を完璧に使いこなしていた。

 その神剣の絶大な威力を目の当たりにした人々は、ルナを畏敬をもって『極光の勇者(リヒト・アウロラ)』と呼んだ。

 神々からオリジナル(・・・・・)の神器を与えられ、聖痕をその身に宿した。

 主を得た神器は、自身を中心に魔を抑え付けるフィールドを張る。

 神器と神剣。二つの力を繰り、ルナは世界を渡る。

 ついには旅の果てにレベル54へと至り、大魔王たる深淵シェードを討ち取ったとされる。

 そしてルナはそのまますぐ行方不明となる。

 その後、オリジナルを模倣したレプリカの神器らと共に『勇者』という銘が世界に生まれた。


 寂しさを胸に、ただ大好きな人に会いたい一心で女の子は駆け続けた。

 それが千年前の勇者の物語。







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