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ショタ勇者さま育成計画  作者: めそ
47/51

17-2






 滑らかな床は磨き上げられ、その上に赤い絨毯が敷かれている。


 誰もいない無音の魔王城、玉座の間。

 そこを一人の青年が盾と抜き身の剣を下げて歩いていた。


 既に22歳となり、肉体は数え切れない戦いをくぐり抜けて鍛え上げられている。

 全身を武装で固め、黒髪の頭にはE国の宝玉をあしらった竜骨の兜が被られており、その黒い瞳は真っ直ぐ前だけを見ている。


 一歩足を進める度に青年の心臓は暴れるかのように鼓動を刻む。

 逸る心を落ち着かせるべく、青年は何度も息を深く吸っては吐く。


 招かれざる客たる青年、勇者ノヴァは闇の中を静かに進み行く。

 柱の側で浮く魔法の光が小さく足元を照らす中、数歩先すら見えない暗がりの中を迷いなく確かな足取りで奥へ、奥へと交互に足を踏み出す。


 圧迫感。

 唐突に空気が変わり、奥に何者かの気配を感じ取ったノヴァ。


 途端、突然柱の光が強く輝きだす。

 眩く辺りを照らし出した光は玉座の間の闇を一掃する。


 ノヴァが顔をわずかに上向きにすると、少し先の一段上に玉座があった。

 その玉座の前。美しい大きなステンドグラスを背に、人間の姿形をした何者かが静かに佇んでいる。


 それは鎧兜を身に付け、盾と長大な禍々しい斧で全身を武装で固め終えていた。

 長い赤髪は獅子のタテガミのよう。その立ち姿は王者の威厳に満ち、そして美しい。その美しさと勇壮さの前にはかの戦乙女すら霞む。

 顔には不気味な白の髑髏面。それは顔一面を覆い隠し、眼窩の穴からは金色の双眸が覗く。どこか子供のように無邪気な瞳がノヴァを捉えて離さない。

 どことなく全体的に細身の印象を受け、鎧のフォルムや雰囲気から女性である事を窺わせる。


 これまで戦ってきた恐ろしくも強大な魔物と比べてなんとその姿のちっぽけな事か。

 だが、決して侮ってはいけない事は相対するノヴァ自身がよく分かっていた。


「なるほど……確かにこれは、弱肉強食の魔界で300年以上という歴代最長の魔王在位年数を重ねるだけはある」


 目の前の存在こそが大魔王。

 長きに渡り魔界に君臨し続ける絶対王者。

 数多の魔物を始め、勇者らを全て屠ってきた正真正銘の怪物。美獣。


 ノヴァは今なら分かる。

 アレがどれだけぶっ飛んだ存在か。

 そしてそれに挑む事の愚かしさを。


 ――だが。


 ノヴァからは萎縮する気配はおろか、物怖じする様子もなかった。

 逆に真正面からその視線を受け止める。

 闘志が、戦意が、覇気が全身から(たぎ)り、迸っていた。

 それを感じ取った大魔王の金色の瞳が喜色に濡れる。


 それから大魔王は唐突に懐に手を突っ込む。そして何やら大きな羊皮紙を取り出し、広げた。

 そこにはでかでかと文字が書いてあった。


『よくぞ来た。心より歓迎しようぞ』


 たっぷり待った後、両手で広げていた羊皮紙をいそいそと下に置き、また懐から別の羊皮紙を取り出す。そして広げた。


『私こそがこの城の主。そなた等が魔王と呼ぶ者である』


 小さく吹き出すような音がした。

 そこには堪えきれずに小さく笑うノヴァがいた。


「普通に喋っていいですよ、師匠」

「……」


 沈黙。

 だがすぐに大魔王は顔に手をやり、髑髏の面をポイっと投げ捨てた。


「なんじゃ、バレておったのか」

「ええ」


 髑髏の面の下。そこにはノヴァが久しぶりに見る顔があった。

 ずっとずっと、長年求め続けていた姿があった。


「師匠は……変わってないですね。ああ、本当に昔のままだ……あの頃のまま……」


 遠い目をするノヴァ。

 幼い頃に憧れ恋をした女性、エリエル。彼女がすぐそこにいる。

 その事がノヴァの胸を熱くする。


「ふむ。しかし儂と承知でここに来たという事は、儂と戦う覚悟はあるという事かの?

 それとも……よもやこの期に及んで説得などと生ぬるい事を言うつもりではなかろうな」


 その言葉の後半はあからさまに不機嫌そうな声色だった。


「まさか。真実の泉で大体の事は知ったつもりです。そして色々と納得しました。貴女がどんな思惑で俺に近づいてきたか、俺に何を望んでいるのか。貴女が一番望む事が何なのか」

「おお! では――」


 ついつい瞳を輝かせ、笑顔一色に染まるエリエル。

 もし尻尾があれば激しく左右に振られていたことだろう。


 そんなエリエルにノヴァは笑顔で言う。


「俺はここに約束を果たすために来ました」

「む、約束?」


 思いがけない言葉に今までの勢いを萎め、エリエルが不可解そうに唸る。

 約束……そう言われてもまったく思い当たる節がなかった。


「ええ」


 そんなエリエルに構わずノヴァは一つ頷き、見つめる。

 真っ直ぐ、一途に。

 そして。


「引導を渡しに来ました」


 そう爽やかな笑顔で言った。


「昔、約束したでしょう。といってもさすがに覚えていませんか。弟子は師匠に引導を渡すのが役目だって」


 それは小さな頃の約束。

 遠い記憶の欠片。


 そこで一旦区切り、一度首を横に振る。


「ええ、確かに師匠の死が仕組まれたものだったという事にはショックでした。今も正直怒りを覚えているくらいです。けれど」


 言葉を重ね続ける。


「ねえ、師匠。貴女が生きていると知った時、俺がどれだけ嬉しかったか分かりますか」


 どこまでも透き通った声で語りかける。


「貴女がまだ生きて、この世界のどこかにいる。それを知った時、笑いが止まりませんでした。嬉しかった。ええ、泣きたくなるくらいに嬉しかったんです。もう他の事なんてどうでもよくなるくらいに」


 そこで一度ノヴァは顔を伏せ、一息ついた。

 それから改めてエリエルを見る。

 そこには一転、強い決意を秘めた黒い瞳。それがエリエルと真正面からぶつかる。


「師匠は言いましたよね。もし自分を打ち負かせば、好きになるかもしれないと。

 だから俺が今ここで貴女を倒します。真実の泉で知った貴女の望み、全力を尽くせる戦いを俺が貴女に贈ります。必ず貴女を満足させてみせる。その上で貴女を倒して引導を渡し、そして……」


 ノヴァが剣を持ち上げる。

 白の名剣の切っ先が段上のエリエルへと向けられる。




「俺は貴女を魔王の座から引きずり降ろし、俺達の世界に連れて帰ります。剣を突きたててでも、どんな姿形になっても、どんなに拒否されても。俺は貴女を手に入れたい。誰にも渡しません」




 まさかの拉致・強奪宣言。

 言った本人は不敵な笑顔だった。そして目は真剣そのものだった。


 エリエルを手に入れる。

 勇者の名声はおろか、今まで築き上げてきた何もかもを投げ捨てしてでも、たった一つだけを望んだその果てに。

 そのためだけにノヴァは今ここにいる。


 確かにパーティで挑めばより安全に、より優勢に進められるだろう。単に倒す目的であればそれでいい。

 しかしそれではノヴァにとって意味がないのだ。


 一対一。これでエリエルを真正面から完膚なきまでに叩き伏せ、打ち破ってこそ。そうしてノヴァはエリエルへと手を伸ばせる。


「師匠、勝負です。力及ばなければ俺が死に、けれど」


 かつての幼い少年が見違えるほどの成長を遂げてエリエルの前にいる。

 心意気だけは立派な勇者で、弱っちくて生意気な口を叩いていた男の子。


 出会った当初は走りこみだけで地面に転がっていた。

 一生懸命に小さな剣を振り回していた。

 口を強く引き結んでエリエルの修行に必死になってついていっていた。

 そんなレベル1の最弱勇者。


 それが今、世界最強の銘を戴き、大魔王(エリエル)へと相対している。

 胸を焦がす愛しい女性をただ求めて。

 熱を帯びた視線がエリエルを射抜く。




「俺が勝った暁には貴女を俺のものにする」


 そう、エリエルへ求愛(プロポーズ)した。




 当のエリエルはといえば、眉を八の形にして腰に手を当てて唸っていた。


「……まったく。多少なりとも好かれておるじゃろうとは思っておったが、よもやここまでとは。誤算じゃったの」


 じゃが、とエリエルは続ける。

 相好を崩し、柔らかく微笑む。

 それを見たノヴァの頬がわずかに朱に染まった。


「坊やのような者にそこまで求められるとは女冥利に尽きるというものじゃ。よかろう。その勝負、受けて立とうぞ。もし儂を破る事ができればこの身、この血一滴に至るまで全て坊やのものとなろうぞ」


 ここに約定は結ばれた。


 二者の視線が交差する。

 挑戦的な強い意志が交じり合う。


「ただしじゃ……儂を生かして勝とうと妙な手心を加えるでないぞ」

「大丈夫です。完全霊薬(エリクシール)もありますし、後ろにはセアもいる。死んでもある程度の損壊なら元通りにできます。全力で相手をしますよ」

「なら良し」


 エリエルが満足そうに頷いた。

 その子供のような笑顔に、ついついノヴァは苦笑する。


 昔と変わらぬその笑顔が懐かしく、狂おしいまでに胸を打つ。


「では場所を移すとしよぞ。戦いの場へ向かう。ついて来るが良い」

「はい」


 玉座の左右の壁にあるステンドグラス。その下にある通路から外へと出る。

 二者は底知れぬ闘志を静かに高めながら戦いの場へと向かった。




 ☆☆☆☆☆☆




 風が悲鳴のように吹き抜ける。


 無人の私設闘技場(コロッセウム)

 観客席には主を失った幾多もの装備が突きたてられている。


 夥しい血と命を吸い取った舞台。

 そこでノヴァとエリエルは距離を空けて向かい合っていた。


「では始めるとしようかの、坊や」

「ええ」


 優しく微笑むエリエル。

 長大な禍々しい大斧を持つ手がうずうずしているのがノヴァからも分かる。


 そこにあるのは、かつてノヴァが嫌っていた笑み。

 狂気、狂愛、敵意、そして凍えるほどの殺意。獲物を狙う貪欲な肉食獣の笑み。幼いなりに本能的にその笑みの裏に潜んでいたものを感じ取っていたのだろう。

 だが今はもう、それに嫌悪を覚えることはない。

 理解できないまま恐れ慄いた子供の頃とは違う。

 今ならそれを真っ向から受け止められる。その事がノヴァは嬉しかった。


「さあ、やるか」


 ノヴァから闘気が噴き出す。際限なく荒れ狂う大嵐のように。


 軽やかなリズムで小さくステップを刻み、涼やかな表情で盾と剣を構える。だがその気迫は山を揺るがし、その鋭い視線はあらゆるモンスターを跪かせる。

 その剣の一振りは島を割り、鎧と盾に守られた肉体は隕石をもってしても砕く事は能わない。


 風が渦巻く。

 呼び込まれた風は瞬く間に成長し、ノヴァを中心に台風と化す。




 レベル78。E国風天の勇者(ヴァーユ・ヴィール)、ノヴァ。


 E:(ランクB)名剣・白竜の牙

 E:(ランクB)聖炎の盾

 E:(ランクA)竜神の兜

 E:(ランクA)太陽の鎧

 E:(ランクA)不死鳥(フェニックス)の小手

 E:(ランクB)能天使(パワーズ)の羽マント

 E:(ランクB)堕天使のペンダント




 対するは数百年の時を経ても変わらず美しい堕天使。


「デルの報告通りか。しかしよくぞここまで風の精霊を従えたの……嬉しく思うぞ」


 風を繰る勇者。

 その勇名は魔界にも轟いている。


「これは油断はできそうにないの」


 舌で唇を小さく舐める。

 目の前の敵の雄姿にエリエルは思わず歓喜が背筋を駆け抜ける。


 自然と湧き起こる胸の高まりが抑えきれず、熱い吐息を漏らした。


 魔界最強の破壊力を誇る魔神の斧。

 それを両の手に持ち、右半身でゆっくりと後ろへと引く。


 ノヴァを超える闘気の奔流がエリエルから解き放たれた。

 噴火の如く噴き上がるそれはもはや手の付けられない勢いで場を所構わず暴れ回る。

 長い赤髪が激しく揺れる。


 更にエリエルは翼を出す。


 その背に四対八枚(・・・・)の巨大な漆黒の翼が広がる。濡れたような黒の翼が。

 どこまでも厳かに、禍々しく、そして美しく。


 史上初めての八枚の翼を持った堕天使。




 レベル99(・・)氷天の魔王(ヴァイス・ケーニギン)、エリエル。


 E:(ランクA)魔神の斧

 E:(ランクB)氷竜の兜

 E:(ランクA)白皇の戦鎧

 E:(ランクA)堕天使の血羽衣

 E:(ランクA)氷狼神の小手

 E:(ランクB)戦乙女の耳飾り

 E:(ランクB)金羊悪魔の腕輪

 E:(ランクF)猪牙の首飾り




 初めて見るエリエルのその翼姿に、ノヴァは思わず見惚れる。


「ああ……綺麗だな」


 剣の柄を、盾を強く握りなおす。


 そうだ、これからそんな彼女をこの手で掴み取るのだ。

 そう気迫を入れなおす。


「絶対に、勝ってみせる」


 ノヴァのその視線を、エリエルは悠然と蠱惑的に笑って受け止めた。




 そして戦いの火蓋が切って落とされた。




 互いに強化魔法を掛け、闘気を練りこむ。

 エリエルの力により上空は黒雲に覆われ、静かに雪が降り始める。


 ノヴァは動かない。

 ただ瞳を閉じ、静かに自らを研ぎ澄ませるのみ。


 ならば、と。エリエルが先に動いた。


 背の大翼から風の精霊がその力を発揮し、急加速をかける。

 エリエルは暴れ馬の比ではないそれを一分の隙もなく乗りこなす。


 音を置き去りにして迫るエリエルを前に、ノヴァは冷静に飛び下がって距離を取る。

 タイミングを外された事に不満げにするエリエル。改めて中級魔法の氷槍を一瞬で十本以上創り上げ、先行射出。その後再び追撃した。


 ふとエリエルが気付く。

 ノヴァが遠く離れた地点で、剣をまるで弓のように引いていた。


 そして初手から己の剣を投擲してきた。


「ほう。誘いか?」


 剣に何らかの仕掛けがしてあるのか。或いは剣を弾かせる事で隙を作ろうというのか。

 慎重な者であれば迎撃はせずに避けるだろう。

 だがエリエルは敢えて叩き斬る事を選んだ。


「さあ、何が出てくるかの。つまらんものであれば力づくで捻じ伏せてくれようぞ」


 手に持った魔神の斧を横薙ぎに振るう。

 名剣・白竜の牙はその暴力の前に他愛なく砕け散った。


「む?」


 あまりの手応えの無さに肩透かしを食う。

 しかしその表情はすぐに引き締められた。


 殺到する氷槍を避けるノヴァの右手に光が集う。


 無数の光芒が収束し、小さな球体が生まれる。それは眩く輝きながら膨れ上がる。


 光は細長い形を取り、ノヴァの手の中に納まった。


 光が消え、その手の中に残ったのは一振りの長剣。


 純白の刀身はエリエルをして背筋を凍らせるほどのエネルギーが秘められていた。

 柄には真っ赤な宝玉がはめ込まれ、そこには見た事すらない、想像を絶する何かの精霊がいる。


 手の中のそれを、ノヴァが後ろへと引く。

 そして鋭く突き出した。




 ――光の奔流が放たれる。




 城門を軽く呑みこむほど巨大で、圧倒的な力。


 エリエルは直感する。

 呑まれれば死ぬ、或いは瀕死まで追い込まれるであろうと。


 エリエルは咄嗟に己が得物の魔神の斧を盾代わりに光の奔流へと投げ飛ばす。

 そして自身は無理矢理全力で横へと飛んだ。


 体勢が崩れる事も、凄まじい反動が身体に圧しかかるのも無視して。

 エリエルは回避の一手に全てをかける。


 光の奔流が魔神の斧を呑み込む。斧にかけられていた最高級の守りの加護が光を弾こうとするが、光にとっては塵芥にすぎなかった。

 魔神の斧は光の中に消え、世界から消滅した。


 魔神の斧は間違いなく世界最高峰の武器の一つだ。秘められた力はそれこそ上位十本の指に入るだろう。

 だがそれすらも光の前には何ら障害にすらならなかった。


 その事実が、ノヴァの剣の異常さを強く訴える。


 エリエルが光の過ぎ去った後を見る。

 光は闘技場の一角を観客席ごと消し飛ばし、蒸発させていた。

 その光の突き進んだ後には何も残っていない。圧倒的火力で何もかもを消滅させていた。


「初見であれをかわしますか。さすがは師匠」

「このような剣があったとは……良いぞ、非常に面白くなってきたの」


 かつてない程の喜色をエリエルが浮かべる。


「しかし、その異常な威力、光の剣とは……まさか」

「ええ。これが神剣ですよ、師匠」




 E:(ランクS)神剣・運命を斬り拓く剣(エスペランサー)




 神話、伝説上を含めた数多の武器防具の中でただ一つ頂点に燦然と輝く至宝。

 真に世界最強、過去そして未来に渡って史上最強。

 他とは隔絶した力を誇る武器。


 誰もが認める唯一絶対最強。それが神剣という武器。

 世界で唯一ランクSを冠された剣。


 刀身に刻まれし文字は二つ。


 (ウルズ)。それは勇気。


 (ソウイル)。それは太陽。


 その正体は太陽の力を秘めし光の剣。光熱の刃。

 1000万を超える超々高温度による完全電離刃(プラズマブレード)


 エリエルには見える。

 一瞬光っては消える多数の精霊がノヴァの全身に纏わり付いているのを。


 それこそが光の精霊。神剣を形作っているそのもの。

 精霊の祝福と恩寵による結晶体。


 そしてそれを持つノヴァこそが千年前の極光の勇者の再来だった。


「なるほど。確かにあの威力は脅威じゃ……じゃが、坊やもその剣を使いこなしているとは言い難いの。今の一撃だけで己の手を焼いているようではの。そう連発はできぬと見たが?」

「……」


 ノヴァは答えない。だがノヴァの表情と無言がエリエルにとって何よりの回答となった。


 事実、ノヴァの剣を持つ手はわずかに灼かれていた。

 先ほどの光を放った時、その強すぎる力はノヴァ自身も制御しきれずに己を傷つけている。

 神剣のあまりの高出力にノヴァが扱いきれていないのが実情だった。

 もしこのまま使い続ければいずれは腕を灼き尽くし、神剣を持てなくなるであろう。


 だが、それでもこの剣がなくてはエリエルには勝てない。

 リスクは元より承知の上。そう、自滅覚悟でノヴァはこの場に臨んでいるのだ。


「師匠の心配には及びません。それより、師匠こそ本気を出して下さい」

「ほう?」

「師匠は剣士(・・)なんでしょう」


 お見通しだと言わんばかりのノヴァのその言葉に、エリエルは小さく笑った。


「うむ。確かに神剣(そんなもの)を持ち出してこられては、儂も相応の物で相手をせねばなるまいて」


 そう言いながら、エリエルの右手に吹雪が生まれる。

 それはやがて氷塊を作り出し、砕け散った。

 中からは一振りの、どこか優美な形をした青白い長剣が現れる。


「神剣には生憎と見劣りするが、これも秘宝の中では最上級の一つぞ」




 ――伝説がある。


 深夜の海。中天に座す満月から一滴の涙が零れる。

 それは剣の形を取って、大海原へと落ちていった。


 剣が海へと突き立つと途端に海面は凍りつき、一夜にして大海原は水平線まで見渡す限りの氷の大地へと化したという。




 そんな桁外れの力を秘めると言われる剣。

 エリエルがその伝説の剣を手にする。


 途端、極寒の凍気が爆発的に闘技場を駆け抜ける。

 久方ぶりの出番を喜ぶかのように鞘から抜かれた剣が打ち震える。




 E:(ランクA)妖剣・月下凍海剣(シュティルスタント)




 そう、エリエルは剣士(・・)である。


 魔神の斧はあくまで前魔王の武器にすぎない。

 エリエルが前魔王を倒し、その戦利品として手中にしただけ。その己との相性の良さから使っていただけだ。

 そして魔神の斧との力押しで倒せる敵ばかりの戦いが続いた事で、今ではすっかり魔神の斧が定着してしまった。


 が。

 魔神の斧は決して彼女本来の武器ではないのだ。


 では、魔神の斧を手にする前は何を使っていたのか。


 その答えこそがこの剣。

 エリエルが堕天する前から長年愛用してきた愛剣だ。


 魔界を蹂躙し尽くし、前魔王を斬り捨て、魔界での反乱軍20万を蹴散らした。

 エリエルの伝説には常にこの剣が傍らにあった。


 猿王ゴズクウも、天雷の勇者ザイフリートパーティも、エリエルからこの剣を抜き放たせるには至らなかった。




 それが今、ここに、真の意味での大魔王エリエルが降臨する。




 ノヴァが剣を手にしたエリエルを前に唾を飲み込む。

 緊張と武者震いで体が震える。乱れかける息を必死で整える。


 今のエリエルには魔神の斧による絶対的な破壊力はない。

 だが、それを補って余りあるスピードと剣技の冴えが加わる事になる。


 その動きは魔神の斧を持っていた時とは別次元になるだろう。

 力任せに振り回していた大斧と、長年研鑽し続けた剣術では比べるべくも無い。


「盾はやめておくかの。闇水晶の盾程度では坊やの剣を受けきれぬであろうし」


 水を得た魚。

 本領を思う存分奮える事にエリエルは歓喜する。


 より一層圧力を増す凍気。


 背の四対八枚の大翼が興奮に大きく空を打つ。




 片や人間種の限界を超え、最強たる神剣を手にした勇者。


 片や他の誰も辿り着けぬ史上最強の身体能力(スペック)を誇り、恐るべき剣の使い手たる大魔王。


 互いに剣を構える姿は相似。




 ここから真にノヴァの戦いが始まる。







作中の二人をおかしいと思ったあなたは正常です。

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