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ショタ勇者さま育成計画  作者: めそ
40/51

15-3-B






 久しぶりの魔王城。


 城の裏手側にあるだだっ広い演習場でなにやら色んなモンスターが集まっていた。


「さー、このミイラ女に勝てるやつはいないのか!?」

「つ、強えぇ……何者だ、あいつ」

「城じゃ見た事ないな。どっかの部族から最近送られてきたやつか?」

「これは期待の新人か!?」

「よし、次は俺様だ!」


 モンスターが円陣を組んでいる中央では2体のモンスターがいた。

 一体は頭のてっぺんからつま先までを全身包帯でグルグル巻きにした、シルエットから人間種に近い体格の女性と思われるミイラ女。

 もう一体は魔界では生粋の武人、万夫不倒として知られる巨人族ギガース部族。それも部族で1,2位を争う力自慢であり、数少ないギガース・バトルロードの称号を得ている猛者だった。身につけた厳しい武具は使い込まれており、潜り抜けた激戦の数々を窺わせる。


 その二体が両腕を前に出してガッチリ組み合っている。

 そして全力を出して相手を押し倒そうと競い合いをしていた。


「ぬう……! バカな、この俺様が、力で、負ける……!?」


 組み合ってすぐ、ギガースの顔に脂汗が滲む。

 身長5メートルを越える巨体が、地面を擦りながら後ろへと下がる。

 ミイラ女は包帯のせいで表情は窺えないが、余裕そうな空気を醸し出していた。


「うおおお!?」


 そしてギガースは驚愕の悲鳴をあげながら周りの地面に描かれた線を踏み越え、負けが確定した。


「おおお! すげー! 八魔将様以外負け知らずだったのに、ついに土をつけやがったぞ!」

「これは頼もしいな!」

「……」


 わいわいがやがや。

 中心で褒められているミイラ女は大きな胸を反らし、肩を大きく揺らして無言で笑っていた。


「……おや?」


 そこにたまたま通りがかった魔界随一の悪魔であり、大魔王の側近デルフォード。


「ほう。力試しですか。活気があって何よりです……ね? んん?」


 言葉の最後の方でフードの下から目を細めて中心の二人を凝視したかと思いきや、途端に目を据わらせたあげく、青筋をこめかみに浮かべた。


「ちょっと、あなた。こっちに」

「お、お、お?」


 魔界でも大魔王に次ぐ実力者がズカズカとやってきたと思ったら、ミイラ女の首根っこを掴みズルズルと演習場の端まで連れて行く。

 それを周りのモンスターは何事かと首をかしげてみていた。無論、デルフォードを止められる者などこの城には大魔王を除いて誰も居ない。

 二人っきりになるとデルフォードはミイラ女の手を放し、何かを堪えるような表情で向き合う。


「……で、何をなさってるのでしょうか」

「ち、力試しを少々」

「無理に声を変えようとしなくて結構です。で、もう一度伺います。な、に、を、や、って、る、の、で、しょ、う、かっっっっ!!」

「いやぁ、その……上から見てると楽しそうでの、見ている内に儂も参加したくなって……」

「で、ミイラ女に扮して混ざっていったと、そういうわけですか大魔王様」

「うむ! 相違ない!」

「胸張って言う事ですか!」


 あちこちの頭の包帯の間から飛び出している赤毛がピョコンと揺れる。

 ついでに包帯でピッチリ包まれた胸も大きく揺れている。


「よいではないか、ちょっとくらい。ほれ、この通り翼も出さずに手加減しておるし、色々とハンデはつけておるぞ」

「それでもギガース部族を即撃沈ですか……なんとまあ、本来なら魔界を代表する戦士族の一角として不甲斐なさを嘆くべきなのでしょうが、これは相手が悪かったとしかいいようがないですからね……これだからバカ力は」

「ほれ、次の相手が待っておる。もう行ってもいいじゃろ?」

「……はぁ。仕方ないですねえ」

「おお!」


 ちょっと背伸びしてデルフォードの頭をよしよしと撫でた後、ミイラ女改め大魔王エリエルは今にもスキップしそうな浮かれ具合でまた輪へと戻っていった。


「まったく……こういう所は300年以上経っても変わらないですねえ」


 つい今撫でられた頭に手をやる。

 仕方なさそうな、或いは不本意そうな、それでいて懐かしそうな。それらをないまぜにした表情をフードの下に隠してデルフォードは口元だけで小さく笑っていた。


 輪の方を見れば、何やら新たなチャレンジャーで騒がしくなっていた。


「おおっと、このまま新入りにやられたとあっちゃぁウチら『マッスル筋肉同盟』のメンツが丸つぶれよ。悪いがお嬢ちゃんをこのままただで帰すわけにはいかんなぁ」

「あ、あいつはまさか!」

「知っているのか、サンダー・エレクトリック!」

「うむ! かつて伝説となった腕相撲大吉兆八番勝負で奇跡の大勝利を呼び起こした立役者にして、強羅怨千殺での巨大蛇ウロボロス転がしでチーム戦でありながらたった一人で圧倒的な大差をつけて山頂まで持ち上げていった剛の者だ!

 だがおよそ100年前に突如乱入してきたマスクを被った謎の堕天使の女に指相撲で破れ、それから修行の旅に出ると言い残し今までずっと消息を絶っていたのだが……ついに今、伝説の王者が帰還したのだ!」


 どよめく観衆。

 それらの視線を一身に受け、伝説の雄(仮)である巨大熊がのそりと前に出てきた。

 そして首周り及び腕の筋肉を強調するように、胸の前で輪を描くように毛深い両腕を前に出す。


 モスト・マスキュラーと呼ばれるポージングだ。


 デルフォードはめまいを覚えた。


 エリエルは受けて立とうと言わんばかりに堂々と仁王立ちし、両手を前に突き出す。

 巨大熊はそれを手に取り、足を開いてどっしりと構える。


 力比べの大一番が始まった。


「ぐぬぬ……!」

「ほほう。確かにこれは……」


 ミイラ女に対して初めて見せる勝負らしい勝負の光景に観衆は大興奮。

 巨大熊、ミイラ女ともに応援が飛び交う。


「じゃが、勝つのは儂じゃ!」


 エリエルが更なる力を込める。

 するとどこからかビリっという音がした。


 エリエルの肩の包帯が破け、素肌が露になる。

 デルフォードの脳裏に閃光が走った。


 ミイラ女。包帯の下。素肌。まさか。


 そこからの行動は素早かった。


 即座に魔法でその場のモンスター全員まとめて空の果てへと吹き飛ばし、問答無用でエリエルを小脇に掻っ攫って超スピードで城へと逃げ込んだ。

 まさに一瞬の早業だった。




 結論から言うと、ちゃんと包帯の下にインナースーツを着ていました。


「ははは。心配性じゃのぅ、デルは」

「……」


 つんつんとエリエルの指が倒れ伏すデルフォードの頬を突っつく

 デルフォードは何も言い返す気力がなく、燃え尽きていた。




 ☆☆☆☆☆☆




 そんな騒動はさておき。


 謁見の間で魔界の情勢を報告し終えたデルフォードはエリエルに声をかけられた。


「デルや、ちょっといいかの。話したい事があるのじゃが」

「話ですか?」

「うむ。ここずっと城を抜け出していた件についてじゃ」

「……伺いましょう」


 これまでの大魔王の謎の行動をようやく明かしてくれるとあって、デルフォードはすぐに気を引き締め、何を打ち明けられてもいいよう覚悟をする。


「実はの、E国の勇者を育てておった」

「……は?」

「ははは。まだ10を越えたくらいの子供での、儂の剣術を仕込んでみたら面白いように成長してのぅ。ついこの間はレッドドラゴンと戦って見事勝利を収めたわ。いや愉快愉快」


 デルフォードが大きく息を吸う。

 エリエルは素早く両耳に指で栓をした。


「何を考えてやがりますか、貴女様はあああああああっ!!」


 城をひっくり返すような一喝が飛んだ。


「うるさいのぅ。そうやって怒鳴られるじゃろうから、これまで言わなかったのじゃ」

「子供ですか!」


 怒鳴り散らす側近にエリエルは明後日の方向を向いて知らん顔。


「いや、今はそんな事どうでもいいです。その勇者とやらはE国ですか。分かりました。今すぐ殺してきます」


 くるりと反転。側近はその足で謁見の間を退出し、全ての仕事を放り出して魔王城を出ようとする。

 が、そこに大魔王から静止の言葉がかけられた。


「おっと、止まるがよい。当面、坊やにお主が手を出す事は儂が許さん」

「そんな事をおっしゃっている場合ですか! 危険すぎます!」


 あのバトルジャンキーの大魔王が見初め、直々に育てていたのだ。

 それだけで、直接見るまでもなく如何にその勇者が危険かが分かる。


 成長すれば、果たしてどんな存在に化けるか。

 しかも誰も知らない人間達の中で直接大魔王の戦闘技術を知っているのだ。このアドバンテージは非常に危険だ。万が一にも致命打になってはならない。


「大魔王様にその刃が届く前に私が始末せねば」

「――デル、ならんと言ったぞ」


 底冷えする声がした。


 ピタリとデルフォードの足が止まる。

 その背から心臓を直接握り締められたかのような殺意が吹き付けた。


 これ以上進めばまず間違いなく殺される。

 エリエルは本気だった。


「し、しかし……」

「今回打ち明けたのはもう儂のやる事がなくなり隠す必要が無くなった故、それとちょいとお主に頼みたい事があったからじゃ」

「頼みごと……ですか」

「うむ!」


 そう言って、エリエルは一転して底抜けに明るい笑顔を見せた。




 ☆☆☆☆☆☆




 エリエルがデルフォードに頼んだ事。

 それは勇者ノヴァの『師匠』であるエリエルを討ち取る事。


「いざ戦う時になって、変に剣が鈍られでもしたらもったいない事この上ない。坊やとは気兼ねなく、全身全霊を以って()り合いたいのでの」


 それがエリエルの理由だった。


「ついでに大魔王(わし)にその矛先が向けばなお良しじゃな」


 デルフォードは渋い顔をしたままそれを承諾した。


 そして場面はE国へと移る。

 草原でエリエルとノヴァが合流した事を見届け、デルフォードはそれっぽい演出のため無駄に吹雪かせ、二人の前に姿を現した。


「まさかこうも早く見つかるとはの」

「な、なんだよあいつ……!」


 エリエルのすぐ側に例の勇者がいた。

 まるで当然というように引っ付いている敵の姿に、本能的にイラっとするデルフォード。


 つい条件反射的にありったけの呪いと殺意を乗せて呪黒氷の矢を撃ち出す。

 完全に殺すつもりだった


 だが残念ながらその一矢はエリエルの剣により防がれてしまったが。


「危ないのぅ……この子には儂の命にかけて手だしはさせぬぞ。もしするとあらば相応の報いがあると知れ」


 大魔王がおいたをした子供に言い聞かせるように注意する。


「二度目はない」

「チッ」


 そう釘を刺す。

 最初にして最後のチャンスを棒に振った事にデルフォードは強く歯噛みする。

 今この場での勇者の抹殺を断念せざるを得なかった。


「魔界の大敵エリエル、その命、我が主のために捧げてもらおう。全ては大魔王様の御命令の下に」


 やる気最底辺の棒読み。

 大根役者もいいところだった。

 バレなかったのはひとえに、唯一本物の威圧感という名のハッタリのおかげだった。


 そしてノヴァがエリエルの手で結界に保護される。またの名を隔離とも言うが。

 それからエリエルは沈痛そうに己が過去をノヴァに語って聞かせる。あくまで魔王軍を宿業の敵という扱いにして。


「儂には昔、たくさんの仲間がいた。しかし今はもういないのじゃ……あやつらのせいで皆いなくなってしもうた」


”自分から堕天して一人になって、魔界にカチコミかけただけでしょう。魔界にいる高レベルの敵を狙って”


 すかさずデルフォードから互いにしか伝わらない思念で突込みが入る。


「儂らはある日魔界へと迷い込んだ。それからは安住の地などどこにもない、ただ生き残るために戦う日々よ。仲間は一人、また一人といなくなり、最後は一人魔界に残される事になった儂は必死に戦った。命削る日々であった」


”大魔王様は嬉々と戦いに飛び込んでいってましたよね。それはもう非常に満ち足りた笑顔で”


「魔界の民はたった一人の儂を食らおうと、大群で押し寄せてきた」


”そりゃあれだけ斬殺して回れば、魔界の民も当時の魔王軍も一致団結しますよ。まあそれでも大魔王様は蹴散らしていったわけですが。あの時の敵兵の必死の形相は忘れられません”


「そして……儂はそれらを振り切り魔王城に侵入し、大魔王らと戦う最中に開いた穴で地上へと飛ばされてなんとか逃げ延びた」


”逃げ延びたどころか、当時の八魔将二体と魔王全てまとめてバラバラにしたのにどの口が言いますか”


「……」


 エリエルが無言のまま魔法で次元の裂け目を作り出し、デルフォードへと伸ばす。

 デルフォードは慌てて空間を歪め、それを虚無の穴へと吸い込ませる。間一髪の危機に内心ほっと胸を撫で下ろす。


”そこ。さっきから余計な茶々をいれるでない”

”茶番に茶々もクソもないでしょうに。付き合わされるこちらの身にもなってください。こちらは先ほどからずっと後ろの人間の小僧が目障りで目障りで仕方ないというのに”

”まったく……後で久しぶりに手料理の一つも振舞うゆえ、今は我慢せい”

悪魔(ひと)をそんなもので釣れるような、安っぽい悪魔とお思いですか……仕方ありませんね、分かりましたよ”


 その間も話は進み、エリエルは自分の名を叫び続ける勇者を置いて前に出た。


「……別れの言葉は済みましたか?」

「うむ。待たせたの。ではいざ、参る」


 後は適当に戦って、師匠の死を演出するだけ。

 泥人形を使ってエリエルの偽者を作り、それと入れ替える予定だった。


 そう。適当に戦う予定……だったのだ。


”……あの、大魔王様。何故そんなに表情が生き生きと輝いてらっしゃるのでしょうか”

”うむ。折角の機会なので久しぶりにお主の全力と戦いたくての。というわけで本気で来るがよい。儂も翼無し、装備も低級品とベストな状態ではないが、なに、これはこれでお主とどこまで戦えるか興味がある。楽しい事になりそうじゃ”

”何がというわけなんですか!”

”さぁ、ではいくぞ!”

”お願いですからこっちの話を聞いてください!”


 デルフォードの頬がフードの下で盛大に引きつる。

 そしてエリエルの闘気が露になる。八魔将第一位のデルフォードをしてその威圧感に圧されるほどの。

 エリエルは完全にヤる気だった。


”ちょ――”


 なおも何か言いかけたデルフォードに構わず、エリエルが鋼の剣を叩き込む。

 一瞬で間合いを詰めたエリエルに対し、デルフォードは内心頭を抱えながら必死に防御した。

 盛大に空中に吹き飛ばされながらデルフォードは腹をくくった。


”ええい、やればいいんでしょう、やれば!”


 というかやらなければ逆に殺されかねない。


 中空で踏みとどまり、キリキリ痛む第一胃を押さえながら魔法を唱え始める。

 人の兜より少し大きめの吹雪が無数に巻き起こり、消えた後にはナイフほどの黒い氷刃が浮かんでいた。

 静止状態から解き放たれた刃は、エリエル本人を狙わずにその動きを封殺するような軌道を描く。


 エリエルは風を操り、空を翔けながら手の平を突き出す。闘気が膨れ上がる。人間を丸ごと飲み込むほどの大きさの闘気の奔流が放たれ、刃を飲み込み、消し去る。


”なんてデタラメなっ!”

”そーれ、今度はこちらの番じゃ!”


 デルフォードから離れた所からエリエルが蹴りを放つ。

 蹴りから巨大な真空刃が生まれ、音速でデルフォードへと向かう。

 デルフォードは真空刃を片手で打ち払い、その間もエリエルから目を離さない。空で変幻自在に動くエリエルの姿をかろうじて捉え、振るわれた鋼の剣から身を守る。


 一瞬で100を越える斬撃が上下左右からデルフォードに襲い掛かる。


 衝突。


 防がれた斬撃のエネルギーが行き場を求めて荒れ狂う。


”おおおおおおおおお!?”

”ほう、よくぞ防いだ。さすがじゃな! うむうむ。調子が乗ってきたぞ。さー、ガンガン行くぞ! あはははははははは!”


 斬撃は防いだものの、衝撃に耐え切れず地上へと真っ逆さまに墜落させられるデルフォード。

 それに嬉々として追撃をかけるエリエル。




 いつまで続くやも知れぬ激闘は、結局デルフォードが涙目でギブアップするまで続いた。




 ☆☆☆★★★




 泥人形にエリエルの血を与え、生命の魔法陣をこっそり刻み数日間だけエリエルに似せた死体を作り、血袋を破裂させて元草原の荒地に残していった後。

 エリエルとデルフォードは魔王城に戻ってきていた。


 思いっきり暴れたおかげか、心なしか艶々した肌でスッキリした表情のエリエル。

 その玉座の下には逆にゴミクズのようにボロボロになったデルフォードが無言で転がっていた。


「さぁて、後は坊やが生きてここに辿り着くのを首を長くしてのんびり待つとするかの」


 途中で挫折することなく、また儂以外にやられる事なくここに来ておくれよ、愛しい坊やよ。

 そう心の内で幼い弟子であり勇者その少年を思い浮かべながら願う。

 その顔は頬をわずかに赤く染めながら、今にも鼻歌を歌い始めそうなくらい上機嫌でニコニコとしていた。

 今の内に顔を隠す仮面でも用意しておこうかの、などと考えたりもしている。


「いや、しかしデル。お主と戦うのもやはり楽しいのう。ぜひまたやりたいものじゃ」

「ど、どうかご勘弁下さい」


 陸に打ち上げられた魚のごときデルフォード。その体がビクンと震えた。


「とはいえ、儂は本気のお主と戦いたいのじゃがな」

「何を……本気でしたよ。でなければもっとすぐやられていました。まあ本気でも大魔王様には到底敵わないわけですが」


 そう、珍しくデルフォードが拗ねて唇を尖らせたように言う。到底全世界でも3本の指に入るレベル68デーモンロードの姿には到底見えない。


 だがエリエルは途端に盛大に笑い出した。

 それは広い謁見の間に大きく響き渡るほどだった。


 その唐突な変化にデルフォードは怪訝そうにし、問おうとする前にエリエルがピタリと笑い声を止めた。

 それから静かに口を開く。


「違うじゃろう」

「え」


 咄嗟にデルフォードがエリエルの目を見る。そして後悔した。

 そこにはデルフォードが一番見たくない瞳の色があった。


「のぅ、デルフォード」


 エリエルの金色の双眸が冷たく輝く。

 声色はどこまでも硬質で、冷え切っている。


 無機質なその瞳。

 唯一戦う事に喜びを覚え、極上の『敵』を目の前にした時に見せるもの。

 どこまでも深く、静かな、激情の如き闘志が底から蓋を押し上げて滲み出る。


 物音一つ立てるだけで殺される。そう思わされる空間。

 デルフォードはその重圧を前にただ必死に息を潜めることしかできない。


「儂は言ったな。本気のお主と戦いたい、と」

「は……はい。勿論、本気でしたとも――」

「虚言はよい」

「……」


 エリエルはデルフォードの震える返答を一刀両断に遮る。

 そして大きなため息を吐いて、言った。




「お主、本当はとうの昔にレベル80に達しておるのじゃろう」




 それは確信、断言だった。

 断罪の刃の如き鋭い言葉が全ての守りを一息に打ち破り、デルフォードの心臓を貫く。


 レベル68であると自ら語り、そう周りから言われ続けていた悪魔の表情が強張る。


「そ、それ、は……」

「以前も言ったが、何故隠す」

「……」

「隠しきれておるとでも思っておったか」


 そこでエリエルは美しい顔を曇らせ、わずかに伏せてなおも問う。


「何故、本気で儂と戦ってくれぬのか」


 そう、悲しそうにその美しい眉を寄せて大魔王は言う。


 デルフォードは答えない。

 答えられない。

 俯き、じっと耐え続ける。


 エリエルの闘争心の前には愛や情は全て無価値となる。

 それをデルフォードは知っていた。

 遠い昔、小さい頃から分かっていた。

 エリエルに育てられ、一番弟子として鍛えられている間ずっと見てきたのだから。

 その喜びを。

 望みを。

 幸せを。


 もしデルフォードが本気を出して戦えばエリエルは容赦なく、躊躇いなくデルフォードを殺しにかかるだろう。

 彼女に例外はない。如何に長年付き従った側近デルフォードとてそれからは逃れられない。エリエルは戦いとあらば全てが平等だ。


 『敵』はすべからく打ち破るべし。立ち向かってくる相手がいて、それをエリエルが『敵』と定めたならば、後は言葉は不要。撃破するのみ。

 そこに愛や情など一切が介在する余地はない。

 それがエリエルという堕天使なのだから。


 苦渋に満ちたデルフォードの表情。

 それがふいに緩む。

 そして言った。




「どうして私が大魔王様に刃を向ける事ができましょうか」




 デルフォードが淡く微笑む。


 デルフォードは本気を出さない。

 例え何よりも敬愛するエリエルがどれだけそれを望んでいても。

 エリエルの飢餓を満たす事だけはできない。


 デルフォードはもうエリエルとは戦えない。


 魔界でただ一体、エリエルに最も近くまで迫る事のできる悪魔。

 だがその悪魔はエリエルにだけは決して逆らわない。


 レベル80。

 それは猿王ゴズクウやザイフリートパーティ全員と並ぶ力。

 そして、エリエルと真正面から渡り合える事のできる力。


 もし自分の力がエリエルに届き得るかもしれないと彼女が知った時。その時のエリエルの顔を見るのが怖かった。

 だからずっとデルフォードは自分の力をひた隠しにし続けた。


 変わらずエリエルの側にい続けるためだけに。


「やはりそれが答えか」


 非常に不機嫌そうにエリエルは片手で顔半分を覆う。

 それから重い、とても重いため息を吐いた。


「まったく。契約を遵守する悪魔のくせに約束を破りおって。お主を長年育てたのは痛恨の失敗じゃったな。見込みありとずっと楽しみにしておったというのに。まさかこうも懐かれてしまうとはの」


 染み一つない指先が乱暴に赤毛をかき上げる。

 そして珍しくエリエルの艶かしい唇から憂いを帯びた息が吐かれる。


 だがそんなエリエルとは対照的にデルフォードは優しく微笑んだ。


「私にとっては一番幸せなことでしたよ」


 これ以上ないというほどあたたかく、柔らかい愛情を込めて。


「……義母(かあ)さん」


 それにエリエルは至福そうでいて、どこか悲しそうな顔をした。







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