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ショタ勇者さま育成計画  作者: めそ
32/51

14-7






 収穫祭三日目。

 武闘大会は過去かつてないほど異様な空気に包まれていた。


 中央の舞台では二人の子供がいる。

 憤怒の形相で鎖帷子を下に着込んだ武道着姿の子供、エルスが走る。

 不動のまま冷たい炎を胸に宿す革鎧姿の子供、ノヴァがそれを堂々と迎え撃つ。


 それを見守る観客はノヴァから目が離せない。

 セアもフレアも固唾を呑んで見守る。エリエルだけが落ち着いていた。


 今まさにコロシアムには嵐が吹き荒れていた。




 エルスが身を沈めながら刈るような足払いをかける。それをノヴァは悠々と、片足で踏み抜く勢いで止める。続けてエルスは片手を地面につきながら逆の足をノヴァに向かって跳ね上げる。狙いはノヴァの顎。

 だがそれもノヴァは眉一つ動かさずに片手で受け止めた。


「くっ」


 硬直する前にエルスは身体を捻り、襲い来るであろうノヴァの魔手から無理矢理逃れる。

 それをノヴァは黙って見逃した。


 いくらでもかかってこい、と。そしてその全てを叩き落す、とその目は語っていた。

 その不遜とも言える態度にエルスは奥歯を力の限り噛み締める。


「このっ……!」


 エルスは果敢に繰り返し猛攻を続ける。


 震脚から生み出された衝撃を腕に乗せて撃つ。

 だが。


「遅い」


 ノヴァはその猛攻全てをあしらう。


 稲妻のように突き出された腕を正確に見切り、下から垂直に掌底でもって跳ね上げて、空いた胸に肘を叩き込む。


 呻きながら、それでもなお一撃だけでもノヴァに叩き込もうと耐えて必死に踏みとどまろうとするエルス。しかし次の瞬間背筋に怖気が走った。

 先にノヴァが間隙に滑り込むようにスルリと密着してくる。そして肩を寄せてきた。


 鉄山靠(てつざんこう)


 踏み込みと共にショルダータックルのようにぶつかられたエルスは木の葉のように吹き飛ばされ、地を跳ねた。


 うそだろう……

 それがエルスの偽らざる思いだった。


 何故、何故こいつがこれほどまでに体術に精通しているのか。

 一体誰にどう教わればこれほどの技を身につけられるというのか。

 そもそもが、何故これほどの実力を持つ者が万年レベル1などと言われ続けていたのか――

 もうエルスにはなにもかもが分からない。


 しかも、ノヴァは剣術を主としているはずなのだ。最初の剣戟と比べて今のノヴァの攻勢はやや見劣りしている。

 それなのに。

 それなのに、自分の得意とする畑でこうも手も足も出ないというのか。

 それは、決してエルスのプライドとして認められない事だ。


 エルスは吼え、己の闘志を奮い起こす。

 そしてまた別の攻め手で以って攻撃を仕掛ける。




 そんな光景がずっと繰り返され続けていた。

 それを前に観客らはまるで声を奪われたかのように一言も発せられない。

 悪魔に魅入られたかの如く、一人の少年に目を釘付けにされていた。

 それは決して興奮や賞賛といったものではなく、恐怖や畏怖に近い。


 万年レベル1の勇者。そう嘲ったのは誰だったのか。

 国王はおろかパエトーンも、聖拳老師の弟子4人も、観戦に来ていたかつての水夫達も、上級騎士の審判も、警備兵達も、皆が皆、もう思い出せなかった。


「お、おい、これ偽者ってわけじゃないよな……」

「紋章もサークレットもある。本物、だろ。たぶん」


 エパポス、パエトーンらを始めとした強者と激戦を繰り広げ、打ち破ってきた天才と言うべきエルス。そんな子が今また後ろ回し蹴りで蹴り飛ばされた。滑らかな一連の動作は美しくすらあった。


「なんだよ、これ」


 このE国において信じられない光景がずっとずっと繰り広げられている。

 あたかも「これが現実だ」「目を逸らすな」と悪魔が笑いながら突きつけるように。


 けれど。


「すげえ……」


 観客の誰かが知らず知らずの内にそう漏らした。




「なんで当たらない!」


 まるでハエを払うように投げ飛ばされたエルスは、空中で体を丸めながら体勢を整え着地する。

 汗は滝のように流れ、息も絶え絶え。全身至る所が打撲だらけ。鎖帷子も半ば以上壊れていた。

 片やノヴァはどっしりと構えたまま、全くスタミナを消耗した様子すらない。

 先ほどからずっとエルスを見つめ続けている。


 その瞳が、その冷めた表情が、エルスには自分を弱者だと言っているようにしか思えない。

 それは何よりも許せない事だった。


 ノヴァの動きは圧倒的に速かった。エルスにはそう見えた。まるで自分から何もいない空に攻撃していると錯覚すらするほどに。

 常に一手先を読んで動くノヴァをエルスは捕らえられなかった。


「なんで……なんでだよ、なんでオレが!」


 エルスの耳に大好きな聖拳老師の言葉が蘇る。


”最近どうにも天狗になっておるようで……”


「違う、ちがうちがうちがう! オレは強い、強いんだ!」


 幻聴を振り払い、目に新たな炎を宿して再び駆ける。

 ノヴァはそれを冷たい目で捉え続ける。決して逃すことはない。


 そしてまた結果は繰り返す。

 エルスの拳は、蹴りは、ノヴァには届かない。クリーンヒットの一撃すら与えられない。

 そこには大きな隔たりがあった。


 ハイキックで頭を狙うと見せかけ、ローキックに切り替える。

 それをノヴァは(すね)で悠々と受け止める。


 腕を極めようと、ノヴァに手を伸ばすも空を切る。


 上体と下半身を交互に攻め立て、意識をパターンに慣れさせた所でフェイントを使い、死角から抉りこむようなフックを放つ。

 だがそれも、視線すら向けられる事なく防がれた。


 エルスの拳を片手で受け止め、ノヴァがそれを握り捕まえる。

 エルスは全力を込めて力勝負で押し切ろうとするが、まったく動かない。逆にじりじりと押し返される。


 至近距離でのわずかな間のにらみ合い。

 ノヴァの目を覗き込むエルス。そこには優越感や嘲りの色などどこにもなく、むしろ真摯ですらあった。

 だがエルスはそれに気付かない。気付けない。


「もうまいったって言え。そして師匠に謝れ」

「――誰が!」


 エルスがノヴァの懐に潜り込もうとするも、その一手前にノヴァは動いている。

 誰もいない空間へと身を滑り込ませ、膝蹴りを放とうとした時に気付くも遅すぎた。

 背に衝撃。まるで巨大な破城槌をくらったかのよう。

 ボールのように跳ねて転がり行く。


「降参しろ」


 再度の勧告。

 それをエルスは頑なに無視した。


 痛む全身を推してなおも震える足で立ち上がる。

 いやだ、いやだとエルスのその目は訴えていた。


 エルスが武術を習い始めたのは3年前。

 そして1年後にはすぐに頭角を現していった。

 同世代にエルスと並ぶ者はなく、大人と混じって修行をする日々。

 誰もがエルスを天才だと褒め称えた。エルス自身もそうだと思った。

 いや、聖拳老師と師範はエルスを諌めようとしていたが、エルスにとってまったく説得力がなかった。


 事実、幾戦も重ねた結果同年代でエルスに敵う者はおらず、大半の大人ですら頭を下げるのが現実だった。

 同じ年頃の弟子達から向けられる尊敬の視線が心地よかった。嬉しかった。

 弱いのは罪だ。そして強ければ強いほどたくさんの人に認められる。


 そう。自分は強い。

 この世代の誰よりも強いのだ。


 そしてE国に乗り込んだ。

 エルスは大会での優勝を信じて疑わなかった。


 そこでエルスは出会った。

 同じ年のノヴァに。


 勇者の汚点と呼ばれている少年に。


「負けない……オレはこれからも勝つんだ!」


 エルスは叫ぶ。自分の存在を保つために。

 それはほとんど防衛本能だった。


「……そうか」


 エルスの叫びを聞き、ノヴァの空気が変わる。

 ここでノヴァは初めて構えを変えた。


「っ!」


 エルスが体を固くし、思わず一歩下がる。

 ノヴァが初めて攻め気を顕わにしていた。


「なら、その顔のまん前に突きつけてやる。お前の文句なしの負けを」

「あ、あぁ……」


 ノヴァを中心とした突風が押し寄せる。

 エルスもまた全身に力を込めるが、明らかに対抗するには足りない。勢いから負けていた。


「師匠をバカにするのは許さない」


 その言葉を聞いて、エルスの脳裏にじーちゃんと慕う聖拳老師の姿が浮かぶ。


「あ……」


 かつてある勇者が大河に棲みついた強力なモンスターを討伐しに行き、返り討ちにあった。そしてモンスターはそのままエルスの村までやって来て村を滅ぼした。


 老師は身寄りのない子供達を道場で引き取っており、そこでエルスもまた同じ境遇の子供達と一緒に引き取られる事になった。

 エルスにとって、老師は肉親代わりだ。

 少しばかり茶目っ気がすぎる困った人だが、今よりもっと小さい頃はよく遊んでくれた。


 だが無論老師や道場に馴染まない子供もいる。

 そんな子はよく老師の悪口を言っていた。

 その度にエルスはその子らと取っ組み合いのケンカをしたものだ。


 そして、今。何故かその時のことをエルスは思い出す。目の前の男の子の姿がかつてのなにかと重なりそうになる。

 しかしそれが像を結ぶ前に霧散した。


「いやだ……オレは、負けたくない」


 エルスも震えながらも構える。なけなしの闘志をかき集め、ノヴァを睨む。


「……オレは強い。そうだ、強いんだ! お前なんかより強いんだ! 誰が! お前みたいな勇者に負けるもんか!!」


 追い詰められた者の心からの叫び。

 表情が少しずつ変わりゆき、最後に一種異様な様相を顕にしたエルスがいた。そこには先ほどまでの怯えはない。

 あるのは限界まで張り詰めた野獣の眼光。


「オレは強い!」


 一種の暗示にも似た叫び。

 それを皮切りに、ノヴァが地を蹴った。

 2,3左右に跳び、エルスの注意を散らす。


 ノヴァの動きをかろうじて捉えたエルスはやや左を向く。すると正しくそちらからノヴァが迫ってきていた。

 エルスの視線が自分を放さなかった事にノヴァの動揺はない。表情一つ変えずそのまま一息に間合いへと押し入る。


 迎え撃つエルスは左の手の平を勢いよく前に突き出し、肉迫してきたノヴァの意識をそこに集中させる。そしてその一瞬の意識の間隙を突いて、ノヴァの視界から逃れるように体を低く低くし、潜る様に後ろへと瞬時に回り込む。


 名を、影渡り。


 エルスの目にノヴァの無防備な背が現れる。

 ノヴァからは自分が突然消えたように見えているだろう、そうエルスは確信していた。


「勝った!」


 そう思った。

 たった一度の勝機。だがそれで十分なのだ。どれだけ圧倒されていようと、こうしてチャンスを逃さなければ勝てる。

 そしてエルスは急所に逆転勝利の一撃を叩き込もうとして。


「え」


 ノヴァの姿を見失った。

 それとほぼ同時に背に何かが二つ、そっと触れられた。それは誰かの手の平の感触だった。

 全身の肌が粟立つ。


 そこからはもう、何もできなかった。

 背の手の平が捻じれられる感触。その衝撃は渦を巻き、エルスの体を持ち上げた上で回転させる。

 エルスは激流のように押し寄せる爆発的な衝撃により、くの字になって横回転しながら宙を舞った。


「なん……で」


 吹き飛ばされるエルスはただただ呆然としていた。

 ノヴァが今行った体捌き。見失う直前に見えたそれはまさに最初のエルスと同じ、影渡りだった。

 しかも。


「螺旋勁……?」


 宙を舞いながら一瞬だけ後方が見えた時、ノヴァが両の腕を捻り、手の平を突き出した踏み込みの体勢でいた。

 そして背の感触から知った、手の動き。

 少々エルスの知る型とは違うが、それは紛う事無き自分らの道場の秘技の一つ。門外不出のはずの技、螺旋勁だった。


 本来であれば全身を使って回転の力を生み出し、それを前進させ、相手の攻撃を弾きながら相手を捻り貫く技だ。


「なんで……こいつが……」


 高弟でも門下生ですらないのに道場の技を使えるのか。


 300年間で大魔王に挑んだ勇者パーティの中には、聖拳老師の道場の者も多くいた。それは師範だったり師範代だったり、あるいは破門された者だったりと。

 彼らの使ってきた体術をエリエルは盗み、長い時をかけてヒマ潰しに独学で研鑽を続けていた。

 そして、弟子のノヴァにもその技を伝えている。

 なお実験台として、無論側近デルフォードの涙ぐましい犠牲がある。


 受身も取れずに地に倒れたエルスは、もう全身に力が入らなかった。

 胸を圧されて呼吸もままならず、足も手も力が入らない。

 口には砂利が入り、無様に地に叩きつけられたため体中が痛む。


 だがそれ以上に体よりも先に心が折れた。完敗だった。

 もう、どれだけ足掻こうがノヴァに勝てる気がしなかった。


 もはや立ち上げれぬエルスの前にノヴァがゆっくり歩み寄る。

 エルスの茫然自失の様子を見て、直前の手応えからももはや追撃の必要はないとノヴァは判断した。

 そして何を思ってか、声をかけた。


「なあ、お前は……なんでこの大会に出てきたんだよ」

「え?」


 大会に出た理由。

 始めにエルスが思い浮かべたのは自分の力を見せ付けるため。自分が大人を含め、誰よりも強いという事を知らしめるため。

 それから道場の看板、高弟に混じっての厳しい修行の日々、E国に向かう前の弟子の皆の期待と激励、次々と思い起こしていく。

 最後に浮かんできたのは、老師の顔だった。

 老師のためにも、優勝を飾って褒めてもらいたかった。


「お前はただ、自分が一番になりたかっただけのか?」

「ち、ちがう……」

「そっか」


 ノヴァはそれからコロシアムの一角、観客席の方を向いて言葉を続ける。


「僕は他所の国から一人になって漂着してきた」


 それからノヴァが語り始めたのは自分の事だった。

 孤児院での餓死や凍死ギリギリの生活。

 偉い人から勇者にならないかと誘われた事。

 それを引き受けた事。

 生きるため、けれど何よりも自分が勇者になれる事に憧れていた事。

 幼い妹、ダルクに勇者の物語を繰り返し聞かせた時のような笑顔をまた見れると思った事。

 自分がその笑顔を作れるんだと思った事。

 けれど仲間もできず、一番弱いモンスター相手にも逃げ出す日々。

 周りからは冷たく当たられ、一人馬小屋で馬糞と一緒に藁で身を包んで夜を過ごした日々。


「……」


 エルスはじっと聞いている。

 それは確かにエルスが話に聞いていた、万年レベル1と嘲られていた男の子の姿だった。


「けど、そこで師匠に会えた」


 初めてノヴァの相好が崩れる。

 エルスは初めて見た。こんなにも穏やかに、嬉しそうに笑う少年の顔を。


「まあすっげえ綺麗なんだけど、とんでもなくおっかない人でもあったりしてな。けど、なんだろうなぁ、抱きつかれるとあったかくて、僕は一番好きだ」


 その後すぐ照れくさそうに「あんまりベタベタされるのは勘弁してほしいけどな!」と付け加えていたが。


 師匠の事を話す時のノヴァはよくコロコロと表情が変わった。

 明るい表情、困った表情、怯える表情。

 そして幸せそうな表情。


「それにな仲間もできたんだ。初めてだった。こんな弱っちい僕でも仲間になりたい、仲間になってあげるって、そう言ってくれた二人がいるんだ」


 そこまで話して、ノヴァの瞳に鋭さが戻る。

 それはよく見覚えのある、つい今までコロシアムで闘っていた氷のような顔。


「だから、僕は勝ちたかった。勝って、こんな僕と一緒にいてくれた師匠やセア、フレアに少しでも何か返せたら。そう思ってた」


 そしてこの結果。

 その小さな、けれど当人にとっては大事なその思いを胸にノヴァは闘ってきた。


「それにな、何よりも師匠をバカにするやつは絶対に許さない。僕がぶん殴る」

「……そうか」

「師匠は僕よりずっとずっと強いんだぞ」

「ああ。よく分かったよ」

「ならよし。後でちゃんと謝ってもらうからな。覚えとけよ」


 ああ、こいつも自分と同じなのか。

 ふとエルスはそう思った。

 ノヴァの表情はじーちゃんを侮辱された時の自分ときっと同じ顔なんだなと。

 そう気付いてしまった。


「オレは……」


 いつからかはもう分からない。

 けれど、いつの間にか自分が思い上がっていたのをこの闘いで嫌というほど思い知らされた。

 そして大切にしていたものの在り処すら忘れていた事も。


 そう。自分はきっとどこかで間違っていたんだろう。


「………………まいった」


 決して大きな声ではなかった。だがそれは確かに観客へと届いた。

 ざわめきがさざ波のように起こる。

 審判が手を天へと振り上げる。


「そこまで! 勝者、ノヴァ!!」


 今、この瞬間。栄光の優勝者が決まった。

 勇者ノヴァ、と。


 だが場には不気味な沈黙だけが横たわる。

 空気の大部分は戸惑いだった。観客が隣同士でどこか曇った顔を見合わせたり、挙動不審になっている。


 だが、その静寂はすぐ破られた。


 始めは赤髪の女剣士が手を叩く。

 次にその隣の幼い法衣姿の少女が、王族席にいる第3王女のフレアが。そして、観客席の子供達が。目を輝かせて興奮した面持ちで優勝者ノヴァに拍手を贈る。

 それに伝播するように、大人たちもまたパラパラと拍手をしていく。


 やがて、コロシアムはまばらで小さくも力強い拍手に満たされた。


 それを浴びるようにノヴァは天を仰ぐ。


「あいつ。本当に……勝つなんて」


 フレアが唇を強く、強く引き結んで一度鼻を鳴らす。

 慌てて目元をハンカチで何度も当てていた。


「勇者様……」


 セアは両手を胸の前で組んで目を閉じ、ただただ自ら付き従う主の勝利を祝福する。


 そして。


 それを見ながら観客の一人が満足そうに頷いていた。

 赤髪の長髪に金色の瞳を愉快そうに揺らしている美しい女性。

 ノヴァの師匠にして大魔王エリエルは観客の一人としてセアと一緒に埋もれながら思案していた。


「ふむ……どうやらいらぬお世話だったようじゃの。万が一のために遠出して用意したのじゃが……まあ、折角じゃ。このまま行くとしようかの」




 その時だった。

 コロシアムの上空に白い外套に身を包んだ謎の人影が現れたのは。




”うふふ。皆々様ごきげんよう。盛況――というわけではないようですね。あら?”


”うーん、ちょっと予定と違いますね。まあいいです”


”このまま用件を済ませるとしましょう”




 頭に被っていた白いフードを取り払う。

 そこからは怜悧な面持ちの若い20歳半ば頃の女性が露になる。黄金の長髪が風に揺られ、頭の上からは先っぽが黒くなっている狐耳がピコピコ動いていた。

 そして何よりも目を引いたのは、その瞳。縦長の猫のような虹彩だった。


「まずは初めまして。私はタマモと申します」


 すまし顔で、いっそ友好的に自己紹介をした女性。

 その言葉に真っ先に顔色を変えたのは軍関係者を始め、国王と国の重鎮、そして勇者達だった。


「八魔将第三位だと!」

「あら、ご存知でしたか?」


 八魔将第三位。魔界の妖狐一族の長にして、八魔将第一位デルフォードに次ぐ魔力を誇る妖術師。

 何よりも炎と変化、幻惑系統を得意とし、その狐火はウィルオーウィスプのように戦士を死の淵へと誘うとして恐れられている。


 そのレベルは実に61。


 まさかの八魔将単独襲撃に、その恐ろしさを直接知らない一般人を除いたほぼ全員が恐れおののいた。


「これ以上の紹介は必要ないようですね。では手早く用件を――」


 口を開き何かを伝えようとしたタマモの背後。そこの観客席から3つの影が飛び出した。

 勇者ヘリアデスとその仲間二人だ。

 彼女ら前衛戦闘者は疾風のように空を翔け、供のモンスター1体すら従えずに単身飛び込んできたタマモの背へと迫る。完全に奇襲だった。

 見方によっては絶好のチャンスだったといえる。モンスターの大軍に囲まれているはずの値千金以上の首がのこのこと一人でやってきたのだから。


 もしここでタマモを討ち取れれば、人間にとって絶大な戦果となる。

 ただそれ以上に、ヘリアデスはタマモの登場にコロシアムの人間はおろかE国存亡の危機を覚えていた。故に如何に戦いを好まぬ彼女といえど動くしかなかった。


 ヘリアデスは斬突共に可能なパルチザンタイプの槍、エアリアル・スピアを構えて全身全霊を込めて刺突を放つ。

 その姿は戦乙女(ワルキューレ)の騎行さながらだった。


「まだ話の途中ですよ。邪魔をしないで下さいますか」


 タマモは一瞥すらせず、自身を中心とした青白い業火の竜巻を巻き起こす。それは天まで焼き尽くさんばかりの凄まじい勢いだった。


 炎の嵐に阻まれ、巻き上げられる。炎が消えた後には、悲鳴すら上げられずヘリアデスら3人全員があえなく墜ちていく姿があった。

 全身を燃え上がらせ、その魂をも焦がされた彼女らはコロシアムの端へと転がる。

 観客席に残っていた後衛の神官が慌てて駆けつけ、癒しの光をかけた。

 タマモは朱色の紅葉の入った扇子を広げ、それを路傍の石を見るように見下ろす。


「あら……確かあなたは……ちょうど良かったです。そちらから飛び込んできて頂いて、探す手間が省けました。となると、残り足止めをしておくのは、えっと、いたいた」


 タマモの視線の先にいたのは他国の貴族ら貴賓席で控えていたコロシアム警備総責任者にして、前回前々回武闘大会優勝者の老齢の騎士団長。

 「それ」と外見に似合わぬ可愛らしい掛け声と共に扇子を一扇ぎする。

 すると無数のカマイタチが巻き起こり、騎士団長及びその周囲へと襲い掛かる。


 周囲の兵達はあまりの事態に硬直している。咄嗟に騎士団長は一人前に出て、全力で剣を振るう。風斬りの刃がいくつかのカマイタチを霧散させ、残り全てを己の肉体一つで受け止めた。後ろのVIPである貴族らを傷つけるわけにはいかなかった。


 ここまでわずか一呼吸の間の出来事だった。


 騎士団長は片腕を失くし、鎧の上から脇腹を大きく裂けさせた上で倒れた。


「ふむ。死んでも死ななくてもどちらでもよかったのですが……双方とも息があるとは中々優秀ですね。にしても、これだからやはり神器のある国は厄介です。力が出しにくい事出しにくい事。忌々しい」


 よく見れば、貴族らが独自に連れ込んでいた護衛の幾人かもそれぞれ重症・軽症を負っていた。


 E国最強の騎士とベテラン勇者のヘリアデスがこうも呆気なく沈んだ事で、他の者らは息を潜めるしかなかった。

 蛇に睨まれた蛙といっても良い。

 下手に刺激するのはあまりにも危険だった。


 そこでふと、タマモは一際鋭い視線を感じた。

 足元を見るとエルスを背負ってコロシアムの舞台入り口まで下がったノヴァがいた。

 なお、上級騎士の審判らは腰を抜かしていたのでノヴァが蹴っ飛ばして同じく舞台入り口まで下がらせている。


「あら。確かあの子がE国の勇者でしたか。あの子への手出しは厳禁でしたね。注意しておかないと、もし破ったら首が飛びかねませんし。

 ん……あの子の胸元のペンダント。デルフォード様の物と同じ……へえ、なるほど。もしかしてそういう事、でしたか。うふふふふふふふふふ。またオフの日を潰されてしまいましたが、今回は存外悪くありませんでしたね。

 まったく、あの方にも困ったものです。デルフォード様に一切秘密だと仰られていた理由がようやく分かりましたよ。確かに、これは……デルフォード様が知ったら飛んで殺しに行くでしょうね」


 内心こっそり愉快気に笑い、目がゆるく弧を描く。

 そしてその後ろ、観客席の一席にタマモのよく知る者がいた。うっかり手の扇子を落としそうになり、慌てて持ち直す。

 暴れる心臓を落ち着かせようと一つ深呼吸をする。

 そして何も見なかった事にして先を続ける事にした。


「さて、それでは改めて私の用件を。この度我らが主、大魔王様から贈呈品を預かって参りました。ささやかながらのサプライズをぜひお楽しみ下さい」


 タマモが左手にいくつかの大きな魔力結晶を握り、右の鋭い爪の人差し指を天へと向ける。

 すると突如コロシアムの上空にひずみが現れた。

 空が割れ、空間に切り裂かれたような黒い傷が走る。


 それを見た宮廷魔法使いが血相を変えた。


「次元のひずみを独力で発生させた!? そんな!」


 ひずみとは自然現象の一つで、災害に分類されている次元断層の一種だ。

 このひずみを使って魔界と地上は行き来が可能となる。


 勇者達は世界を巡って大いなる力を集め、聖都にて大儀式を執り行い、その上で初めて魔界への小さな道を創り上げていた。

 偶然が重なってできるひずみと違い、人為的に発生させるにはそれこそ天災級の魔力を溜め込んだ上で特定の場所と準備が必要となる。それは余りにも人の手には遠すぎる力だ。


 それこそ自力で自在に魔界と地上とを繋げ、行き来できるにはレベル80以上の魔力が必要と伝説にはある。

 目の前のタマモはそれを成し遂げていた。


「まああの方からの手助けがあった上で本当になんとか、といった具合ですけれどね……」


 魔力結晶でのブースト、及びタマモの主から渡された、大いなる力に匹敵する魔力を込められた黒水晶を使って、その上でタマモもようやくひずみを開く事ができた。

 彼女をして独力でこれだけの大魔法は初めてだった。


 そして、ひずみから何かの巨体が落ちてくる。


 『それ』を見た一般の観客らがようやく甲高い悲鳴を上げた。

 そして広がる怒号と狂乱。


 エリエルはその様子を他人事のように、足を組みながら悠然と見届ける。


「さあ、坊や。儂からの卒業試験じゃ。見事乗り越えてみせよ」




 弱者の心を折り、魂を容赦なく砕く咆哮がコロシアムを満たす。


 強靭な四肢で大地を踏みしめ、炎のような赤い鱗で覆われた体は強靭の一言に尽きる。必ずや見る者に圧倒的な威圧感と恐怖を植えつけるであろう。

 その爪は石壁程度を軽くぶち抜き、その鱗は鋼鉄に匹敵する。

 口からはチロチロと真っ赤な炎を覗かせる。


 だが不思議と所々頑強であるはずの鱗が剥げ落ちている。

 更に何故か二本あるはずの角は一本が根元から折られてなくなっていた。


 その目は激しい怒りと興奮に燃えながら周りを睥睨している。


 レベル36。レッドドラゴン。

 恐怖と怪物の象徴。暴虐の化身。

 最強の種族たる竜が、現れた。







中ボスが終わって、大ボス登場の巻

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