12
――師匠は時々よく分からない笑顔で僕を見る。
☆☆☆☆☆
ようやく冬も終わりにさしかかり、雪も溶け出してその下から緑の芽がでてくる頃。
気持ちの良い真っ青な空の下、勇者とエリエルとセアは今日も爆走しながら修行に出かけた。
山の中腹の湖の上で爆音と共に盛大な水柱が上がる。
「はっはは。どうした坊や! 逃げるばかりではつまらんぞ!」
「無茶言うなー!」
嬉々として鋼の剣を振り回し、勇者を追い掛け回すエリエル。そんな修行風景をハラハラしながら見守るセア。
追い立てられる勇者はといえば、何度も吹き飛ばされ、地面を転がり続けている。勢いがつきすぎて湖に飛び込むハメにもなっていた。
その間も必死の形相で打ち込めるタイミングがないか探し続けているが、回避だけで精一杯でそれどころではない。
「そーれ、捕まえた」
「え」
先回りしたエリエルが勇者の跳び下がった先に現れ、先回りした勢いのまま楽しそうにミドルキック――但し身長差的にはハイキック――をお見舞いした。
どっかん。
「お。しもうた」
「ああああああああああああ!?」
「ゆ、勇者さまー!」
勇者は特大アーチを描いて空高く舞った。
太陽が中天にさしかかって。
ずっと遠くで目を回していた勇者を無事回収し、三人は湖のほとりで軽食のサンドイッチを平らげていた。
「はっはっは。いやぁ、すまんすまん。ちょっとばかり手加減を間違えてしもうた」
「ううう。絶対あそこで突きがくると思ったのに……騙された」
自身の不甲斐なさに凹み、ブスっとしながらエリエル手製のサンドイッチをパクつく勇者。内容は肉多め。セアはチーズとサラダを挟んだ物をちょこっとずつかじって食べていた。
エリエルはというと、白い牙のネックレスを手で遊ばせていた。牙は5cm以上で、大小2本ずつあった。イノシシ型のモンスターの牙を折って、茹でて、削って、神経を取って、乾燥させた後に綺麗に磨き、落ちないように金具を嵌めて色鮮やかなヒモを通した物だった。
牙はお守りとして、小さなケガの衝撃なら守ってくれる程度の力があった。
それを上機嫌に微笑みながらいじっている。珍しく、鼻歌でも歌いかねないほどだった。
「なーセア、そっちのチーズと僕のラムサンドイッチ食べあいっこしよう」
「はい。いいですよ。どうぞ」
「いただきー」
言うやいなや、セアの手のサンドイッチに顔を寄せてパクっと。もぐもぐと咀嚼し、飲み込む。
「師匠、料理うまいなー」
「おいしいです」
だらしなく頬を緩める勇者。
ふんわり笑顔で頷くセア。
「じゃあ、ほら。今度は僕のも」
「えへへ。いただいちゃいます」
ぱくっ。
勇者の手ずから食べさせてもらい、セアは嬉しそうに食べる。
お子様二人はピクニックのように和気藹々としていた。
「ふむ。いくつか基本的な剣技も随分と使えるようになってきたの。今度は特殊な手首の使い方も教えようぞ。上手く使えば剣の扱いがより向上するぞ」
「お、ほんとか! よーし、楽しみだぜ!」
「勇者様、頑張ってください」
「おう!」
勇者は勢いよく拳を天に振り上げた。
そして休憩も終わり、二人はエリエルに連れられて新たな別の場所まで走っていた。
全速力を維持したまま三人は風を切り、息も切らすことなく駆け続ける。
「なぁ、師匠。魔王ってどんなやつなのかなぁ」
「うむ。魔王か?」
「うん。どのくらい強いんだろ。やっぱりドラゴンよりずっとずっと強いんだろうな」
「ふむ……そうじゃな、魔界の軍勢を実力一つで従える程度には強いという話じゃ。まあ、八魔将全員を同時に相手どる事ができる程度には強いであろうよ」
「八魔将?」
「そうじゃ。魔王軍の頂点に大魔王、その下に八体の大将軍がおる。最低でもレベル57以上の連中じゃ」
「そっか……けど魔王さえ倒せば、皆はもっと楽になれるんだよな。もっと明るく暮らせるんだよな」
「うむ。その通りじゃ。魔王こそが今まさにこの世の人間全てを苦しめておる元凶。
なんといっても悪逆非道で、彼の者のせいで苦しみと悲しみを胸に死んだ人間はもはや数知れず。この世界が心底憎んでおる諸悪の根源。まあ話を聞く限りはそんなところかの。
坊や、考えるまでもなく魔王は倒すべき存在じゃ。魔王だけには遠慮や手加減、変な情け心はくれぐれも無用じゃぞ。よいな」
「当たり前だろ!」
「うむうむ。それでよい」
そう言って、エリエルはうふふと笑う。
それは今までも何度か見たことのある、勇者にとってよく分からない笑みだった。
「私も精一杯勇者様のお手伝いをします!」
「ふふ。頼もしい仲間じゃの」
「う、うん……ほんと、ありがとうなセア。僕、絶対頑張るからな!」
「はいっ」
午後の修行では、エリエルは二人を滝まで連れてきた。
勇者とセアは首が痛くなるまで見上げないといけないような大きい滝だった。そして勢いもまた凄かった。
耳がバカになりそうな轟音が絶え間なく続いている。
滝つぼでは水しぶきが霧雨のように上がっている。
「この国では滝つぼに飲まれると泳ぎの達者な人魚ですら浮かび上がらないと言われておるそうじゃ」
「……すっげえ。滝の幅がとんでもなく広いな!」
はしゃぐ勇者と滝に怯えて勇者の背中にぴったりくっついているセア。
「では、坊やにはこの滝を斬ってもらおう」
「へ?」
もう一度勇者が滝を見る。
大きな川から押し流され続ける大量の水。頭から滝水を被る修行なぞしようものなら、滝に入ろうとした瞬間に頭をtクラスのハンマーに殴られたような衝撃を受けてそのまま倒れ押し潰される、そんな勢いだった。
斬る? これを? どうやって?
「まあ実際レベル30近くの剣技じゃからすぐにできんでよい。あくまで目標じゃ」
斬岩の剣技がおよそレベル20。滝を斬るのは『水薙ぎ』と呼ばれる剣技だった。
「まずは実演するとしようか。よく見ておくのじゃぞ」
そう言って、エリエルは二人を連れて切り立った崖を身軽に跳び登り、左手から滝へと突き出した岩場の上に立つ。
そこから滝は目と鼻の先だ。足場も先の方は飛び散る滝の水で濡れている。
「では、いくぞ」
二人を背に、エリエルが音も無く鋼の剣を引き抜く。
そして腰だめに構えた。
一瞬で空気が張り詰める。
鳥や獣の声がピタリと止み、ただ滝の音だけが山に木霊する。
勇者とセアは息もできず、ただ圧倒されながら見つめていた。
「――ッ」
まずほとんどの人間が聞き逃すであろう、小さく澄んだ音。
続けて一瞬の無音、再び一際大きい轟音がしてまた一帯に滝の濁音が戻る。
勇者が気がついた時には既にエリエルの剣は振り切られた後だった。
「……まじかよ」
「す……すごいです」
二人は見た。
エリエルが滝を『斬る』瞬間を。
剣が真一文字に薙がれた後、滝は真っ二つに裂けた。
放たれた剣圧は滝の手前から奥までを斬り、滝の裏の岩肌が露出する。それは一瞬だけで、すぐにまた元通りになってしまったが。
エリエルが挑発するように勇者へと振り返る。
「こんなところじゃの。これのコツは集中と剣速じゃ。力技ではこうはいかんぞ。さあて、坊やにできるかの?」
「なっ、こんなの簡単だ! すぐにやってやる、見てろ!」
肩をいからせて、勇者がエリエルの横を通り前へと進み出る。
そして鉄の剣を勢いよく抜いた。
「よし、さあ張り切って挑戦するがよい」
「たあっ!」
9歳とは思えぬほど鋭く研ぎ澄まされた一閃。
エリエルと同じように薙ぎ払われた剣は、しかし滝の半ばまで斬ることなくその勢いに呑まれた。
そして予想を遥かに超える滝の力に負けて剣ごと滝つぼに落ちる勇者。
「勇者様ーっ!?」
「おおっと。こりゃいかん」
その場でエリエルが掌底を繰り出す。滝つぼに向けて虚空を貫いた掌底。すると滝つぼが何か巨大なハンマーに打ちぬかれたように川が丸ごと吹き飛んだ。
そして勇者もまた、キラキラと陽に照らされ輝く水しぶきと一緒に空を舞った。
本日二度目の空の旅だった。
「わあああああ!?」
「おお。いかんいかん。坊やも一緒に吹き飛ばしてしもうたか」
エリエルは軽快に地を蹴り、風魔法で突風を生み出し空中を翔ける。
そして勇者をキャッチ。
胸の中の勇者は剣を握り締めたまま濡れ鼠になっていた。
「げほっげほっ」
「どうじゃ、まだちと坊やには早かったかの?」
「いいや、やる! ぜーったいにやってやる!」
「ふふふ。そうかそうか」
ひょいっと抱き上げ、ついつい嬉しくなってぎゅーっと勇者を抱きしめる。
そしてまた、エリエルがよく分からない表情で微笑む。
それを見た勇者の背中がゾッと凍え、粟立つ。
勇者は師匠のその笑みがたまらなくイヤだった。
最近は特にそれを見る機会が増えてきている。
どうしてイヤなのかは分からない。けれど、その金色の瞳が何だかよく分からない笑みを形作ると不安で不安でしょうがなかった。
だから、勇者は無性に今にも泣き出しそうな目で師匠を見上げる。
それに気付いたエリエルは、またいつもの温かな笑みに戻る。
自分の知るその表情。
それに勇者は心底ほっとした。
ああ、いつもの大好きな師匠だ、と。
ふわりとセアの待っている近くにエリエルが降り立つ。
ちょっとだけ名残惜しそうに勇者はエリエルの肩にかけていた手をほどき、ぴょんと柔らかな腕と胸の中から飛び降りる。
そんな勇者にセアが小走りで駆け寄ってきた。一刻も早く無事をその手で確認したがるように。
「では一日千本滝斬りの修行を追加しようぞ。今度は滝つぼに落ちるでないぞ」
「おう!」
「それが終わったら剣術・体術の修行じゃ。剣の扱いや手の平で攻撃を絡めとる型、螺旋勁を教えるか。楽しみにしておれ」
秘境とも言える山奥で今日も勇者は元気よく返事をする。
それをエリエルは気持ちよさそうに見つめていた。
エリエルの胸元には4本の牙のネックレスがぶら下がっている。
勇者とセアが二人で作って、誕生日のプレゼントとして贈ったお守りが。
流れの女剣士の無事を祈られた小さな、精一杯の感謝を込めた贈り物だった。
春の訪れを予感させる柔らかな日差しが三人を照らす。
勇者とエリエルが出会ってじきに一年が経とうとしていた。




