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E国王都。
「さてさて。勇者はどこかのーっと」
どこにでもいる人間の女剣士の姿をした大魔王エリエルはキョロキョロと勇者の姿を探していた。
「おう、そこの坊や達。この国の勇者を知らんか?」
「うっわぁー。きれいなおねえちゃんだー」
「ゆうしゃー?」
「ああ、さっきあっちをあるいていたよー」
「ふむ。そうか。呼び止めてすまんな。ほれ、飴玉をやろう」
「わーい。ありがとー」
「うむうむ。大きく強く育てよ。できれば魔王城に来れるくらいに」
「あははははははははー!」
どっと子供達の間で笑いが巻き起こる。
エリエルが子供達の指した方角へ向かうと、外壁の手前で勇者の姿を見つけた。
「ああ……なるほど。これではずっとレベルが上がっておらんのも無理はないか」
一人納得して頷く。
勇者はまだ幼い男の子だった。
見た目は10歳にもなっていないであろう、黒髪黒目の男の子。
真っ直ぐした目で前を向き、生意気盛りで見るからに負けん気の強そうな表情をしている。
口を真一文字に引き結び、その小さな身の丈ほどにある安い剣を背負い込んでヨタヨタと通りを歩いていた。
右手の甲には紋章が浮かんでおり、頭には宝玉をあしらったサークレットを被っている。それがE国から与えられた勇者の証だった。
「はぁ。こりゃ、いよいよここの勇者は期待できそうにないのぅ」
見た感じ、特に武芸にも魔法にも秀でているようには見えない。まあ成長期もまだだから当然と言えば当然なのだが。
国境の洞窟にいる火の魔法を使うモンスター達を突破できれば御の字か。
そもそも、いくら低レベルのモンスターしか近くにいないとはいえ、こんな子供では野犬一匹倒すのも難儀なことだろう。
今この国はお金で上から下まで大騒ぎしていて、勇者の座を空けないため適当に勇者を指名したといったところか。
よほど雑な扱いをされているのだろう。まだそこいらで座り込んで駄弁っている兵隊のほうが良い装備をしている。
「まったく。この国の連中と大神殿は何を考えてこんな小さい子を勇者に指名したのやら」
それとも千年前に伝説の極光の剣を振るったという勇者のように、あれでいて恐ろしく強い素質を秘めているのだろうか。
かの伝説の勇者は8歳で神剣を片手に世界中を巡り、一人で当時レベル90の歴代有数の大魔王を打ち破ったという。
この男の子ももしやその伝説の再来なのか。
いや、それだととっくにレベルが上がっててしかるべきだ。ずっと1のままはおかしい。
「ふむ。まあ少し姿を消して様子を見てみるとしようか」
姿消しの魔法を使い、背中に6枚の翼を現して空へ飛ぶ。
地上を見下ろすと、勇者が北の草原に向かっているところだった。
やがて勇者の前にツノ付きウサギが1匹現れた。
「たあーっ」
勇者は威勢よくかけ声をあげ、レベル2のモンスター1匹を相手に傷を負いながらも必死に剣を振り回していたが、なかなか当たらない。
剣を振りかざす上体は泳いで、振り下ろす頃にはピョンと相手に逃げられている。
致命的に武器が合っていない。大人用の剣は小さい子供の身には重すぎでかつ大きすぎた。
やがてそんな攻撃を繰り返している内にツノ付きウサギは仲間を呼び、2匹3匹と増えていく。
結局勇者は回復用の道具が尽きて、逃げ出した。
「うーむ……この調子ではレベルが2に上がるのはいつになることやら」
そんな勇者の情けない一幕を見ていたエリエルは、空にごろんと寝転がりながら王都で勝手に貢がれた、もといどこぞの親父さんから親切にもらった煎餅をかじっていた。
さすが大魔王。食べカスがパラパラ落ちても気にしない。
命からがら王都へ逃げ帰った勇者は泣きべそをかいていた。
懸命に泣くのをこらえようとして、けれどそれもできずにしかめっ面のまま目から次々と涙が溢れてくる。
ぐしぐしと服の袖で目をこすり、宿に向かった。
「……またあんたかい」
「馬小屋で一晩」
仮にも勇者なんだと、男の子は精一杯胸を張って宿屋の主人に表面上は物怖じせずに堂々と言った。
例えそれがハリボテだと自覚していようとも。
宿の主人は嫌そうな顔をしながら、無言で馬小屋を指差した。
それから犬でも追い払うように手をふり、勇者は強く拳を握り締めて耐えるように歩いて行った
勇者の場合、色々とお店を利用する際に便宜を受けられる。
その一つで、宿を利用する時に馬小屋で泊まるだけならタダとなっている。
なんでもはるか古代、地下迷宮に挑んだ勇者の時代の名残らしい。
「またバイトしてお金をかせがないと……おくすり買うお金もないし」
その夜、勇者は一人馬糞と獣の臭いを我慢し、藁の中で震えながら懐かしい家族の夢を見た。
両親と妹のいる光景を。
まだこの国に流れ着く前の頃だった。
そして、夜空に漆黒の翼を羽ばたかせているエリエルは物凄く不機嫌そうだった。
「……いくらなんでも情けなさすぎじゃろう。ああ、見てるだけでイライラしてくる」
力任せに空を腕でなぎ払う。
近づいてきていた雲の固まりがその風圧で消し飛んだ。
「このまま手ぶらで帰るのもなんぞ癪じゃな。さて、どうしたものか」
☆☆☆☆☆
翌朝。
なんとか日雇いの仕事を得て、臨時の荷おろし人夫として港を走り回る勇者の男の子の姿があった。
周りは金髪や青い瞳ばかりなので、その黒髪と黒目の小さな男の子の姿はよく目立つ。
一生懸命塩漬けの魚がつまったタルを持ち上げ、船から荷揚げ場に運び込んでいく勇者の男の子。
その前に3人の水夫の荒れくれ者達が立ちふさがった。
「おいおい。勇者様がこんなところにいるぞ」
「勇者様ー。大魔王をはやくなんとかしてくださいよー」
「おいおい、こんなやつ俺のワンパン一つでおしまいだろ。なんだったら俺が代わりに勇者になってやろーか?」
「ぎゃははははははは」
「ゆ、勇者へのぶじょくは許さないぞ!」
「へえ、おい。聞いたかお前ら。この勇者様は俺らのことを許さないってよ」
「どう許さないのか教えてくださいよー、っと」
ニヤニヤしながらいきなり男の子のわき腹を蹴り上げ、男の子は苦悶の表情でうずくまった。
「栄光の勇者の座がなんだってこんなよそ者のガキなんかに……」
「こいつのせいで、この前隣国の連中にバカにされたんだぜ。まだお前のとこの勇者レベル1かよって」
不満を露にする男にビクリと男の子の肩が震える。
僕だって……
男の子がそう口にだしかけて、咄嗟に歯を食いしばる。
だってそれを言葉にしたら、今までたった一つ支えにしてきたものが折れてしまうから。
その間も地面に亀のように縮こまり、男達の乱暴を耐えていると男の子は気を失ってしまった。
「おい、意識がないみたいだぜ」
「なんだもう終わりか。所詮やっつけの間に合わせ勇者だよな」
「弱っちいでやんの」
口々に勝手な感想を言い合って笑いあっている男達。
そこに突然潮風とは違う、涼やかな風が吹いた。
「おい。そこの坊やをもらっていくぞ」
男達が振り向けば、いつの間にか滅多にお目にかかれない美しい赤髪の剣士らしき格好の女性がいた。
凛とした声に獣のような爛々とした金色の眼光。生命力溢れるその姿。
鎧を身に着けても分かる圧倒的なプロポーション。美の女神もかくやという女性が男達をかきわけて勇者の前に歩み寄る。
いわずと知れた、大魔王エリエルだ。
男達は思わず喉を鳴らし、口笛で囃し立てた。
「へ、へへへ。おいおい姉ちゃん。色っぺえな。ちょいと俺らと遊ぼうぜ」
主に目がいくのはその豊かな胸。
ほっそりとした女性の腕を、まるで丸太のような太い腕をした男が掴もうとするが、その手は虚しく空を切る。
そんな男をエリエルは冷ややかに睨め付ける。
「『敵』はすべからく打ち破るべし。が、生憎と儂とてヒヨコと竜の区別はつく」
「あん?」
無造作に近づいて来るエリエルに妙な圧力を感じ、思わず3人が後退る。
「『敵』にも値せん童に用はない。少し頭を冷やしてくるがよい」
男達の目の前で、右手で空を掬い上げる。
途端、巻き起こった暴風に男達の体は空高く舞い上げられ、そのまま情けない悲鳴をあげながら海の彼方へと放り出された。
「さて」
そっけない表情から一転。地面に倒れている幼い勇者を前にして、エリエルはようやく獲物を捕らえた大型の猫科肉食獣のように口元を大きく歪め、唇を舐めた。
これからの事を考えて実に浮き立つ心を抱え、より楽しそうに笑みが深まる。
倒れている幼い勇者に手を伸ばし、ひょいっと肩に担ぎ上げる。
そしてそのまま港を出て行った。
街外れの林にやってきたエリエル。
未だ目を覚まさぬ幼い勇者を木の根元におろし、魔法で大鍋一杯分の水を男の子の頭上に作り出して解き放つ。
ばしゃん!
水を乱暴にかけると、バネ仕掛けの人形のように幼い勇者が目を覚ました。
「起きたか」
「……女神さま?」
どこか夢心地で、まだぼんやりとした顔で呟く。
港でボコボコに殴られていたかと思ったら、気がつけば今までお城でも神殿でも見かけたことのない美しい若い女性が自分の顔を覗き込んでいたのだ。
どんな街娘よりも、どんなお嬢様よりも、どんなお姫様よりも。
初めて見る、激しく心動かされる女性。
幼い勇者は胸の内に初めて吹き荒れる謎の情動に流されるまま、ただ呆けていた。
まるで人類の理想の美人を彫刻したという大神殿の女神像。いや、それ以上の美しさ。人間の想像を遥かに超える美。
それが息を吹き込まれ、動き出したのかと思ってしまった。
「こりゃ。儂をあんな自分より美しい女を嫉妬で怪物に変えるようなろくでなしと一緒にするでない」
不満げに眉をしかめるその表情すら勇者の胸を締め付ける。
エリエルは元々神々に仕えていた天使。女神についてもよく知っている。
だが当の女神が目の前にいたら「女のくせに野蛮な戦いしか頭にない粗雑な乱暴者が何を言うか」と言われたことだろう。
完全に見とれていた勇者は、やがてハッと目を大きく見開き、今度こそ完全に目が覚めたようだ。
途端に目を険しくし、慌てて立ち上がって唇を尖らせる。
「お、お前だれだよ!」
「儂か。儂は見ての通り、流れの剣士じゃ」
「はぁ」
生返事を返すしかない幼い勇者に、エリエルは腕を組みながらふんぞり返って言った。
「おう、坊や。強くなりたくはないか?」
「え?」
「儂が坊やを鍛えてやろうと言っておる」
「えー……?」
あからさまに不審人物を見る目だった。
「ふん。いらないよ、べつに。お姉ちゃんみたいな女の人に教わることなんてなにもないね」
いくらなんでも初対面の女性に「鍛えてやる」と言われて何も疑わずにはいと頷くほど子供ではないつもりだった。
なにより、勇者としてのプライドが許さない。
「ほう。もう一度、はいかいいえかで言ってくれんかの」
「いい――」
いいえに決まってる、と勇者が断ろうとしたその時。
エリエルは片足を持ち上げ、大地を踏みしめた。
地に響く重い音と共に、グラリと大地が揺れて思わず勇者の上体が泳ぐ。
ただ踏みつけただけ。幼い勇者はそれだけで地震を起こすなんて人を今まで見たことがなかった。
青ざめた顔でそっと女性を窺う。
見るものを魅了する笑顔の中、金色の目だけが笑っていなかった。
ここで勇者は初めて目の前の美しい女性が桁外れの実力者だと気付かされた。
「おお。すまんかった。よく聞こえなかったのだがもう一度答えを聞かせてくれ」
ぬけぬけと無駄に爽やかな笑顔で言い放った。
どう見てもわざとです。
「ゆ、勇者は決してそんなおどしには――!」
再び地を蹴るエリエル。
今度は地面が陥没し、横に大きな地割れができた。
勇者はそれを見て、ビクリと肩を震わせる。
「うーむ。何故か聞き取りにくいのぅ。で、答えは?」
「……っ、ひっく。ダメだもん。ぼくは、ぼくは勇者なんだから。だから……」
しゃくり上げながらも頑なに首を縦に振らない勇者に、エリエルはそっと肩に手を置いて言った。
「まだるっこしいことは止めじゃ。そもそも、もう儂が決めた事での。坊やが嫌がっても儂に付き合ってもらうぞ」
「な、なんなんだよお前はー!」
「これから儂の事は師匠と呼べ」
「かってに話すすめんなー!」
「うむうむ。弟子を持つのは久しぶりじゃのう。あやつも拾った時は坊やくらいの年じゃったし、懐かしや」
「聞けよ、ぼくの話!」
拳を振り上げる小さな勇者に、それを軽くあしらうエリエル。
「じゃがまあ、坊やが納得するようちっと儂の腕を見せておくか」
女剣士エリエルが鋼の剣を抜き放ち、大人の2倍はあろうかという大岩の前に立つ。
「な、なにすんだよ……まさかそれをぶった切ろうなんてつもりじゃないだろうな」
「まあ見ておれ」
勇者は至って気楽に手を振るエリエルの背中を見つめる。
エリエルが剣を天へと振りかざした途端、辺りから音が消えた。
勇者の肌が粟立つ。
「そーれっ」
気の抜けるかけ声と共に、踏み込みの足が前へと出る。
電光石火の一撃が上段から大岩へと吸い込まれるように振り下ろされた。
あまりにも早く、鋭い振り下ろし。その沈み込む体に遅れて長い赤髪がふわりと舞う。
やがて思い出したようにゆっくりと赤髪が背に落ちていった。
そしてその前には綺麗な断面を覗かせ、真っ二つに割れた大岩があった。
「と、まあこんなものじゃ」
「す、すごい……」
「何を言う。この程度、レベル20になれば届くじゃろう」
エリエルはそう言うが、今回斬ったのは腕力ではなく純粋な技術よるものだ。
力任せや武器の威力に頼って『断ち割る』剣士なら二流。レベルさえ上がっていけば自然とできるようになる。
だが、腕力と剣の腕を併せ持ち『断ち斬る』を為すとなるとそれは本物の一流たる達人の技だ。
そしてそれをただの鋼の剣で為した斬岩の女剣士が目の前にいた。
「いずれ、これくらいは当然使えるようになってもらおうぞ。『真実の泉』辺りの勇者らは皆、この程度はほんの児戯じゃしの」
勇者は大口をあけたまま動かない。
その心にはプライドを押しのけた興奮と賞賛があった。
「どうじゃ? 儂の下につくのも悪くはなかろう」
ニタリと幼い勇者の内心を見透かすかのように笑う。
途端、何故か生まれた敗北感に顔を赤くする。
「……わ、わかったよ。お前がどーしてもって言うんなら……それでいいぞ」
「お。ようやくその気になったか。よしよし」
「な、こら、いたいいたい。髪をらんぼうにするな! このゴリラ女!」
「儂のことは師匠と呼べと言うておるじゃろうが!」
「うっせー!」
「そういう悪い口はこれかー? ほれほれ」
「や、やめろってこのバカ女ー!」
「おお。また目に涙なんぞ浮かべて。昨夜といい、泣き虫な勇者じゃのう。ははは」
「う、うるさい! ぼくは泣き虫なんかじゃねー!」
ふー、ふー。
興奮した勇者の荒い息が落ち着いてきたころ、エリエルは純真無垢な笑顔を見せて言った。
「儂はエリエルじゃ。坊やの名前は?」
それは今日みたどの笑顔より魅力的で、一瞬で勇者から全ての毒気を消し去った。
「……ノヴァ」
「ノヴァか。よし坊や、喜ぶがいい。これからビシバシ鍛えてやろう」
胸を張って鎧の胸当てをドンと叩く。
鎧の下の双丘が大きく揺れた。
それから慌てて目を逸らす勇者。
「ぼ、坊やはやめろ!」
「そういえば、坊やはいくつなんじゃ?」
「8つだ」
「ははは。坊やじゃな」
うー、と勇者が下から恨めしそうに睨み付ける
「目標は打倒、大魔王じゃ! よいな!」
魔界において大魔王とは絶対の畏敬の存在だ。
偶像はおろか、名前を口に出す事すらしない絶対の崇拝。
決して魔界の民は大魔王についてまともに語ろうとせず、大魔王に挑んだ勇者パーティは誰一人とて生きて帰ってこない。
そのせいで、人間の世界では魔界の頂点たる大魔王は『いる』と確信をもって噂されているが、その情報は一切が謎に包まれている。
だから勇者は目の前の女剣士の名前を聞いても、彼女が大魔王だとは夢にも思わなかった。
いや、内心まるで魔王のような女だと思ってはいたのだが。
「あーもー。好きにしろバカ師匠!」
何も知らない勇者は、満足そうに腕を天に振り上げる師匠に諦めたように天に向かって吼えた。
こうして大魔王と勇者の師弟の日々が始まった。
なお、勇者は港の荷揚げの仕事をクビになってお金はビタ一文もらえず、ひもじい夜を過ごした。
そして翌朝、それを聞いてお詫びとばかりに海でクジラを仕留め、片手で引きずってくる師匠の姿があった。