11-2
今、E国の王宮は空前絶後のお祭り騒ぎだった。
「航路確認の船を出せ!」
「F国勇者パーティのもてなしの準備を! 決して粗相があってはならんぞ!」
「国庫の確認をしろ! 当座でいいからどれだけの報酬を出せるか大臣と話し合え!」
「使節団派遣を! メンバーを厳選し、安全の確認が取れ次第船を出せ!」
「商人達の手綱引き締めを怠るなよ! 勝手に暴走されて海が大量の船で混乱してはかなわん! 相手国にも迷惑だ!」
「各国と貿易再開の準備を進めておけ!」
役人と大臣が王宮を駆けずり回り、指示を飛ばす。
城から早馬がいくつも飛び出し、また舞い戻る。
その熱気は城から街へと伝わり、今まで不況に喘いでいた空気が一気に吹き飛ばされた。
ここ長年なかった熱狂の渦が王都を包んでいる。
主要産業の造船所に次々と火が入り、部品の発注書を手に人が走る。
酒場で日々飲んだくれていた男達が慌てて店を飛び出し、職人ギルドへと駆け込む。
閉じられていた様々な店の前に看板が再び掛けられる
F国の勇者によって今まで海路を封鎖していたモンスターが排除された結果、今までの経済不況を取り返そうと王都の端から端までがまるで都中をひっくり返したような大騒ぎになっていた。
「よくぞ参られた、勇者ザイフリート殿及び仲間の方々よ」
王宮の謁見の間でF国の若き勇者一行と壮年の終わりに差しかかったE国国王が相対していた。
王妃は不在だった。なんでも9年前に病気療養のため別荘で1年を過ごしてからずっと体調を崩しがちだという。
国難を救った勇者達に国王は礼を尽くしてもてなす。
国賓として招かれ歓待された勇者達はその扱いに丁寧に謝辞を述べた。
E国がF国に渡す報酬は多大なものになるだろうが、それでもなお海路が再び開けた今はそう大きな問題にはならない。
貿易が再開すればまた金が活発に出入りし、その利益は報酬を補って余りあることだろう。
場所を変えて饗宴が催され、音楽と舞踏が皆を楽しませる。
宴も佳境が過ぎ、落ち着いてきた頃に勇者は王に尋ねた。
「アムネリウス陛下。我々が貴国を訪れたのは少し調べ物をしたいがためなのです」
「ふむ。調べ物とは?」
ザイフリート達の目的は約半年前に起きた謎の気配についての調査だった。
パーティの神官グンターは千年前の伝説の大神官の血を引く者だった。つまりセアの遠い親戚でもある。
そのグンターがその時、強大な力を持つ何者かが世界の何処かに現れたのを感じ取ったという。それは大神官の血筋の中でも強い力を秘めた者だけが感じ取れるものだった。
そしてほぼ時を同じくして起きた不自然な日食。
これまでザイフリート達はこの異変を調査するために各地を回り、ようやくE国の地が怪しいという所までこぎ着けていた。
「あの突然の日食の日か……確かに、我が国でも調査はした」
国王が語るには、日食が起きた日には夏で晴れの日だったにも関わらず南の山脈が突然冠雪したという。そして隕石がいくつか降り注いでいたのも目撃されていた。
仮に、隕石が魔法によるものだとしたら……それは魔王級を越える大魔王級の存在がいたという事になる。
更に調査隊を現地に派遣したところ、何者かが相争った跡があったという。
それも、山が吹き飛ぶ規模でだ。
「やはり、この地で正解でしたか」
「我が国の大神殿にも千年前の伝説の大神官の血を引く兄弟がおる。兄はラダメスといい、8年前に大神官を辞した。今では弟のラムフィス殿が大神官を務めておる。必要であれば紹介するが、如何かな」
「それは、ぜひお願い致します」
「詳しい話はラムフィス大神官に聞くとよいであろう」
☆☆☆☆☆
勇者ノヴァは師匠のエリエルや神官見習いのセアと一緒に宿の酒場にいた。ノヴァの家族のお墓掃除と買い物の帰りだ。
この日は珍しく昼間から酒を浴びている者が多く、騒々しい。その中で3人は一つのテーブルを囲んでいた。
「棒手裏剣20本補充良し。新しい青銅の盾を買って、そして革の鎧もようやく買えたし、これで丈夫な旅人用の服からも卒業だ! へへ。ようやく勇者らしくなってきたかなぁ」
「勇者様、嬉しそうです」
「おう! こうして鉄の剣だって師匠からもらえたし、そろそろ勇者として働かないとなぁ」
「まあ、そう逸るでない。まだ修行は終わっておらんぞ。ガーゴイルを降したとはいえ、まだまだキマイラ、マンティコア、グリフォンが後に控えておるからの。ガーゴイルは身体能力こそ高かったが癖のある攻撃はない。これからはより多彩な攻撃をしてくるのが相手じゃ」
「ちぇ……分かったよ」
喜びに水を差されて不満顔のノヴァ。
今のノヴァの心に引っかかっているものは、未だ実績が何もないという事について。
F国勇者の活躍を耳にして、ノヴァの胸に訪れたのは喜びと悔しさ。
国難が片付いて民の皆が明るくなったのは単純に嬉しい。
だが、それが自分の手で成し遂げられなかった事を残念に思い、同時に力不足を思い知ることになっていた。
そして、薄々とこの先に自身の暗い未来が待っている事も感じ取っていた。
「ほれ、そんな沈んだ顔をしておらんでもっと食べるがよい。よく食べて、よく動き、よく寝る。でなくてはいつまでも坊やは小さいままぞ。それともずっと儂に撫でられたいのかの? まあ、それならそれで儂が可愛がってやろうぞ」
「だ、誰が! 食うに決まってんだろ! 見てろよ、すぐに師匠なんか追い越してやるんだからな! そして今度はぼくが上から撫でてやる!」
陽気に笑う師匠にムカッと睨みつけて、ノヴァは大皿の肉を勢いよく口の中にかきこみ始めた。
そしてピタっと止まる。
「う、うぐぐ! の、のどに……くる、しい」
「ゆ、勇者様、お水です! はい!」
「ぷはぁ! た、助かったセア……」
「はははははは! つくづく坊やを見てると退屈せんわ」
「うぅー……」
一転、今度は仏頂面になるノヴァ。
その隣でセアがほっと胸を撫で下ろしていた。
「それはさておき。少し前に少々面白い話を耳に挟んだ。なんでも秋に収穫祭として歴史・伝統ある武闘大会なるものが開催されるそうではないか。坊やはそれに出るがよい。そして自分の力を知らしめるのじゃ」
「ぼ、ぼくが大会に……?」
「うわぁ、勇者様がんばってください! 私、応援します!」
「セ、セア。けど大会ってすっごい強い人たちがいっぱいいっぱい出てくるんだぞ。ぼくなんかが出たところで……」
「それに関しては心配いらん。とにかく出ることじゃ。これは師匠命令じゃぞ」
「う……わ、わかったよ……」
エリエルは一度ブドウ酒の入った杯をあおり、それから億劫そうに赤髪を撫で付ける。考えているのは今のE国の状況。この活況についてだ。
いよいよ状況が動き始め、目に見える形で猶予がなくなってきた。
おそらく今すぐどうこうされるわけではないだろう。まだ当面は助走期間があるはずだ。
だが、景気が上向きに走り始めたら……ノヴァになんらかの裁定が下るのは間違いない。
「まったくもって、頭の痛い事じゃ。頭を働かすのは苦手じゃというのに」
一応、武闘大会では少々ちょっかいをかけてみるとしようかとエリエルは頭の中であれこれ考える。
いざとなれば、直接手を下して船をいくつか沈めて再び景気に水を差すのもやぶさかではない。
そう大魔王が珍しく可愛い可愛い自分の勇者のために打てる手を模索する。
しかし、実際はそこまでする必要性はないかと結論付けた。
現在のノヴァの実力ならば、他の小国に連れて行けば十分勇者として認められるであろうと確信している。
大国やある程度国力のある国であれば勇者は自国の民から出すであろうが、小国はそこまで余裕はない。実力一点主義で国籍に関係なく強い者、そして自国に富をもたらしてくれる者を集めている。
そこにノヴァを連れて行けば問題なく勇者の紋章を与えられるだろう。
今やノヴァはそれだけの力があるとエリエルは知っている。
「師匠? そんな変な顔してどうしたんだ」
「いや、それより坊やの口周りが脂でベタベタじゃぞ。少しは落ち着いて食わんか。どれ、拭いてやろう」
「む、むぐ……」
「うむ。これで綺麗になった」
「あ、ありがとう」
「ふふ。じゃがセアの方は随分と上品に落ち着いて食べるものじゃの」
「そうですか?」
きょとんとセミロングのプラチナブロンドを揺らして首を傾げるセア。
見ると、セアは肉をナイフで一口サイズより更に小さく切って、フォークでその小さな可愛らしいお口に運んでいた。
「まるでウサギのようじゃの」
「あー、確かに。それっぽいな」
「そ、そんなに見ないでください……」
二人の視線にセアは途端に縮こまって真っ赤になる。
そんな風に和気藹々と食事を取っていた時に事件は起きた。
「言ったなテメエ!」
「おう、言ったともさ! なんだ、やる気かコラ!」
「オオゥ! 上等!」
突然、離れた後ろのテーブルで怒鳴り声がした。続いて皿やナイフの引っくり返るけたたましい音。終には人が倒れる重い音まで。
どうやら酔っ払い同士の口喧嘩で片方が手を出して、殴り合いになったらしい。
周りの客はいつもの事と平然としている。
実際世界各国の酒場では日常風景なのだ。ある国では『5人以上集まって食事をするなら、同席したやつが死んでも罪に問わない』という法律すらある始末。
ノヴァはうるさいなと顔を顰めて騒動の元へ振り向く。
すると丁度木の皿がノヴァ達のテーブルへ飛んでくる所だった。それがセアに当たると察し、すかさずノヴァがキャッチする。
わずか1秒の早業だった。
「おい、危ねーだろ、オッサン達! ケンカなら外でやれよ!」
「なぁーにぃー? このガキぃ」
日々の肉体労働でガタイのいい屈強なヒゲ面の大人二人が肩を組んでやってくる。
さっきまでケンカしてたんじゃないのかよ、とノヴァは無性に突っ込みたい気持ちでいっぱいになった。
酔っ払いに理屈は通じないのだ。
半眼でやってきた二人組みだったが、同じテーブルにいる赤髪の若い美女に目を止めた途端に目を丸くし、だらりと表情が締まりなく緩んで鼻の下がびんびんに伸びる。
「うほぅ! こりゃあすげえいい女じゃねーか! ガキにはもったいねえ!」
「……なんだと」
ノヴァの声色が一つ下がる。
「おい、ねーちゃん! 俺らと酒飲もうぜ! もちろん奢るぜ、いい女は大歓迎だ!」
「がっはっは! いやぁ、美女の手酌は金杯に勝るものだ! ぜひ頼む!」
そんな酔っ払いの男組を前に、当の美女は平然と杯を遊ばせながら艶やかな流し目をして言う。
「ふふ。そう口説かれるのは悪くない。が、すまぬが今は大事な小さな連れがいるのでな。残念じゃがまた出直してくるがよい」
そう言って両腕でノヴァとセアの肩を抱き寄せる。
二人の顔に挟まれたエリエルの顔は人好きのする明るい笑顔だった。
「やーい、ふられてやんの!」
「いいぞー、ねーちゃん!」
「ぎゃはははははは!」
外野からピーピー野次が飛ぶ。
酔っ払いは酒で赤い体をブルブル震わせ、突然豹変した。
「うるせえ! いいからテメエ、こっちこいや!」
乱暴に太い腕を伸ばしてきた男達の片割れに、ノヴァの目が鋭く引き絞られる。
エリエルの腕を振りほどいて前に出ようとした時だった。
「はい、そこまで。そんな小さな子や女性を怯えさせるのは紳士の端くれとして見過ごせないな」
別のテーブルを囲んでいた6人の内の一人が立ち上がる。
やけに年季の入った旅装束に身を包んだ大人の男性で、腰に剣を帯びていた。
「なんだテメエ!」
「やるなら腕づくで言う事を聞かせてみろや!」
凄む酔っ払い二人に対して、やってきた旅装束の男性は怯える事無く穏やかに笑った。
「じゃあお言葉に甘えて」
それからの展開は呆気なかった。
男性は真正面から無造作に近づき、酔っ払いのストレートパンチを片手で受け止め、そのまま引き寄せる。
近づいてきた酔っ払い男の腰を軽く叩くと、途端にその場に崩れ落ちた。
もう一人も同様にすると、あっという間に酒場の床には下半身を投げ出して座り込む屈強な男二人という光景が出来上がった。
「な、なにしやがった!」
「ちくしょう、足に、腰に力が入らねえぞ!」
目を白黒させて唾を盛んに飛ばす男二人。
旅装束の男性はなおも騒ぎ立てる二人の首根っこを掴み、ひょいっと持ち上げる。
「つまみ出してくるよ。騒がせてすまないね」
「は、放しやがれ!」
「くそう、おぼえてろよ!」
野次馬の喝采を浴びながら軽々と重量級の男二人を持ち上げて店を出て行き、しばらくしてまた戻ってきた。
そのままノヴァ達のテーブルへ向かおうとし、一度何故か足を止めて軽く目を見張る。そして意を決したように再び歩き出した。
ノヴァ達3人の前で男性が小さく微笑みかける。
「君、大丈夫だったかい」
「うん。あんなのへっちゃらだ」
「そうかそうか。そちらの小さなお嬢さんも怖い思いをさせてしまったね」
「い、いいえ」
セアがふるふると首を横に振る。その手はいつの間にかそっとノヴァの服の裾を掴んでいた。
「そして、貴女には見苦しいものを見せてしまいました」
「とんでもない。中々に面白いものを見れた」
「それはよかった……けれど、どうやら余計なお節介だったみたいだね」
エリエルを見て男性が苦笑する。
「いや、手早く収めてくれて助かった。儂からも礼を言おう、F国の勇者殿」
静かなどよめきが波のように酒場をさらう。
当の勇者ザイフリートは右手で頬をかいていた。その手の甲には勇者の紋章が浮かんでいる。ノヴァとはまた違った紋様だった。
「……この紋章をご存知でしたか」
「うむ。これでも勇者マニアでの。軽く百を越える全ての紋章を覚える紋章官ほどではないが、勇者の紋章と対応する国は全て頭に入っておるぞ」
「なるほど」
ザイフリートの灰色の瞳とエリエルの金色の瞳が笑いあう。
爽やかな男性と艶かしい美女とが相対するその光景はさながら切り取った一枚の絵画のようだった。
唐突にザイフリートが利き腕の右手を差し出す。利き腕なのは争う意思はないという表明だ。
「間合いに入るのを躊躇したのは久しぶりでした。思わず足を止めてしまいましたよ。
高名な剣士とお見受けしましたが、いかがでしょう」
「如何にも。じゃが、高名ではないぞ。単なる流れ者じゃ」
エリエルが挑戦的な笑みを浮かべてその手を取り、握手をした。そしてようやく今までずっとザイフリートに向けていた、刃のように近づくもの全てを斬り捨てるような戦意を収める。
しかし表面上は落ち着いたが、エリエルの内面は盛大に荒れ狂っていた。
「戦いたい! 戦いたい! 戦いたい!
おおお。実に隙のない足運び! 重心移動も呼吸にも隙がない! 腰に下げている剣から漂う魔力も超一流じゃし、身体にうっすらと纏っている闘気もまさに極上! 威圧にも気後れせず堂々と進んでくる胆力の強さ。鍛え、絞り上げられた肉体もまた完璧に限りなく近く、まさに芸術的!
うむ、実にエクセレント! ビューティフル! ワンダフル! グレート! マーベラス!
後ろのテーブルの仲間らしき者達もそれぞれ一人一人が格別の力量を見てとれる。さぞかしこのパーティとは良い戦いができるであろう!
ああ、ああ!
できるものなら、今! すぐ! ここで! 戦り合いたいっ!」
とにかくエリエル大絶賛。
うずうずうずうずうずうずうずうずと身体が勝手に武者震いを始め、血が沸き立つのを止められない。
胸はどこまでも高まり、熱い熱病の如き吐息が妖しく漏れる。
ザイフリートを見上げる熱を帯びたその目は完全に恋する乙女のそれ。
ただし、何も知らない人が外から見たらそう見えるというだけだが。
そして、そんなエリエルと対照的なのがノヴァだ。
目の前の勇者に夢中になっているエリエルに物凄く不満そうにしていた。
ご機嫌曲線は急降下の一途を辿っている。
特に二人が握手している手は完全に視界に入れようとしない。
目を奪われているエリエルの横顔をじっと見つめる。けれどやがてふいとそっぽを向いた。それから一人黙って肉の乗った皿をフォークで突っつき始めた。
大事な妹分のセアが向けてくる心配そうな視線も無視してしまうほど、無性に気分が沈んでいた。
ちくちくと胸に刺さる小さな錐のような傷みが苦しくて、辛くて、何故か泣きたくなった。
ノヴァは黙ってがぶりと肉に食らいつく。無理やり飲み込んだ肉は味気なかった。
そして、一方エリエルははたと冷静になって考えた。
仮に彼らが魔王城に突入したとして、自分の所に来るまでにはやはりそれなりに消耗していることだろう。
……これだけの実力者、アベレージ60オーバーのパーティと戦り合える機会などそうそう滅多にない。
だからこそ、惜しいと思った。
そして、続けて思った。
せっかくの極上の相手なのだ。たまには誰にも邪魔されずに甘いひと時を過ごしたって良いではないか、と。
万全の状態の彼らと全力で戦いたい。
それはエリエルにとってはとても素晴らしく甘美な誘惑だった。
たとえ一人一人のレベルがかの猿王に及ばずとも、人間にはチームプレイがある。
人間は群れ、協力し、一致団結することで自らより遥かに強力な相手をも倒す事を可能とする。特に個性の違う者同士が組むとそれは顕著に現れる。
果たして、アベレージ60オーバーのパーティとはどんな高揚を与えてくれるのだろうか。
エリエルはそれを想像するだけで表情の緩みが抑えきれない。
それを満足いくまで味わうためにはどうするべきか。そこでエリエルの頭にロウソクの火が灯った。
そんな、何やら腹の内で企みが進行しているエリエルの前の勇者ザイフリートはもちろん何も気付かない。
正面から相対したエリエルの魅力に内心感嘆を禁じえなかった。
豊かな肉体は見る男を惑わす魔性の美。その美貌は正しく生きる芸術。しかしそんな神より授けられたとも言える美しさも、彼女の全身からあふれ出るような生命力の輝きには霞んでしまう。
生き生きとした活力に満ちた表情に野獣の如きしなやかで躍動的な美しさ。それが彼女の最大の魅力。
情熱の証と見て取れるような長い赤髪。そして金色の双眸は猫科の肉食獣の如き眼光を放ち、真っ直ぐ前を向き自信に満ちている。淑やかで静謐な静の美とは対照的な、生々しい動の美。生を生きる者が最大限に輝く姿。
気高き美獣。
ザイフリートの第一印象はそれだった。
「俺はザイフリート。よければ貴女のお名前を伺っても?」
「儂はエリエルじゃ」
「エリエル……美しい良い響きのおっぱいです」
酒場が凍った。
目に見えない吹雪が吹き荒れ、どこからかやって来たペンギンがそこらを闊歩し、背の低いヒゲ面のオッサン達が毛皮の帽子とコートを被って並びながらコサックダンスを踊る。
今、酒場には確かにブリザードとダイヤモンドとおまけにオーロラが仲良く手を取り合って踊り狂っていた。
――おい、今勇者様なんつった?
――おっ……ぱい?
――まさか、何かの聞き間違いだろ。
――いや、俺も確かに聞いた。間違いない。
――どういう、ことだ。
ヒソヒソと交わされる外野の囁き。
酒場中の視線を一身に集めたザイフリートは一度咳払いをして口を開いた。
「……失礼しました。つい心の声がポロリと建前を押しのけて出てきてしまいました」
「心の声かよ!」
外野の誰かが突っ込む。
同時に恐ろしい勢いで誰かが駆けて来た。ザイフリートの仲間、若い女騎士クリームヒルトは鬼の形相で離れたテーブルから一瞬で距離を詰める。
そして手にしたスリッパを力いっぱい振り下ろす。
世界最強最高の勇者ザイフリートの頭から乾いた音が景気良く響き渡った。
「あ、ん、た、ねぇ……いつボロ出すか冷や冷やしながら見てたら案の定だったわね!」
「いや、すまん。名前というつもりが……ついついあの見事なボリュームに目を奪われてしまった」
「ザイフリート! あなた、砂漠近くの町でそれで痛い目にあったのに、まだ懲りてないの!」
「あれは言うな! お前に分かるか、パフパフしてあげると言われて夢と希望とドキドキで胸を膨らませてボインのお姉ちゃんについて行ったら、暗闇の中で海パン一丁の親父に挟まれていた時の気持ちを! お尻の穴がキュッと縮こまったんだぞ!」
「知らないわよ、このエロ河童!」
「男は皆エロ河童なんだぞ! いいじゃないか、大きいは正義だ!」
「うっさい! 大体それが恋人に言うセリフ!? ……どうせ私は小さいわよ。なによなによ」
ぎゃーぎゃー。
突然目の前で始まったカップルの痴話ゲンカにエリエルはついつい苦笑を漏らす。
ザイフリートもいつの間にか爽やか丁寧な仮面を適当に放っぽり捨てて、素のおちゃらけた雰囲気になっていた。
「褒めてもらうのは有り難いのじゃが、生憎と儂の胸は坊やに売約済みでの……お?」
ノヴァに手を伸ばして胸に抱えようとしたが、虚しく空を切る。もはや何度目か分からない悪寒で魔手を察知したノヴァが素早くエリエルの手を避け、その手の届かない所へと脱出を図っていた。
が、すかさず剣の鞘で足を払われ、転ぼうとした所に瞬時に移動してきたエリエルの手がその首根っこをひっつかむ。
「どうして逃げるのじゃ。坊やは儂の事が嫌いか? さびしいのぅ」
「は、はなせー」
ぎゅー。
ジタバタ。
「頭が胸に埋まっているなんて……く、羨ましいぞ少年!」
「大声で情けない事を言わないで!」
目を大きく瞠り、握りこぶしをつくるザイフリード。血の涙を流さんばかりの勢いだ。
そして顔を羞恥に真っ赤にするその恋人のクリームヒルト。
ザイフリートがエリエルの胸を見る。そこには服を押し上げてその豊かさを主張するものがあり、ふくらみの谷間部分には「三」の皺があった。
その皺の所にノヴァの頭が埋まっていた。
「少年、君は今世界の男達の夢のなかにいるんだ……!」
「わかる、わかるぜ兄ちゃん!」
何か感動的な光景を見たかのように感涙に咽ぶザイフリート。そしてそれに追従する外野。
ノヴァはなんとか首だけを動かしてザイフリートを見る。それは氷点下の眼差し。ゴミクズを見るような目だった。
一方、セアはよく分からないようで可愛く小首をかしげていた。
「いい、君はこんなジギみたいな大人になっちゃだめだからね」
「うん。当たり前だろ」
クリームヒルトの忠告、というか嘆願にノヴァは心外という風に頷く。
今やエリエルの膝の上に抱え上げられ、後ろから上機嫌に抱きしめられてされるがままのノヴァ。もはや抵抗を諦めて落ち着かなそうにそわそわしながらその顔はわずかに赤くなっていた。
ザイフリートの尻をはたいて脇に追いやり、クリームヒルトがエリエルに頭を下げる。
「本当すいません。うちのバカ勇者がお騒がせしました。失礼な事ばかり言って、さぞ気分を害されたことでしょう」
「いや、助けてもらったのはこちらの方じゃ。それになんとも愉快な勇者殿ではないか。単なるうつけでそなたらの人望を勝ち取る事などできるまいに。見ていれば分かる者は分かろうぞ」
「……それが、私達の困ったところでもあるんですよね。ずっと小さい頃から一緒にいるんですけど、昔から変に憎めないというか……」
ザイフリートの耳を引っ張りながら困ったように、けれどどこか幸せそうに微笑む。
「ほら、いい加減戻るわよ。エリエルさん、見苦しいものをお見せしました」
「いてて。分かった分かったって。ほら、そんなに目を吊り上げてないでスマイルスマイル! クリームヒルトの可愛い顔が見たいな」
「こ、こら! 公衆の面前でそんなに引っ付かないの! って、後ろから抱きつくな!」
「うーん、クリエのいけずー。ちょっとくらいいいじゃないか」
かまってかまってと甘える大型犬のようにじゃれつくザイフリートを必死で押し返そうとするクリームヒルト。
そんな風に騒がしいF国勇者パーティはエリエル達の前から去っていった。




