10-1
最近勇者が来なくてヒマな大魔王がいる魔界。
大魔王エリエルは背を大きく開いた黒いタイトなロングスカートのドレス姿で閑散とした私設闘技場にいた。
目の前には最大級の肉食恐竜かそれ以上の巨大な体躯を誇る青銀色の氷狼。
ピリピリとしたにらみ合いを続ける。
一触即発の空気。
エリエルをあっさり一呑みにできる巨狼は、四肢に力をこめて姿勢を低くして今にも飛びかからんとしていた。
そこに一歩、エリエルが踏み込む。
右手を前に出し、手のひらを上にする。
そして言った。
「お手!」
巨狼の前足が大きく振り上げられる。
勢いよく持ち上げられたその手は大魔王の頭上へと落ちて行き、
ぽふ。
「よし」
でっかい前足がエリエルの小さな手の平の上に乗っかった。
それに腰に手を当てて満足そうに頷くエリエル。
「次、おかわりじゃ!」
ぽふ。
逆の前足が乗せられる。
「伏せ!」
ぺたん。
足を折りたたみ、前足を投げ出して腹を地につける。
「おまわり!」
ぐるぐる。どしんどしん。
その場で円を描くように回り続ける。
「よーしよし。良い子じゃ」
鼻をすりよせて来る巨狼に、エリエルはニコニコしながら撫で、抱きしめてやる。
「くぅん」
巨狼も撫でられて嬉しそうに尻尾をパタパタ振っている。
その度に突風が生まれ、叩きつけられる壁から大きな音が響いてくる。
「次。ブリザー、取ってこーい!」
巨狼の名前を呼び、片手でタルを投げる。タルは大きな放物線を描いて空を翔けていった。
それを追って巨狼は走り、後ろ足で地面を蹴って飛び上がった。
キャッチ!
地面を激しく揺らしながらそのまま着地したものの、勢いがつき過ぎたのか止まらずに巨狼は走り続ける。
そこに、前方にあった扉が開いて一体の悪魔、大魔王の側近デルフォードが入ってくる。
「大魔王様、迷子のその仔狼の群れの場所が分かりましたよ」
巨狼は止まらない。
お座りの体勢でブレーキをかけながら巨狼は滑り続ける。
「お」
「え?」
大魔王と側近の間の抜けた声が唱和する。
モフモフとした白いお腹が側近へと迫る。
「ちょーーー!」
そして、前のめりに倒れこんだ巨大な仔狼の腹に潰された。
あれは不幸な事故じゃった、と後に大魔王は語ったそうな。
☆☆☆☆☆
「ちょっと私に付き合いなさい」
「へ?」
ここ数日の豪雨が収まって久しぶりに晴れたある日。
勇者ノヴァはいきなりやってきた魔法使いの先輩にして第3王女のフレアに捕まり、二人きりで王都の外へと連れ出された。
「お、おい護衛は?」
「今日はお忍び。置いてきたわ。むしろ護衛がいたら邪魔されるから」
何故か不機嫌そうな声でフレアは勇者を伴ってズンズン進んで行く。
よく見れば服もいつもの上品で小奇麗なものではなく、髪飾りといったアクセサリーもない。
そこいらにいる魔法使いのような地味なローブ姿だった。それと防寒用に毛皮のマフラーを首に巻いている。
勇者もまた一度宿に寄って、言われるままに装備を整えてフレアについて行く。
王都を出てしばらく南へ歩き、モンスターが棲みつく山の麓へとやって来る。
そこでフレアはようやく止まり、宣言した。
「さあ、魔法の実地実験を始めるわよ」
「はぁ!? 魔法使ってモンスターと戦うってのかよ!」
凶暴なモンスター相手に、最大限守られるべき貴いお姫様が直接出向く。
これほど暴挙という言葉が似合う状況はそうそうないだろう。
「おいおい! いくらなんでも無茶苦茶だろ! ケガでもしたらどーすんだ!」
「今更傷一つ増えたところで平気よ。そして、私は張子の虎になるつもりもないわ。いくつ魔法を覚えても戦場で使えなかったら何の意味もないわ」
「だからって……」
「軍属でもあるって言ったでしょう。何回かモンスターとの交戦経験はあるわ。そう心配しなくても大丈夫よ」
「だ、誰が心配なんてするかよ!」
「あら、そうなの。残念ね」
「え」
「冗談よ」
「……」
真っ赤になって憮然とフレアから顔を背ける勇者。
クスクスと笑うフレア。
どうにも勇者は年上の女性とは相性が悪いらしい。
「ああ、もう。分かったよ。ぼくが守ってやる。だからさっさと気が済むまで好きにしろ」
「あなたに守られるほど弱くはないつもりだけど……ふふ、まあ殿方の顔を立ててその気持ちはありがたく頂戴しておきましょうか」
そうして二人はモンスターを探して歩き出す。
大変な事に巻き込まれた、とやや暗い顔で肩を落として歩く勇者。
それをこっそり横目で見るフレア。
自分はこの勇者を助けることはできない。ならせめて少しくらいは強くなる手伝いをしよう。
そう思って突っ走ったフレアはノヴァを連れ出したのだ。
炎の球が。
氷の矢が。
風の刃が。
石の弾が。
フレアが持つ杖から様々な魔法が放たれ、モンスターに向かう。
「これで7匹目……全部一撃かよ」
内心、勇者も舌を巻く見事な魔法の威力と正確さだった。
しかもまだまだ魔力に余裕が見える。
なるほど。確かにこれは神童と褒め称えられるだけはある。
フレアの魔法は弱冠10才ながら巧みの域にあり、圧倒的だった。
素早い詠唱。高い集中力。扱う魔力量。
並みの魔法使い以上?
とんでもない。彼女の魔法は既にE国でも上位に迫る力を誇っているだろう。
「いいかしら。これが手本よ。しっかり見ておきなさい」
「ああ……分かってる」
いつもの憎まれ口もなく、素直に勇者は頷く。
それにちょっとだけつまらなそうに口を尖らせるも、すぐに気を取り直してフレアは次の標的を探して歩く。
「さすがにこの辺りじゃ手ごたえのないモンスターばかりね。レベル3がせいぜいというところかしら。もうちょっと奥に行ってみましょう」
「え、まだ奥に行くのか? あんまり先に行くと危ないぞ」
「平気よ」
勇者の注意を一言で切り捨て、二人は更に奥へ、奥へと進む。
そうして山の森へと入っていった。
太陽がさえぎられ、薄暗い世界に踏み込む。
雑草は伸び放題で、わずかな獣道をたよりに進む。
勇者は慣れた様子で周囲の気配を探りながら歩いているが、フレアの方は緊張に強張る表情を押し隠し、手の杖を握り締めていた。杖には汗が滲んでいる。
「いいかしら、森で火の魔法はなるべく使わないように。下手に燃え広がると逃げられずそのまま死んでしまうわよ」
「うん」
過去、山火事にあったフレアの注意に勇者はただ頷く。
「けど、昨日まで雨ばかりだったせいか森の中が湿っぽいわね……」
「まだ凍ってる地面もあるから気をつけろよ」
山を少しずつ上る。
森の中でもフレアは次々とモンスターを沈めていく。
今は最近魔法使いの先生から習っている氷槍の魔法の具合を確かめていた。
虚空に吹雪の渦が巻き起こり、一本の氷の槍が生まれる。
大人の背丈を超える長さのその槍は、目標を狙い定めた後にフレアの元から矢のように飛び立った。
その先にいるのは大ヨロイカエル。
銅の剣ではろくに傷をつけられなかった背中の硬い皮を、だが氷槍はいとも容易く貫いた。
そのあまりの鋭さに勇者も思わず息を呑む。
カエルはその一撃だけで絶命していた。
先生が言うには鋼をも貫く威力を誇るという。その強力さの一端を垣間見た心地だ。
しかし中級魔法に位置するこの魔法には、さすがのフレアも厳しい顔だ。
詠唱も慎重に時間をかけ、魔力が根こそぎ吸い取られるような感覚を耐えきり、凍える冬の空気の中で額に汗を浮かべながら魔法を紡ぐ。
唱え終わり、氷槍を放った後は襲い掛かってくる虚脱感に膝を屈しかけた。
「おい、顔色悪いぞ。少し休むか」
「ええ……そうね、さすがに今の魔法はまだ無茶だったわ。私もまだまだ未熟ね」
やや息を荒げるフレアより勇者が先行し、休める場所を探す。
フレアは膝に手をつき、止まったまま息を整えようと呼吸を繰り返す。
二人が離れる。
それはほんの少しの間だけのはずだった。
その時、すぐ近くの斜面からパラパラと小石が転がってきた。
続けて地面が滑りだす。
「え?」
何かに気付いたフレアはさっと顔を青ざめ、強張らせた。
フレアはスライドしていく地面に足を取られ、体勢を崩して倒れこむ。
そこに、斜面の上から大量の土砂崩れが襲い掛かってきた。
「フレア!?」
異変に気付き、振り返った勇者は大きく目を見開く。
勇者の絶叫は、しかし土砂の中に飲み込まれたフレアには届かなかった。
伸ばされたフレアの手だけが土砂から伸び、やがて消える。
それは勇者にいつかの嵐の海の再現を思い出させた。




