9-1
今日もどんよりな魔界。
「北方方面の守備軍の部隊入れ替えは終わりましたね。戻ってきた将兵には休みを取らせてください」
「はっ」
今日も執務室でテキパキと大魔王の代わりに軍をまとめあげている側近デルフォード。
「これで当面の指示は出し終えましたか。よし、これでようやく南の火山に出向けますね。私が向かうまでに噴火しなくて何よりです。氷魔兵と地魔兵の配置報告書は……あった、よしよしこれならいつ噴火しても大丈夫ですか」
頭の中で状況を手早くまとめ、これからやるべき計画を確認する。
魔王城のはるか南には火山があり、最近地震が多く、火口も活発になって噴火の恐れがあるとの報告が上がってきたのが1週間前。
それから急いで対策をまとめあげ、万という大規模部隊の編成・派遣。噴火した際は氷魔法でなだれ込んでくるマグマの溶岩流を冷え固まらせ、土魔法で煙と高温のガスなどが混じった火砕流を急造で創り上げた安全地帯に逸らす計画だった。あと風魔法で宙に撒き散らされる灰とガスの誘導だ。
先に出向いている副官により現地住民の避難も完了しており、後は側近の到着後、噴火を待つのみだった。
羊のような巻き角を持つ悪魔デルフォード。
彼の扱う氷魔法は最上級の呪黒氷をも扱い、その力は非常に強い。
噴火対策は彼を含む数体の大魔法使いが柱となっていた。
「あの……デルフォード様。ご報告が」
「うん? 近衛大隊隊長ではないですか。どうしました、そんなおずおずと。何か不備でも?」
「いえ、その、大魔王様が……」
「…………この忙しい時に何をしてくれやがりましたか、あの方は」
「ああ、違うんです。大魔王様が、ええと、南の噴火の件を聞いたらしくて、儂も行くと行って先ほど城を飛び立ちになら――」
「今すぐ出ます。後は待機している八魔将第三位に城を任せると伝えてください」
血相を変えて城を飛び出す。
飛行魔法で現地に向かい、火山に着くとその周辺にいくつか分割されて配置している部隊の士気が異様に上がっていた。
「大魔王様だー!」
「うおお、まさかこの目で直接拝めるとは……軍に入って良かった!」
「ピーピー! 大魔王様ー! 素敵ー! いやっほー!」
もはやアイドル扱いだった。
当の大魔王様は堕天使の漆黒の翼を広げ、火口上空で能天気に笑いながら下に手を振っている。
慌ててその側まで飛び寄るデルフォード。
「おう、どうしたのじゃデル、そんなに慌てて」
「貴女様がいきなり城を出たというから急いで追ってきたんですよ!」
「なんじゃ、そこまで心配せんでもよかろうに」
「大魔王様、ここは危険ですからすぐ城にお戻り下さい! 万一噴火が直撃したり、火口に落ちたりしたら大魔王様なら死にはしないものの、さすがに無傷では済みませんよ!」
「なーに、それならそれで話の種になるわ。はっはっは」
「大魔王様!」
「うお。そんな怒鳴るでない」
帰れ帰らないなどと二人が言い合っている間にも火口の状況は急遽悪化していく。
地鳴りと地震が起こる。
今まさに噴火の時が差し迫ってきていた。
「お。いよいよかの。氷魔法の使い手は一人でも多い方が良いじゃろう。儂も手伝おうぞ。何、お主の指揮には従おう。で、どこか手すきの所はないのか?」
そうは言うものの、正直大魔王が一人いれば噴火の9割は防げるだろう。
しかし魔界を統べる大魔王の身の安全には代えられない。
「分かりました。もう城に戻れとはいいません。しかし! 大魔王様は後方に下がってご覧になられていて下さい。決して大魔王様のお手を煩わせる事はありませんゆえ」
「むー。折角飛んで来たというのにお預けとは……」
……ギロリ。
「大魔王様……」
「ああ、分かった分かった。下がっておる。それでよかろう」
「はい。大魔王様がご観覧なさるとあらば、将兵達の士気も上がることでしょう。というわけで、絶対に、絶対に! 手を出さないでくださいね」
「……ちぇー」
唇を尖らせながら漆黒の翼を弱弱しくはためかせ、エリエルが後ろに下がる。
それを見届け、側近はほっとしたように息をつく。
「そろそろですね……」
気がつけば大地は止まることなく揺れ続け、加速度的に大きくなっていた。
「総大将より全軍に通達。これより鎮圧作戦を開始します。総員詠唱開始! 魔法陣起動!」
「先発第一隊、詠唱開始! 魔法陣起動!」
側近の号令に、副官が繰り返し唱和する。
「さあ、ウジムシ共! 楽しい楽しいお仕事の時間だ! そして我らが大魔王様がこの場で全てを見てらっしゃる。気合入れろよおおおおお!!」
部隊将校が発破をかけ、兵達が沸き上がる。
「大魔王様、見ててくださいねー!」
「おらぁっ、てめーら大魔王様の御前だ! ビシっといくぞ!」
「ミスした奴ぁ火口に放り込むぞ! いっちょ俺らのいい所見せっぞぉ!」
「おおー!」
火山がその溜め込んだエネルギーを火口より開放する。
真っ赤なドロリとしたマグマと灰色の噴煙が吐き出される。
山の怒りが馬の最高速度を超える速さで全てを呑みこもうと駆け下りてきた。
その日、火山の噴火初日は一糸乱れぬ結束でもってあっさりと鎮圧された。
ミス一つない一致団結されたその動きは正に一心同体。的確な状況判断と素早いフォローを次々とこなしていった部隊の運用は、まるで芸術を見ているようだと後年語り継がれたとか。
「大魔王様ー! 見ててくれましたかー!」
「おう、皆のもの見事じゃったぞー!」
「お、お言葉を直接いただけた……」
「やべえ、死ねる……!」
空で上機嫌な大魔王の隣で一緒に地上の大歓声を浴びる側近は、作戦の大成功とは裏腹に沈んでいた。
「なんというミーハーな現金さ……これでいいのか、魔王軍」
つくづく魔界は大魔王の存在に大きな影響を受けていることを痛感し、重い息を吐く。
「ひっこめ、むっつりマ○○ン大将軍ー!」
「ぶーぶー! デルフォード様、大魔王様の独り占めはずるいぞー!」
「こ、こいつら……」
一体、デルフォードだけが背を向けて頭を抱えていた。
魔界はやっぱり平和です。
主に大魔王様の人気で。
☆☆☆☆☆
「だから、そこの発音はちがうと何度いえばわかるのよ!」
「う、むずかしいんだよ、この単語……」
季節は冬。
魔法使いの先生の家での講義の時間。
勇者ノヴァは広い裏庭で神童と評されている優秀な先輩である第3王女フレアにビシバシ指導されていた。
「もっと集中して! 精霊をより身近に感じ取れるようになりなさい!」
「耳元で怒鳴んな、集中できねえよ!」
「ちょっと、炎が明後日の方向に飛んでいったわよ! 止まってる的にも当てられないの? もっと真面目にやりなさい!」
「う、うっせえ! ちゃんとやってるよ! けど思った方向に飛ばないんだよ!」
「炎を出す時にもっと精密な本物と違わぬほどイメージを固めなさい。そして決してブレず、あやふやなものにしないこと! あなたの魔法の軌道がしっかりしてないのはそのせいよ」
「くっ……」
「いいかしら、これが手本よ。しっかり見てなさい――炎よ!」
フレアから放たれた火球は勇者の上半身を飲み込んでしまうほど大きく、矢のように高速且つ正確に的に飛んでいった。
大人顔負けの威力とコントロールだ。
「私が教えているのです。このくらいできてもらわないと困るわ」
「わ、わかったよ。やるよ」
「よろしい。さあもう一度!」
腰まである金髪を上品にかき上げ、胸の前で両腕を組みながらノヴァの一挙手一投足を厳しく見守るフレア。
最初の方こそお互いいがみ合っていた二人だが、今ではしっかり先輩後輩の上下関係が出来上がっていた。
勇者が嫌いな王女の指導を受け入れたのは、猿王ゴズクウでの一件で己に火が付いた事が多分にある。そしてフレア自身が文句なしに優秀な魔法使いだったからだ。
「いやぁ、フレア様も張り切ってらっしゃいますね。いい事です。キチンと細かいところまで取りこぼしなく教授なさってますし、こうしてこれまでの講義の成果が見て取れただけでも十分です。良い試験代わりになりますね。
ノヴァ君もよかったですね、こんなつきっきりで教えてくれる優しい先輩がいてくれて」
「……どこがだよ、先生」
「なにか言いまして?」
「な、なんでもねー」
「ほら、余計な口を叩く前に、次! まだ土と風の精霊との声の聞き取りがありますわよ。あなたと相性のいい精霊が分かるよう、ひとまず主な精霊全てと交感してもらうからね」
「わかってる。やるよ、ちゃんとやるから耳をひっぱんなって!」
「そちらが終わりましたら、今度はお二人とも私の講義の時間ですよ。今日は魔法陣についてお教えしましょう。さて、今の内にお茶でも準備してきますか」
こうして勇者の魔法の授業の時間が過ぎて行く。
「……このように詠唱魔法は瞬間的な魔法、魔法陣は持続的な魔法として使い分けられます。
では時間ですので今日の講義はここまでにしましょう。」
「はーい」
「ご教授ありがとうございました」
二人の生徒がペコリと頭を下げる。
そこに凛とした涼やかな女性の声が届いた。
「邪魔をする。しっかり励んでおったか、坊や」
その途端、勇者はぱっと顔を明るくし、急いでカバンに持ち物を突っ込んで声のした方向へ駆け寄る。
「師匠、師匠! 修行にいくぞ!」
「わかったわかった。だからそんなに引っ張るでない」
「あのな、今日は初めて魔法陣を作ったんだぜ!」
「ほほう。ちゃんと図形は描けたのか?」
「う……いや、ちょっとゆがんでたけど。でも! ちゃんと魔法の結界はできたぞ! ……ほんのちょっとの間だけだったけど」
「ははは。良い良い。失敗もまた経験じゃ。それよりもっと坊やの話を聞かせておくれ」
「あ、ああ! それでな――」
今までの講義の時間の苦い顔もどこへやら。
勇者は隠そうともしない喜色満面の元気な笑顔でエリエルの手を引いている。
それは決してフレアには向けられないものだった。
エリエルもまたそんな勇者に楽しそうな表情を浮かべ、優しく受け止めていた。
「いやぁ。ノヴァ君は分かりやすいですねえ。やっぱり男の子が頑張るのは好きな人にいい格好をしたいからですよね」
「……ふん。まったく、子供ね」
そんなはしゃぐ勇者を魔法使いは温かく、先輩はどこか不満気に或いは呆れたようにそれぞれ見送っていた。
☆☆☆☆☆
ある講義の日。
「すいませんが今日は少々急用ができてしまい、講義ができなくなりました。
お二人には申し訳ありませんが、本日は休講ということで。また別の日に授業を行いましょう」
「ええ、マジかよー。風の魔法すげー楽しみだったのに」
「……先生、もしかして今朝の正門に現れた不審なモンスターの群れの件ですか」
「もう王女様の耳に入ってらっしゃいましたか……ええ、その通りです。これからしばらく魔物避けの魔法陣を強化するよう上から通達がきました」
「それでしたら仕方ありませんわね。分かりましたわ」
バツの悪そうにしていた初老の魔法使いは、何かを思いついたように手を叩いた。
「そうだ。折角ですからお二人で街に繰り出してはいかがですかな。お小遣いは私が出しましょう。ほんのお詫びです」
「ええー。フレアとー?」
「あら、照れ隠しかしら。まあそれも仕方ないわね。この私と一緒に行くのです、光栄に思いなさい。
あとあなたはもうちょっと処世術を覚えなさい」
「ははは。ノヴァ君はもうちょっとフレア様に柔らかく接してあげなさい。もう今ではそう嫌ってはいないのでしょう。とはいえ、何のキッカケも無しに今までの態度を変えることは難しいですか。難儀なお年頃ですねえ」
「せ、先生。勝手な事言うなよ! ぼくはそんな……」
「先生。私は構いませんわ。彼とはあくまで後輩でしかありませんから」
「う……」
勇者が苦虫を噛み潰したような顔をして、咄嗟に目を逸らす。
フレアはあくまで涼しい顔をしていた。
そんな二人を前に、魔法使いは少しだけ困ったように小さく笑った。
「さあさ、ノヴァ君はちゃんとフレア様をエスコートしてあげてくださいね。紳士の嗜みですよ。いいですね、フレア様は女の子なんですから、ノヴァ君が守ってあげないと。
ノヴァ君も悪口をそばで言われ続けると嫌な気持ちになるでしょう。二人で出かけている間はフレア様に優しくしてあげてください。お願いします」
「わ、分かったよ」
「よろしい。中心部ではちょっとしたお祭りがあってるので、お二人でそちらを見てくるといいですよ」
そうして勇者は渋々とした様子で、フレアはすました顔で街へと繰り出した。




