side:悪役令嬢はついに立ち上がる(あれぇ!? なんか違う!)
一般生徒や下級貴族出身の生徒には『学園内の一斉清掃のため全校休講』。一部の高位貴族の子弟子女には『学園の地下構造に崩落の兆候が見られるため調査を行うため』という、あながち嘘ではないけれど完全に本当の事でもない告知がなされ、思いがけない休暇となったその日。
事実を知らない一般生徒は額面通りに受け取って、ある者は実家に戻って骨休めをし、また寮住まいで実家が遠い者は学園が用意したホテルや宿泊施設へ移動して、ちょっとした旅行気分で気楽に休暇を楽しみ、一部の高位貴族とその取巻きである中級貴族の令息たちは、集まって学園の危機管理能力の甘さに憤慨したり、益体もない議論を交わして悦に耽っていたのだった。
対照的に御令嬢たちは、その点肝が据わっているというか、ある意味貴族的な鈍感さを発揮して、
「問題があればそれに対応できる者が解決するものでしょう」
と、学園の危機にもあくまで他人事というスタンスで割り切って、各自が思い思いに歌劇や買い物、または集まってティーパーティを主催・参加すべく、小躍りして思いがけない休暇を満喫する光景が、王都のあちこちで散見できるのだった。
さて、そうした貴族たちの頂点。王家を除外した(ある意味王家を含めても)オルヴィエール統一王国を実行支配する五公爵家の筆頭ジェラルディエール公爵家の御令嬢、アドリエンヌ・セリア・ジェラルディエールはいま現在、学園の裏門が見える場所に停めてある愛用の四頭立ての箱型馬車の寝台に座って、周りの気楽な乱痴気騒ぎを尻目に悩んでいた。それはもう深く静かに……。
(……どうしたものかしらねー)
今回の学園の封鎖騒ぎの真相――学園の地下迷宮の調査のため。という情報は同じく非常時の地下通路の使用を許可されているジェラルディエール公爵家には、かなり正確に伝えられていた――その上で、さらに真の目的である、
「危機的状況でオデット様とアドルフ様との仲の修復を図りますわ。危険な状況で心を通い合わせる、いわゆる『吊り橋効果』ですわね。ついでに狭い場所でお互いを身近に感じることによる『単純接触効果』も期待していますわ!」
とのオリオール家の養女であるルネの目的も聞かせられている。
正直、そんなに上手く行くのかしら……? と、疑問を持たざるを得ないが、さりとて現状では日々朝顔のように萎れていくオデットの様子を見るのも忍びない。
それで藁にもすがる思いで、元凶であるアドルフを含め、業腹ながらアドリエンヌも一目置かずにいられないルネの義兄であり、オリオール公爵家の嫡男であるロラン・ヴァレリー・オリオールへ誠心誠意お願いをして――ロラン当人にとっては、あれは脅迫と強要でしかなったが。基本的に貴族社会で、紳士が淑女の『お願い』を無下に断るというのは卑怯、怯懦な唾棄すべき行いと見なされる(淑女の願いとはいえ、さすがに〈ラスベル百貨店〉の屋上から飛び降りろというような無茶なものは論外だが)――ふたりを取り持ってくれるように働きかけた。
その結果が、なにがどうしたわけか王立学園をひっくり返す騒ぎとなれば、さすがにのほほーんと他の御令嬢のように太平楽には構えていられない。
この場にいるのは、せめて首尾をこの目で一目でも見ようと思い立ったのがひとつ。
自分は自分でやることがあるのでは、と思い立ったのがもうひとつの理由である。
さきほど黒塗りの高級馬車――サスペンションと懸架装置が付いた、庶民には一生縁のない代物――が、人目をはばかる様に何台も入っていくのを見た。
あの中にロラン公子やオデット、アドルフなどが乗っていたのだろう。
こうなってはアドリエンヌにも手が出せない。後の首尾はロラン公子に任せるしかないだろう。
(手放しでは信用できないけれど……)
もともと妄信的にロランを信奉しているルネや、〈ラスベル百貨店〉の一件以来のファンである自身の側仕えメイドのソフィアはもとより、最近やけに彼の肩を持つようになったラスベード伯爵家のエディットや、ラヴァンディエ辺境伯家のベルナデットの擁護もあるとはいえ、(婚約者の自分が言うのもなんだけれど)所詮はあのエドワードの腹心である。最近は妙に愛想がいいとこも、正直裏がありそうで得体が知れない……というのがアドリエンヌのロランに対する評価であった。
とはいえロランが約束を守ってくれたのは確かである。
ならば次は自分の番だ。
自分ができること……といっても大したことではない。エドワードとその取巻きたちが夢中になっている意中の相手――チェスティ男爵家の御令嬢クリステル・リータ・チェスティとの和解(?)である。
いや、和解というのも変な話だ。
そもそもアドリエンヌは彼女と直接の接点が皆無であるので、名目上はまったくの第三者同士ということになる。
ただ単にアドリエンヌの(非常に不本意ながら)名目上の婚約者であるエドワード第一王子が恋慕して、周りが勝手に対立構造を煽っているだけのことで、ハッキリ言ってアドリエンヌ自身はクリステル自身に含むところも、興味もまったくなかった。
ついでに付け加えると、エドワードに対しても個人的な興味は欠片もない。『親の決めた婚約者』『第一王子』『次の国王』という肩書と将来性があるため、いまのまま国の舵取りを任せたら大変なことになる……との危機感と五公爵家筆頭としての使命感から、現在の地位に甘んじているだけのことである。
だからまあ、将来的にアドリエンヌが正室に収まった後、エドワードがクリステルを側妃に迎えたいというのなら「どうぞご勝手に」と受け入れる用意もあるし、万が一にも――というか、すでにエドワードの馬鹿が国王陛下に直訴して、一蹴されたとの噂は〈影〉経由で耳に入っている――自分との婚約を無効にしたいというなら、「望むところよ!」と啖呵を切る覚悟もしている。
まあ、貴族社会の力関係や軋轢もあるので、どんな底抜けの馬鹿でも国王陛下や枢密院が後押しをしている王家とジェラルディエール公爵家との婚約を、無理やり破棄するような自爆に等しい暴挙を断行するわけはないだろうけれど――なお、この十五年後アドリエンヌがしたためた手記の中で『当時の私は馬鹿を見る目が甘かった』と述懐している――なにはともあれ、多くは期待しないので、最低限ジェラルディエール公爵家を形の上でも立ててくれば、あとはどうでもいいというのがアドリエンヌの婚約者であるエドワードに対する認識だった。
ところが、なぜかその程度の要望が巡り巡って、エドワードを間に置いてクリステルを不快に思っている……と、超解釈されているのだからたまったものではない。
この場合の『たまったものではない』のは、クリステルとアドリエンヌ双方にとってである。
貴族の最高峰で、王族でもあるアドリエンヌと、吹けば飛ぶような男爵家の妾腹の娘であるクリステルの立場を考えれば、アドリエンヌの不興を買った……となった瞬間に、一族郎党首をくくっていてもおかしくはない。
いまのところアドリエンヌが徹底的に眼中にないそぶりを見せていることと、エドワードを筆頭とした学園の男子生徒が睨みを利かせているお陰で、表立ってクリステルを糾弾する動きはないが、それでも水面下では女子生徒を中心に排斥しようという動きが見え隠れする。
そういった詳細まではアドリエンヌも把握していないが――というか、基本そういうノリは苦手なのだ――例えれば、男子のイジメが顔面を渾身の力で殴打するのに対して、女子のそれは徹底的にボディを抉る感じになるのは想像がつくものだから、標的になったクリステルはたまったものではないだろう。
それでもへこたれない鋼のメンタルとヒュドラ(焼かない限り不死身の怪物)並みの厚かましさで、エドワードとその取巻きに媚を売って、アドリエンヌを貶めるというのなら――実際学園の女子生徒の認識はそうである――正面切ってクリステルと徹底抗戦も辞さない覚悟ではあるのだが(嫉妬ではなく、あくまで馬鹿王子の手綱を握って、どちらに主導権があるのか先に躾けるために)、
(本人が全然望まない立場で、あのバカどものせいでストレス溜めまくっているって知っては、とうてい看過できないわ。ある意味、同じ被害者の立場なんだし……)
アドリエンヌだけが知っているクリステルの秘密――本人も現在の立場がまったく本意ではなく、周囲の風当たりの強さに耐え忍び、苦しんでそれでもギリギリのところで健気に平静を装って生きている――その事実を知っては無視することも、まして敵対することなどできるわけがない。
とはいえ表立ってアドリエンヌがクリステルを擁護するわけにはいかない現状だ。
ジェラルディエール公爵家の息女という社会的な立場上、アドリエンヌが特定個人を訳もなく贔屓をするわけにはいかない。
個人的なつながりでもあるのなら別だが、立場上、目上の者から目下の者に声をかけるわけにはいかず、また、当然ながら不倶戴天の敵――混ぜるな危険――とみなされているアドリエンヌとクリステルとの仲を取り持つ御令嬢などがいるわけがない(というかクリステルと個人的な親交のある貴族の令嬢など皆無である)。
ロランやその周辺の人間に頼めば可能かも知れないけれど、そこまで全幅の信頼を寄せられないし、同格の貴族同士の場合は貸し借りが後々致命傷になる可能性もあるので避けるべきだ(今回のオデットとアドルフとの仲立ちは、ロランがオデットに失礼を働いた分の補填という意味で、帳消しになっている)。
そうなると残る手段はただ一つ。
偶然を装ってクリステルと接点を持つ以外に方法はないだろう。
幸いにも、今回の学園閉鎖に伴ってクリステルもしばし学園の女子寮から一時退居する羽目になったのだが、父親のいる王都内のチェスティ男爵家ではなく、学園の施設である郊外の別荘へ移る予定……それも、旅費を押さえるために女子寮の寮母の口利きで、とある商人のキャラバンに便乗させてもらうとの調べはついていた。
そのキャラバンの集合場所まで徒歩で行くつもりでいるのは明らかであるから、チャンスはいましかない。
手はずはこうだ。
まずもの影に隠れて準備万端出番を待っているメイドのソフィアが、偶然を装ってクリステルとぶつかる。
お互いに尻もちを搗くふたり。
「と、目敏く馬車の中からそれを見とがめた風の私が、『ソフィアっ。なにをやっているのよ、ちゃんと前を向いていないと危ないじゃないの。まあ、忘れ物を取りに行かせた私も悪いんだけれど……』。そういって自然な動作で馬車から降りるのよ」
馬車の中で手順を想定し、展開予想をするアドリエンヌ。
「『大丈夫? 怪我はない? 大丈夫みたいね。ぶつかった貴女も――あら? もしかして貴女は学園の生徒かしら? そうだとすれば改めて謝罪しますわ。私が原因でとんだことになってしまって……怪我の治療や衣装の洗濯代などがあれば、可能な限り補償するわ』――あ、もしかすると擦り傷とかあるかも知れないから、さりげなくハンカチを渡した方が好意を得られやすいわよね」
右のポケットに絹のハンカチが入っているのを確認して、ほっと安堵の吐息を放ったアドリエンヌだが、思った以上に緊張しているのか、普段と違ってスムーズにハンカチを取り出せない。
普段は自然な長手袋が、今回に限ってはどうにも鬱陶しく感じられたので、外して素手でハンカチを取り出すと今度は上手くいった。
「不確定要素は排除すべきよね。今回は素手で行きましょう」
そう決めて、アドリエンヌは脱いだ長手袋を半ば無意識に左のポケットに入れる。
「あと、乗合馬車にも乗れないみたいだから、気持ちとして金貨の二三枚も誠意として渡すべきね。当然、『困ります、こんな大金をいただくわけには……』とか遠慮するだろうけど、『貰ってもらわないと、私の気が収まらないから黙って受け取って』と、ちょっと強引にでも渡すべきだわ」
思いついたので従者に言いつけて金貨を三枚ほど借りて、忘れないように畳んだ羽扇子と一緒に握っておくアドリエンヌ。
「それと名前を名乗った方がいいかしら? 聞かれるかも知れないけど、今回はあくまでお互いに偶然の接点から縁が生まれる……って風にして、さり気なく無難にやり過ごして、後々学園で顔を合わせた時に、『あら? 貴女は……?』と、まったく先入観なしに偶然知り合った形にしたいので、今回は踏み込まないようにした方がいいわね」
最後に『ふふっ、ではごめんあそばせ』と颯爽と別れるところまでシュミレーションをして、完璧だと自画自賛をするアドリエンヌ。
この場にルネか旧知のルシール嬢でもいれば、即座にツッコミが入ったであろう穴だらけの計画を前に悦に耽る、いまいち人間関係に疎くて大雑把な公女様であった。
と――。
ヤキモキして待っていたアドリエンヌの視界に、粗末な普段着を着た銀髪の華奢な少女が、周囲を気にしながら裏門から出てくる様子が映った。
(――きたわ!)
目当ての人物の登場に、柄にもなく心臓が高鳴り緊張のあまりはしたなくもつばを飲み込むアドリエンヌ。
それから所定の位置に待機しているメイド服を着たソフィアに目配せをすると、
「ついにこの時が来たのですね。任せてくださいお嬢様! お嬢様のためなら不肖このソフィア、命のひとつふたつ獲って御覧に入れますっ!」
「……いえ。そこまで入れ込む必要はないから。不自然にならないように、軽くお互いに尻もちをつくくらいにぶつかるように心がけてくれれば」
「つまり最低でも相打ちで斃せ……と」
「……。……気のせいかしら、『倒す』の意味が違うように聞こえるのだけれど?」
と、最初から今回の任務に妙に前向きだった彼女が、コクンと頷いて了解の意思を示した。
そうして、銀髪の美少女――クリステルが真っ直ぐ歩いているのを確認すると同時に、ソフィアはスカートを膝のあたりまでたくし上げて、思いっきり助走をつけて、
「――とうっ!!」
一直線に体当たりをかますのだった。
「へ? ――ひゃああっ?!」
突然のことに目を丸くして驚いたクリステルだが、直前にソフィアが掛け声をかけたため、反射的に身を仰け反らせたお陰で間一髪でこれを避けることに成功した。
ただし、目の前で突然メイドがスライディングしながら地面に五体投地するという超常現象……これを前にして、呆然と立ちすくむ結果となる。
慌てて馬車から飛び降りるアドリエンヌ。
「ソフィア。ナニヲヤッテイルノヨ、チャント前ヲ向イテイナイト危ナイジャナイノ。マア、忘レ物ヲ取リニ行カセタ私モ悪インダケレド」
超不自然な棒読みのまま、手足が左右同時で油の切れたブリキの玩具のように、ギシギシと音がしそうな動きで、クリステルたちのほうへ近寄って行く。
「(うわあ~~~~~~~っ……)」
いろいろな意味で声にならない声を張り上げるクリステル。
メイドが倒れ伏したあたりから、何事かと通行人が立ち止まって注目しているが、まったく眼中にない様子でアドリエンヌは、事前の台本通りに続ける。
「大丈夫? 怪我ハナイ?」
「体全面がすんごい痛いです……」
「大丈夫ミタイネ」
「「「「「「いややいやいやいや!」」」」」」
一瞥もくれずに勝手な判断を下すアドリエンヌに、無関係な通行人が一斉に否定をするも、彼女の頭の中には、
(えーと、次は……そうそうハンカチを渡して、治療費を多少強引に握らせるのよね!)
という次の手順しかない。
「ぶつかった貴女――あら? もしかして貴女は!?」
びくりと肩を震わせるクリステル。学園の生徒で目の前の華やかな姫君が誰か知らないわけがない。そうして、お互いの関係が最悪のものであるのは周知の事実である。
だから、驚いたように目を見開いたアドリエンヌに、思いがけずに対峙したクリステルは、ついに糾弾……最低でも当てつけの嫌味を言われるくらいは覚悟していた。
だが、その彼女をしても、次のアドリエンヌの行動は予想をはるかに上回るものであった。
「怪我をしているじゃない! なんてこと――!!」
メイドが怪我をしたのはクリステルのせいだ、と言わんばかりの口調で捲し立てて、その左ポケットから取り出した長手袋を、無造作にクリステルの顔面目掛けて投げてよこした。
「「「「「「「!?!」」」」」」」
貴族の淑女が同じ貴族に手袋を投げる。すなわち決闘の申し込み! その意味を知らない者などいない。
息を飲む野次馬とクリステル当人。
さらに続けて、クリステルの足元に金貨が数枚投げられた。
「迷惑料よ。せいぜいその貧相な見た目と足代にしておきなさい。ああ、学園が始まったらよろしくね。――ま、いちいち私の名前を名乗ることなんてないでしょうけれど」
お前如きは眼中にない――と言わんばかりの嘲笑を浮かべて、そう言うだけ言うとクリステルの返事も待たずに、くるりと踵を返すアドリエンヌ。
どうにかヨロヨロと立ち上がったメイドのソフィアが追いすがる。
待たせてあった懸架装置付きの馬車にふたりで乗り込む際、
「だ、大丈夫だったかしら? なんだか途中から頭がいっぱいいっぱいで手順があやふやになっちゃったけど、上手く行ったかしら?」
「ばっちりですよ、お嬢様! 完璧です!」
自信なげに確認しているアドリエンヌと、絶賛しているソフィアの声が途切れ途切れにクリステルの耳に届いた。
やがて発車して遠くなっていく馬車と、関わり合いを恐れて、ヒソヒソと噂話をしながらその場を後にする通行人たち。
呆然自失のまま馬車の背を見送って目を落としたクリステルの視界に、地面に落ちたままの手袋と金貨が映る。
「あ……あああああああああああああああっ!!!」
改めていま起きたことを理解した彼女は、がっくりとその場に両膝を突いて、これ以上ないという絶望に染まった慟哭を全身で放つのだった。