学園地下迷宮の咆哮(呉越同舟なんてもんじゃない)
おまたせしました。
「学園の地下迷宮の安全確認だと?」
なんだそれは? と、言わんばかりのエドワード第一王子のいぶかし気な問いかけに、
「はい。殿下もここ王立学園の前身が、約七百年前に建造された当時の宮殿のひとつであり、その地下に《ダイダラ迷宮》が存在することは、ご存知でらっしゃると思いますが」
「――うむ。当然だな」
微かに目が泳いでいる。忘れていたか、入学当時に王族にだけ代々口伝で伝えられる、いざという場合の隠し通路の説明を最初から聞いていなかったかのどちらかだろう。
即座にそう看破した僕だけれど、ここは王子の取巻き筆頭Aとして、知らない態度で忖度するのが節度ある紳士の態度というものだ。
ちなみに学園の地下に迷宮があることは割と周知の事実なのだが、具体的な出入り口や解明されているルート、後から宮廷魔術師などが施した封印の位置や解除方法など、ある程度の情報を開示されているのは、学園の理事長や学園長、警備主任と一部教授の他は在学生では、王族であるエドワード第一王子と五公爵家の本家直系である僕、アドリエンヌ嬢、そして意外なことにショーソンニエル侯爵家のご息女であるオデット嬢もこれに一枚噛んでいる。
「言い伝えでは地下九層まで存在する《ダイダラ迷宮》は、かつて『大いなる厄災』とも呼ばれる存在を封印したと文献にはございますが、それがいかなるものであったのかは、残念ながら不明でございます。強大な魔族、あるいは疫病の類を患者ごと隔離した施設ではないか……というのが通説ですが、いずれもしても七百年もあれば無害化されているでしょう」
「ふん。魔族だなどといっても寿命は人間とさほど変わらんからな」
小ばかにしたように鼻を鳴らすエドワード第一王子。
いや、古代の純血魔族には寿命が千歳とか二千歳とか、普通にゴロゴロいたらしいんだけどね。いまの魔族は人間との混血化が進んで劣化したけど。
アホォ王子には安全性を強調するために黙っているけれど、ドラゴン種なんて理論上寿命がないらしいから(だから昔の人間はドラゴンの血を飲めば不老不死になれるとか、不死身になれるとかの迷信に従って、どんどこドラゴンを殺しまくった)、仮に封印されていたのが古代の純血魔族やドラゴン種だった場合には、まだ現役で、地下迷宮内を徘徊している可能性がある。
そんな内心はおくびにも出さずに、追従の笑みを浮かべる僕。
「まったくもってその通りでございます、殿下」魔族も人間も変わらないよ。「その《ダイダラ迷宮》でございますが、現在地下一階に関しましてはほぼ全域の詳細なマッピングが完了しております」
「ああ、聞いたことがありますね。確か、地下二階も半分ほどは探索されており、ある程度の安全性も確認されていることから、王族専用の隠し通路や非常時の地下壕として使えるようになっている――とか」
トレードマークの銀縁眼鏡のブリッジを指先で、クイッと修正しながらエストルが訳知り顔で僕らの会話にしゃしゃり出てきた。
王子と公子の会話中に横から口を挟むなど、公式な場なら途轍もないマナー違反だが、一応は学園の規則の名のもとに生徒が平等であることが謳われる学園内であり、なおかつお互いに気心が知れたサロン仲間たち――という名目で円卓を囲んでいる王子と取巻きたち――であるので、この場でそんな野暮なことを口に出す者はいない。
とはいえある程度、暗黙の了解もあり――例えばクリステル嬢に対する紳士協定とか――こういう場合、口を挟めるのは、取巻きのNo.Ⅲであり、なおかつ話す相手は王子ではなく、僕のほうというのが通例だ。
今回、話しかけてきたのが僕に対して……というのはまあ良いけれど、それが、いままでのNo.Ⅲであったドミニクではなく、エストルであるところに見えないパワーバランスの変動が垣間見える。
ちらりと円卓の取巻きメンバーの表情を窺ってみれば、元No.Ⅲであったドミニクは苦々しい顔で沈黙を保ち。アドルフはどっちつかずの困惑した表情で、周りの反応を見回し、マクシミリアンはうんうんと頷いてエストルの言葉に同意を示し、半分客分であるガブリエルは面白そうに妖艶な笑みを浮かべて一同の反応を眺めていた。
う~~ん。含むものはあるけれど、表立って不和を声高に喧伝する段階ではない。もしくは、エストルが僕とエドワード第一王子以外に多数派工作を仕掛けている最中……ってところか? 僕に工作を仕掛けてこないのは、誰かに止められているのか、エドワード第一王子同様に事後承諾でも構わないと能天気に構えていると、甘く見られているのか。さてどちらかな……。
てか、このサロン。僕が何もしなくても、内部から自然崩壊するんじゃなかろうか? と、近頃とみに利害関係が衝突するようになった面々を前にして、そう懸念(あるいは安堵)を抱く。
まあ、エドワード第一王子がこれでなぜか求心力だけはあるから、そうはならないだろうけど。
僕は余裕を持った表情でエストルに向き直る。
「さすがによくご存じですね。しかしながら、それは虚偽の情報であり、実際のところは地下三階のほとんどと四階のごく一部が制覇され、詳細が解明されています。地下二階にあるのは王族とその関係者しか知らない罠であり、真の隠し通路と隠し部屋は地下三階にあるのですよ。――当然この話はこの場だけの内密の話として、皆さんの胸に仕舞っておいていただきたいのですが」
途端、「お~~~っ!」という感嘆と納得の声が上がった。
いや、エドワード第一王子。あなたまで驚いた顔をしないでください。無知なのがバレバレですよ!
「なるほど、貴人として当然の用心ですね。そのような国家機密に当たる重要な情報を、信頼の証として我らに開示していただくとは光栄の至り。でございますが――」
貴族というのは『世界にここだけ』『一部の者だけしか知らない』などの言葉に非常に弱い。
王族だけが知る秘密を共有したことで、満更でもなさそうな表情で口元を緩めるエストルは、そう遜りながら、ちらりと胡乱な視線を海外からの留学生であるガブリエルに向ける真似をした。
要するにそんな情報を潜在的な敵国からの留学生であるガブリエルの前で話すのは、軽率ではないかと言いたいのだろう。
「……勿論、本来は軽々しく口外すべき事柄ではありませんが、我らはエドワード殿下を支える同志でありますから、必要な情報は共有すべきでしょう。それに、《ダイダラ迷宮》全階層は、ここ首都アエテルニタ全体にも匹敵する広大なもの。口頭で聞いたところでどうなるものでもありません」
それにこの場で黙っていたって、エドワード第一王子辺りがポロっと、後で言っちゃいそうだし、それなら半端な情報を与えるよりも、目の前できちんと手札をさらした方が、この相手にはマシに思えるんだよね。
あと、実のところ《ダイダラ迷宮》で解明されているのは、地下三階どころか地下四階までのほとんどのフロアであり、王族の専用通路、階段があるのも地下三階から地下四階にかけてで、隠し部屋に至っては地下四階から古代の昇降機を使って、また昇った先の地下一階にあるんだよねえ。
なんぼなんでも馬鹿正直に、王族以外に秘密を暴露するわけないだろう。ま、この場での唯一の懸念材料は、エドワード第一王子の迂闊な発言だったのだけれど、発言以前にぜんぜん覚えていないほどアホだったお陰で助かった。良かったこの人馬鹿で。
なるほど、と全員が納得したところで(当のガブリエルはニヤニヤと腹の底の見えないアルカイックスマイルを浮かべたまま)、僕は説明の続きを口にした。
「さて、いまの段階ではまだ明確ではございませんが、この《ダイダラ迷宮》に近頃異変が起きているとの情報が上がってきております。具体的には、地下にいた小型の魔物が何かに怯えるように地上へ現れる。細かな振動。そして床に耳を当てると聞こえる何かの咆哮のようなおぞましい音です」
このあたりの情報は、学園の魔物について細かく観察し、また用務員である家妖精とも懇意であるエディット嬢が先日口に出したものだ。
「考えたくはありませんが、《ダイダラ迷宮》に封じられているという『大いなる厄災』に関係があるのでは……仮に違っていたとしても、殿下の在学中にそのような風評が立つこと自体が問題です。場合のよってはこれを瑕疵として、エドワード殿下の失点ととらえられる可能性がございます」
「むうっ!?」
途端、それまでどこか他人事として話を聞き流していたエドワード第一王子が、にわかに身を乗り出してきた。
わかりやすい男だ。
「――まずいな」
「はい。可及的速やかに懸念を払拭すべきかと愚行いたします」
つーか、仮に《ダイダラ迷宮》の封印に変調があったとすれば、原因は間違いなく僕が以前にやっちまった〈神剣ベルグランデ〉のせいだろう。
バレないうちになんとかしないと本気でマズい。
「「「「「う~~~む……」」」」」
多分、僕が気付いたみたいに、あの場にいなかったガブリエル以外の全員が気付いたのだろう。
困ったように、呻吟しながらちらちらと実際に〈神剣〉を使った僕と、許可を出したエドワード第一王子を見比べている。
「……それで安全確認というわけか。確かにロランなら適役だろうが。さすがにひとりというわけには」
「そのことなのですが、学園長に相談したところ、地下通路の使用に関しては、国王陛下と代々施設を管理しているショーソンニエル侯爵家ご当主の許可があれば、僕であれば問題はないとのでしたので、厚かましいお願いで申し訳ございませんが、殿下にお口添えできないかと……」
「なるほど。可能であれば近衛騎士団からも何人かつけさせよう。アドルフ、お前からもハロルド騎士団長殿に言っておけ」
「は、はあ……」
エドワード第一王子に急に話を振られたアドルフは、自信なげな様子で大きな体を小さくした。
実の息子であるからこそ、そうした馴れ合いを好まない親衛騎士団長〈剣豪〉ハロルド様の気難しさをよくわかっているのだろう。
「ああいえ、お気持ちはありがたいのですが、真っ当な戦い方を是とする近衛騎士は、迷宮の罠などを不得意とされているでしょうから、できれば僕の子飼いの〈影〉を連れて行きたいのですが」
「ふむ。噂に名高いクヮリヤート一族か。わかった配慮しよう」
鷹揚に頷くエドワード第一王子。態度だけ見ていると有能そうに見えるんだけどなあ。
それから僕は改めてアドルフのほうを向いた。
「それよりも、アドルフにはショーソンニエル侯爵家ご当主との折衝をお願いしたい。気が進まないだろうけれど、許婚であるオデット嬢に仲立ちを頼めば、間違いなく侯爵の許可は下りるだろうからね」
「――そ、それは……!」
途端にこの世の終わりのような顔で絶句するアドルフ。
「おい、ロラン。それはいくら何でも……」
「ええ、ひどく嫌な役目であるのは重々承知しております。ですが、どうせ三ヶ月後には婚約破棄をして他人になる間柄です。せいぜいいまのうちに利用したほうが利口というものでしょう」
自分に顧みてアドリエンヌ嬢に節を曲げて頼みごとをする様子を想像したのだろう。苦い顔で窘めようとするエドワード第一王子に、せいぜい酷薄な表情を浮かべて言い聞かせる。
「なるほどっ。確かにその通りでござますね!」
すぐさまそれに追従してきたのはエストルである。こちらは逆に僕を見直したという表情で、それはもう満面の笑みで賛成に回った。
こうなればもはやアドルフに拒否権は存在しない。
「……わかりました」
蚊の鳴くような声で、ガックリと項垂れるように首肯するのだった。
すまん、アドルフ。これも出来レースなんだ。ショーソンニエル侯とはすでに話し済みで許可は得てあるんだ。ただ僕も予想外だったのは、
「どうも最近、アドルフ君に我が最愛の娘に対する愛情が薄らいだように感じて止まないのですよ、公子。お話はわかりました。では、許可する条件と言ってはなんですが、アドルフ君の本気度を測るために、その探索に娘も同行させることをお願いしたい」
「え(あのドンくさい御令嬢を)⁉」
「その護衛にアドルフ君を付けるように、私のほうからハロルドに話しておくので、ひとつよろしくお頼いいたします。まあ、神剣の勇者であるロラン様が一緒であれば、まさか娘に傷一つつけることなどないでしょうが。――いや、失敬。当然過ぎることでしたな。ワハハハハハハハハッ!!」
「はははは(いや、無理! 何にもないところですっ転ぶお嬢さんなんだから!)……」
ショーソンニエル侯、まったく目が笑っていなかったのは言うまでもない。
ルネたちは、
「またとない好機ですわっ! 極限状態が生む愛! 理想的なつり橋効果というものです!」
と、能天気に盛り上がっていたけれど。
先行きを思って頭と胃が痛くなる僕に向かって、これまで無言を貫いていたガブリエルが、何気ない口調でさらに爆弾を落としてきた。
「《ダイダラ迷宮》深層へ降りるのであれば、ボクもご一緒できないでしょうか? 魔術を探求する者として、おおいに興味があるのですが……」
「いや、それはさすがに――」
咄嗟に断ろうとした僕の機先を制する形で、ガブリエルはにこやかに第二の爆弾を落とす。
「ボクはかなりお役に立てると思いますよ。それに、どうもこの国では散逸して文献が残されていないようですが、我が国には《ダイダラ迷宮》に封じられた『大いなる厄災』について、ほのめかされた記載がございます」
「「「「「「なっ……!?!」」」」」
思いがけない言葉に全員の視線がガブリエルに集中する。
一同の注目を浴びる中、ガブリエルはあっさりとその名を口に出した。
「――〈魔獣ボゲードン〉。かつて数多の都市を灰燼に帰した。人類を滅ぼすために魔族が造り上げた最悪の生物兵器ですよ」