失神御令嬢はいろいろと残念な子でした(でもこれが御令嬢平均値)
さて、我が家での会議が終わった翌日、どんな伝手を使ったものか――まあ、普通に招待状を出したのだろう――もっとも、送り主がオリオール公爵家令嬢ルネ。公爵家に次ぐ家格であるラヴァンディエ辺境伯家次期女領主ベルナデット嬢。統一帝国随一の富豪ラスベード伯爵家令嬢エディット嬢の連名とあれば無視することなどできるわけがない。
そんなわけで、渦中の御令嬢であるショーソンニエル侯爵家の御息女にして、アドルフの許嫁であるオデット嬢が、セリにかけられるため馬喰に連れてこられた仔牛のように、オドオドと落ち着かない風情で我が家の門を潜ったのだった。
「……どうなることやら」
二階の窓から目をすがめてその様子を眺めていた僕は、誰に言うともなくそう独りごちる。
『とにかく、いったんふたりの距離を離すのが先決ですわ!』
と、昨日熱弁を振るっていたルネの台詞がよみがえる。
『さきほどもお話ししましたように、醒めた恋人相手に一方的に好意を示していては余計に鬱陶しがられるだけでなく、無駄に軽んじられる原因となります。本来なら、カルバンティエ子爵家程度の家格であれば、オデット様の靴の裏を舐めてでも取りすがらなければならないと言うのに』
腹立ちまぎれのルネの発言は極端だけれど、実際のところ貴族社会では貴族の最高位である侯爵家と、中~下級貴族である子爵家ではその程度の差があるのは厳然たる事実である。
まして、ショーソンニエル侯爵家とカルバンティエ子爵家は、寄親・寄子の関係であるのでなおさらだ。
ちなみにうちを含めた公爵家は、大なり小なり血統的伝統的に王家と関係が深いため、厳密には貴族ではなくて王族のカテゴリーに入る。だから僕も例えば海外に行った場合には、公式には『プリンス・ロラン』と呼称されるのだ。
ま、立場的には王家に臣従している分家の一族といったところなので、貴族とも王族ともつかない曖昧な身分なのだけれどね。
ついでに付け加えると、我がオルヴィエール統一王国は最古にして最大の貴族国家。貴族の本家という自負があるので、他国の王侯貴族をワンランク下の田舎者と見下す部分があるし、それを強要しているのも確かである。
実際、例えば同じ伯爵でも、公の場ではオルヴィエール統一王国の伯爵の方が上座に座るのが当然となる。公爵なら他国の国王と同格って感じだね。
そのためミネラ公国からの留学生であるガブリエルも、故国では伯爵家とはいえ我が国では子爵とほぼ同格と見なされる。ま、あの見た目で半分ゲストという感じなので、多少はひいき目で見られるとは思うけど。
それはさておき僕の胸中で、ルネの熱弁が続く。
『とは言えオデット様の妄執……熱愛は生半なものではございません。また今回は非常に不本意ながら、冷えた恋人の仲を取り持つという目的のために、素敵お義兄様の魅力でオデット様をオトすというわけにも参りません』
なにげに僕を女性に見境のない色魔のようにディスる義妹。
『まあ〝馬は馬連れ、鹿は鹿連れ”とも申しますし(意味としては『割れ鍋に綴じ蓋』と同じで、『馬には馬が、鹿には鹿が似合っている』ということ)、それなりにお似合いのふたりだと思いますから、それに関しては不満はございませんが……』
ついでに返す刀でアドルフとオデット嬢のふたりを暗に馬鹿呼ばわりする。
『まずはオデット様の興味を別な方向に誘導いたしましょう! そもそもひとりでウジウジしているのが問題なのですわ。と言うことで、何か没頭できるような趣味にお誘いしようかと思っておりますので、女は女同士、お義兄様はしばらくご静観願いたいのですが』
それはいいけど、とことん恋愛脳で見るからに嫋やかなオデット嬢に、いまさら没頭できるようなそんな都合のいい趣味とかあるのかな?
と、懐疑的な僕に対して、ルネは自信満々で言い切った。
『うってつけの趣味がございます。それは――』
それは?
『それは……二次元に恋することですわっ!』
…………。
本当にそんなので上手く行くのだろうか? 一抹……どころではない不安に苛まれるけれど、すでに賽は振られた。後はなる様になるだけだ。
ルネたちを信じて待つだけ――
「きゃああああああああああああああっ!! オデット様が鼻血を吹いて卒倒を!」
五分もしないうちにエディット嬢の魂消る悲鳴が階下から響いてきた。
「衛生兵っ! 衛生兵っ! 頭を高くして下手に動かさないように!」
続いてシビルさんのテキパキとした指示と、ドタバタと騒がしい足音に、さすがに心配になって部屋から出て一階まで下りて、廊下で耳を澄ませてみれば、応接室のひとつが火事場のような騒ぎになっているのがうかがえる。
「……何をやったんだろう、ルネ?」
思わずそう口に出してボヤいたところ、
「ルネお嬢様愛用の同人誌を開いて一目内容を確認した瞬間、オデット様が鼻血を流して人事不省となられたため、現在失神ソファに横にして介抱しているところでございます。ジーノ様曰く『当家の失神ソファが本来の用途で使われたのはおよそ三十年ぶりの快挙』だそうでございます」
いきなり背後からエレナの声が掛かった。
「うわっ!? び、びっくりしたぁ――」
思わずその場から飛び退いてエレナを凝視する僕。
エレナのほうはいつもの超然とした表情のまま、
「甘いですよ若君。クヮリヤートの〈影〉相手に、こっそり物陰に隠れて盗み聞きの真似事とは」
ふう、やれやれ……と、ばかり大仰に肩をすくめる。
「いや、別にかくれんぼの勝負していたわけじゃないんだけどね」
ちょっと気になって息をひそめて様子を窺っていただけで。
そう弁解するものの、確かにコソコソと隠れて盗み聞きしている時点で紳士としては失格だろう。
そう反省した僕だけど、それよりも気になるのはエレナが右手で持っている薄い本のようなもののだ。
ちらりと見えたけれど、めくれたページには大きく、可憐な少女が太ももや肩を丸出しで婀娜なポーズをとっている構図で描かれている。
結構扇情的な内容なのだけれど、その割に嫌らしさがあまりないのは、絵柄が写実的ではなくカリカチュアされていて、なおかつ女性的な筆使いが感じられるからだろう。
「――ああ、これですか? ええ、これが今回オデット様に見せたモノです。神絵師クリスティーヌ・ゴーダ先生の作品では割とソフトな方なんですけどねぇ。鼻血で一冊おしゃかですよ。まあ、観賞用や保存用ではなく予備の布教用であったのが不幸中の幸いですが」
一部専門用語で混じっていて難解な部分もあるけれど、なるほどこれを見たせいで初心なオデット嬢の羞恥心が、やすやすと限界突破してしまったのだろう。
つまるところ……。
「――二次元に逃避させるという魂胆はいきなり頓挫したってこと……?」
「残念ながらその通りでございます。ここまで耐性がないとは予想外でした」
不本意そうに嘆息するエレナ。
「そのため他の趣味でまずはリラックスしていただこうと、現在ルネお嬢様、エディット様、ベルナデット様とで審議中でございます」
「大丈夫かな、それ。エディット嬢は得意の魔獣・珍獣の図鑑やはく製を見せて。ベルナデット嬢は血生臭い領地の抗争に関する武勇伝とか語って、どっちも恐怖と想像で卒倒させそうな気が――」
話しているさなかに、再び応接室が騒々しくなった。
「あああっ! オデット様が泡を吹いて失神されましたわ!?」
「ええええっ、なんでですか!? 可愛いじゃないですか、このリャパウン産のカッパーのミイラ!」
「……てか、実物見たわけでもないのに『鋼鉄の処女』と『ファラレスの雄牛』の概要だけで、こんなになるものなのかしらね」
続いてルネ、エディット嬢、ベルナデット嬢の驚愕と翻弄まみれの声が続く。
「「…………」」
早くも手遅れであったか……。
凝然と顔を見合わせる僕とエレナ。
「だけど、こう言っちゃなんだけど、オデット嬢のあの反応が、世間に掃いて捨てるほどいる貴族の御令嬢の一般的なクオリティなんだよねえ」
それに比べて僕の周りにいる女性陣の図太いこと図太いこと。
「まあルネお嬢様、エディット様、ベルナデット様。私を別にして、将来の若君の嫁である全員がイロモノ枠――失礼、個性的なのは確かですが。ルネお嬢様の言ではございませんが、いわゆる『割れ鍋に綴じ蓋』『全てのジャックにジルがいる』とも申しますので……」
つまりは僕には彼女たちがお似合いだと言いたいらしい。あと、なにげに安全地帯から他の女性陣の背中を撃ちやがったよ、このメイドは。
「とりあえず私はこの本を処分して参りますので、その後、心配でしたら時間を置いて挨拶に来た。という風な形で顔を出されてはいかがでしょうか? お嬢様方には私から伝えておきますので」
「うう……そうするか……」
そう段取りを決めて僕は合図があるまで廊下の隅で待機することにした。
◇
およそ十五分後――。
「――やあ皆様方。ご無沙汰しております(昨日会ったけど)、当主代理のロラン・ヴァレリー・オリオールです。生憎と当主である父は公務のために現在不在ですので、代わって挨拶に伺いました」
そう白々しい挨拶とともに僕が応接室へ招かれて入ってみたところ、ルネを筆頭とした四人の御令嬢方が椅子に座って、レースの生地に刺繍を編んでいるところであった。
(なるほど、刺繍か。これなら確かに無難なところだろうね)
内心でほっと安堵のため息を吐く僕。
貴族の御令嬢にとって刺繍は楽器やダンスと並んで必須技能である。子供の頃から習っているのが当然なので、これができない女性はいないだろう(クリステル嬢はできないか、ものすごく下手そうだけれど)。
実際、ちらりと見た感じではそれぞれいい塩梅にできている。
ルネはありがちだけれど色とりどりの花をアレンジしたものを、エディット嬢は珍しい鳥を図案にしたものを、ベルナデット嬢は時計や馬車や城を題材にして、そしてオデット嬢もルネ同様に花と蔓を描いている……といったところで、まだとっかかりの段階ながら出来栄えも上々であった。
ちなみにルネとベルナデット嬢はまあ普通の腕前で、エディット嬢は玄人はだしで手際も良い感じ、オデット嬢は仕事は丁寧なのだけれど、なんだか運針がトロくて危なっかしい手つきである。
さり気なく一瞥したところでそう見て取った僕に向かって、制作の手を休めたルネ、エディット嬢、ベルナデット嬢が同時に椅子から立ち上がって、恭しくカーテシーをするのだった。
「――まあ、お義兄様いらっしゃいませ」
「ロラン様、お邪魔させていただいております」
「ロラン公子、ご挨拶が遅れて申し訳ございませんわ」
で、遅れてオデット嬢がワタワタしながら途中になっている刺繍を脇机へ置くのも忘れて、両手に抱えたまま立ち上がろうとして、持ち上げた拍子に――どうやら間違えて自分のスカートごと糸で縫い付けてしまっていたらしい――スカートが思いっきり引っ張り上げられ、もろに正面から中身が見えてしまった。
「あわ――あわわわゎゎゎゎっっっ!?!」
自分の状況が理解できずにテンパりまくりのオデット嬢。
「わ――きゃあああああああああっ?!」
さらに刺繍を引っ張りながら、同時にスカートを直してカーテシーをしようと無理な体制になったせいで足をもつれさせ、蛙みたいにもんどりうってひっくり返った。
幸いにして毛足の長い絨毯のお陰で怪我とかはしていないようだけれど、姿勢が姿勢だけにスカートが完全に逆さまになって、形の良いおヘソの辺りまで丸見えである。
「痛たた……って、わたくしのこの格好って――あああ……きゅうぅぅぅぅ……」
で、自分の状況を理解した途端、いつものように目を回して失神してしまった。
「……えーと。これ、僕が悪いのかな?」
僕が顔を出してからわずか一分足らずで、居たたまれない沈黙に満たされてしまった応接室に居並ぶ面々を見回して、恐る恐る尋ねてみた。
途端、ルネを筆頭に御令嬢方とエレナたちメイドが一斉に、やるせない表情で「はあ~~~っ」と、嘆息するのだった。
次回は、5/20頃更新予定です。
ちなみに、『Every Jack has his Jill(全てのジャックにジルがいる)』のことわざに出てくるジャックとジルは、日本で言えば『太郎さんには花子がお似合い』というような感じのありふれた名前ということです。もともとはマザー・グースの『ジャックとジル』に由来します。




