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side:いまどきの吸血女学生事情(そんなバナナ!)

 私の名前は、クリステル・リータ・チェスティ。オルヴィエール貴族学園に通うごく平凡な女子生徒……ということになっている。

 ま、厳密には学園の敷地に隣接した、レンガ建て三階の洒落た女子学生寮――正式名称は『偉大なるグウェナエル十六世陛下が下賜されたアエテルニタにおける神聖にして不可侵たる学究の徒のための学びの婦女子寮』という、やたら仰々しくも長い正式名称があるけれど、普通に皆『寄宿舎(ハウス)』と呼んでいる――で、寝食を共にしているので通うも何もない。ぶっちゃけ学園の敷地において、私の生活圏のほぼすべてが賄えているのが実状だ。


 ああそうそう。長い名前で思い出したけれど、この世界では平民以下の身分の者は、名前がひとつで通常は姓はもたないのが普通である。

 簡単にいえば『ポンポコ村のビル』って感じ。仮にポンポコ村にビルという名前の男が三人いた場合は、『ポンポコ村の』に続いて『牛飼いのビル』『粉屋のビル』『太っちょビル』という風に、注釈が入るのが常だ。


 で、これが地域の有力者とか、大都市の市民権を持つ商人あたりになると『姓』を持つことを許される。『ジョン・スミス』って感じ。

 さらに騎士や貴族階級、聖職者になるとファーストネームの他にセカンドネームを持てることになる。だから『クリステル』というファーストネームの他に『リータ』というセカンドネーム、そして『チェスティ男爵家』の姓を名乗れる私は、一応はこの世界での特権階級『貴族』に属するというわけだ。


 もっとも貴族とはいえ、我が『チェスティ男爵家』は数代前に金で貴族位を買った成り上がり。しかも領地も持たない法衣貴族(つまりは名ばかりの閑職をあてがわれた国家の寄生虫)なわけで、社会的身分こそあるが貴族社会では偉くもなんともない。救いはもともとの商売と国からの給料でどうにか食いつなげるくらいなものだろう(もっとも実際の商売は人任せだけれど)。


 生活レベルは貴族としては最低限。王都にある唯一の町屋敷(タウン・ハウス)(普通は領地にある壮麗な領主館(マナー・ハウス)城館(カントリー・ハウス)に対して、敷地が限られた都市部における居宅を町屋敷というのだけれど、うちは田舎の商店を別にして邸宅や城館なんてものはもっていない)であってすら、乳母を含めて十人程度の使用人を雇うのが精一杯という程度の、どうにか中産階級(ミドル・クラス)を名乗れる名ばかりの下級貴族である。


 ちなみに代々の領地をもっている下級貴族であれば、町屋敷(タウン・ハウス)であってもうちのようなフラット・マンション(庭のない狭い敷地ギリギリにレンガ建て三~四階建てのアパートみたいな建物が並んでいる形式のアレ)なんかではなく、狭いながらも庭や厩舎を備えたお屋敷に住んでいて(ただ、やはり敷地が限られるので上に伸びて三階建て以上にはなる)、使用人にしても、まずは弁護士(もしくは会計士が数名)を筆頭にして、その下に等しく乳母(その下に子守メイドが数名)、会計管理者数名、個人秘書数名、ハウスキーパー(ハウスメイド数名)、雑用係(大工を含めて数名)となり、さらには家庭教師数人がその管理下に置かれる。まあここだけで二十~三十人ってところだろう。


 さらに屋敷や領地の管理に関しては別な指示系統となり、屋敷の保守担当者(十人くらい)、庭園管理の庭師(露地担当数名、温室担当数名)、森林管理者(数名)、狩場管理者(数名)、厩舎管理者(数名)、車庫管理者(運転者を含めて数名)、農場管理者(耕作地管理者十名くらい、牧場管理者十名くらい)、種畜牧場管理者(数名)とかで八十人くらい。まあこれでも最低限だ。

 そして屋敷の室内スタッフとして、家令(スチュワート)もしくは執事(バトラー)を筆頭にして、従僕(下男やホールボーイなど数名)、シェフ(配下にメイド数名)、ハウスキーパー(ハウスメイドなど専属メイド数名)、婦人及び令息、令嬢付き専用メイド、洗濯場主任(専属メイド数名)、警備員(数名)となっている。


 で、これに加えて別荘やセカンドハウス(最低でも四~五箇所所有)に、何人かのスタッフがいるのが当然なのだから、一般的な貴族ともなれば使用人の数が優に百人を上回るのが当然なわけで、我がチェスティ男爵家がどれほど見劣りするかよくわかるというものだろう。貴族を名乗るのも烏滸がましいレベルだ。


 これだけでも国内の有力貴族や王族まで通う伝統あるオルヴィエール貴族学園で、私がどれだけ場違いでアウェーなのかがよくわかるというものであるが、それに加えて私の場合は一応認知はされているけれど、現当主のチェスティ男爵が、どこの誰とも知らぬ相手に産ませた不義の子……というわけで、『清純』『純血』『血統』が尊ばれる価値観がまかり通る貴族社会の中にあって、肩身が狭いなんてもんじゃない。


 もっとも私が父親の素性を明確に知ったのは数年前で、ついでにいえば私は十歳くらいまでは、単に『クリス』と呼ばれていて、貴族の生活ともオルヴィエール統一(この国)王国ともまったく無関係に暮らしていた。

 旅芸人だった母は綺麗な人だったけれど、一箇所に留まるのは長くて三月、早い時には数日で居場所を変えるという流浪の生活だったため、こうして一つ所に留まって一年近く同じ場所で生活をする……という生活は、正直いまだに慣れないでいる。

 もっとも、もっと前は(・・・・・)ニート気質だったせいもあって、同じことを繰り返すローテーションの生活の方が性に合っていたのだけれど……。まあ人間、環境で変われば変わるものだ。


 ちなみに母が転々と居場所を変えていた理由もいまになればよくわかる。私もその体質を受け継いでいるので痛いほど実感するのだが、つまるところ男女関係(痴情)のもつれによって、そこに居辛くなって逃げるように転居せずにはいられないのだ。

 あ、いっておくけど母が恋多き女だったとか、見境なく男を食いまくっていたとかではない。それどころか種族的な特性(・・・・・・)のせいか、母はひとりの相手を生涯一途に思っていた健気な女性である。


 ……その相手が私の父親と名乗る禿げて腹の出たオッサンであったというのは、いささか幻滅であるが。あれでも若い頃にはどこかいいところがあったのだろう。


 母が毎回遭遇したトラブルというのは、つまるところは勝手に母に懸想した男たちがストーカーと化したり、捨てられた男たちの妻や恋人たちが目の前で痴話喧嘩を始めたり、逆恨みして母に罵詈雑言――ひどい時には刃物(ダンピラ)を持って切りかかってきたりしたため、それを回避するための手段であった。

 その母も五年前に遠い所へ旅立ってしまったのだが……。


 思いがけずに再会を果たした腐れ縁の昔馴染みを前に、そんな胸中の感慨が顔に出てしまったのか、

「…………」

「――何か? ああ、もしかして母上――イーリス殿の安否を確認したいのでしょうか? つつがなくお元気ですので、ご心配なく」

 角燈(ランタン)に照らされただけの薄暗い屋根裏部屋――学園に四棟ある図書専用棟の中央棟のどん(つま)り。一番空に近いくせにどん底(ズンドコ)の部屋――で、男子用の制服をはだけてこれ見よがしに豊満な双丘を当てつけのようにおっぴろげた『ガブリエル・エンゲルブレクト・アルムグレーン』と自称するミネラ公国からの留学生が、いけしゃあしゃあと私の考えを見透かしたように語る。


 元気だという割に『どこにいて』『どんな待遇』なのかとの具体的な情報をよこさないのが、こいつの嫌らしいところだ。

 だいたいガブリエル(こいつ)って何歳なんだ? 少なくとも最初に見たのは七年前、国内に潜伏している魔族や亜人を隔離する――って名目で母とともに正体がバレて捕まった時だけれど、その時から全然見た目が変わっていない。魔族以上に不気味な存在である。


 なお、いま現在のミネラ公国は魔術や魔族、亜人、妖精を排斥した人間中心主義、科学第一主義を標榜(ひょうぼう)しているけれど、だからといってそうしたものを利用していないわけではない。

 密かに集められて隔離された私たちは、私のように人質を取られたり洗脳されたりして、工作員や兵器として密かに運用されているのが実態だ。


 私の場合は血筋と能力を見込まれて、この国へ『母を亡くした貴族の私生児がたまたま父親と再会した』という筋書き通りに送られたというわけである。

 そうでなければ、誰がこんな国へ来るものか!!


「……で、あんたみたいな大物が、たかだか素人に毛が生えた程度の小娘の様子を見に、わざわざ留学生を装って乗り込んできたわけ? 男装までして」


 皮肉たっぷりにそう尋ねると、ガブリエルは「おやおや」と、わざとらしく肩をすくめてみせる。


「これは心外ですね。貴女はご自分の希少価値を理解していないとみえる。その場にいるだけでその体臭(フェロモン)によって男と言う男を骨抜きにして絶対的な信奉者に変える女王蜂。その気になれば人類の半分を支配することも可能な伝説の吸血鬼。その末裔が我が国内に潜伏していたとは、僥倖(ぎょうこう)以外の何ものでもありませんよ。ラストワンとも言えるその貴重な血統に敬意を表して、私が代表をして(まか)()すのは当然ではないですか」


 芝居じみたその弁明――。いうまでもなく一から十まで嘘八百に違いない。いちいち反論するのもバカバカしくなった私だけれど、これだけは看過できない台詞回しを強く訂正しておいた。


「〈吸血鬼(ヴァンパイア)〉じゃなくて、〈妖精の恋人(リァノーンシー)〉っ! 腐った死体の化け物と一緒にしないでよ!!」

「おやそうでしたか? 失礼」

 まったく失礼と思っていない慇懃な仕草で一礼をするガブリエル。

「――ふん。あんたが知らないわけはないでしょう。私が〈妖精の恋人(リァノーンシー)〉だとわかっているからこそ、篭絡されないように男の連絡員を使わないで、あんたが直接乗り込んできたんでしょう? だったら別に女の姿でもよかったと思うけど、男装は趣味なわけ?」


 わざとこっちを怒らせて、私の反応を値踏みしているんだろう。そう踏んで逆に相手の思惑を読んで逆襲に転じたつもりだったけれど、

「いえいえ、本当に他意はありませんよ。それとこの格好はやはり男子のほうが何かと動きやすいですからね。効率の問題ですよ。まあ、確かに私がこの国へ派遣されたのには別な思惑があり、その場所が男子禁制であるから……っと。これは貴女には関係のない話ですね。ところで――」


 のらりくらりと話を躱され、ついでに思わせぶりな前振りを残して話を変えられてしまった。ちくしょう!


「いい具合にエドワード殿下とその取巻きたちを取り込んでいるようではないですか。さすがは〈妖精の恋人(リァノーンシー)〉ですね。特にエドワード殿下は完全に意のままといったとこころですが、もしや吸血行為をなされましたか?」

「……まだ誰にもしてないわよっ!」


 あけすけに尋ねられて、思わず自分の頬が熱くなるのを感じた。

 生き物の血を吸って糧にしている半死体の〈吸血鬼(ヴァンパイア)〉と違って、もともと妖精の一族である〈妖精の恋人(リァノーンシー)〉が行う吸血行為は、いわば求婚の儀式である。

 その相手を心から愛した〈妖精の恋人(リァノーンシー)〉は、(母曰く)性衝動に似た渇望とともに相手の血を飲むと同時に自分の血(正確には精気と魔力)を譲り渡す。それによって永遠の愛を誓い合う……らしい。

 なお、そうした儀式を経た〈妖精の恋人(リァノーンシー)〉は、先天的な『誘惑(テンプテーション)』の能力がガックリと下がる。代わりに子をなす(百%娘が生まれる)。あとついでに、相手の男は副作用で芸術やスポーツなど、一部の能力が底上げされるとか。


 遺伝上の父親であるチェスティ男爵が、どーにかいまの爵位を保っていられるのも、そうした底上げがあったからかも知れない(ブーストされてあの程度とか、どんだけ無能だったんだとも思うけど)。


「おやおや。食指が動くような相手がいませんでしたか?」

 その辺を当然わかっているガブリエルが嫣然と、なおかつ晩生(おくて)の小娘を小ばかにするかのような上から目線で笑いながら続ける。

「まあいいでしょう。こちらからは特に注文は付けませんので、今まで通りでお願いします。ただ……」


 ふと、これまで余裕綽々だったガブリエルの態度に、わずかばかりの揺らぎが生じたように感じだ。


「ただ、あの自称『取巻きA』こと、〈神剣の勇者〉にはお気を付けください。どうにも油断のならない予感がします」

「『取巻きA』?」

「おや、ご存じありませんか? 自虐風にそんな風にご自分を評しておられましたよ。――ああ、貴女がお帰りになられた後のことでしたので。そういえば、これ。そのロラン公子からの差し入れのバナナを焼いた菓子だそうですので、私はいりませんから差し上げます」


 そう言って手土産に持たせられたらしい。リボンでラッピングされた紙袋が机の上に置かれた。

 途端にバナナの香ばしい匂いが私の鼻孔をくすぐる。


「――では、あまり長くなると怪しまれますので、私はこれで」

 いつの間にやら(はだ)けていた制服を着替え直して、半分以上飛び出していた胸をどうやったのかきっちりしまい込んだガブリエルが、軽く手を振って屋根裏部屋から音もなく立ち去った。


 挨拶を返すことも見送ることもせず、茫然と机の上に置かれた紙包みを眺める私。

 そんないまの私の脳裏を占められていたのは、差出人不明の『A』とだけイニシャルが書かれた励ましの手紙と、添えられていた高級フルーツであるバナナ。そして、今回のガブリエルの手土産とついでのように付け加えられた話の内容だけだった。


「バナナ……ロラン公子が? それじゃあ『A』っていうのは、まさか……?!?」


 知らず私の口から自問自答の言葉がうわ言のようにこぼれていた。

※LEANAN-SIDHE (リャノーンシー)はアイルランドの美しい妖精で『愛の妖精』という意味。男性に好意的であったり意地悪であったりします。気に入った夢見がちな若者に音楽や弁舌で霊感を与え、名声をもたらしますが。彼女に抱擁されるとだんだんと精気を吸われるとも言われます。


※LHIANNAN-SHEE (ラナンシー)はイギリスの妖精で特定の相手にしか見えず、また見えたが最後、すべての精気を吸われるとされています。


同一視されがちですが別な妖精ということで、アイルランドの伝承をもとにしました。

(参考:『世界の妖精・妖怪辞典』キャロル・ローズ著、松村和夫監修。原書房)


また、貴族の使用人の所属や人数については、『おだまり、ローズ 子爵夫人付きメイドの回想』ロジーナ・ハリソン著、新井潤美監修、新井雅代訳。白水社)を参考としました。

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