翡翠宮の姫君(最後の婚約者登場)
宮廷内では知らぬ者はない、エドワード第一王子と実弟であるジェレミー第二王子との確執。
そのために一度口に出した、
「ロランに見舞いに来いだとぉ!? ふざけるな! 親族の見舞いすら断る偏屈が、何のたくらみがあってのことだ?! 俺、いや、私は断固反対いたします。国の宝であり、また重鎮でもあるロランを、軽々とジェレミーの我儘につき合わせるなど言語道断でしょう!」
と、啖呵を切ったその舌の根も乾かないうちに、「あ、やっぱいいよ」というのは、クリステル嬢に唆された結果とはいえ、第一王子としてもさすがに表立って公言できない……それくらいの矜持はまだ残っていたらしい(逆を言えばそれだけこの兄弟間のドロドロは根深いということだ)。
また、それに付随する形で現在、娘(コンスタンス嬢)を婚約者という形にして、ジェレミー第二王子を囲い込んでいるヒスペルト侯爵もまた、警戒感を露わにして僕とジェレミー第二王子との接近を危ぶんでいたから状況はややこしい。
万が一にも僕らが意気投合などをすれば、立場的に劣る自分たちの優位性が簡単にひっくり返ると、おそらくは警戒してのことなのだろう。
エドワード第一王子の尻馬に乗る形で難色を示し(明確に反対の姿勢を出さないのは、さすがに大貴族だけあってタヌキである)、さらには水面下で派閥の人脈を総動員して聖教大神殿にまで働きかけ、
「五公爵家のオリオール家の御嫡子にして、讃えるべき〈神剣の勇者〉であるロラン様を、邪教や邪術に傾倒されているという噂のあるジェレミー殿下と同席させるのはいかがなものでありましょうか? それならば以前から申し上げているように、一度異端審問官によるジェレミー殿下及びその関連するものの調査を実施させていただきたいのですが?」
そんな横槍が入ったお陰で、事実上公式に見舞いに行くという道はほぼ塞がれたのだった。
ということで、あっちこっちの顔を立てるために、正攻法がダメなら裏からコッソリ忍び込むしかない……ということになったのだけれど――。
「難しいですね。以前に私が使ったルートは当然ながら使えませんし」
実際にジェレミー第二王子の懐まで忍び込んだ実績のあるエレナが、難しい表情で唸った。
「ああ、侍女に化けて忍び込んだんだっけ? よく短時間で周りから不審に思われずに、すんなり入り込めたものだね」
「種明かしをすれば、以前から侍女として王宮へ入り込んでいた〈影〉のひとりと入れ替わっただけです。幸い背格好も似ていましたので……とはいえ今は無理ですね。現在はジェレミー第二王子のいる塔に出入りする侍女は、直前に魔術による精神検査を受け、さらには余計なものを持ち込まないように、素っ裸になって子細な検査を受けないと駄目のようですから」
そう軽く肩をすくめて忍び込んだ時の手口と、いまの王宮のチェック体制をあげつらってその困難さを強調するエレナ。
なるほど、それなら同じ手が使えないというのも納得である。
「ふふふっ……!」
納得した僕らだったけれど、それを聞いたルネは逆ににんまりと会心の笑みを浮かべた。
「つまり、多少面倒にはなったけれども、ジェレミー第二王子のもとへ行く侍女のルートは、まだ存続・機能しているということですわね?」
「ええ、まあその通りで……あの、ルネお嬢様。まさかそういうことですか?」
何か覚醒した風なルネに対して、微妙に腰の引けた調子でエレナが伺いを立てる。
「勿論そうに決まっているわ! ここはロレーナお義姉様の出番ですわ!!」
「「うわ、やっぱり(です)か……」」
「「「……えっ、どなた(誰)のことですか!?」」」
これまでの話の流れから薄々察していた僕とエレナは、得意顔のルネを前にため息をついて、『ロレーナ』を知らないエディット嬢、シビルさん、アンナが怪訝な表情を浮かべた。
ちなみにジーノは無言を貫いている。
「いや、あのルネ、いまの話を聞いていた? これだけ厳重なチェックを付け焼刃の女装で潜り抜けるとか無理だからね?」
特に素っ裸の時点で一目瞭然だろう。
「問題ありませんわ」
「いや、大問題だよ!」
僕の抗議もどこ吹く風で、滔々と自分の考えを開陳するルネ。
「なぜなら今回留意すべきは宮廷内のヒスペルト侯爵派の目ですから。それ以外の第三者に対してもお義兄様が登宮されたとバレなければ問題がないということですわ。そして国王陛下を筆頭とした警備はこちらの味方。そうとなれば、ロレーナお義姉様が侍女の扮装で堂々と歩いても自然というものですわ」
「……ふむ、なるほど一理ございますな」
ここで沈黙していたジーノがルネに一票を投じた。
「ジーノ……?」
お前が真っ先に裏切るのか!? と思わず横目で睨むも、当人は好々爺然とした笑みを崩すことなく、どこか懐かし気に遠い目をして語りだす。
「思い出しますな。シャルロット奥様もかつては太后様……当時の妃殿下の侍女をしてらしたのですが、三国一とも傾国とも謳われたその麗しいお姿を一目見ようと、王宮内の男たちはこぞって妃殿下関連の仕事に関与しようと血眼になったものでございます」
「三国一……傾国。そうでしょうねえ」
僕の顔を正面から眺めながら、しみじみとした表情で同意するルネ。
ちなみに僕は顔立ちそのものは母の若い頃に生き写しと言われている。
「現国王陛下……当時の王太子殿下もその例に漏れず、奥様に恋文を送られたのですが――」
「どうなったのですか!?」
他人の恋バナほど面白いものはない。
興味津々と入れ食いで身を乗り出すルネを筆頭とした女性陣。
……いや、どうしたもなにも、現に僕の母になっているんだから、フラれたんだろう。
「――ふむ。まあ口止めされているわけでもございませんから率直に申し上げますと、恋文の送り主と恋仲になりました」
「え!?」
「「「「「おおぉぉぉっ!!」」」」」
驚いたのは僕だけで、女性陣は大盛り上がりであった。
だけど、え!? それじゃあうちの母って、父と付き合う前に国王陛下と……!?!
邪推する僕に対してもったいぶることなく、あっさりと真相を暴露するジーノ。
「もっとも、王太子殿下のお名前で直接に女性に秋波を送ったとなると、いろいろと問題ですので、当時、王太子殿下の近習であった旦那様――アルマン様のお名前を借りてのものでした。ところが……」
「嘘から出た誠。嘘が本当になってしまった、というわけか」
「左様でございます。真実が明らかになった後も、奥様はそれはもう熱烈に旦那様に夢中になりまして」
冗談みたいな両親の馴れ初めを聞いて呆れるべきか、「「「「「きゃ~~っ、素敵っ!!!」」」」」と、黄色い嬌声を上げている女性陣に同調するべきか、微妙な気分になる僕だった。
「……というか、若い時分の陛下の肖像画とうちの父のソレを比べたら、随分と見劣りがすると思うんだけど、どこに惚れたんだろう?」
王宮に飾られている十代後半だった当時の陛下の肖像画を見ると、顔立ちはほぼいまのエドワード第一王子と同じで、なおかつアレにはない理知的な眼差しと生真面目さが垣間見える好青年である。
いわばアレの上位互換だ。
対してうちの父は、まあブ男ではないけれど取り立てて目を引くところもない、ごくありきたりな平凡な顔立ちの人物である。性格が温和だったくらいで、取り立てて目立ったところはなかったと自分でも常日頃から口に出している。
ところが三国一と謳われ、それこそ王太子から何から選び放題だった(ある意味、クリステル嬢の上位互換かも?)当時の母が、何を思って父を選んだのか、いまだに王宮では七大不思議のひとつに数え上げられているらしい。
「さて? こればかりは不明ですな」
「ふ~~ん?」
まああのぽや~~んと、一見何も考えていないようで、そのくせ必要なポイントは気が付いたら確実に押さえてあるという母の事である。いつものように「なんとなく」と、何も考えずに本能で選んだ可能性が高そうだけど(そして、なぜか確実に正解を引き当てる)。
「あら? そうなるともしかして、お義母様の口利きがあれば、侍女としてロレーナお義姉様が王宮に潜り込むことも容易ということなのかしら?」
そこで余計なことに気が付くのがルネである。
「なるほど名案ですな。いまだ奥様が現役でいらした当時の侍女もそれなりの役職として、王宮のそこかしこに勤めておりますので」
「なら決まりね」
「いやいやっ、ちょっと待て~~っ!!」
慌てて反対したけれど、「では、代案がございますか?」と、返されてはぐうの音も出なかった。
❖
その三日後――。
母上の口添えは絶大だったようで、異例の速さで王宮に招かれた僕――というか、ロレーナ・ヴァネッサ・ミラネス子爵令嬢は、元母の同僚で現王妃様の侍女長だというマリー・ルイス女史(三十七歳)に連れられて、お仕着せのメイド服に前回も使った金髪のウイッグで、勝手知ったる王宮の中庭を案内されていた。
女装している時は歩き方や体の動きに細心の注意を払わなければならないから面倒なんだよね。男だと真っ直ぐ二本足で歩けばいいけど、女性の場合は内股にして一本線を歩く形でないと変だし、あと身のこなしも基本直線を作らずに曲線で構成されるようにしないと違和感があるしで……。
「この先の分岐路を右に行けばジェレミー殿下のいらっしゃる『灰天の塔』へ、左へ行けば太后陛下の御座所である『翡翠宮』へと通じています」
「はい」
子供の頃から出入りしていた場所なので案内は別にいらないのだけれど、名目上は新人侍女という扱いなので、誰も見ていないところでも一応は猿芝居をしないといけない。
それにしても『翡翠宮』か。
子供の頃は問題なかったけれど、ここは基本的に男子禁制なので招かれない限り勝手に入るわけにはいかない。だからもう六年くらいは足を踏み入れたことがないなぁ……。
と、感慨深くその方向を眺めていた僕の横顔を、マリー・ルイス女史が同じように感慨深い顔つきで眺めながら、
「それにしても、本当にシャルロットに瓜二つね。瞳の色以外は、シャルロットにそっくり。まるで彼女が帰ってきたみたいで懐かしいわ!」
感に堪えないという風に、そうしみじみと母の名前を出された。
「恐れ入ります。マリー・ルイス様をはじめ皆様には、無理なお願いを申し上げてしまいまして」
「いいのよ! シャルロットから久しぶりに手紙をもらって嬉しかったし、シャルの思い付きで振り回されるのにも慣れているから、私も年甲斐もなくワクワクしているのよ。それにこうして、シャルそっくりの娘さんとも会えたんだし」
「……娘……」
実態を知っているはずなのに、堂々と悪乗りをしているマリー・ルイス女史。
しっかりしていそうで、やっぱりうちの母の類友なんだなぁ、と言動のそこかしこから感じられる香ばしさに実感させられるのだった。
と、そんな話をしているうちに、中庭にある歩道用の煉瓦道の分岐に行き当たり、当然のように『灰天の塔』のある右手側へ曲がろうとしたところで、
「ふにゃ~~っ♪」
ふと左手側――の小道から茶虎の猫……のような、それにしてはやたら大きな一対の牙が特徴的な、ちょっと不細工な生き物が走ってきて、僕の足元にしがみついてきた。
「へ――!?」
咄嗟にどすんと正面から受け止めようとして、慌ててちょっと身をよじって軽く受け止める形で、足元にまとわりつく猫(?)を見下ろす僕。
「あら? その剣歯猫はもしかして……」
襲ってきたわけではなく、ゴロゴロと喉を鳴らして甘えるだけの謎の生き物を前に困惑する僕と、何か気が付いた顔で表情を険しくするマリー・ルイス女史。
と、そこへ幼くも鋭い女の子の声が飛んできた。
「お前、そこのお前よ! その子を逃がさないで!」
「……?」
よくわからないけれど、とりあえず足にしがみついてくる猫を屈みこんでひょいと両手で抱きかかえる。
「よし、よくやったわ! 褒めてつかわす!」
途端、また同じ声がして、その声のほうを見てみれば、異国風のドレスを身にまとった少女が、数人の女官を引き連れて……正確には、女官たちが必死に追いすがる先を走ってくるところであった。
「なんとまあ……」
その少女の容姿に思わず釘付けになる僕。
一言でいえば派手な少女であった。
年齢は十歳になるかならないかといったところだけれど、栴檀は双葉より芳しという諺通り、この年齢にして確実に多くの人の上に立つ者の自負と傲慢とが全身からあふれ出ている。
さらに注目されるのは特徴的なのはその色彩であった。
瞳の色は左右で色の違う金銀妖瞳。おまけに髪の色は基本ブラウンなのだけれど、毛根に近づくにつれて段々と色素が薄くなって、最終的にはほとんど白に近いムーンライトへと変化するという、なかなかにファンキーな色合いである。
若干日に焼けているところを見ると染めているわけではなく(金髪を筆頭とした薄い色合いの髪の毛は日に焼ける)これが自毛なのだろう。
「――ナディア様!?」
そんな少女の姿と剣幕に息を呑んだマリー・ルイス女史が小さく呟いたのを、僕の耳ははっきりと捕らえた。
ナディア様。
そう呼ばれる女性に心当たりはひとりしかいない。
アラゴン交易国の王族にして、現在、太后様が後見人となって、翡翠宮で生活されている国家要人。そして、シャミナード子爵家の嫡孫であるマクシミリアンの許嫁の名前であった。
エイプリールフールネタを書こうかとも思ったのですが、面倒なので真っ当な更新となりました。
なお、4月より僻地へ飛ばされることになりましたので、更新頻度が下がると思われます。
取巻きとブタクサは最低限休みの日に更新するつもりですけれど、他まで手が回すのは非常に心もとない状況でございます。




